Re: 教えて ( No.1 ) |
- 日時: 2013/03/17 02:27 (mesh)
- 名前: ミン
- 自分を破壊して、
この世から消えること。 私たちは常に死と向き合わせだけど、 死について、よく考える人は少ない。 人間は、死のうとしたら、すぐ死ねる。 でも、人間が死のうとしないのは、 この世で生きたい という強い気持ちがあるからだと思う。
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Re: 教えて ( No.2 ) |
- 日時: 2013/03/17 02:28 (mesh)
- 名前: ミン
- [死]
考えれば考えるほど不思議な物。 結局、人間は死について、 詳しいことは知らないのだ。
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Re: 教えて ( No.3 ) |
- 日時: 2013/03/17 03:19 (eonet)
- 名前: 花
まず「呼吸が停止」する。
つぎに「心臓が停止」。
この時点で 意識は無い。「心肺停止状態」と言う言葉をニュースで 聞きませんか?
数分で「死亡」します。が、今は「AED]という道具や、ドクターカーやドクターヘリなどがあって 救急搬送されるため 命を取り留めることが多い。
ただし、障害が 「脳」に残る。
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Re: 教えて ( No.4 ) |
- 日時: 2013/03/18 00:44 (spmode)
- 名前: me-
- では、死にたいって思っている私は
生きたんですか?
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Re: 教えて ( No.5 ) |
- 日時: 2013/03/18 00:47 (ocn)
- 名前: ^#^
- 未練はなんとなくありそうだよね
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Re: 教えて ( No.6 ) |
- 日時: 2013/03/19 00:02 (spmode)
- 名前: me-
- そうですか?
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Re: 教えて ( No.7 ) |
- 日時: 2013/03/19 02:29 (dion)
- 名前: かなみ
- 高校の英語の教科書で、手塚治虫について書かれていたものがあります。
参考になればいいかなと思うので和訳した文章を載せておきますね。
*** 1945年8月15日、第二次世界大戦が終わった。 その日の夜、街の灯りは再びともった。 手塚治虫はそれを見た。当時彼は16歳だった。 戦争中は激しい爆撃があった。 彼は何度も死に直面した。 「僕は生きている!」と彼は実感した。
数年後、手塚治虫は医学生になっていた。 ある日、一人の患者に出会った。 瀕死の状態だった。 彼の顔はしばしば苦痛でゆがんだ。 しかし、臨終のときに苦痛の表情は消え去った。 安らかでさえあった。 そのとき一つの考えが手塚に浮かんだ。 「死は生の対極ではない。その一部なんだ」
手塚はこの出来事に心を動かされた。 その後、彼の作品において、彼は常に生命の尊厳を描こうとしている。 ***
この話はとても記憶に残っている話です。 私たちは未来を想像することはできます。しかし断言はできないのです。 生きている間、時が進むごとに確実に迫るものが死です。 そして死ぬということは、自分が人間として自由に過ごせる時間の、本当のおしまいのことを指します。
こう考えると、生きている間にやりたいことがたくさん頭のなかに浮かびませんか? 私も絶望した時には死にたく思うことは何度もあります。 ですが、手塚治虫のことを考えると、死ぬために努力をすることはばかばかしく思えるのです。 だから人間である自分がやりたいこと、そしてやるべきことを自覚して私は生きています。
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