No.0に対する返信 ( No.1 ) |
- 日時: 2015/03/10 17:41 (wind)
- 名前: かゆがも
- > 僕はサークルであまり目立つ人ではありません。普通に話せる友達、先輩、後輩もいますが、人数の多いサークルなので、全員ではないですし、そんなに多くないです。中心的なグループの人は男女関係なく、いつも誰かから話しかけられ話していますが、僕は話せる人としかほとんど話しません。周りに話せる人がいないときは、一人でいたり、どっか話してる所に混ざって話を聞いています。僕と親しくない人は僕もそうなんだと思いますが、お互い無関心な感じが態度に出ていますし、用があるとき以外は話しません。
別に問題ないと思います、あなたは物静かなタイプなのでしょう。 友人とは、多ければよいものでもありませんよ。
> 中心的なグループはサークルでも中核を担っている大きなグループですし、そういう人たちを取り巻く人がたくさんいる中で、限られた人としか話せない自分が凄くダメなやつに思えてくるし、いてもいなくても変わらない空気のような存在に思えてきます。 気にし過ぎではないでしょうか。 サークルで中心になって騒ぐのがそんなに偉いことでしょうか?
>サークルに入って3年で楽しいことも沢山ありましたが、常にそのことが頭の片隅にあって、いつも反省してしまいます。このままの自分をいいと思えないけど、うまくやれない自分がいます。 あなたは別の道徳的に悪いことをしているわけではありません、堂々としていてください。 ただ、賑やかな中心グループがちょっと羨ましくなっただけでは。
> こういう人間をどう思うか? 全然問題ないと思います。
> もう四年になってしまいますし、今さらなのですが、今後どうしていくべきなのか?変わるべきなのか、変わらなくていいのか? あなたは学生さんでまだ若く、人生の指針となるような自分の人生哲学やポリシーを持ってないのでは。 自分の人生哲学やポリシーを持っていれば、どのような問題に出会おうと、それに従うまでですよ。 私も人生に悩んだ時、自分の頭では上手く行かないので、過去の聖人・賢者に学ぼうと図書館や本屋に通ってたことがあります。 以下の三冊は私のお勧めです。
ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫) プラトン (著), 久保 勉 (翻訳) 老子 (講談社学術文庫)金谷 治 (著) 仏教は心の科学 (宝島社文庫) アルボムッレ・スマナサーラ (著)
ソクラテスの「無知の知」や老子の「少欲知足」は大変感銘を受けました。 仏教も良い言葉が沢山あります。
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Re: 皆さんの意見をお聞きしたいです ( No.2 ) |
- 日時: 2015/03/10 18:02 (ocn)
- 名前: がんでぃ
- 気にし過ぎることで、今のぎくしゃくに拍車がかかることもある。
中核のグループのように分け隔てなく接することが出来るようになりたいという気持ちがあるのはとても大切な事。
ご自身でも分かっていることとは思うが、自分で踏み出さなきゃならん場面だが、踏み出しきれずどこか周りからの働きかけを期待し待っている部分があるのではなかろうか?
変わらなければ今の苦しみは続き、より一層転機を逃すことになるだろう。 変わろうと動いても思うようにいかなければ、またそれも歯止めの要因と成り得るという性質ではないかな? すぐにでもきっかけとなりそうなのは、「混ざって話を聞いているがお互い無関心さが顕著」この場面ではないかと思う。 関心なんてものは初めはなくとも、後から湧いてくることだってある。 俄かな足の突っ込み方でもいいから、少し予備知識蓄えて聞き入ってみる姿勢に変えてゆくことは出来るんじゃないかな?
