No.0に対する返信 ( No.1 ) |
- 日時: 2013/08/22 15:36 (wind)
- 名前: かゆがも
- > うちは去年の春から片親、いわゆる母子家庭です。
ヨーロッパのどこの国かは忘れましたが、片親や、親無しで育ったことは尊敬されるのだそうです。 片親がいなくて、親がいなくて、よくがんばった、立派にそだったと考えるのだそうです。
> 離婚の原因は父親の酒癖の悪さで、酒癖というか、アル中だったんですけど。 > あまりにも生活が酷く荒れていて、周りの言うがままに母は父との離婚を決意しました。 > 別にそこまではなんの悩みでもありません。 > 離婚なんて今時珍しくもないので。 アル中親父と別れることができて良かったですね。
> 離婚後、どうやら父が浮気をしていたらしいことが浮き彫りになりました。 > 母はどうしてもそれが許せないらしく、僕や妹に、その浮気相手への復讐をして欲しいと思っているみたいです。 せっかく離婚して父親から離れることができたのに、怒りで父親のことが許せないようですね。 いつまでも父親のことを許せない、怒っている、というのは嫌いな父親と頭の中でまだ一緒に暮らしているようなものです。 せっかく離れることができたのに、自分の怒りでまだ父親のことが頭から離れないのでしょう。
> 正直に言えば、冷たいかも知れませんが、家族を簡単に捨ててしまえるような父親に今更情はありませんし、だから復讐したいとも思いません。どうでもいいんです。 子供たちに復習をさせようなんてナンセンスです。
> けれど母はそんな僕をも許せないらしく、何かと強く当たって来ます。 > 母は僕や妹を自分の所有物扱いしている節があり、だからか、自分の思い通りにならないとすぐにヒステリックになります。 失礼ですが、自己中心的な母親のようですね。
> 昔からそんな気はしていましたが、離婚後さらに酷くなっています。 精神的に未熟なままなのでしょう、体は大人でも。
> 思い通りにならない僕が、嫌いみたいです。 あなたは母親の操り人形ではありませんからね、思い通りにならないのはとうぜんでしょう。
> 簡単に僕を無視できてしまうくらい嫌いみたいです。 あなたも無視し返してあげては。
> そんな母の態度が、まるでいらない子供だと言われているみたいで辛いです。 あなたもそろそろ、母の愛など期待せずに強く生きなければいけない年齢なのでは。
> 世間体をすごく気にする人なので、必要最低限のことはしてくれますが、それも見える所だけです。虐待を受けているわけではないので、誰にも言えないし、猫を被るのが上手い人なので、親戚に言っても信じてくれないでしょう。 まあ、衣食住を提供してくれるならとりあえず良いでしょう。 母親を精神的な拠り所にするのを辞めてください。
> 早く家を出て縁を切りたいのですが、残される妹を思うとそう簡単にもいきません。 いつか独立するのは良い方法だと思いますよ。
> 僕が居なくなれば、八つ当たりの対象は妹になるでしょうから。 あなたが独立したら妹の避難場所になってあげるのはどうでしょう。
> それ以前に僕もまだ学生なので先立つものもないし。 今は独立のための力を蓄える時期ですね。
> バイトもそれなりにストレスが溜まる職場なので、正直あまり落ち着く所がありません。 バイトも仕事ですから、ストレスが全くないとはいかないでしょう。 どんなストレスがあるのでしょうか?
> いっそ死んでしまえば楽になるとも思ったけれど、まだ死にたくない。 死んだら楽になる、というのは妄想であって事実ではありません。
> 昔母に他人の悪口を吹き込まれたからか、若干人間不信でもあって、悪い人じゃないのがわかっていても関わるのが怖くて、長時間外にいるのもかなりのストレスです。 > こんなふうに人のせいにしているのも直したい。 小さな子供のころは親のせいにするのも仕方ないかもしれませんが、 ある程度の年齢になったら自分の問題として捉えた方がよろしいでしょう。
> 何が正解で何が間違った考えなのかもわかりません。 何が正解で、何が間違っているかの判断基準とは、いわゆる道徳のことです。 道徳について勉強してみては?
