Re: マイナス思考 2 ( No.1 ) |
- 日時: 2009/05/13 04:12 (mesh)
- 名前: 307
- 高校の時、
仲良くなった人がいて、付き合うことになりました。 彼はいつも変わらず優しく、お互いとても好きになっていきました。
本気になったときはじめて、自分がいかに汚れているか・・というのを実感しました
自分の皮膚も血もDNAも何もかも、汚く思えて仕方がありませんでした。 1度だけ衝動的に手首を切りましたが、血がほとんど出ず、失望して 自殺の仕方を本やネットで調べました
首を吊るか、5階以上から飛び降りるのが確実、と聞いて 田舎なので高い建物があまりないため、自室で首を吊りました。
結局、紐を結んだ場所の金具がはずれてしまったため 首に、紐の食い込んだ切り傷が残っただけで、死ねませんでした。 親には、夜ベッドにハンガーを置きっぱなしにしたまま寝てしまい、 起き上がったはずみで切ってしまった、と言ってごまかしました
その頃、ちょうど私を襲った犯人が刑務所から出てくる頃でした 私の周りに変化は特にありませんでしたが、 毎晩、同じ人に追いかけられる、もしくはトイレ等で待ち伏せされる夢を見て、 辺りが暗いと(つまり夜)眠れなくなってしまい、明け方眠るので、 学校も遅刻ばかりでした。 私はこんなに苦しんでいるのに、加害者はたったこれだけの期間で赦されるのか、 と思い、さらに厭世的になりました
でも、一度失敗してからは、自殺するのも怖くなりました。
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Re: マイナス思考 3 ( No.2 ) |
- 日時: 2009/05/13 04:15 (mesh)
- 名前: 307
- 生きたくても生きられない人もいる、
もっと死に追い込まれるほどつらい人もいる・・・ それを実感すれば、少しは自分も生きようと思えるかと思い、 医療系の大学に進学しましたが、死に瀕する人を間近に見ても、 むしろ、こうなる前に、少しでも幸せなうちに死にたい…と思ってしまいます。
8階の非常階段から、何度か飛び降りようとしました。 でも、昔よりは大人になりました。
小学生のころの傷は、癒えたとは言えませんが それなりに、落ち着いてきています。
「死にたいほどつらい」わけではないのです。 考え方の「くせ」なのです。
それはわかっていても、ほとんど慢性的に(1日に何回か) 死にたい、と考えます。 悩みがあるときなどは、最初の選択肢として「死ぬこと」が挙がり、 実行しようとしてしまいます。
自分では、本当につらいわけでもないのに「死にたい」と思うことを 「甘え」だと思っています。 (私自身に対して、の意見です。他の方には当てはめないでください^^;)
特に、医療に従事する者にとって、それは信じがたいタブーであることは重々承知しています だから尚更苦しいし、同じ医療従事者(またはそれを目指す者)である家族や友人等には話せません
薬のリスクや、薬を出すだけのやぶ医者にあたるリスクを考えると、医院に行くことも気が引けます。(経済的にももったいないですし。) できれば自分で何とかしたいと思っています
「うつ・不安に効く.com」というサイトを利用していますが、 少し客観的にはなったものの、自殺願望が減ったとは思えません。
特に落ち込んだ時は自分でコントロールができません。 いつか、はずみで死んでしまうのではないかと思ったり、 死ななくても(というか下手に助かる方が?) 自分を大切に思ってくれる友人や恋人を疲弊させ、 結果迷惑をかけることになってしまっているのが現状です。
今まで自分なりに頑張ってきたつもりでいますが、やはり限界があるのでしょうか 薬物療法も視野に入れるべきでしょうか。 10年以上も持ち続けてきた自殺念慮が、薬で良くなることはあり得るのでしょうか・・
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Re: マイナス思考 ( No.3 ) |
- 日時: 2009/05/13 04:33 (mesh)
- 名前: 307
- ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。
ちなみに今の「死にたい」原因となる悩みを例として挙げておきますと 体力(知力も…)が追いつかず、夢だった職業を諦めようとしていること…
また、母が過去に精神病を患っており、私にもその素質があると思うと、 今付き合っている人と結婚して子供を産んで家庭を作る、 つまり自分の遺伝子を残すということが罪なのではないかと思えることです。
