Re: 死にたくない… ( No.1 ) |
- 日時: 2012/10/24 00:48 (baycom1)
- 名前: ちょび
- じゃあなんで生きてるの?って、なんで人と出会ったの?って。
せっかく出会えた人とも死別してしまうなら、何も残らないならなんで私は生きてるんでしょう…。
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Re: 死にたくない… ( No.2 ) |
- 日時: 2012/10/24 01:56 (spmode)
- 名前: yk
- 人間いつ死ぬかなんてわかりません。
死ぬまでの間、自分が何が出来たか重要なんじゃな いでしょうか。
死後残せるものは魂だけとよくいいますが、ほんとかどうかなんて皆わかりませんから。
悔いのないように、生きるだけです。
生まれてきた意味がわかる人なんて、ほんの一握りだと思います。
人間いつか皆死にます。 現実を受け入れて、今を必死に生きることが大切なんじゃないでしょうか。
兄弟の方にすがるのはやめましょう。 親兄弟、みんないつか死にます。
厳しいこと言うかもしれませんが、何もわからないまま生きていくのか良策だと思います。
不老不死になったとしても、そのほうが辛いかもしれませんよ? 大切な人が亡くなっていくのを自分ひとりが全て看取るわけですから。
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Re: 死にたくない… ( No.3 ) |
- 日時: 2012/10/24 07:35 (baycom1)
- 名前: ちょび
- ykさんどうもありがとうございます。
兄弟に不安をぶつけてしまうのは恐怖の衝動からなのですが、どうしたらぶつけずに衝動的な恐怖を押し殺すことができるでしょうか。
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Re: 死にたくない… ( No.4 ) |
- 日時: 2012/10/24 07:36 (ezweb)
- 名前: まりや
全く同じ経験をしたことがあります
夜に死ぬことを考え過ぎて過呼吸になったり... それが毎日だったり...
でもやっぱり考えないようにするのが一番です
段々考えることを忘れてきます
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Re: 死にたくない… ( No.5 ) |
- 日時: 2012/10/24 11:54 (spmode)
- 名前: わかば
自分も同じ経験があります
何もかも信じられなくなり、自殺も考えていました つまり、存在定義を見失いました 今でも疑心暗鬼で生きてます
ただ、そんな自分が言えることは……
人間はやっぱり生きているということです
空気を吸い、食事をして、寝て…… 学校へ行って、人と会って、家へ帰って……
その繰り返しです
でも、その中で喜怒哀楽や死を考えてしまうことも やっぱり生きているからこそだと思います
人間はつまずいていいんです そこから、どうやって立ち上がるかが大事なんです
家族や周囲にぶつかってしまうのもわかります そのぶつける原因を共有してみてはいかがですか?
自分の感情を素直に表してみるのもいいことです 相手に理解してもらえれば、恐怖も和らぐと思います
長々となりました
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Re: 死にたくない… ( No.6 ) |
- 日時: 2012/10/24 19:34 (plala)
- 名前: ☆七海☆
- 私も!わかばⓈと同じ考えです。
生きてる中でつらくなり死を考えることもあります! でも、それも生きていくぅちで大切な事ではないんでしょうか? あ・・。でも自殺はNO!
