Re: 少し哲学っぽいかも ( No.1 ) |
- 日時: 2013/08/16 11:24 (zaq)
- 名前: 愛華
- 私もたまに同じようなことを考えます!
皆はロボットなのかな?とか笑
一人ひとり自分の感情で動けてないんじゃないのかなーとか。
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.2 ) |
- 日時: 2013/08/16 12:31 (panda-world)
- 名前: ローレンツ
- あるよ!
この世の全部がニセモノで、現実に存在してるのは自分だけって考える時がある。
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.3 ) |
- 日時: 2013/08/16 12:48 (ocn)
- 名前: ぷぅ
- 誰だって自分が特別だって思う時期があるし
それが君らにとって今なんだろうね
中二な人たちはさらに右目が邪眼だったり 左腕に封印された悪魔がいたりと 自分が特別だって思うために色々と想像するみたいだけどさ
これ、何でかって言うと 思春期になる頃って自我が芽生えてくるんだよね 反抗期とか言われるけど 実際は自分という個がどんなものかを考える時期なわけ
その中で他とは違うんじゃないかとか 自分だけが特別なんじゃないかとか こんなことを考えるのは自分だけなんじゃないかとか
いろんな疑問や想像、空想に妄想が膨らむ時期なわけさ
だから おかしなことじゃないから 精一杯思考の深みに潜りなさいな
哲学ってのは 時間がある時にしかできないからね
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.4 ) |
- 日時: 2013/08/16 15:45 (spmode)
- 名前: あいり
- 私の友達にはあんまり考えたことある人が
いないのでなんかほかにもおなじかんがえのひとがいてよかったです
ぷぅさんの言ってることとは少し違いますね
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.5 ) |
- 日時: 2013/08/16 16:57 (odn)
- 名前: K.OD
- 私もありますよ。そういった感覚。
映画『マトリックス』に出てきた、脳に電極を差し込んで、 すべての感覚を作り出し、あたかもそこに世界が存在する ような感覚・・
人間の感覚器官には、眼、耳、鼻、舌、身、意(脳)がありますが それぞれ感覚器官に対する認識の世界がすべて錯覚でまぼろし であるという概念が存在します。
また、目に見えているものは全て私が写している幻想なんじゃないか・・ それを写している自分自身の存在さえも、まったく別の世界から見れば、 実体がない無我ということになるんですね。
まったく別の世界は、無意識層という人の心の奥深くに存在しますので、 そこに光が当たると、聖なる意識といいますか、生きていくことが楽になり、 つまらないことに悩まなくなって、至福感につつまれていくことになるのです。
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.6 ) |
- 日時: 2013/08/16 17:03 (ocn)
- 名前: ぷぅ
- ま、違うと思うならそれでもいいけどねw
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.7 ) |
- 日時: 2013/08/16 21:06 (ocn)
- 名前: 健
- たまにはそんなこと考えるのもおもしろいですけど、毎日そういうことを考えるのはやめましょうね。
絶対、精神病になっちゃいますよ。
あと、そういうことを考えすぎると、何もかも信じられなくなりますよね。全てを疑ってしまう。自分の存在さえも。そんな時は自分の手の平に息を吹きかけてみてください。その息の暖かさだけは本物ですから。(笑)
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No.7に対する返信 ( No.8 ) |
- 日時: 2013/08/17 01:16 (odn)
- 名前: K.OD
- > たまにはそんなこと考えるのもおもしろいですけど、毎日そういうことを考えるのはやめましょうね。
考え方がおかしいから、そういうことを考えるのはやめましょうと思うのは勝手だが、 > 絶対、精神病になっちゃいますよ。 自分の存在や全てを疑ってしまい、絶対に精神病になるなどという全否定なのはダメだ。