また暴力に晒されて育ったため、自分も将来そのような家庭を作ってしまうのではないか 少なくとも自分が両親を嫌うのと同じように、自分も子供に嫌われるのだろう…と 確信に近い思いがあります
他にも親から受け継いだアレルギー関連、生殖器の病気を抱えています 生活習慣病のリスクも受け継いでいます 親には育ててくれたことは感謝しますが、「産んでくれた」ことに感謝はできません。
どこかのサイトで「人生を24時間に例える」という文章を読みました。 それによれば、22歳の私は、まだ朝の8時にもなっていないことになります。 やっと起きて少し経ったくらいです。 今までのことや親のことは、「眠っていたあいだの出来事」として、訣別したいです。 経験ある方もない方も、どうかアドバイスください。 たった一言でも、厳しいご意見でもいいのでどうぞお願いします。 「ここに書くのは間違ってる」でもいいです。
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Re: マイナス思考 ( No.4 ) |
- 日時: 2009/05/13 07:27 (home)
- 名前: シマ
- >本気になったときはじめて、自分がいかに汚れているか・・というのを実感しました
汚れてなんかいない。 世の中が汚れてるだけだよ。 日本は性犯罪者に対して甘すぎると思う。 海外のようにもっときびしくするべきだ。 あなたに非は無いのだから自分を責めるべきではない。
>また暴力に晒されて育ったため、自分も将来そのような家庭を作ってしまうのではないか 少なくとも自分が両親を嫌うのと同じように、自分も子供に嫌われるのだろう…と 確信に近い思いがあります
俺もまったく同じことを思ってます。 両親のことがあり、家庭も子供も要らないと思っていたけど、一生愛していこうと思えるような人ができ、こんな俺でも家庭を持っていいかもって思い始めてたんですが・・・ 自分で店を出したくて必死に勉強してる間に浮気されました。
その元カノには色々相談されてたんですが、信じてたけど・・・汚いやつでした。 相談内容は、バツイチで夫の借金返すために風俗で働いてたことがあるとか、高校のとき好きだった先輩に無理矢理処女奪われ捨てられたとか。 そんな自分でもいいのか?と言われたけど気にせず愛していました。
が、別れてから知ったことは、浮気して離婚して夫に慰謝料払うためと、遊ぶ金欲しさに風俗で働いてたこと。 俺と付き合ってるとき遠距離だったのでセフレがいたこと・・・
以来何人かに告白されてますが誰とも付き合おうと思えなくなりました。
とりあえず、彼につらいことを相談してみると楽になるかもしれません。 そのときの反応で彼が信用できる人かもわかるでしょうし。 相談したことでひかれたりして、別れることになったとしても所詮その人はそこまでの人間だったと思って諦めるしか・・・ 病院はそれから行くか考えてみてはどうですかね。
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Re: マイナス思考 ( No.5 ) |
- 日時: 2009/05/13 18:08 (pools)
- 名前: 通りすがり
- 307さん こんにちは
同じ女性として、レイプとは計り知れないほどの 苦しみだったと思います。 たとえ、犯人が無期懲役になったとしても、死刑になっても、あなたの苦しみには変わらないと思いますよ。違いますか?
大切なのは、あなたが汚れていると思わない事です。 子供であっても、大人であっても、力においてどうしても劣る場合、また恐怖感で助けを呼ぶ事のできないことであるでしょう。 あなたにはみじんも責任はないんです。
両親から受け継ぐかもしれない病気について、 あまり気をもまないようにしてください。 だれしも100%健康な人はいません。 医療を学んでいるかたですから、病気の苦しみを ご存知だとおもいますが、たとえ病気を抱えていても 、生きる事でそれを凌駕するような喜びや幸せを 味わう事もできます。 わたしも子供がいますが、わたしが父親から受け継いだ?耳鼻咽喉系の弱さがあります。 また、わたしの母の系統の肌の病気、つまりアレルギーもあります。 それでも、彼女は友達とあそんだり、家族で出かけたりする事もできて、それなりの幸せを感じているとおもいます。 また自分がなんらかの病気をもつことで、ひとの病気をもつことの辛さを理解できます。 健康な人は、病気の辛さがわかりません。 それこそ、もし健康な強い遺伝子だけを残すのが、 人間の役割だとしたら、ナチのような優勢人種を残すことを目的としていることになります。 彼らは、ユダヤ人だけでなく、障害者も殺しました。 弱い人や、欠点のある人は存在しない方がいいですか? そんなこといったら、人類みんな絶滅しますよ。 ひとは変わりたいと思えば、ある程度変わっていくものです。 そのときに欠点だったものが、何年か後には欠点がなくなったり、長所が増えてくこともあるんです。 人間の可能性を無視してはいけません。