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Re: 死にたくない… ( No.7 ) |
- 日時: 2012/10/24 22:33 (dion)
- 名前: よしお
- はじめまして。よしお と申します。ちょびさんのお考えにとても共感できるところがありましたのでレスさせていただきました。
・・・自分(よしお)も以前は「自分が存在しなくなってしまう・まわりがいなくなってしまう(死ぬ)こと」に言いようのない恐怖を抱えており、「死」という現実そのものから目を背け続けていました・・・。また、親しい人間を増やしても、いつか訪れる「永遠の別れ」に対して虚しさを覚え、これ以上知り合いを増やしても何になるのか(悲しみに向き合う機会を増やすだけではないのか)?・・・と、対人関係形成に対しても積極的になれなくなりました・・・。
そして今現在はというと・・・人付き合いに関してドライになり、ものの見方もどこか冷めて「死」に対しても「多大な苦しみを伴いつつも、すべてが断絶するであろう」ことは頭の中でわかってはいても、変に執着することはなくなりつつあり、「その時はその時だ!」・・・とある意味開き直りの心境に至っています。(実際「死」を目前にしたら、恐怖によりあがくのでしょうが・・・)
・・・ただ、自ら体感してみてその「冷めた感覚」というのも、あまり良いものではありません・・・。なぜなら「生きる」ことに対して「本気になれない」ところがあるからです。逆に言えば、ちょびさんのように「生死に真剣に向き合っている」方が羨ましくもあります。
「死んだように生きて」いても、心持はどこか「あきらめ」に占められて問題に真剣に向き合おうとはせずにただただむなしく時を重ねるだけですが、ちょびさんのように絶えず「生死を身近なものとして考え」ていかれれば、それだけ必死に・真剣に問題と向き合っていることに他なりませんので、いつか必ずちょびさんなりの納得のいく答えを探し出されると思います。自分(よしお)もちょびさんの考えにふれさせていただいて、少しでも真剣に生死に向き合う心構えを身につけたいと思いました。
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Re: 死にたくない… ( No.8 ) |
- 日時: 2012/10/25 18:14 (plala)
- 名前: ななし
キリスト教を学んでみられたらどうですか。
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Re: 死にたくない… ( No.9 ) |
- 日時: 2012/10/25 22:54 (baycom1)
- 名前: ちょび
- お叱りを覚悟ですがったのですが…同じ考えをお持ちの方もいらっしゃってものすごく…励みになりました。
ありがとうございます。
>まりや様 同じ気持ちだったことが嬉しいです、一人だけこんなこと考えていたのかと思いました。 不安を少しでも理解して欲しかったので心がラクになった気がします。 私も過去には過呼吸になったこともあり、苦しかった覚えがあります。 まりや様もそうだったのでしょうか…。
”でもやっぱり考えないようにするのが一番です”
そうですね…考えていない時は楽なので…(´・ω・) ありがとうございます。
>わかば様 同じ経験があるとお聞きしてとても気持ちがほぐれました…ありがとうございます。
”人間はやっぱり生きている”
そうですね…生きているからこその考えなのかもしれないし、 生きているからこそもう結果が決まっていて…。 自分で考えるとへこんでしまうのですが、
”そこから、どうやって立ち上がるかが大事なんです”
その言葉を胸にちょっと頑張ってみようと思います。
”家族や周囲にぶつかってしまうのもわかります” この言葉に救われました…。 別に怒りをぶつけるのでなく、泣いてしまうのです(・ω・`) 訳を話しても 「あぁ〜、そんなこと考えちゃうの?」とか 「怖い夢を見た感じ?」とか…怖い夢が現実なんですよね…。 「泣くなよ、おばあちゃんになったら忘れるよー」って。
でも一時的に落ち着くだけで、やはり突発的な恐怖は消えません。
温かいお言葉ありがとうございました。
>☆七海☆様
”生きてる中でつらくなり死を考えることもあります!” 生きている中の辛さの部類なのでしょうが…すみません、個人的には この悩みは「生きている悩み」というよりも、もっとどうしようもない 大前提の壁を前に叫んでいるような感じです。
悩むことは大切ですね、ありがとうございます(・ω・`) 自殺までは今のところ考えていないのですが、この苦しさを自分なりに払拭できるようになりたいです。
ありがとうございました。
>よしお様
共感していただけただけでもとても嬉しかったですし、 何より私もよしお様のお気持ちに深く共感すところが多かったです。
”「自分が存在しなくなってしまう・まわりがいなくなってしまう(死ぬ)こと」に言いようのない恐怖を抱えており。” これですよね、私もそれが怖くて怖くて泣いてしまいます。
