No.0に対する返信 ( No.1 ) |
- 日時: 2015/01/19 22:35 (dip0)
- 名前: ひよこ
- > アンネフランクがある言葉を言いました。
> 「私たちは皆幸せになることを目的に生きている」と。 > > つまり、幸せにならなければ生きてる意味はないということですか? > 幸せになるという目的を達成出来なければ、生きた意味はないのでしょうか?
幸せとはなんなのか?と かんがえるのもいいですね。
ひとは、漠然と幸せになりたいという気持ちがあります。 不幸せになりたいという人は、あまりいないですよね。
特別に何かで成功するということや、思い通りに人生が進むことを 幸せだと思ったら、幸せだと感じる人は少ないでしょう。 そもそも思い通りにならないことの方が人生では多いからです。
むしろ、困難な状況でも平常心を忘れず、平安、平静な気持ちでいることが 幸せともいえるのではないでしょうか。 または、自由である(自己責任で行動できる)、選択肢があることも幸せなこと だと思います。
〜にならなければ〜がなければ、幸せではない、生きている意味がない。。 という極論(100でないと0だというようなもの)ではなくて、 自分にとっての幸せとはなにか、それを保つには どう生きるのか、何ができるのかということでしょう。
アンネフランクの言葉もいいですが、私は おなじようにナチの収容所に入れられ、そして 生き延びた精神科医のフランクルの言葉に惹かれます
ヴィクトール フランクルの 生きる意味を求めて という著書はおすすめですよ。^^
<そもそも、我々が人生の意味を問うてはいけません。 我々は人生に問われている立場であり、 我々が人生の答えを出さなければならないのです。> <人間に残された自由とは、自分の態度を選択することだ。> <幸せとは目標ではない。 それは、結果にすぎないのです。>
人生に受け身になるのではなくて、主体的に自分の人生に 取り組もうとすれば、他人の評価や世の中に左右されない ちいさな自由、幸せ、満足感、平安、は感じ得ると私は信じていますよ。
幸せになることを<目的>にするというより、 幸せになれる、なると<信じて>生きているといったほうが 私にはピンときます。
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Re: アンネの言葉 ( No.2 ) |
- 日時: 2015/01/19 22:47 (janis)
- 名前: ジャンヌダルク
- 「多くの人が幸せに辿り着きたいと望んで生きてる」
という意味にとれます。
「幸せにならなければ生きてる意味はない」と いうよりも、 「思い返してみると、幸せに辿り着くように 色んな事を選択して生きてる」みたいなニュアンスに。
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No.0に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2015/01/19 22:56 (dti)
- 名前: RAI
- > アンネフランクがある言葉を言いました。
> 「私たちは皆幸せになることを目的に生きている」と。 > > つまり、幸せにならなければ生きてる意味はないということですか? > 幸せになるという目的を達成出来なければ、生きた意味はないのでしょうか? >
たぶん,そうゆういみだと思う。
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No.0に対する返信 ( No.4 ) |
- 日時: 2015/01/19 23:18 (hi-ho)
- 名前: 祥平
- > アンネフランクがある言葉を言いました。
> 「私たちは皆幸せになることを目的に生きている」と。 > > つまり、幸せにならなければ生きてる意味はないということですか? > 幸せになるという目的を達成出来なければ、生きた意味はないのでしょうか? 皆幸せになることを目的としていると言う事は現在進行形なわけであり、皆ということは、自分ひとりと言うことではなく、みんなで幸せになることを目的としている、そして生きていると解釈します。 たとえ、不幸に陥っても、命ある限り幸せになることは不可能ではありません。つまり、生きている限り意味がないことはないと言うことでしょう。 > > ふと疑問に思いました。 > 捻くれた考えということはわかってます。 > > でも気になるんです。 ちなみに、私はアンネの日記、高校生の時に読みました。自由に生きている自分を有難く思える書ですね。 関連して、シンドラーのリストという映画もいいものでした。
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