No.0に対する返信 ( No.1 ) |
- 日時: 2014/07/11 05:24 (plala)
- 名前: かゆがも
- > 死にたいと思う自分を止めてって意味わかりませんよね…
> でも本当に死にたいと思うけど死にたくないって思う自分がどこかにいるんです 人が矛盾した願望を持つのはよくあることなんですよ。 食べたいけど、痩せたい。 働きたくないけど、お金は欲しい。 勉強はしたくないけど、合格はしたい。 友達と遊ぶのは楽しいけど、煩わしいこともある。
> 死にたい理由は人生がおもしろくないからです はい、その通りですね。 何もしない人生は面白くないです。 30分ほど目を閉じて黙って座ってみていてください、退屈で死にたくなりますよ。 楽しいこと、嬉しいことは待っていても駄目です。 自分で引き寄せるか、自分で起こしてしまうんです。
「人はパンのみのために生きるにあらず」とはキリスト教の言葉ですが、 人は仕事のためだけ、勉強のためだけに生きるようにはできていません。 何らかの楽しみや喜びだって必要なんです。 何か楽しめるような趣味やスポーツを持ってますか? もし、持っているならまずはそれでリフレッシュされては、或いは友人と遊んでみるとか。
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No.1に対する返信 ( No.2 ) |
- 日時: 2014/07/11 05:49 (prin)
- 名前: あき
ご意見有り難うございます でも 私の場合おかしいんです 多分考え方からおかしいんでしょうか? 人生はただの暇潰しに過ぎないと思っているんです 暇潰しでゲームをやっていてそのゲームがおもしろくなくなったらやめる これっていたって普通の事ですよね? 私にとって死ぬのはゲームをやめる感じなんです 友達だっていない ただ友達のふりをしてるだけ 趣味も無い
一体どうしたらいいんでしょうか?
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No.2に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2014/07/11 06:01 (plala)
- 名前: かゆがも
- > 人生はただの暇潰しに過ぎないと思っているんです
> 暇潰しでゲームをやっていてそのゲームがおもしろくなくなったらやめる > これっていたって普通の事ですよね? はい、普通のことですね。ゲームならね。
ただ、人生は死んだら本当に終わりなのでしょうか? 死後、あなたが地獄や餓鬼に堕ちたら暇以上の苦しみを味わうことになるでしょうね。 (その様な死後があるかどうかは知りませんが)。
> 私にとって死ぬのはゲームをやめる感じなんです でもゲームのようにさっさとはやめないでしょう。 本当にゲームなら、躊躇なく、すぐにやめるでしょう。 なぜでしょうね? やはり、死後が未知だからでは。 未知なる物は怖いものです。
> 友達だっていない > ただ友達のふりをしてるだけ あなたが良友を望むなら、あなた自身も良友であろうという努力が必要でしょう。
> 趣味も無い 探されては? http://www.syumisaga.com/ 例えば私、42歳男性の趣味の例ですが・・・ カラテ、水泳、サイクリング、スポーツジム、読書、音楽鑑賞、ゲーム、株式投資・・・ こんな感じでしょうか。 それでもつまらなければ友人と飲みに行ったり、遊びに行ったり、温泉に行ったり、してます。
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Re: 死にたいと思う自分を止めて ( No.4 ) |
- 日時: 2014/07/11 06:23 (prin)
- 名前: きい
ご意見有り難うございます
おもしろくなければおもしろくすればいい ごく普通の事を忘れていました 本当に貴重なご意見有り難うございました
それと申し訳ございません
名前の方がきいからあきにうち間違いをしてしまいました
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No.4に対する返信 ( No.5 ) |
- 日時: 2014/07/11 06:27 (plala)
- 名前: かゆがも
- > おもしろくなければおもしろくすればいい
そうそう、何もしない人生って退屈です。 死にたくもなりますよ。
> 名前の方がきいからあきにうち間違いをしてしまいました いえいえ。 きい(あき)さんが良友に恵まれ、楽しい人生を歩むことを祈ってます。
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Re: 死にたいと思う自分を止めて ( No.6 ) |
- 日時: 2014/07/11 23:14 (ocn)
- 名前: Nigred
- 恐怖に戦慄するとき、ああ、自分は生きたいんだなと、私は感じます。
今日も散歩中、放し飼いの犬と相対し戦慄しました。
この間は「熊出没、要注意」という看板を見て戦慄しました。
要注意って、どうしろというんだ、遭遇したらゲームオーバーでは?
何故か犬に襲われます。 何か、吼え方が普通じゃない。 たかが、犬とお思いですか? とんでもない。何もお分かりでない。
苦い体験を繰り返す中で、犬恐怖症になりました。
面白い、面白くないのお話を超越して、 単純に今、この瞬間、生きていたいという欲望、 それは誰にでもある その、純粋な「畏れ」が文明社会から消え、 あるのはただの社会的なストレス。
高校の頃、体育の教員3人がかりで、私一人を取り囲んで、 パワハラされました、そのとき体が不随意に震えで止まりませんでした、鬱病とPTSDにもがき苦しんだ。あれは畏れというより、社会的ストレスですね。本当の畏れとは、生命力があふれ、にせのおそれはそれを損なう
私の趣味は、語学、ゲーム、絵、音楽、料理の味付け、散歩、食事療法、等です。 最近は囲碁にも手を出しました。
友人はこれからできるさ。生きていれば。
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