いっしょに生きよう - 死にたいあなたへ
嘆き川柳 お絵かき掲示板
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無題
20XX年、4月。
「それでは、今季の新商品をご紹介します」
その一言で、先ほどまで騒がしかった室内は一気に静かになった。全体で100人ほどは集まっているだろうが、誰一人声を発する者はいなかった。皆の視線の先、発表台にスーツを着た司会者が布を被せたその商品を持ってくる。もったいぶった素振りでその布を剥がすと、ごく普通の黒縁メガネが現れた。室内に驚きと動揺が走る。
「こちらのメガネは着用すればなんとたちまち動物を視線だけで操れる優れものでございます。牧場主の皆様にはうってつけです。これさえあればエサやりで遠くまで行った動物を逐一呼び寄せる必要もありません、鳴き声で悩まされることもありません…」
皆司会者の言葉を熱心に聞いている。僕はその雰囲気が気持ち悪かった。自分の飼っている動物を視線だけで操れるだって?そんな超能力みたいなこと、どうせインチキだ。一方そんな僕の思いとは裏腹に室内では次々と購入の声が上がっていった。
この催し物は全国の牧場主や牛などの家畜を飼っている人間に対して商品を紹介する、そんな会だ。牧場主たちはそこで気に入った商品があれば購入していく。早くに父が死にその牧場を25歳で引き継いでいた僕は、仕事にも慣れてきたその3年後にようやくこの会に顔を出したのである。
さて先ほどのメガネだが(僕は何度も要らないと言ったのだが)経営を手伝ってくれている嫁の千秋が購入した。
「そんなの要らないって言っただろ、俺は昔からのやり方で飼いたいんだよ」
「そんなん言うてもな、あんた最近のうちの経営状態見たやろ?どれもこれもあんたがおっそい作業しとるからや、このメガネさえあったら作業効率も上がる、願ったり叶ったりやないの」
千秋は関西の出身で気が強い。僕は反対に小さな男だから、いわば尻に敷かれている。おかげで彼女は僕の意見を聞いてはくれなかった。

僕は幼い頃から動物が大好きだ。家にいれば必ず近くに何かしらの動物がいたし、それが当たり前だった。そのせいだからか僕は少しだけ動物の気持ちが分かる。…そんな気がしている。
夜、誰もいない牛舎の扉をひとり開ける。昔から嗅ぎ慣れたその匂いに安心する。ふと一頭の牛(千秋はこの牛を「うちの中で一番の美人やな!」と言っていた)の前にしゃがみメガネをかけてみる。なんの変哲もない、ただのメガネであった。ため息をつき空を仰ぐ。なんだ何も起こらないじゃないか。
するとどうだろうか、先ほどまで寝ていた牛が僕に合わせて立ち上がったのだ。メガネだ、瞬時に察した。そしてすぐメガネを外した。僕は自分が怖かった。この子の声が、聴こえた気がしたからだ。

………『痛い』…と。


それから僕は千秋の反対を押し切りメガネを返品した。やっぱり動物は操るものじゃない。千秋には離婚届を突きつけられた。1週間だけ待ってくれと彼女を諭す、面白いことが起きるからと。
1週間後、メガネを売った会社に大量のクレームが来た。なんとメガネを使用した動物たちが脳内でショックを起こし次々と死んでしまったらしい。千秋は離婚届をゴミ箱に捨てた。会社は牧場主たちに多額の賠償金を支払い、しばらくして倒産してしまった。
20XX年、5月。今日もうちの経営状態はとても苦しい。

16/06/06 23:02更新 / 椅子

■作者メッセージ
牛って可愛いですよね。

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