Re: 何のために生きているのかわからなくなりました ( No.1 ) |
- 日時: 2013/02/06 01:27 (ocn)
- 名前: 名無し
- 手足が無くなったとしても
目が見えなくなったとしても 耳が聞こえなくなったとしても 大事な人やものを失ったとしても
その人がその人であり続けられるなら、そこに意味や目標なんて必要ない
考えられる限りのものをその人から奪って、それでもその人に残るもの それがその人自身であり、その人の価値・本性でもある
あなたには何が残る?
目標を持つことは人が世俗で生きていくためには不可欠なものだが 人間が人間らしく生きていくことに目標は必要ない
いずれは誰もが通る道、それがあなたには少し早く訪れただけ
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Re: 何のために生きているのかわからなくなりました ( No.2 ) |
- 日時: 2013/02/06 11:18 (yournet)
- 名前: ami
- 子供のころから追ってきた夢。
今まで懸けてきた努力や情熱。 やっと手に入れたとたんの挫折と失望。
美月さんの苦しみや人生に対する疑問・・・ 私の生き方に照らして読ませていただきました。
私の考えではありますが、人の人生には大きな曲がり角というものが存在します。
確信を持って歩いてきたはずなのに、急な変更を余儀なくされる。
突然のリストラ… 愛する家族との別れ… 会社の倒産… 恋人との別れ…
記憶に新たな東北を襲った大津波は、急という言葉では足らないほど、一度にすべてを変えた出来事でした。
人はそのたび、何の為にここまで頑張って来たんだろう? どうして、こんな目に合わなきゃいけないんだろう? 生きる意味なんてあるんだろうか? あるなら教えてほしいと願います。
ただ、私に言えることがあるならば、起こることは起こってしまうという事だけです。 こんなに苦しむ美月さんを前に、情もなにもあったもんじゃない。 そう思われるかもしれません。 けれども、人生にはその流れを変えなければいけない、たとえ、どんなに辛くても変えざるをえない出来事が起きてしまいます。
人は正にそんな時、真理を学びます。 真理に触れている時だと、私は思います。
年寄りくさい事言うようですが、 一本の川を想像してみてください。
川は、大きな岩にぶつかりその流れる方向を変えられてしまいます。 大きな山に堰き止められ、どこにも流れ出るような逃げ場がないといった状況でも、いずれ流れを取り戻します。
そして、やがて大河となって大海原に注ぎ込まれていきます。
生きる意味という事ですが、大海原に注ぎ込まれて初めて、その全体像のようにハッキリと見えてくるのではないかと、私は思っています。
こんな話で美月さんの心を楽にして差し上げれるか分かりませんが、 私なりに精一杯、お伝えさせていただきました。
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