きっとご存知だと思いますが、日野原茂明さんも、 医者として病気はしておいた方がいいと、おっしゃっています。 痛みを知らない医者が、患者の苦しみを扱うとき、自分が苦しんでないと、痛みを理解できないからです。
おそらく、心配なのは精神面での問題なんでしょう。 トラウマというものを受け継ぐという心配ですね。 しかし、トラウマもきちんとカウンセラーなどの協力を得て、直せる可能性もありますよね。 わたしは、心理学者ではないのですが、心理学関係の雑誌で興味深い記事をよみました。 ナチの収容所から奇跡的に生き残った人々のトラウマが、子供たちや孫に影響を及ぼす事があるのは、なぜか、またどのようにトラウマを克服する事ができるのか。。というような記事でした。 トラウマをもった親は、あるいみ子供に対しても壁を作ってしまうようです。。 その得体の知れない壁自体に不安を持った子供も、壁を作ってしまいます。 もし子供が、自分の作った壁を、自分で、もしくはカウンセラーの助けによって壊せる事ができたとき、また親の壁を直視する事になる。。 でもその壁を壊す事はできない。 こわすのは、本人がそうしたいと思わないとできないからです。 だから、子供は親の作っている壁という存在を、自分で壁を作る事で否定したり、無視するのでなく、 ただ事実として受け入れる、受容するしかない。 とのことです。
親自身もそうです。またあなた自身もそうです あまりにも辛い経験、事実を受け入れるのがつらいために、なかった事にしようと、事実を否定したりしているうちは、苦しみの問題を解決する事はできないんです。 事実を、ただ受け止める。それだけでいいんです。 受け止める、受容するというのは、たとえばナチやレイプという犯罪を許す事ではないです。 犯罪を許容する事ではない、本人が味わった苦しみを、たいした事ではないなどと低くみる事ではありません。 ただ、人権を踏みにじられるという、恐ろしい犯罪の被害にあってしまった。 それを認めて、自分で背負いきれないものは、カウンセラーなど相談者に受け渡すことが大切だという事です。 そうして、いちど他人によって踏みにじられ、奪われた、人としての当然の生きる権利、尊重される権利を取り戻していくんです。
そのうえで、あなたにも幸せに生きる権利がある。 たとえ、病気をかかえていようと尊重されて生きる権利がある。 精神的に落ち込む素養があろうと、あなたは幸せになる可能性もあるし、幸せになりたいと思うべきなんです。
ほかの方のレスでもかいたのですが、星野富広さんの詩はとても、こころにしみてきます。
『幸せ という花が あるとすれば その花の つぼみのような ものだろうか。 辛い という字がある。 もう少しで幸せになれそうな字である。』
辛と幸という漢字はとても似ていますよね。 辛という字は、立つと十という字からできています。 辛と幸という字は、線一本違うだけです。あと一回だけ立ち上がることができれば、幸せになるかも知れません。 幸せになるまでは、あと一本のために辛いことが続くものです。 反対に、不幸というのも一本ぬけてしまった状態ともいえます。 紙一重なんです。 この一本を大切できれば、幸せになれる。 そう信じてます。
星野さんは、首から下はいっさい動かせません。 口で、詩と絵をかいているんです。 自分が誰かを喜ばしたい、誰かに感謝の気持ちを伝えたい。 それがかれにとっても横棒なんです。 かれのファンの方に、さよならの手を振る事もできないから、舌を左右にうごかして、気持ちを伝えようとする事もあるそうです。
星野さんは、聖書の神様と、家族やファンの方にうれしいという気持ち、感謝を示したいという気持ちを伝える事が、生きる喜びになってます。 もちろん、神様を信じる事で、いまの世の中では、 死ぬまで体が不自由なままかもしれない、でも神を信じる事で、天国にいったらまた体を自由に動かせることもできるとそう強くしんじておられ、希望をいだいているのです。 だから、絶望せずに、いまできる事をすべてして、 神と周りのひとに、どうやって喜びと感謝を現せるかということだけに集中できるんですよ。
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Re: マイナス思考 ( No.6 ) |
- 日時: 2009/05/13 23:18 (eonet)
- 名前: ともぴー
- 貴方は、頑張って生きています!伊勢白山道を知って、救われてね。今生きていることだけでも感謝ですね!オレンジの初めての方へからです〜!
