Re: 信じる ( No.1 ) |
- 日時: 2012/03/23 16:47 (plala)
- 名前: 希生
- にまさん。
私も一緒です。 私ゎ信じてた友達にいじめらたり大人に信じてもらえなかったり といろんなことがあっていつも笑って人の顔色うかがってました。 でも、私ゎ少し変われましたよ。 中3のトキにであった先生なんですけど私とよく似た先生でよく理解してくれました。9つしか違わないので親近感もありました。 いろんな話しをしたりしていくうちに「この人だったらこんな私でも受け入れてくれる」って思いました。実際、受け入れてくれましたよ!! 生きていればきっと1人ゎあなたを受け入れてくれる人が絶対にいます。私みたいな子でも受け入れてくれる人がいたんだから。 私ゎ今、その先生とゎ離れ離れだけど前をむいています。 上手くいえなくてもいいんです。私もそうでした。でも「なんでもいいから言ってごらん」って言ってくれる人が私にゎ初めて現れました。 私が今、言えるようになったことゎ「どんなことがあっても人を信じる心を忘れないでください」ということです。 難しいことだけど私ゎそれを頑張っています。 あなたを受け止めてくれる人わ絶対にいますよ。 だから、大丈夫。無理しないでね。
|
Re: 信じる ( No.2 ) |
- 日時: 2012/03/23 17:21 (wind)
- 名前: かゆがも
- > 私は、なかなか人を信用することができません。
人を信用する必要はありません。 人を信用することは危険なことなんですよ。 なぜなら人を信用して、相手が自分の期待と違う言動をしたら、悲しむのは自分です。 相手が親友であれ、実の親であれ、実の子であれ、信用することは危険です。 どんなに親しい間柄でも、その人の気持ちの状態が違えば言動も変わってきます。 ですから人と話すときは、自分に賛意を示すこと、同情的であることを期待しないほうがいいと思います。 相手は賛意を示すかもしれないし、反対するかもしれない、同情的かもしれないし、批判的かもしれない、と気持ちを中立(ニュートラル)にしておくと良いと思います。
> 誰かと仲良く話すようにはなれるのですが、どんなに仲良くなったと思っても、いつも相手の顔色を伺ったり無理に話をあわせたり、自分の考えを伝えられなかったり。 > そんな不誠実な態度ばかり続けて、もう高校三年生になってしまいます。 > こんな状態で大学や社会へ出るのがとても不安です。 恐らく、少し我が強いのでしょう。 人は自分が特別である、正しい、可愛い、偉い、と思い込みたい生き物です。 このことを自我(エゴ)といいます。 エゴは誰にでもありますが、これが強いと自分が何か言って、批判をされたり、反対をされることを恐れるんです。 可愛い自分が批判に晒されたり、正しいはずの自分が反論されるのが怖いんです。 しかし、エゴは間違っています、ですからエゴが強いと苦しいんです。 本当は自分は特別ではない、普通の、間違うこともある、ただの人間です。 人に批判されたって、自分は間違うこともあるんですから当たり前です。 自分が正しいと思ったら改めて自分の意見を言えばいいし、 相手の意見が正しいと思ったら、「ああ、自分の意見は間違っていたのか。」と考えを改めるまでです。
> でも○○にだって良い所はたくさんあります。 その通りですね、人には良い面、悪い面、の二つの面があります。 ですから総合的に考えて○○さんがこれからも交遊していくに値する人物か吟味してはどうでしょう。 良い人とお付き合いしていれば自分も良いほうに向かいますし、悪い人とお付き合いしていると自分も悪いほうに向かってしまいます。
> そんなこともあり、私はどんなに心から「好きだ!」と思える人がいても、「信用」することができなくなってしまいました。 信用せず、心を真ん中に置きましょう。
> 「だってどんなに好きでも仲良くしてくれても優しくても、私の悪いところ見たらすぐに嫌いになるでしょ?」と考えています。 当然その可能性はありますね。 ですから自分の悪いところを減らしていくように努力するんですよ。
> ある友人に、「言いたいこと言って、それで嫌いになるならその子のとってにまはその程度だったってことだよ、無理に付き合うことないんだよ」と言われました。 > まったくその通りだと思うのですが、私は周りみんなが私のことを「その程度」にしか思っていないのでは、と考えてしまうのです。 友人にもランクはあると思います。 @挨拶したり、会話する程度(友人というよりタダの知人ですね)。 A一緒にいると楽しい、一緒に遊ぶ、友人(この辺から友人といえると思います)。 B苦楽をともにした、助け合う、互いに尊敬できる、いわゆる親友。 はっきり言って@〜Aはポイポイ変わるので多くを期待しないほうがいいでしょう、危険です。 だからと言って蔑ろにして良い、という意味ではありません。 @〜Aの友人達もいつ、仲が深まってBになるとも限りませんので。 Bは親友ですが、これは人生を通しても1〜3人いるかいないかです。 そしてあなたが良友を望むとき、あなたも良友であろうという努力が必要だと思います。
