Re: 貢ぐ・・・の意味がわからなくなりました ( No.1 ) |
- 日時: 2012/11/16 03:12 (dip)
- 名前: らら
- 貢ぐのは
金品を相手に渡す事で、(恋人や君主、仕事や取引先だと賄賂ですか。。) 相手から、愛情、ご厚意をうけること。
つまり、見返りをもとめて何か(金品)を差し出す事です。
あなたがしている事は もし、相手から見返りを求めているなら (感謝されたり、愛されたい)それは 貢ぐ。。といいますか、条件つきの好意でしょう。
見返りをもとめてないのであれば、 それは。。キリスト教的にいえば。。(クリスチャンが使う言葉ですが) 友人のために、とりなしの祈りをする。。(執り成す)という事にあたると思います。
相手の幸福を祈る事も大事ですが。 友人であって、身近な存在であれば、 実際に、励ましのことばを伝えたり、力になったり 助言や情報を伝える。。というのも。。大事だと思いますよ。 もちろん、それがどうしてもできない場合、 自分のできる事がもうない。。と思えば、取りなして 祈るのもいいでしょう。
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ん ( No.2 ) |
- 日時: 2012/11/16 07:53 (docomo)
- 名前: 笑
- 全く別もんだと思う・・・
友人を救いたいと思うならあらゆる邪推は捨てなさい
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No.1に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2012/11/17 02:14 (plala)
- 名前: ゆみ
- ご回答、ありがとうございます。
ですが、少し引っかかりました。わたしは、カレに見返りは求めていません。ふつう、どなたも読経する場合は相手に見返りは求めないですよ。見返りを要求するならば、初めからカレのために読経や写経はしておりません。
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Re: 貢ぐ・・・の意味がわからなくなりました ( No.4 ) |
- 日時: 2012/11/17 15:43 (dip)
- 名前: らら
- おそらく
尽くす ということを、いいたいのでしょうかね。
尽くすというのは、 相手に知られていない場合でも、 陰ながら支える、思いやるという意味でも とらえてもいいと思います。
私は、聖書と福音というブログを時々みるのですが。 その中で、高原牧師のメッセージでこんなものがあったのです。
<私は先日、「上・中・下」というタイトルの詩を読みました。「言われてもしないのは下の下、言われてするのは下、言われなくてもするのは中、自ら気づいてするのは上、相手に気づかせずにするのは上の上。寝ている赤ちゃんのおしめを換える母のごとく」という詩です。本物の気遣いと奉仕は、相手が世話になっていることを気づかないほどさりげなく、押し付けがましくもなく、しかも手厚いもので、それをやっているのがお母さんなんだって言うんですね。同感ですね。と同時に私は、私たちの造り主である神様のことを思いました。なぜなら私たちをお創りになった神は、私たちが信じていても信じていなくても、生きていくのに必要な空気や水やいのちを黙々とさりげなく与えていて下さる方だからです。>
相手の気づかないところで、祈る、いろいろ気を配る。。 そういう事なのかもしれませんね。^^ 見返りをもとめない、だれにほめられなくても、ただ その人(子供や友人)が大事だからする。。それはいい事でしょう。
相手が自分にいい事をしてくれなくても、最低限、自分ができること を愛情をもってすることは、博愛といいますか、慈愛だとおもいます。 (恋愛など利益をもとめた愛とはちがいますからね。)
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