人は老、病、死、などの怖れや自己否定、劣等感を抱えて生きている。 そして人の肉体に加えて、執着とか怒りとか思考など様々な心的作用が集まって、 人間としての存在ができあがっている。 その人間は時間の経過に沿って絶えず変化し、実体のないまぼろしの様な存在であること。
しかしながら、大もとの根っこの人の存在は宇宙のように広い場所でつながっていて、 心安らぐ世界と絶えず一体になっているという考え方がある。
これは般若心経の教えで、 東日本大震災で被災され、多くの肉親の命を奪われたご家族のために、 薬師寺のお坊さん達が、ご家族の悲しみを少しでも癒やすために説かれてまわった教えです。
まずは自分の価値観だけで判断せず、世の中の宗教や哲学のことを少しは考えてから、 言葉を選んで発言するようにしましょう。
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.9 ) |
- 日時: 2013/08/17 01:37 (ocn)
- 名前: 名無し
- 「あなたが体験している現実は幻想だ」という人が出てきたとしても
その人が提示する本当の現実もまた、偽りなのかも知れない
結局のところ、自分がどう思いどう感じるかが現実なんだと思うことしか現在の人類にはできないのではないかな
哲学とは考えることだ 正解も不正解もない、その人が考えに考えた結果導いた答えが、その人の哲学つまり人生観なんだろう
嫌でも大人になれば良くも悪くも知識や経験が頭を凝り固めてしまう 若いうちに様々なことで脳を使っておくことで、柔軟な発想を手放すタイミングを遅らせることができる
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.10 ) |
- 日時: 2013/08/17 02:10 (adachi)
- 名前: たくと
- 自意識過剰だろ(笑)
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.11 ) |
- 日時: 2013/08/17 11:54 (spmode)
- 名前: j
- たくと酷く頭やられてんなキメェ消えろごみが
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.12 ) |
- 日時: 2013/08/17 14:54 (yournet)
- 名前: ami
- あいりさん、こんにちは。
最近の私はあまり全般ではレスする事が少なかったのですが、この話には興味がありますので、入らせて頂きました。
先に言わせて頂きますと、すごく感覚的に優れている方だと感心しております。考えると言うより感じる事に優れておられますね。 「また、目に見えているものは全て私が写している幻想なんじゃないかとも思います」 とありますが、その考え方の方向で間違いありません。
ただしそれを言うと、中には(自意識過剰)や、時に(自己中心的発想)などと批判的に捉えられてしまわれる事も多いですね・・・ けれど、それは決してそうではありません。 起こり得る様々な現象は、すべて自己の映し出すモノ(自分で造り出した結果)であるという生き方はつまり、どんな事があっても他人のせいにはせず、諦めもせず、ただ、自分で招いた世界だとして受容れる覚悟を持った生き方だと言えるからです。 自己責任で生きる、と宣言をしてる事になるのです。
タイトルに、「哲学っぽいかも」とありますが、私個人の考えではこれは哲学などではないと思います。
No9名無しさんの話にとても頷きました。
哲学とは考えることだ 正解も不正解もない、その人が考えに考えた結果導いた答えが、その人の哲学つまり人生観なんだろう の箇所です。(写させて頂きました)
人が考えに考えた結果の答え・・・ その人の哲学つまり人生観・・・
それを哲学というならば・・ あいりさんは考えてる、と言うより感じてる・・・ 人生観というより、この生きる世界の仕組みについて話している・・・
あいりさんの話と哲学では、 樹木で言えば、根っこと枝葉くらいに違いのある話ではないかと思います。
あと、私は哲学キライです。 きっと、お若い方でしょうが素晴らしいですね。
どうぞ、その感覚をこれからも磨き、また、知識面からの探求も進めていかれる事を望んでいます。
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.13 ) |
- 日時: 2013/08/17 15:09 (spmode)
- 名前: あいり
- はい、私も名無しさんのコメントに
心を動かされました というか、なるほどってなりました