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Re: マイナス思考 ( No.7 ) |
- 日時: 2009/05/14 00:40 (mesh)
- 名前: 307
- シマさん
返信ありがとうございます。
浮気されると・・つらいですよね。 全人格を否定されたような気分になりますものね。
でもその方はきっと、ただ単にモラルというか貞操観念(死語でしょうか) の薄い方だったのかもしれません。 「恋人以外の人と関係を持つ」ということに対しての罪悪感のレベルは、 人によって大きく違うのでしょうね。
ただ、恋人を選ぶのは他ならぬ自分である、ということは、 わるい恋人に当たった場合、自分の選び方にも問題があった、 ということになりますよね… でも、真剣に選んで、恋愛をして、裏切られると、 自分の恋人の選び方、すなわち自分の価値観に自信を持てなくなりますよね。
特に両親夫婦が成功していないと・・「(異性の)親みたいな人を選ばないように」と 思いつつも、選んでしまうのではないか、 結果彼らと同じような家庭をつくり、同じように子供に苦しい思いをさせるのではないか・・・
私の今の恋人は、ご両親がとても良い方で、そのおかげか、 本人も、生きることが楽しくて仕方ないような、プラス思考の人で 死にたくなってしまう私を、柔らかく、時にはきつく、 諭したり、励ましてくれます。
でも、いつもこういう(私が落ち込む→彼が励ます)関係だと、 自分が彼にとって負担になるということと 上記のように、自分の価値観に自信が持てないと、 彼が将来父のようになる可能性も完全には否定できず、不安で、どうしていいか わからなくなります。
でも、、、そうですね。 医院に行く前に、もう少し相談してみようと思います。 今こういう風につらい、ということは、あまり話さずにきたように思います。
こんな掲示板で、見知らぬ人の相談に乗っているシマさんは、 きっととてもとても優しい方なのでしょうね。 どうかいいことがありますように。
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Re: マイナス思考 ( No.8 ) |
- 日時: 2009/05/14 00:57 (mesh)
- 名前: 307
- 通りすがりさん
たくさんご意見をありがとうございます。
>犯人が死刑になったとしても・・・ 確かに、、そうですね。 被害に遭ったことは事実で、苦しみも消えるわけではない。
…法というのは、一体何のためにあるのでしょうね。 抑止力? でも、その犯人は再犯でした。 私には、刑罰は、犯罪者には贖罪の機会を与えて、 被害者からは救いを奪うものでしかないように思えます。
私は、その被害に遭った小6の1年間の記憶がありません。 中学受験や、修学旅行も行ったはずですが、写真を見ても全く思い出せません。 それは、もしかすると、事実を受け止められていない、ということなのでしょうか。 カウンセラー等の手助けが必要でしょうか。 それによって、少し変わるものがあるのでしょうか…。
星野富弘さんの本、私も持っています。 私は両手を使えますがとてもあんな絵は描けません…。 本当に素晴らしいですよね。
>欠点がなくなったり、長所になることもある・・ その通りだと思います。 なかなか、言われるまで気付けませんね…。 ありがとうございます。
今日友人とも、少しだけ話をしました。 親を見習えないからこそ、多くのことを自分で考えなければいけない それによって身に付いた考える力は、とても強い武器になっていると思うよ と、言われました。 あまり実感はできませんが、そういうこともあるのかもしれません。
>今出来ることをすべてして・・・ 私に今出来ることというのは、一体何なのでしょうか。 とりあえずは死なないで、今日一日、明日一日を這ってでも生きること…でしょうか。
ゼミ室(6〜9階)にはできる限り行かないようにしています。 でも、死なない自信はありません。 生きるのなら、死にたいと思わずに生きたいです。 つまり、死にたいと思って生きるよりは、死にたい…と
死にたいと思わずに生きるということができるでしょうか。 せめて、1日に何度もそんなことを考えずに。
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Re: マイナス思考 ( No.9 ) |
- 日時: 2009/05/14 02:01 (dip)
- 名前: 通りすがり
>…法というのは、一体何のためにあるのでしょうね。抑止力? でも、その犯人は再犯でした。 私には、刑罰は、犯罪者には贖罪の機会を与えて、 被害者からは救いを奪うものでしかないように思えます。
性犯罪というのは、突発的な殺人よりも、再犯をおかす可能性がものすごくたかいですよね。