たとえ親友・友人であろうと自分の意見に反対のこともあるし、批判的なこともあるし、同情的でないこともあるんですよ、そのことを知っておけばそれ程臆する必要はないと思います。
|
Re: 信じる ( No.3 ) |
- 日時: 2012/03/23 22:57 (home)
- 名前: さつき
- あなたの今の現状、私の高校時代とそっくりです。
私も人の事が気になったり、人が信じられなかった時期でした。
でも、高校までの世界が全てでは無いですよ。大学、社会…と出会う人間の種類、つまり自分を取り巻く環境、が変わりますから。 あなたが広い世界を見ようとすれば、何処までも世界は広いです。
私は大学で人に対しての信頼を僅かに取り戻せた気がします。
あなたが「信じる」という気持ちを大事にする限り、信じられる人間はきっと何処かにいるという気持ちを持ち続けていれば、この先、信じられる人間にはいくらでも出会えるチャンスは沢山ありますよ。 人生を歩いていれば、嫌なことも沢山あると思いますが、良い出逢いもあります。 あなたに良い出逢いがありますように
信じるって難しいですよね。でも信じられたらとても素敵なことだと思います。
|
Re: 信じる ( No.4 ) |
- 日時: 2012/03/24 13:36 (softbank221054073164.bbtec.net)
- 名前: ぷるーん
- 信じるって大変なこと。
|
Re: 信じる ( No.5 ) |
- 日時: 2012/05/26 02:44 (home)
- 名前: にま
- 返事が大変遅くなってしまい、申し訳ありませんでした…。
お返事くださった方、ありがとうございます。
希生さん> 受け入れてくれる人ですか…そうですね、きっと私にも、そんな素敵な人が現れてくれる事を願います。 そのために、もっと自分を人としていい方向へいけるよう磨いていきたいです。 最近、人の顔色は気にしても、それに合わせてどうこうすることは少なくなりました。 なるべく自分の考えは大切に、そしてその考えを受け入れてくれる人をもっと大切にしていこうと思います。 お返事ありがとうございました。
かゆがもさん> 我が強い…なるほど確かに、そうかもしれません。 何故自分はこんなにも批判を恐れるのかと考えていましたが、それが原因だったようです。 やっと気づけました。ありがとうございます! 最近、自分の意見は正しい、正しくないに関わらず、大切にするようにしています。 意見を述べた結果を素直に受け入れ、悪かったところは改善し、良いところは自信として積み重ね、そうして自信のもてる自分になっていければと思っています。 あと、周りが同情的でないというのを踏まえたうえで、それでも仲良くしたいなと思える人との関わりを大切にしようとも。 以前よりは少し状況も、自分の心の持ち方も良くなったと思えるので、これからもそれを続けながら、良き友達を見つけていきたいです。 お返事ありがとうございました。
さつきさん> そうなんですよね、高校という狭い世界だけに捕らわれる必要はないんですよね。 大学は結構近場を受験するつもりですが、今の学校で受験する人はほとんどいないようなので、無事合格できたらそこで新たに友人の輪を広げられればと思います。 私は世間が狭いので、もっと外の世界に目を向け、視野を広げる必要があるのは、自分でもわかります。 いつか誰か素敵な人と出会ったとき、その時もう一度心から信用する努力をしてみたいです。 お返事ありがとうございました。
ぷるーんさん> 私も、本当に大変なことだなぁと、身にしみて感じています。 たとえ何年付き合った人でも、やはり考え方が変わったり、意見が食い違ったりと、悩みは絶えません。 だからこそ、「信じる」とはどういうことなのか、新しい解釈が必要になってくるのでは、とも思っています。 お返事ありがとうございました。
みなさん、ご丁寧なお返事本当にありがとうございました。 書き込みをした当初より、僅かながらも成長できたのでは、と思っています。 私の周りの人との関わり方について、今一度よく考え直してみたいです。
お返事本当にありがとうございました!