またこの話はあまり話したことがなくて (たまに友達に話しても ? って顔をされてw) Amiさんにそん なふうにいってもらえてうれしいです そうですね、私自身小学校くらいから疑問に思っていて 前にすこし感のいい友達にその話をしたら哲学?といわれて
ああこの感情に哲学というジャンルがあるのかと思ったんです
このような考え方をすると不思議ですこし孤独に感じてしまいます 結局正確な答えは誰もわかりませんしね
あとわたしは人が死んだらどうなるのか、 すごく興味があります
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No.13に対する返信 ( No.14 ) |
- 日時: 2013/08/17 15:38 (yournet)
- 名前: ami
- > あとわたしは人が死んだらどうなるのか、
> すごく興味があります > その点はすべての人が興味を持ってるんでしょうね? ただ、積極的に考える人と、怖いから避けてる人がいるって事でしょうね・・
でも死んだら・・・ 応えは、本質変わらない、そのまま・・でしょうと思います。
氷が解けて水になり、沸騰して水蒸気になってもその成分は変わってないのと同じように、人は死により肉体を手放しても、その存在自体は変わりはない。表面的な変化しかない。
私はそのように考えてます。
存在は不変です。(存在=魂と言ってもいいでしょうね)
ちなみに、そんな大切な存在(魂)についてですが、もしも死によってあいりさんが存在出来ないとしたら、「他の誰も、他の何も存在出来なくなる」と言う事を信じられますか?
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.15 ) |
- 日時: 2013/08/17 15:42 (ocn)
- 名前: ぱむぱむ
私も!
全くおんなじことおもうよおおおおお
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Re: 少し哲学っぽいかも ( No.16 ) |
- 日時: 2013/08/17 15:56 (spmode)
- 名前: あいり
- Amiさん
なるほど では死んだら私のこの記憶などは どうなるのでしょうか 本当に死んだら天国なんてあるのでしょうか 天国地獄は大人がいいこになるように作ったんじゃないかと思います 死んだらまた違う形で生まれ変わるなんて信じられますか? しんだしゅんかんわたしたちはどうなるのでしょうか
最後の問いですが、死語の世界ということですか? しんだあとも世界は続いていくんですよね、たぶん
ぱむぱむさん おおおwww たまに深々と考えちゃいますよねw
ちなみにいまはこうにです
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No.16に対する返信 ( No.17 ) |
- 日時: 2013/08/17 17:30 (yournet)
- 名前: ami
- > では死んだら私のこの記憶などは
> どうなるのでしょうか
記憶も思考も感情も、肉体と同じくすべてはエネルギーにより出来てると言いますよ。 例えばごみを捨てたからと言っても、そのゴミは消滅したわけでなく、場所が代わっただけと言えますよね?ゴミを燃やしても消える訳では無く、二酸化炭素と炭素、そして熱に代わるだけですよね?
記憶さえもこれと同じです。 形はどのように変わっても、残り続けます。
> 本当に死んだら天国なんてあるのでしょうか > 天国地獄は大人がいいこになるように作ったんじゃないかと思います
在ると信じる人にはあり、無い人にはないでしょうね・・ あいりさんが言うように、天国や地獄ですら自分で作る幻でしょうね。
> 死んだらまた違う形で生まれ変わるなんて信じられますか? > しんだしゅんかんわたしたちはどうなるのでしょうか
死の瞬間、私たちが何を考え、どう思うか? その瞬間に何があるかは分かりません。むしろ、何もないと言うのが正しいかもしれません。 それは、反対に生まれた瞬間に何があったかを考えると分かるような気がします。 おぎゃと生まれても特別な何かがあったような気がしません。 ただ、この先を生きるという事しかなかったと思います。 死の瞬間も同じと考えるなら、この先に移行する。ただそれしかないのだと思います。
> 最後の問いですが、死語の世界ということですか? > しんだあとも世界は続いていくんですよね、たぶん > 自分の描いた現実であるならば、描く自分の存在すべてがない状態で、描く対象(外の世界)もないという事を言いたかったんです。
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