Re: 自分はどうすべきなのか ( No.1 ) |
- 日時: 2013/09/09 00:02 (dion)
- 名前: はもろ
- (続きです。)
携帯が交流を支えてる世の中で、コミュ障が 友達の輪を広げるのには明らかに限界があった。
結局、割と仲良くなったのは隣になった女子(女A)だけでした。 数で言えばむしろ中学校よりひどい。
ただ救いと言えたのは、それまで無かった 女の子と交流を持てたこと。結局そのクラスで メールアドレスを交換したのはその女Aのみだったが、 友Aを含め女子と一緒に帰宅するなど、女子に 囲まれる展開になったからこそよかったこともある。
これの経験がきっかけだったのかは分からないが ネットの人だったとはいえ彼女も作れて、 おそらく一番幸せだった時期ではないかなと。
出来た彼女は中3で、1500kmも離れた場所に 住んでいた。でも、いつも会いたいって思えたし 毎日のSNSも結構楽しんでいた。
高1になって初めてブログを開始。 とある人にあこがれて作ったもので、 後にそのあこがれの人のブログと 相互リンクすることに成功している。
友Sがきっかけで始めた趣味はこのときも まだ捨ててはおらず、友Sとの交流もあった。
ところが、中3だった彼女が受験のために 毎日会話できなくなるようになってしまった。
だんだん少なくなる会話、会いたいという 気持ちがどんどん強くなるがバイトしてない 高校1年生の経済力なんてたかが知れてる。
会えるわけが無かった。ふたりで、「いつか会おうね」と 約束して、時々その計画を練っていたのも昔の話となり、 いつしかほとんど会話しなくなってしまった。
ここまで来ると、たしかに嫌われたかな…と不安にもなったが それでも、最後の「受験だから。OO日に受験発表」という言葉を 信じて、その日を楽しみに待ち望んだ。
ついにその日がやってきた。 メールは来なかった。次の日もその次の日も。 でも、落ちてた場合を考慮してこちらからは メールを出すことができなかった。
それでも待ちかねて、ある日メールを送ってみる。 そこで、「好きとは思えなくなった」と言われてしまった。
嫌いではないと言ってくれたが、「友達になろう」と言いつつ SNSのフォローを切ったり、メールに返事もしなくなるし 完全に縁を切られた感じがする。
当時は結婚まで少し考え始めてたほどだったので すごく落ち込んだ。このあたりで高2になった。
高2では自分と気の合う奴が3人もいて、全員 同じ市内に住んでいた。コミュ障でも友達作れる環境。
大切なものを失った代わりに再び友達を手に入れて (女Aとは別クラスになっちゃったけど、時々メールはする) 気が合うだけに話も面白くて少しずつ元気を取り戻し 「自分が好きでも、彼女が別れた方が幸せならそれでいい」 と思うように変化していった。
彼女はいないけど仲のいい友達(以下友A、B、C)はいる。 その友A、友B、友Cのおかげで別クラスの友達も出来た。 (以下友D、友E、友F) この状況について、 「友達がいるから自分は(精神的に)支えられてる」と すごい感謝するようになった。
また、ネット上の方も順調に展開規模が大きくなっていき、 あるSNSでは仲のいいフォロワーが増加した。 このころ、ツイッタ―は放置していた。
ところがすぐに状況が変わる。 方針が合わないとの理由から、あこがれの人に 相互リンク解消を申し込まれ、結局リンク消滅。
彼女を失ってすぐの話だったので、すこしずつ 回復し始めていたとはいえ大きくショックを受けた。
あまりのショックにSNSを一時閉鎖するまでに 追い込まれてしまった。
「自分は社会に必要とされてないのではないか…」
代わりに、放置していたツイッタ―を開始した。
もちろん後に一時閉鎖したSNSも再開して、 SNSで仲のいい人と会話、ツイッタ―は情報発信として 役割を持たせることにより再び復活した。
