Re: 教訓を教えてくれる人 ( No.1 ) |
- 日時: 2015/06/17 11:40 (gol)
- 名前: S2
- それが、具体的にどのような「教訓」なのかが分からんので、果たしてそれが「本当に教訓」なのかは疑問ではあるけどな。
それにしたところで、教える&教えられる人間関係でも、友人関係でも、恋人関係でも、やはり「相性がある」というシンプルな理屈だ。
嫌いなモノを食べるように勧められる際でも、それを勧める側の言葉は人間の数だけ幾つもあるわけで、その中で自分に響く言葉(受け入れやすい言葉)と響きにくい言葉(受け入れがたい言葉)とがある。
ようは、「食べなければ作った人や犠牲になった命が可哀相だからね」という言葉に感銘を受けて、嫌いなモノを食おうとする人間もいれば、そんな言葉では全く箸を持とうとすら思わない人間もいるということ。
また、同じその言葉でも、言葉の末尾が「だろ」になるだけで、押し付けがましいと耳を塞ぐ人間もいるし、さらには、聞きたいタイミングに対し、話すタイミングがズレているだけで言葉が響かない場合もある。
なので、結局それら細々とした条件がお互いでマッチしているほど「相性がいい」ということになるし、だからこそ相性の良い相手の言動はすんなりと受け入れやすくなるというわけだ。
ただし、「教訓」という事柄に対して個人的に思うことは、例えその相性が悪くても受取手の気持ち次第で、どのような相手の言葉(言動)も「教訓になり得る」とは思う。
「反面教師」という言葉があるぐらいなので、まるで自分には受け入れがたい言葉や様子を他人から受けても、それを教訓にするのは可能だ。
また、何より数多くの人間の考え方や感じ方を知ることは、自分のなかで各種様々な「思考」を取り込むことになるのだから、それを自分のなかの引き出しの中に蓄えることは人生の財産になる。
つまり、その引き出しの蓄えが豊かであれば、人生の中で直面する様々な事柄に対処する思考パターンを幾つも持ち得ているわけなので、その引き出しから“ふさわしいモノ”を用いれば、およそのことは解決できるようになるわけだ。
というわけで、この引き出しが豊かであるのは、生きて間もない人間よりも経験の長い人間であるほうが勝っているという理屈になるし、その引き出しこそ「知識」ではない、経験から養われる『知恵』というモノになるわけだから、こと教訓に関してだけは、広く物事を観て感じて受け入れたほうがいいと思うぞ。
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Re: 教訓を教えてくれる人 ( No.2 ) |
- 日時: 2015/06/17 13:26 (au-net)
- 名前: 美代
S2さん ありがとうございます。
人は自分のことを肯定してくれる意見は素直に受け止めるのに、 否定形で意見を返されると、受け入れ難く感じる… 言葉の表現や言い方ひとつで感じ方は変わるもの…
今までの自分は自分にとって都合の良い情報のみ取り入れていたかもしれません。
どううまく自分の中へそれらを取り入れていくか鬼門にあります。 感情なくして、言葉を言葉として受け止めたらどんな言い方されても素直でいれるかもと最近思います。 様々な教訓があるのだと学ばされました。
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No.2に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2015/06/17 15:41 (gol)
- 名前: S2
- > 感情なくして、言葉を言葉として受け止めたらどんな言い方されても素直でいれるかもと最近思います。
まあ、実際その通りで、感情なくせばどんな言葉も素直に平然と受け止められる。 がしかし、それが出来るのは神様かロボットくらいしかいない。人間には到底ムリな話しになる。それ出来る人間いるとすれば逆に白痴のアホだ。
そして「じゃあどうすれば?」てことになるが答えは簡単だ。 相手のどんな言葉でも、相手のどんな行動でも、そこに「必要性」を感じて聞くだけでいい。
相手の言動に対し、そこで腹が立っても、悔しくなっても、悲しくなっても、その全てに「必要なモノだ」という概念さえ心のどこかにあれば、感情が乱された後でも冷静になって言葉を振り返ることが出来る。
したがって、感情を殺せばいいのではなく、むしろ最初は自分の感情で言葉をとらえ「自分がどういう気分になったか」も含めて、相手の言葉と自分の様子を冷静に振り返るほうがいい。
そうすれば、教訓を得ることはもちろん、それで得た教訓を他人に伝えるときに、「どういう言い方が相手にふさわしいのか」という新たな引き出しも蓄積されていくのだから。平たく言えば「2倍お得」っていうやつだ。
また、聞いてる時に、怒りや“ふてくされ”といった不遜な態度を相手に見せてしまったとしても、後から「すいません」と謝れば済む話だしな。
嫌いな食い物を食うときは誰だってマズいと感じるだろうし、イヤだし、不快な心情になるわけだ。人間なんだからそうなって当たり前。
しかし、必要性を感じていながらマズい物を食うときは、食った後に「これでよし」と納得がいくものだ。
言喭としては誤用になるが「良薬は口に苦し」みたいなもんだな。 「薬だ」という必要性を自分で垣間みていれば、苦い薬でも「クソマズい!」と言いながらでも飲めるだろ。それとまるで同じ。
きみは読解力もあって賢こそうだから、ま、すんなり出来るハズだろ。 難しく考えすぎると真理を損ねるぞ。 そういや釈迦もそういうこと言ってたし、俺も実経験からまさしくそう思うわ。
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Re: 教訓を教えてくれる人 ( No.4 ) |
- 日時: 2015/06/19 21:49 (au-net)
- 名前: 美代
S2さん返信ありがとうございました。
良薬は口に苦し…奥深いことわざだと私もおもいます。 人生の辛いことはまさに、後に自分の力になって活きる…
様々な出会いを経て、思考を増やしていくこと これから自分の出来る限り学べることは学んでいきたいとおもっています。
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