p選択肢 ( No.1 ) |
- 日時: 2013/07/28 00:10 (nttpc)
- 名前: freedam22112
- 今後どうするかで
状況は大きく変わります。 将来にかかわることなので参考まで。 二つに一つです。
現状を理解し うまく生活する方法を目指す「かなりの忍耐が必要」
このまま、すね、続ける「忍耐がもたないかも」
どちらかです。
他人が判断することは不可能です。
ご自分の責任で決めること。
どちらを選んでも大きな気づきとなります。
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Re: いいかげんに ( No.2 ) |
- 日時: 2013/07/28 19:42 (ocn)
- 名前: 通りすがり@麒麟
- 年齢書いてないから
解らないですが 職に就くまで耐えて 一人暮らし出来るように成ったら 良いと思います
そもそも 実の母親じゃないとは?
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No.2に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2013/07/28 20:36 (dion)
- 名前: 薫
- 血が繋がってないんです。
それを知ったのは1年前くらいですかね。
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Re: いいかげんに ( No.4 ) |
- 日時: 2013/07/28 21:23 (spmode)
- 名前: 黄泉
- え!?
じっじゃあ本当のお母さんは?
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Re: いいかげんに ( No.5 ) |
- 日時: 2013/07/28 23:49 (ocn)
- 名前: 通りすがり@麒麟
- 想像ですが
父親との不倫相手と出来た 娘て事ですか?
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Re: いいかげんに ( No.6 ) |
- 日時: 2013/07/29 21:41 (ocn)
- 名前: トトロ
- 薫さんへ
ええっ・・それなら 今の母親は,それを知っていて 薫さんの面倒を見ていたことになるので・・ それがばれるような行為をしていたのは・・ 大失敗だと思う。(ToT)
まぁ・・他人の子だからと 兄と・・の差別があるようでは・・ 話にすらならないね・・(><)
だが・・そういう関係ならば・・ 母親からの虐待などがない限り・・ 我慢して・・高校卒業とともに・・ 自立を目指すしかないのではないかな??
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Re: いいかげんに ( No.7 ) |
- 日時: 2013/07/30 20:12 (ocn)
- 名前: 悠久の風
- ≪ 親への不信と絶望に苦しむ人へのメッセージ ≫
(ネット検索して共感できた記事を抜粋、参考までに) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 いっぱい食料品を買って、大きな買い物袋を抱えて歩いているところに突然人がぶつかってきて、卵や豆腐を全部メチャクチャにされたら、ものすごく怒るでしょう。そこで何か言ってやるぞと思って相手を見ると、相手は目が見えない人だったとします。そうすると、それがわかったとたん、「だいじょうぶですか」と逆に相手を心配するようになってしまうのです。
なぜそのような話をするかというと、人は皆、目が見えていない存在だからです。真理に目覚めてないのです。だから、やっていることは間違いなのですが、本人は知らないんですね。目が見えない人は好んでぶつかったわけではありません。ただ目が見えなかっただけです。 我々を攻撃したり意地悪したりする人も、やりたくてたまらずにやっているわけではないのです。やりたくてたまらなくていじめる場合は、からかっているだけで楽しいのです。仲のいい友達にからかわれても恨みにはならないでしょう? 「子供の時にいじめられた」と親を恨んだりする人もいますが、親も子供をいじめたくていじめたわけではないんですよ。本当にどうしようもなくやってしまったんですね。子供を捨てる親もいますが、捨てられても親を恨む必要はないのです。恨んでしまうと、永久に自分が苦しむだけです。
どんなことにも何かわけがあるのです。たとえば「母が再婚して親にいじめられた、とんでもない母親だ」…そういう風に思うこともよくないのです。 子供の時はしょうがないとしても、大人になったら「母もた大変だったでしょう。私が邪魔だったのでしょう。しょうがない。許します」と心を清らかにした方が、恨みを持って生きるよりは自分が楽なのです。 他の道は全くありません。相手を恨むこと、相手をいじめること、相手に仕返しすることで、決して幸福は得られません。大人になってもずっと自分の母親を憎んでやると決めたところで、誰が幸せになるのか。皆が苦しいだけでしょう。それなら何のために生きているのでしょう。
人は幸せになるべきなんです。苦しんで悲しく生活するべきではないのです。そのためには慈しみの道しかありません。敵を倒す道では幸せになれません。だから、慈しみで物事を見るようにして下さい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
親も自分も人間だから不完全な生き物なわけです。 親が偉いだとか、年上を敬えとか言うのは、儒教の教えによるもので、仏教では、真理(正しい物事の筋道。真実の道理。)に目覚めていない人間を、親であれ子供であれ皆「凡夫(愚かな人。仏教の教えを理解していない人。)」と呼びます。 人生経験の上では、親の方が先輩であり知識も豊富な分 偉く見えますが、人間の多くは煩悩(苦の根元で「貪り」「怒り」「愚か」の三毒)に苛まれ、真理に暗く正しい判断ができずに苦しむのです‥
でも、よく聞いてくださいね。
「煩悩の苦しさがあるからこそ、悟りがあり。煩悩の苦しさがない世界には、悟りもありえない。」 というわけなのです!
まだ理解するには難しすぎると思いますが、 仏教は、お釈迦様が「未来の世の諸々の生命のあるものすべての為に平等な救済と成仏を説いた」この上ない教えです。
『 恨み心を感謝に変えて 』
仏教の素晴らしさは、魂の成仏です。人は誰もが仏様の様になれる心を持っており、善悪は区別するものではなく、人は悪を観て善の道に入ることができるのです!
どうか精進なされて、得難く頂いた人生を全うされ幸せになれますよう、心よりお祈りいたします(-人-)
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