いつだったか、高2の頃に再びいじめにあうようになる。 中学校の時と同じタイプの理由が全く不明なタイプ。
中学校の時の成功経験があった自分は、 今回もまったく同じ手法で対処して、 見事に半年で謝罪させるまでに至った。
この対処法に友Bからは 「あの状況で冷静すぎてすごすぎ」とまで言われたほど。
周りの目から見たら強引なのかもしれないが もちろん身の危険を感じたら反撃はするつもりだし 少なくとも小学校の恩師が間違えた教えをしたとは思えない。 事実、中学の時に成功例を作っているのだから。
別れてからしばらく経って2年のバレンタインの日。 もらえる人うらやましいなと思いながら1時限目開始。 教科書を取り出そうとしたらビックリした。
なんとそこにチョコレートと手紙が入っていた――。 まず思ったのは「人違いじゃないのか?」 でも、宛名は自分の名前だった。
次に思ったのは「誰かのいたずらじゃないのか?」 でも、手紙の内容は高1のクラスメートしか 知り得ない情報が入っていた。
コミュ障で友達が女子だけだった当時高1の 自分の情報を聞き出すのは絶対に簡単ではない。 そもそも手が込みすぎてる。
単純にうれしかった。 友達は結局女子しか作れなかったものの、 少なくとも「お前の話つまんないw」と 言われることだけは避けるため、周りの 明るい性格の人の対応を見て話し方を 自分なりに勉強し、改善したつもりだったので その苦労が報われた(手紙には面白いって書いてあった) ということと、自分を必要としている人がいるということ。
ついでに、まともなチョコをもらったのが 人生で初めてだったというのももちろんある。
その子の役に立ちたい、幸せにしてあげたいって思った。 でも、名前はイニシャルしか書いてなかった。
誰なのか思い当たらない。 そこで高1の時の連絡網で調べたけど載ってない。
探そうにも、手当たり次第に聞いて回るのは 勇気がいるし何よりくれた子に非常に失礼…。
結局お返しのお菓子は一応用意したものの、 ホワイトデーを過ぎても誰が入れたのか 自分の力では分からなかった。
もしもいたずらだった場合、 いたずらに本気で喜んだことになる。 そんなことも自分は見破れないのか…
もしも本物だった場合、 その子の気持ちの回答すら出さず 無視してしまったことになる。
すごく傷ついてしまったかもしれない。 幸せにするどころかむしろ不幸な思いを させてしまったことになってしまう。
どっちにしても自分の無力感を 感じざるを得なかった。 自分は何をやっているのだろう、と。
(続く)
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Re: 自分はどうすべきなのか ( No.2 ) |
- 日時: 2013/09/09 00:06 (dion)
- 名前: はもろ
- (続きです。)
高3になるときのクラス替え。決定的だった。
自分は友B〜Gの6人と同じ選択科目に設定した。 友Sと小学校から一緒に好きだった趣味に関する 仕事にいくという観点では妥当だった。 また、この選択だと2クラスしか候補が無く 誰かとほぼ確定的に一緒のクラスになれる。
高2クラスでクラス替えが発表された。
友A:4組(元々別クラス確定だった) 友B:7組 友C:7組
この場合自分も7組になるとなぜか確信してた。 …6組だった。でも、友D〜Gもいる。
友D〜Gも7組だった。 結果的に、自分だけが省かれる形になった。 その確立はわずか数%。
少なくとも1人は一緒のクラスになれると 確信していたので信じられなかった。
6組に移動してクラス名簿が回されて 出欠をとるとき必死に冷静になろうと 思っていたら、名簿に名前が無かった。
あとで7組に行った友Bから、7組の名簿に 自分の名前があったと聞かされた。 (ただし書類上は確実に6組です)
ぼっちにされただけならまだよかった。 これは自分に対する学校側からのあてつけなのか!?