贖罪の機会を与える。。人間は嘘をつく事もありますよね。 悔い改めたふりをして、また同じ恐ろしい犯罪をおかす。 たしかに、日本はかなり性犯罪に関してあまいでしょう。 はっきり言って、無期懲役にしてもよいとわたし個人は思っています。
法は抑止力にはあまりならないきもします。 法は単に、正しい事と、間違っている事を規定しているだけです。 病気も予防が大切なように、犯罪も予防が必要だと思います。 いまは、学校のカウンセラーが導入されていますが、それでも自殺や犯罪の抑止になりにくい。 それは、あるいみ人々のコミュニュケーション不足につきると思います。
贖罪、難しい言葉をつかわれますね。 クリスチャンにとって贖罪はキリストが十字架で死を遂げる事によって、私たちの罪をかわりに背負ってくださったということですが、一般には、たんなる罪滅ぼしのために、悔い改めて良い行いをするということですね。 でも、再犯をするならば、贖罪は意味がないですよね、悔い改めるという事は、二度とおなじ罪をおかさないことです。 クリスチャンは、罪の奴隷から解放されて、神の僕としていきていくことです。 2つの主人に仕えるようなことは、許されません。 といってもクリスチャンが清廉潔白に生きていけるという訳ではありません。 ただ、小さな罪を犯すたびにくいあらため、自分の意志で、神によって作り替えられる事をねがうんです。 人を許せるように、ねたむ心や、憎しむこころを少しでもなくせるように。
犯人がのうのうと生きている事が、苦しみを助長してしまうのもわかります。 ただ、クリスチャンであるわたしからいえる事は、 ひとは死んでからも裁きを受けるという事です。 復讐は神のものといわれています。 世の法律でも、あなたのようにレイプというおそろしい犯罪の被害に対する、まともな制裁が加わらないときがあります。 未解決の事件や、殺人犯がつかまらずに、くるしむ家族もいます。 人は、かならず最後の審判のために復活します。 そして、神の前でそのひとの行いによって、裁かれるんですよ。 天国にいけるか、地獄にいくか。
クリスチャンは、キリストのあがないを信じる事で、神を愛し、人を愛するように生まれ変わることを求められています。。 (もちろん、ちいさな罪はおかします) そして、本当に悔い改めていれば、キリストの血によって許され、死後にすぐに天国にいけます。 つまり、起訴されずにキリストの恩赦によって無罪放免になるという事です。 悔い改めずに、神とキリストを信じなければ、まずは黄泉というところで、裁きの日(最後の審判の日)まで待ちます。 だれが、天国に行くか、地獄にいくかはわかりません。ただ、かならず悔い改めずに、人を苦しめてきた犯罪人は、十分その償いをしなければいけない事。 これだけは、あなたに知ってもらいたいです。
神は愛であり、正義でもあります。 ただ、なんでも贖罪でゆるすのが神ではありません。 本心から悔い改めたものを許すために、贖罪があるんです。心の中まで見通せる神に、見せかけは通用しません。 正義を愛する方ですから、かならず正しい裁きをされます。 そうでなければ、どうせ死ぬんだったら好き放題していきたほうがいいと思いますよね。 本心から悔い改めなくても、無罪放免になる犯罪人がいかに多い事でしょうか。 そのために、神は地獄を用意しているんです。 苦しむ人を見て喜ぶような、非情な神ではありません。 苦しむ人を見て何とも思わない、悔い改めの余地のない人間を裁くために地獄があると思います。 そして、苦しむ人が、その涙をぬぐい再び喜びを取り戻されるのが、人を愛される神の願いです。
山上の垂訓:マタイによる福音書(5章1ー10)
「心の貧しい人は幸せである。天の国は彼らのものである。柔和な人は幸せである。彼らは地をゆずり受けるであろう。悲しむ人は幸せである。彼らは慰めを受けるであろう。正義に飢え乾く人は幸せである。彼らは飽かされるであろう。あわれみのある人は幸せである。彼らもあわれみを受けるであろう。心の清い人は幸せである。彼らは神を見るであろう。平和のために励む人は幸せである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。正義のために迫害される人は幸せである。天の国は彼らのものである。」
マタイの福音書の5〜9章の山上の垂訓のを読むだけでも、こころが休まります。
ヨハネ福音書3:16 がキリスト教を象徴している言葉です。 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである
あなたが、カウンセラーでもなんでもいいです。 なんらかの助けを得て、自分の人生を愛してほしい。 幸せをえてほしい。