何事もいきなりは変われない。ほんの少しずつの変化の積み重ねで、交流の広げ方を実感していくことが、様々な場面で活かされる経験を生むことになる。
ストレスにならん程度に心掛けてみてはどうかな? あなたのような考え方を持つ人は応援したくなりますよ、あと一歩だよ、と。
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No.1に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2015/03/11 09:40 (spmode)
- 名前: 龍
- > 別に問題ないと思います、あなたは物静かなタイプなのでしょう。
> 友人とは、多ければよいものでもありませんよ。 > > 気にし過ぎではないでしょうか。 > サークルで中心になって騒ぐのがそんなに偉いことでしょうか? >
> あなたは別の道徳的に悪いことをしているわけではありません、堂々としていてください。 > ただ、賑やかな中心グループがちょっと羨ましくなっただけでは。 >
確かに賑やかな中心グループが羨ましいです。彼らの周りにはいつも人がいて、彼らはサークルの顔のような存在でいなくてはならない存在になってます。そして、いいキャラだと評されてます。自分が仲良い後輩だって彼らの周りに取り巻きたがりますし…そんな彼らと比較してしまったら、もうとんでもなく惨めな気持ちにもなりますね…だから自然と劣等感が沸いてくるんだと思います。 自分だって彼らに負けてない部分があると思っていますが、それをどうにかアピールすることができないこの性格が歯がゆいです。
だから現状に満足できないのかなって…
> 全然問題ないと思います。 > > あなたは学生さんでまだ若く、人生の指針となるような自分の人生哲学やポリシーを持ってないのでは。 > 自分の人生哲学やポリシーを持っていれば、どのような問題に出会おうと、それに従うまでですよ。 > 私も人生に悩んだ時、自分の頭では上手く行かないので、過去の聖人・賢者に学ぼうと図書館や本屋に通ってたことがあります。 > 以下の三冊は私のお勧めです。 > > ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫) プラトン (著), 久保 勉 (翻訳) > 老子 (講談社学術文庫)金谷 治 (著) > 仏教は心の科学 (宝島社文庫) アルボムッレ・スマナサーラ (著) > > ソクラテスの「無知の知」や老子の「少欲知足」は大変感銘を受けました。 > 仏教も良い言葉が沢山あります。
自分は本当にどうしたらいいのかわからないです。かゆがもさんが自分だったらどうなさりますか?
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No.2に対する返信 ( No.4 ) |
- 日時: 2015/03/11 09:53 (spmode)
- 名前: 龍
- > 気にし過ぎることで、今のぎくしゃくに拍車がかかることもある。
> > 中核のグループのように分け隔てなく接することが出来るようになりたいという気持ちがあるのはとても大切な事。 > > ご自身でも分かっていることとは思うが、自分で踏み出さなきゃならん場面だが、踏み出しきれずどこか周りからの働きかけを期待し待っている部分があるのではなかろうか?
それを言われますと確かにそういう気持ちもあります。 それはもう今さらだからって気持ちです。思えば入部当初はそんな関係になってるとは思っていなくて、いつか仲良くなるかもしれないぐらいの存在で、それが段々時間が経つにつれて、分かれていってしまったのかなって。そこで今さらこちらがどれだけ話したって、びっくりされるだろうし、そもそももう型にハマってしまっていて、どうにもできません。「あいつは暗いやつだから」「面白くない」「話すこともないし」ってことでも考えてるんじゃないでしょうか? > > 変わらなければ今の苦しみは続き、より一層転機を逃すことになるだろう。 > 変わろうと動いても思うようにいかなければ、またそれも歯止めの要因と成り得るという性質ではないかな? > すぐにでもきっかけとなりそうなのは、「混ざって話を聞いているがお互い無関心さが顕著」この場面ではないかと思う。 > 関心なんてものは初めはなくとも、後から湧いてくることだってある。 > 俄かな足の突っ込み方でもいいから、少し予備知識蓄えて聞き入ってみる姿勢に変えてゆくことは出来るんじゃないかな? > > 何事もいきなりは変われない。ほんの少しずつの変化の積み重ねで、交流の広げ方を実感していくことが、様々な場面で活かされる経験を生むことになる。 > > ストレスにならん程度に心掛けてみてはどうかな? > あなたのような考え方を持つ人は応援したくなりますよ、あと一歩だよ、と。 今の僕に出来ることって今の関係性をどうしたら良しと思えるか、ぐらいしかないような気がするんです。「こんな自分」「こんな風になってしまった関係性」そういうものをマイナスにしか捉えられていません。それがストレスになっていますし、辛いものになっています。
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No.4に対する返信 ( No.5 ) |
- 日時: 2015/03/11 12:28 (ocn)
- 名前: がんでぃ
- > > 気にし過ぎることで、今のぎくしゃくに拍車がかかることもある。
> > > > 中核のグループのように分け隔てなく接することが出来るようになりたいという気持ちがあるのはとても大切な事。 > > > > ご自身でも分かっていることとは思うが、自分で踏み出さなきゃならん場面だが、踏み出しきれずどこか周りからの働きかけを期待し待っている部分があるのではなかろうか? > > それを言われますと確かにそういう気持ちもあります。 > それはもう今さらだからって気持ちです。思えば入部当初はそんな関係になってるとは思っていなくて、いつか仲良くなるかもしれないぐらいの存在で、それが段々時間が経つにつれて、分かれていってしまったのかなって。そこで今さらこちらがどれだけ話したって、びっくりされるだろうし、そもそももう型にハマってしまっていて、どうにもできません。「あいつは暗いやつだから」「面白くない」「話すこともないし」ってことでも考えてるんじゃないでしょうか?
そう結論付けて逃げてるだけなら何も変わらん。 意見を、と言いながら、自身の逃げの言い訳言い逃れをつらつら書き連ねるだけなら、何も変わらんし、もう手遅れ諦めな、としか言いようが無くなる。 そう思われてるという想定があるなら、それを壊すだけの何かを考えろ。誰も答えは与えられん。きっかけを踏み台に自分で答えを作るしかない。
> > > > 変わらなければ今の苦しみは続き、より一層転機を逃すことになるだろう。 > > 変わろうと動いても思うようにいかなければ、またそれも歯止めの要因と成り得るという性質ではないかな? > > すぐにでもきっかけとなりそうなのは、「混ざって話を聞いているがお互い無関心さが顕著」この場面ではないかと思う。 > > 関心なんてものは初めはなくとも、後から湧いてくることだってある。 > > 俄かな足の突っ込み方でもいいから、少し予備知識蓄えて聞き入ってみる姿勢に変えてゆくことは出来るんじゃないかな? > > > > 何事もいきなりは変われない。ほんの少しずつの変化の積み重ねで、交流の広げ方を実感していくことが、様々な場面で活かされる経験を生むことになる。 > > > > ストレスにならん程度に心掛けてみてはどうかな? > > あなたのような考え方を持つ人は応援したくなりますよ、あと一歩だよ、と。 > 今の僕に出来ることって今の関係性をどうしたら良しと思えるか、ぐらいしかないような気がするんです。「こんな自分」「こんな風になってしまった関係性」そういうものをマイナスにしか捉えられていません。それがストレスになっていますし、辛いものになっています。
それは出来ることではなく、しないことの言い訳。 出来ないことではなく、しないこと。 出来ないって言葉は実際に行動してみて初めて“出来ない”に行き着くもの。 出来ることはたくさんあるのに、しないんだろ? 何も良しと捉えることは出来んのではないか? それでいて辛いというのならば、自身の安寧のために辞めることしか薦めようがなくなると思うが、如何かな? 周りは貴方の都合に合わせて変わってはくれんぞ?
いきなり自分に無理難題吹っ掛けても出来ない〜しない言い訳の連鎖だろうから、自分を変える事で出来る事から手を付けて行け。 どうせ、とか、〜ないはず、とか、勝手なネガティブな理由は全て切り捨てて物事を捉えてみろ。もう少し見え方が変わってくるはずだから。
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