それでもあきらめたくなかった。 暇があるたびに7組に遊びに行ったりした。 高1のときの経験から、まずは隣の人と 友達になろうと努力することにした。
ところが、時間がたつにつれて 7組の友達からは「ぼっち来んなよww」と 言われるようになった。ネタだとは分かっていたが、 他のことでも精神的に疲れ始めていた自分は 7組での居場所を失ったように感じるようになり 気がつけば自ら出向くことはほぼ無くなってしまった。
また、隣にあたったクラスのひとは 正直性格が悪く、気が合わないと判断せざるを得なかった。
手を引く判断をするまでにかかった時間は 約3カ月ほど、判断が遅すぎた。
そもそも高校3年間で既にコミュニティが出来てる中に 突っ込むこと自体が難しいものだったのかもしれない。
自分は帰宅部だったが、学校の部活動加入率は9割超え。 部活に入っていれば圧倒的にコミュニティは作りやすい。 この分析はおそらく完全な間違えではないと思う。
結果的に高3になって、高校生活最大の孤立を 招く結果になってしった。
高3といえば、卒業式や同窓会その他など、 その意味でクラスは重要なのにこれでは…と 感じざるを得ない。他の友達は一緒になった。 おそらく、これからも一緒に行動できる…。
選択が違うため別のクラスに行った友Aは 比較的モテるほか部活にも加入しており 友達が多いためそこまで孤立は問題になっていない。
ぼっちをネタにされる場合も集団で言われるより 負担が軽いのでこちらとの交流に重点を置くようになったが 友Aは先述の通り選択が違うので1週間に1度しか 一緒に帰ったりすることはできない。
話をネットの方に向けると、 さらに展開規模が大きくなってきた。
SNSのフォロワーさんはツイッタ―に 流出する傾向が相次いだため、本来は 情報発信する場だったツイッタ―の使い方も 変わってきたが、SNSの役割の交流は捨てなかった。
展開規模が大きくなってきたため、新規フォロワーと SNSから流入した仲良しのフォロワー、情報発信の 3つの役割を持つようになってしまったため完全に ツイッタ―の方が業務多忙になってしまった。
そこで過疎化が進むSNS側に、新規フォロワーの対応の 役割をうつすことで力を分散させようと考えた。
ところが、ツイッタ―は現実の友達のフォローが あるので従来は愚痴をSNSにつぶやいていたのだが、 SNSに新規ユーザーが流入したためこれが出来なくなった。
新規ユーザーは自分を(なぜか)リスペクトしてくれる 低年齢層の傾向が非常に強く、彼らに自分の悩みを 見せて心配させたり不快な思いをさせたくない。
ネットの活動は人を楽しませるためにやってるものだ。 不快にさせたりする目的で始めているわけではない。
またこのころになると、ネットで結成した趣味の サークルを叩きの対象にするライバルサークルが現れた。
こちらのサークルは「低民度なサークルと一緒にされることを 防ぐため」にシカトを続けて、誇りを持ってくれていて、 実際にその効果が少しずつ出始めているのは事実だが、 その一方でライバルサークルの方が規模は圧倒的に強い。
その強大な規模を武器に、サークル対立に中立的な 低年齢層を洗脳して悪者に仕立て上げてきているので 将来的な信用度はどちらの方策が勝つのか気が気でなりません。
あくまで汚い手を使って相手のサークルの 信用を落として相対的にこちらの信用をあげるという 低民度な方法を使いたくないので現状維持していますが…。
このように唯一の心のゆとりだったネットでも 難しくなり、事情でアカウントを増やすのは 現状とプライド(?)を考えれば基本的に無理。
趣味を伏せているのはこれを言ってしまうと どのブログをもっているのか特定されそうで 怖いというのが正直なところ。
いま、中学では成績上位者とも争えた成績は 高校に入って下がる一方で今では大半の教科が 下位争いになってしまうレベルになってしまった。
このままではいけないし、大学にも行けない。 それは分かっていることだけどどうしても 勉強をやる気がまったく起きない。
その程度の自分に何が出来るのか、 やる気を出すためにどうすべきなのか。
また、最近女Aのことが好きだと 意識しはじめるようになったが、 あくまで不幸せにはしたくない。
自分は過去3度にわたり、それぞれ別人から いじめのターゲットにされてきている。
今後仮に再び襲われても自分は小学校の時の 恩師のことばを尊重し今まで通り対処するつもりだが、 その矛先が大切な人に向けられるのが怖い。
別に自分が傷つく分には構わない。 従来通り対処していける自信はある。
でも、大切な人ができたなら その人を幸せにすることを第一に考えたい。
ターゲットになりやすい自分では 不幸せにしてしまうんじゃないか――と。
結構複雑に絡んでしまいました。
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Re: 自分はどうすべきなのか ( No.3 ) |
- 日時: 2013/09/09 00:23 (dion)
- 名前: はもろ
- 長文失礼しました。
結局、過去のことが多少トラウマになってるんですよね。
また、現実で削られた心を回復させてくれてた ネットも最近は削ってくるようになったし…。
感じるのは無力感ばかりで、 夜寝付くのにいつも時間かかるようになりました…。
誰かにこのようなことをぶっちゃけるのは それこそ自分の方針に反してる気もしますが、 せめて誰かに知ってもらわないと壊れそうで…。
でも、普段の現実・ネットには影響を出したくないので その辺を考慮して文章を構成しています。
そのせいで分かりにくい箇所があるかもしれません…
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