まず、母親の父親についてですが、まずは母の怒りをいさめてはどうでしょうか。 前述したように、父親について怒るということは嫌いな人と頭の中でいつまでも一緒にいるような苦しい行為です。 「お母さんはまだ父親のことについて怒り、いつまでも嫌いな父親のことを想って生きていくつもりですか。せっかく離婚したのにいつまでも父親のことに拘って生きていくのは損なことじゃありませんか。復讐を考えているようですが、お母さんや僕たちが幸せになってやることこそが、最高の復讐ではありませんか。」 とでも言って説き伏せてはどうでしょうか。
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Re: どうすればいいかわからない。 ( No.2 ) |
- 日時: 2013/08/23 17:27 (ocn)
- 名前: 悠久の風
- ギャンブルや酒に溺れる人は、日常生活の現実逃避が原因のケースが多く、その元は、
家にいると家族に愚痴や不満を言われ、居場所がなく面白くないことの気を紛らわすために、欲に溺れてしまうのです‥ ということは! お母さんや他の家族が薄情で、いつも冷たい眼差しでお父さんを見ていることが一家の不和をもたらしているのかも知れませんね! 相手を責める心があるかぎり、幸せもやってこないのです‥
≪ 親への不信と絶望に苦しむ人へのメッセージ ≫
(ネット検索して共感できた記事を抜粋、参考までに) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 いっぱい食料品を買って、大きな買い物袋を抱えて歩いているところに突然人がぶつかってきて、卵や豆腐を全部メチャクチャにされたら、ものすごく怒るでしょう。そこで何か言ってやるぞと思って相手を見ると、相手は目が見えない人だったとします。そうすると、それがわかったとたん、「だいじょうぶですか」と逆に相手を心配するようになってしまうのです。
なぜそのような話をするかというと、人は皆、目が見えていない存在だからです。真理に目覚めてないのです。だから、やっていることは間違いなのですが、本人は知らないんですね。目が見えない人は好んでぶつかったわけではありません。ただ目が見えなかっただけです。 我々を攻撃したり意地悪したりする人も、やりたくてたまらずにやっているわけではないのです。やりたくてたまらなくていじめる場合は、からかっているだけで楽しいのです。仲のいい友達にからかわれても恨みにはならないでしょう? 「子供の時にいじめられた」と親を恨んだりする人もいますが、親も子供をいじめたくていじめたわけではないんですよ。本当にどうしようもなくやってしまったんですね。子供を捨てる親もいますが、捨てられても親を恨む必要はないのです。恨んでしまうと、永久に自分が苦しむだけです。
どんなことにも何かわけがあるのです。たとえば「母が再婚して親にいじめられた、とんでもない母親だ」…そういう風に思うこともよくないのです。 子供の時はしょうがないとしても、大人になったら「母もた大変だったでしょう。私が邪魔だったのでしょう。しょうがない。許します」と心を清らかにした方が、恨みを持って生きるよりは自分が楽なのです。 他の道は全くありません。相手を恨むこと、相手をいじめること、相手に仕返しすることで、決して幸福は得られません。大人になってもずっと自分の母親を憎んでやると決めたところで、誰が幸せになるのか。皆が苦しいだけでしょう。それなら何のために生きているのでしょう。
人は幸せになるべきなんです。苦しんで悲しく生活するべきではないのです。そのためには慈しみの道しかありません。敵を倒す道では幸せになれません。だから、慈しみで物事を見るようにして下さい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
親も自分も人間だから不完全な生き物なわけです。 親が偉いだとか、年上を敬えとか言うのは、儒教の教えによるもので、仏教では、真理(正しい物事の筋道。真実の道理。)に目覚めていない人間を、親であれ子供であれ皆「凡夫(愚かな人。仏教の教えを理解していない人。)」と呼びます。 人生経験の上では、親の方が先輩であり知識も豊富な分 偉く見えますが、人間の多くは煩悩(苦の根元で「貪り」「怒り」「愚か」の三毒)に苛まれ、真理に暗く正しい判断ができずに苦しむのです‥
でも、よく聞いてくださいね。
「煩悩の苦しさがあるからこそ、悟りがあり。煩悩の苦しさがない世界には、悟りもありえない。」 というわけなのです!
まだ理解するには難しすぎると思いますが、 仏教は、お釈迦様が「未来の世の諸々の生命のあるものすべての為に平等な救済と成仏を説いた」この上ない教えです。
『 恨み心を感謝に変えて 』
仏教の素晴らしさは、魂の成仏です。人は誰もが仏様の様になれる心を持っており、善悪は区別するものではなく、人は悪を観て善の道に入ることができるのです!
どうか精進なされて、得難く頂いた人生を全うされ幸せになれますよう、心よりお祈りいたします(-人-)
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