題名を見て、思わず「アッ」と嘆息を漏らされた方もいるのではないでしょうか。
この言葉、女性関連の話題やトピを検索していると、嫌というほど見かけます。何かの議論において、男性から受けた批判に対し、この言葉は言い放たれるのですが、違和感を感じずにはいられません。
自分が女性から産まれてこれたから、食べたり、寝たり、恋愛したり、批判できたりするのは紛れもない事実です。それは男性だけではなく、同じ女性も感謝していることでしょう。しかし、感謝するとき、自分を産んでくれた人間を「女性」という総体的なものではなく、「母親」というもっと明確な対象として見ているはずです。
母親と口論になり、ヒートアップして、つい論点の外れたところで、母親そのものを中傷したり、侮辱したりというのは平然とあると思います。その際、母親に「誰から産まれてきた思ってるの!」と反論されると返す言葉もないでしょう。
そういうトピでも男性から論点を超えて、女性そのものを蔑視するような発言は多々見られます。そこは男性の幼さだと自戒せざるを得ません。
確かに、女性そのものを蔑視する発言にはさぞ苛立たれるでしょうが、偉大なのは「女性」ではなく、「母親」です。そこを履き違えてはいけません。「母親」も裏を返せば、「女性」ですが、「母親」の偉大さを「女性」というあくまで総体的な事物に置き換えることはできません。根本的な勘違いは、論理的思考の未熟さから生まれる。それは男性であっても、女性であっても。
「女から産まれてきたくせに」という発言はどこでも使い回されているほどですが、その強力さに押し負けて、自分の意見として代用しているうちは、本音じゃない可能性もある。女性の皆さんには、この発言が論理的に考えて正しいかどうかもう一度見直してほしいと思います。長々と失礼いたしました。