”また、親しい人間を増やしても、いつか訪れる「永遠の別れ」に対して虚しさを覚え、これ以上知り合いを増やしても何になるのか(悲しみに向き合う機会を増やすだけではないのか)?・・・と、対人関係形成に対しても積極的になれなくなりました・・・。”
実は私もちょっと前にそういうときがあったんです。 せっかく ”ちょびさんのように「生死に真剣に向き合っている」方が羨ましくもあります。”と言っていただけたのに、すみません。 でも結局ダメなんですよ、周りに大切な人が増えていくし、 しかも大切な人がどんどん余命宣告されていきます。
まるで最初からなかったみたいに。
なんの意味もなかったように。 「○○は残るでしょ?」 なんて言葉が安っぽく聞こえるくらいに。
違うんです、私が残っていて欲しいのは、 肉声でも物質でも誰かにとってのその人の記憶でもないんです。
自分との築いてきたものとか、思い出とか、なくなるのも、その人がなくなるだけでもこんなにこんなに嫌なのに。 苦しいのに、こんなに苦しんでいる自分もいつか消えちゃうって思うと涙が止まらないんです。
”「その時はその時だ!」・・・とある意味開き直りの心境に至っています。” うぅ…楽しい時にはそう思えるのですが…でも結局はそう思わないと… というよりそう思った方が私ももっと前向きに自分で考えられるんでしょうか。
”いつか必ずちょびさんなりの納得のいく答えを探し出されると思います。自分(よしお)もちょびさんの考えにふれさせていただいて、少しでも真剣に生死に向き合う心構えを身につけたいと思いました。”
もったいないお言葉です。 そうですね、その時はその時だ!と思える時がないわけではないので そう思いながら納得できる答えを探したいです。
本当にありがとうございました。
>ななし様
”キリスト教を学んでみられたらどうですか。”
すみません、本当にすみません。習ってました。 学習しきれなかったのだと思いますがその心を教えていただけますか。
私、カトリックだったのですが…。 「隣人を愛せよ」でしょうか、 「主はあなたと共におられる」でしょうか 学習不足で自分で理解できませんでしたすみません…。 でも聖書を読み直すのも手なのかなと思えました。 ありがとうございます。
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Re: 死にたくない… ( No.10 ) |
- 日時: 2012/10/26 20:54 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。丁寧な返レス、ありがとうございます。
「自分や周りの存在がいつかは消え失せること」・・・確かに「事実」ではあるのですが、それを心が受け入れるにあたっては本当に怖いことですよね・・・。それゆえ「死」に対する恐怖が加速度的に増してしまう・・・。これは本能的なことでもありますので、どんな言葉がけをしようが、どんなに無理をしてまで自らに言い聞かせようが、本人が納得できない限りは問題は問題として残り続けることだと思うのです・・・。ですので自分(よしお)の場合は、自分の心が納得がいくまで「永遠のテーマ」として向き合うほかないと思っています。
そのうえで気づいたことは、「死」という絶対的な事象からは誰も逃れられぬ限り、せめて今を生きている間においては死するそのとき・その瞬間までは後悔のない生き様を貫きたいと思っています。
その間に「周りに大切な人が増えていく=多くのかけがえのない人々の死を看取る」機会に遭遇する場面も多々増えてしまうかもしれませんが、でしたら自分も含め近しい人々が亡くなるその時まで「かけがえのない大切な思い出づくり」に勤しもうと思っています。あくまで自分(よしお)の考えで恐縮ですが、たとえ「肉体」は滅んでも「精神(心)」は永遠のものだと思うのです。ある思い出を振り返るようにその人を思い起こせば、共に同じ時を過ごしたたくさんの記憶がよみがえってくると思います。そのように、亡くなった方に対しても思い返すことでいつでもそばにいる実感は味わえますし、もしも自分自身が死んだとしても、親しい誰かの心にはいつまでも自分自身が思い出として残り続けると思うのです。
であれば、やはり自分にとってかけがえのない大切な人々との思い出は先々において「色濃いもの」として残していけば、気持ちの上でいくらか報われるのではないか?・・・と勝手ながら自分(よしお)は信じています。
そうした思い出は忘れたままであるとなかなか引き出せずに「なかったもの」として消え失せたように感じてしまうかもしれませんが、実際には消えたりなどせず「いつまでも心の奥底に残り続けるもの」だと思うのです。その引出しからの出し入れを容易にするためには、やはりそれだけ密な思い出づくりをしていけるように自ら努力していくことが、「生きることの意味」につながるところでもあり、「死に対する絶対的な恐怖心」も和らげてくれると自分(よしお)は思っています。
ちょびさんとお話しさせていただけると、自分(よしお)にとっても生死に関する気付きを促していただける心地がします。お互いに自らの気持ちに折り合いのつけていける考え方が身になっていくと良いですね!
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