|
Re: 信じる ( No.6 ) |
- 日時: 2015/04/12 14:12 (plala)
- 名前: かゆがも
- > 題名の通りです
> 人の事を信頼できません 人を信頼する必要はありません。 人を信頼することは危険なことなんですよ。 なぜなら人を信頼して、相手が自分の期待と違う言動をしたら、悲しむのは自分です。 相手が親友であれ、実の親であれ、実の子であれ、信じることは危険です。 どんなに親しい間柄でも、その人の気持ちの状態が違えば言動も変わってきます。 ですから人と話すときは、自分に賛意を示すこと、同情的であることを期待しないほうがいいと思います。 相手は賛意を示すかもしれないし、反対するかもしれない、同情的かもしれないし、批判的かもしれない、と気持ちを中立(ニュートラル)にしておくと良いと思います。
> 他人にあしを引っ張られるとか邪魔される、 > 悪口ばかりで生産性がない、人間と言うより動物に近い > ということを無意識に感じ取ってしまいます 悪口・陰口・誹謗中傷・暴言・虚言などと言う人とは付き合わないことですね。
> そうじゃないひともいるのに そうそう、そうじゃない人と仲良くされては。
> 怖いです > 人が怖いです 確かに、中には怖い人もいます、ですがそうでない人もいます。
> そもそも人間は弱くて頼りにならないものだ、と言う前提で > 付きあっているんだと思います 人が弱くて、頼りにならないから、寄り添って生きるのかもしれないですね。
> 友人とも距離を置き家族からも見放されています 自分から近づいて、アプローチしてはどうでしょう。
> 話す相手がいません > 居場所が無いように感じます あなたに必要なのは仲の良いともだちか、恋人かもしれないですね。
> 私もひとと雑談をして > 普通に笑いたいです > お互いにプラスになる付き合いって出来ないものなのでしょうか > 私の理想論なのでしょうか…? そんないと思いますよ。 付き合ってお互いにプラスになるには相手を選ばないとね、悪口や嘘を言わない、良い性格の人を選ばないと。 そしてそのためにはまず、自分が悪口や嘘をやめ、善良な性格であるよう努めることでしょう。
> 自分のレベルを下げず(この場合悪口に加わったり > 簡単に人を傷付けたり、その場に合わせて自分の能力を抑えることです) > せずに自分らしく生きる方法に関して > 是非教えてください 悪口なんかに参加する必要も、人を傷つけることに加わる必要もありません。 友人には善良な性格の人を求めてください。 そしてそのためにもまずはあなた自信が善良であるように努めてください。
次に具体的な方法ですが・・・ 学生時代の旧交を温めるなんてどうでしょう。 職場で気の合いそうな人はいませんか。 または趣味の繋がりで友人を作る人もいますよ。
|