将来のパートナーと、子供をえる、えないは後から考えてもいい事です。 30歳になるまで時間もまだあります。 トラウマの心配がなくなるまで待ってもいいでしょう。
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Re: マイナス思考 ( No.10 ) |
- 日時: 2009/05/14 15:48 (dip)
- 名前: 通りすがり
- 307さん
>生きるのなら、死にたいと思わずに生きたいです。 つまり、死にたいと思って生きるよりは、死にたい…と
この気持ちがあるのであれば、カウンセラーの協力をえるのは効果的だと思います。 なおりたい、良くなりたいという気持ちがないと、 カウンセラーにかかっても、拒否反応をおこしてしまって、回復が進まないとおもいますから。。。
事故治癒が難しいから、カウンセラーという第三者の協力、助けを得るんですよ。(^^) カウンセラーは、事故治癒の力を手助けするひとだとわたしは思っています。 けっして、なにかの治療のように消しゴムのようにトラウマをけしさるような奇跡をおこして、苦しみをなくしてくれる人ではありません。 辛い事もなかった事にして消す事よりも、受け入れて昇華できれば、そのほうが本当の解決になりますし、将来の苦しみのくり返しを防ぐ事にもなると思います。
将来のパートナーが、お父様のようになってしまうという言葉が気にかかりました。 お父様は、お母様のこころの病とつきあって疲れてしまわれたのでしょうか? それをあなたは恐れているのでしょうか? 心の病というものは、本人がなおりたいと思って、 何年も根気づよくいられないとなかなかなおりません。 どうしても専門の知識や、対処方法を教わる必要がありますよね。
たとえば、老人看護の専門家もいます。 在宅介護では、専門知識のない家族や、患者を受け止める限度がわからない家族では、感情的にすべて受け入れようとしなければいけないと、負担が大きくなっていしまいますよね。 愛する家族であっても、全部受けいるのは難しい事もあります。 わたしが全部受け入れないと!と気張るのではなくて、人との境界線をうまく引く事も大切です。。 いわゆる境界性人格障害というものを恐れていらっしゃるのでしょうか。 家族である患者の人の重荷を、自分で背負いすぎてしまうと、倒れてしまいますから。。 罪悪感を感じずに、時には半日だけでも専門家に任せて、一人の時間を持った方がいいときもあります。
いかに人に任せるか、そのことに罪悪感や、自己嫌悪をかんじないで、自分の気持ちの状態と、自分の愛するものとの関係を良くするために必要な助けだと、自覚できるかというのが大切だと思います。 自分が人の手を借りないで自分でたすける!などという自己満足ではなくて、あなたと、あなたが愛する人が幸せになるために、どうやったら幸せになれるか、誰の助けをえればいいかと考えてください。 支えようとして倒れてしまわないために、支える立場のひとはどのような予備知識をえることで対処していけるだろうか。。などと不安要素を少しずつなくしていかれてください。
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Re: マイナス思考 ( No.11 ) |
- 日時: 2009/05/14 21:27 (mesh)
- 名前: 307
- 通りすがりさん
レスありがとうございます。
通りすがりさんは、クリスチャン…なのでしょうか。
贖罪という言葉、正確ではありませんでしたね。 特にクリスチャンの方には、申し訳ない使い方をしました。 刑に服す=表面的(社会的)に罪をあがなう機会がある、つまり、 「刑罰をあたえる」ことで、加害者に「罪はつぐなった」という意識を持たせてしまう、 という意味で使いました。 悔い改めることには全くなりませんよね。。ほんとにもう。
宗教は、 教義、つまり哲学の範囲内では、大変参考にすべきことは多いと思います。 特に有名な「狭き門より入れ」という言葉は、座右の銘とまでは言いませんが、とても気に入っています。
ただ、そこから先の、「信仰」が加わってくると。 …誰かが変わって制裁を加えてくれると信じ、だからもう憎むのはやめる というのは、何か違うような気がします。
せっかくレスいただきながら真っ向からこんな風に言うのも失礼かとは思うのですが、、 そう信じて生きていくには、抵抗があります。
確かに、負の感情を持つことで自分の人生にマイナスの影響はあったと思います。 でも、それを「神を信じる心」にすり替えることは、 飽くまでも私にとっては、ですが 「事実を見ないふりをする、なかったことにする」ことと、何ら変わりないのです…。
>いかに人に任せるか、そのことに罪悪感や、自己嫌悪をかんじないで・・
