辛い |
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- 日時: 2010/04/07 18:03 (softbank220057146210.bbtec.net)
- 名前: ねぎお
- こんにちは。36歳です。
2月27日でペンキ塗装仕事を退職しました。上司が、いつまでいるの?との問いに対し、2月までいると答えました。清掃業、空調ダクト工場、金物下請けと転々としてきましたが、事業者の都合で退職されました。
平成9年4月、2年勤めた医薬品卸業の倉庫管理助手を契約満了に伴い、退職となりました。退職後、ハローワークに一般窓口に登録。早く仕事に就きたいですが、採用されたのは、水タンク製造工場でした。採用の通知で、営業に回されました。仕方なく、上司の同伴で仕事をしたのです。3日後、突然の解雇をされ、帰宅できなくなりそうでした。ハローワークの窓口に行き、仕事を探したのですが、あまりにも焦りがあり、泣きました。窓口の職員に「保健所に行ってみたら?」と言われました。どうして、保健所に行かなきゃならないだろう・・・ デイケアの保健婦に相談しました。 幼いころ、落ち着かなかっただけでなく、病院に検査してもらったら、言語障害、自閉症と診断されました。保育所に預けられましたが、当時の園児の前にいると、泣き喚き、母親に付き添ってもらいました(小学低学年まで)。 特殊学級に入られたのが、5年から2カ年間。中学になってから普通学級に戻りましたが、2年になってから卒業前まで、いじめに遭いました。
定時制高校に通って、推薦で短大に進学。2年次になる前、母親が、末の妹を出産した後、脳の病気で入院されました。
高校2年の夏休みから、いとこからの紹介で給油所に短大卒前まで働きましたが、3年後、専務や同じバイト生にいじめられました。
卒業1ヵ月後、先ほどの医薬品卸業の倉庫管理助手として勤務しました。
空調ダクト工場勤務2年目、GW明けに、同僚からいじめに遭い、近くの心療内科に通院しました。あれ以来通院していません。 (平成10年と12年、それぞれ心療内科に通いました。) 作業所女性スタッフからの紹介で、ペンキ塗装の仕事に就いたのは平成20年11月。最初はうまくいきましたが、半年後に対人関係がギクシャクになり、物事にパニックになりました。
今年2月、買い物の途中で、作業所女性スタッフにあい、「2月いっぱいで辞めるんだね」と心配してました。
今まで、障害を隠して生きてきました。昨年9月末、療育手帳の交付を始めました。2ヵ月後、年金申請準備を始めましたが、父親が、書き方がわからないので、相談員に聞いてみましたが、年末で忙しかったので、今年の年明けになりました。
先月最後の月曜日、妹から電話がかかりました。仕事は?との問いかけに対し、辞めたと正直に答えたのです。「団地に戻っても寝場所がない」とわかってるのですが、「弟の大学進学で学費も払わないといけないので、家賃も立替できない」「危機感がないなら、ホームレスになったら?」「障害者だからといって、あまえないで」「アパートを引き払って、遠いところに行って」と30分も延々に話され、心身が震えました。翌日の夜、「今すぐ、仕事を探しなさい。急いで」といわれ、とっても辛いです。相談員が年金申請から先にしたほうがいいと言われ、作業所所長に相談しました。家賃や光熱費など大まかに計算し、「これは大変ですね。」と深刻でした。ホームレスにならないよとも。夜のバイトも考えてます。週4日がいいよと勧められ、探してみようねと言われましたが、焦りが増し、とても辛いです。毎朝、作業所に通って気持ち切り替えを心がけていますが、夕方になると、笑顔がなくなっています。
相談員に従うほうがいいでしょうか。よろしくお願いします。
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