No.0に対する返信 ( No.1 ) |
- 日時: 2013/09/13 13:55 (wind)
- 名前: かゆがも
- > 結局はお金なんだね
> これ以上なにかを信じてもムダだよ > お金でこんなにも運命がかわるなんて > 捨てられた事に嘆いてるわけじゃない > 解ってくれる人に吐き出したいだけ お金は生きていく上で大切ですが、それが全てでもないですよ。
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Re: もうどうなっても ( No.2 ) |
- 日時: 2013/09/13 14:29 (mesh)
- 名前: ノア
- かゆがもさん
お金って大事ですよ。 お金がなければ何も始まりません。
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No.2に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2013/09/13 16:33 (au-net)
- 名前: トトロ
お金って大事です。 お金がなければ何も始まりませんし 何も買えません(T-T)
だから,お金を得る所を見つけないと いけないのですよ(^-^;
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Re: もうどうなっても ( No.4 ) |
- 日時: 2013/09/13 21:33 (ocn)
- 名前: 悠久の風
- お金は確かに必要ですが、生きた使い方ができるかどうかで、その価値は天と地ほど変わってきますよ!
お金持ちの人は、一見羨ましいですが、周りからも羨まがられ、せがまれ、失いたくないと不安にかられ、お金に執着し欲深く、いつまでたっても心が落ち着きません‥
「布施」を自らの修行として日々の生活に取り入れることが出来れば良いのですが、目に見える損得を気にするあまりそれを実行できません。
そこでこんな昔話を一つ。
昔々あるところに、村で評判の大金持ちの百姓がいました。ある日、「一人の村人が、寺のお坊さんにお布施をしたところ、数日後に大変良い事が起こった」との噂を聞きつけた。そこで百姓もお布施をすることにしましたが、布施の見返りを期待して「大金を渡せば多くのご利益がある」と欲の気持ちで寺に行き大金を差し出しました。ところがお坊さんは何も言わずに受け取るだけでした。それを見た百姓は、「あれだけ布施してやってるのに、全然喜びもしない。たくさんの布施を貰うのに慣れて、有り難みを感じないのか」と腹を立て言いました。するとお坊さんは、「お前さんが善い行いをするのに、何故こちらが礼を言わなくてはならぬのかな」と言い返すと、百姓は何も言えず帰ってしまったのでした。
布施をしても相手が喜んでくれないと、「何の礼も言わない、なんて失礼な人だ」と感じてしまいます。せっかく善いことをしても、自分の心に喜びが起きません。「私はあの人に〜してあげた」という心があっては「布施」にならないからです。よって、「〜させて頂いた」という謙虚な気持ちがないと「布施」だといえません。
では次に、仕事もろくにしない相手から「お金に困っている、恵んでほしい」と言ってきた場合はどうだろうか。「これも布施だ」と、その人にお金を差し出したとします。相手は「助かった!」と喜びますが、問題はその後です。その人は仕事をしていませんのでお金がなくなり「またお金に困った、恵んで欲しい」と言ってきた場合はどうでしょうか。「これも布施だ」と、またその人にお金を差し出したとします。これを何度か繰り返し、最終的に本人自身もお金に困ってしまい「もうこれ以上差し上げるお金がありません」と断る事になります。すると相手の人は、お金をくれそうな別の人を頼っていくでしょう。 「金の切れ目が縁の切れ目」とよく言います。尚、縁が続いたとしても同じことが言えるのですが、本当に相手の人は救われたのでしょうか…こちらも自己満足に終わってないでしょうか…。
「布施」は、ただすればいいというものではなく、行ずる意味を考えてみる必要がありますね! そうすれば、お金では得られない、誰からも奪われることのない「心の宝物」を得ることが出来ると思います(^^♪
※人の心につけ込んだ、悪徳商法や宗教的な詐欺には気をつけてください。「寄付や賽銭をしないと救われない」といった金銭で差別するような組織や「私が神だ!」と言い神や仏をも見下す教祖のいる団体には注意が必要ですよ!欲に溺れた人間の姿に他ありません。
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