そうですよね。 専門家は、そのためにいるのですものね。 最近特に、家族や医師への不信感もあり、 「自分のことは自分で」という意識が強くなっていたように思います。 (そこらの医学生より知識の乏しい医者がいるのも事実なので^^;) 少し、第三者の助けを借りるということを視野に入れてみます。 気持ちが少しらくになりました。ありがとうございます。
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Re: マイナス思考 ( No.12 ) |
- 日時: 2009/05/15 15:19 (dip)
- 名前: 通りすがり
- 307さん こんにちは
はい、クリスチャンです。(ちなみにプロテスタントです)幼少のときキリスト系幼稚園で福音をきいて、何となく神様は信じていましたが、教会に行き始めたのは、ドイツに来てからです。 新米クリスチャンです。(^^) 日本には、1%もクリスチャンはいませんし、なじみが少ないと思います。
>ただ、そこから先の、「信仰」が加わってくると。 …誰かが変わって制裁を加えてくれると信じ、だからもう憎むのはやめる というのは、何か違うような気がします。
お気持ちはわかります。 でも、基本的に制裁を加えてくれるのは、その人が悔い改めないときなんです。 本心から悔い改めればゆるされる、それを許せるだろうかと。。。そういうことなんです。 反対にいえば、自分自身は罪を全く犯していない人間なのかということです。 犯罪を犯していない人間でも、ひとを無意識に傷つけたり、窮地に追い込んだりするものです。。
マタイの福音書の5〜9章の山上の垂訓 は、慰めだけでなく、すべての人が罪を犯している事を自覚させる訓戒でもあります。 キリストは殺人に対して言明し、人にたいして怒ったり、憎んだ時点で、殺人を犯しているとおっしゃいました。 そうであれば、みんな殺人を何回も犯している訳です。 すべての人間は、原罪である神への罪への悔い改めと同時に、生きてきた過程で犯した自分の罪を悔い改める必要があるんです。
原罪とは、神との断絶です。つまり、神の信頼を裏切った、へび(悪魔)のいう事を信じて、神を愛し、信頼する事をしなくなったのが罪の始まりなんです。
原罪と、自分の犯した罪への自覚と反省が、神への悔い改めへとつながります。 自分も罪を犯していて、天国に(永遠の命に)値しない人間であるという事。それを認めて、神様との和解を求める訳です。 天国に行きたいから、というご利益みたいな事だけでなく、人間と全宇宙の創造者である神様を信じていなかった事、愛さずに、罪をおかし続ける状態(罪の奴隷状態)において死に、神の子供として生きたいという表明が、クリスチャンになるという事なんです。
神が人間に求められているのは、神を愛し、隣人を愛する事、そして許し合う事です。(相手が悔い改めればゆるしやすいですか? 悔い改めてもあまりにひどい事はゆるせないとおもいますよね。) なぜ許すかといえば、また憎むのをやめるというのは、あなた自身の幸せのためなんです。
法は犯罪を抑制できないと、考えているのはきっと多くの方も同様だと思います。 わたしも犯罪や、戦争などがなぜ起こるのかと、若い頃疑問に感じてました。 それゆえ大学では、語学系でしたがドイツ史、ナチの台頭の原因を勉強しました。大衆の心理学なども興味深かったです。ひとは圧力に弱いものです。。
ひとは、だれかに憎しみを抱き続けたり、憎み続けていては幸せになれません。 医療の勉強をされていれば、憎しみが精神的にも良くない事はご存知ですね。 神経にも胃にも心臓にもわるいです。 つまり、憎しみを抱く事は、間接的に自分の体を痛めつける事なんです。 神は自分を愛するように人を愛せよとおっしゃいます。 自分の体や精神を痛め続ける人が、人を本当の意味で愛せるでしょうか? 愛そうとしても、どこかその愛も歪んだものになってしまうのではないですか? また最悪の場合、自分を愛せないひとは、人を愛する事もできなく、人に害を加える事もなんとも思わなくなる事もあります。
あなたを苦しめる原因となる犯罪者も、ほかの犯罪者たちも、なぜ犯罪など犯すようになったのでしょう。 彼らはなにかしら、家庭環境や釈迦への不安なりで憎しみ、恨み、悲しみを抱えていなかったでしょうか、このような否定的感情は正しく対処しないと自尊心を破壊することがあります。 心の優しい人は自己嫌悪や、自傷という形になりますが、周りが悪いと考える人ならば、相手を犯罪にまで至らなくとも、小さな形でも攻撃したいとおもうのではないですか。 不平不満や、人の感情を傷付ける言葉、皮肉や批判によってです。
当然のこととして、犯罪の犠牲者の心を無視してはいけませんが、犯罪をおかすも犯さないも、あるいみほんのわずかな差ということを説明したかったんです。 だれしも、一瞬でも誰かが死ぬ事や、不幸になる事を望まなかったでしょうか。
神は、一人一人の境遇、苦しみを理解されている、だからこそ人間には許せないと思えるような犯罪者にも、神は哀れまれ、本心から悔い改めれば許されるチャンスを与えるのです。
人間の永遠の課題である犯罪や、戦争、貧困をなくすにはどうしたらいいか。自分を愛するように人を愛せるかという黄金律である、この教えにかかっていると私は思います。。 だから聖書が神からの書物だと信じているんです。
人から愛され、自分を愛せる人は、犯罪なんか犯しません。また、だれかを犠牲にするような戦争なんかに参加しません。 戦争も、憎しみから報復しようとおもって起こります。許せないから、やり返そうとして、戦争も犯罪も絶対とまらないんです。悪循環の繰り返しです。 貧困も、資本主義なり新自由主義なり、たんなる自分の利益を求めて、貧しい人は自分の責任だという、愛や配慮のない自己愛の固まりのような主義です。 だからといって社会主義がよいわけでもない。
そもそも、人間は人間を支配などできないからです。能力外のことをしているから、不幸があるんです。 子供が政治をしているのとおなじです。 ひょっとすると、大人より、子供の方がまだましかもしれないですが(^^) クリスチャンは神による権威、神による支配をのぞんでいるんです。ただ単に天国にいきたい、救われてよかったというのがキリスト教ではありません。 神の時が満ちたとき、いわゆるキリストの再臨と、 神による支配がもたらされる、そして最後の審判によって公正に裁判が行われること、つまり聖書の預言も信じているんです。 信仰が理解できない人には狂っていると思うかもしれせんが、ユダヤ教でも、イスラム教でも、復活があって最後の審判があることは信じられてます。
>確かに、負の感情を持つことで自分の人生にマイナスの影響はあったと思います。 でも、それを「神を信じる心」にすり替えることは、 飽くまでも私にとっては、ですが 「事実を見ないふりをする、なかったことにする」ことと、何ら変わりないのです…。
これも、わかります。多くの苦しみを味わった方がそう感じていると思います。 隠されているような、犯罪や罪もかならず明るみになります。 犯罪を許容したり、なかった事にするのではなくて、それを解決できないものが抱えていても仕方がないので、解決できる方にまかせるんです。 病人が、がんの手術をできないから、医者に任せるのと同じですよ。ガンを持っていると悩んで死ぬまで抱えていても仕方がない事です。 取ればなおるなら、それこそまな板のこいならぬ、手術台にのって取るべきですし、とってもなおらないなら死を受け入れるしかないんです。 余命1年なら、そのあいだ苦悶しながらいきるより、 やり残した事に集中して生きたほうがいいですよね。 ものは考えようです。それは、がんで死ぬ事を無視している訳ではない、 覚悟した上で、そうするわけです。
人間もいつか死にます。 それならじたばたするよりも、死んでも魂を生きながらえされるかたである神が教えてくださった教えにしたがって、愛し、許す事を学ぶ、後のことは神にまかせたほうがいい、それがクリスチャンの生き方です。 日々、自分の思い込みになりがちな、勝手な理解に頼らないで、神様に任せる事の難しさを体感しています。けっして楽な生き方ではありませんが。 こころに平安があります(^^) ちなみにエルサレムとは、平安の町です。
いつも長文失礼します。
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Re: マイナス思考 ( No.13 ) |
- 日時: 2009/05/15 16:31 (dip)
- 名前: 通りすがり
- 訂正です
>彼らはなにかしら、家庭環境や釈迦への不安なりで 釈迦じゃなくて社会です。(^^)
言葉を制するものはいませんね。 舌を制御できる人間はいないともヤコブ書にあります。 ことばで、人を傷つけ、人を自殺や、殺人に追い込む事もあります。 傷つけられた人が、家族や友人に、言葉の暴力を振るう事もあります。 いやされていない心の傷は、また続いてしまいますね。 でも、だからって、傷ついた心、トラウマが絶対なくならない訳ではないです。 あきらめないで。
厳しい言い方ですが、私の昔の状態を含めて、じぶんを傷つた相手に対する憎しみや、傷を風化されたり忘れられたりしないために、苦しみから自分を解放できない事が多いと思います。 解放されたいのに、反対に、憎しみからまたは自分の苦しみが理解してもらえないために、苦しみを受け渡したくないと抵抗するからです。 それが、解放を妨げている事にきずくためにも、カウンセラーなど家族や愛する人に、自分の苦しみをうけわたしてください。
私の場合、家族ではうけきれなかった、それを神様の愛と許しによっていやされました
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