Re: 幸せ ( No.1 ) |
- 日時: 2011/08/10 07:07 (plala)
- 名前: かゆがも
- >死の先には何もないと、私は思います。
これはあなたの期待であり、想像です。 なぜなら、誰も死んだことはないので死後のことが分からないんです。 よって死んで苦しみから解放されるのかは分かりません。
>まだ自分が生きてることに ? 生きてる意味が分かってる人はほとんどいません、でも生きてます。 野球のイチローは野球に人生を賭けていると思います。 アメリカのオバマ大統領はアメリカを良くすることに人生を賭けてると思います。 でもイチローもオバマ大統領も本当に生きている意味を知っているわけではありません、 自分で道を選んでるだけです。 もしかしたら「生きる意味」というのは人智を超えた、答えのない問題なのかもしれません。
>元気なときもいつも心が不安で、実際生きることが嫌なのだとわかりました。 人はもともと不安定で、儚くて、脆い、存在なんです。 よく考えてみたら、私達人間は3分も息を止めたり、2〜3日水分を取らなかったり、それだけで簡単に死んでしまうような存在です。 ですから、人が何にも理由がないのに不安になったり、悲しくなったりすることはあり得ます。 しかし、どんな不安や悲しみも永遠に続く感情というものはありません、必ず過ぎ去ります。 なぜなら人は不安定だからです。 不安や悲しみも一時的なものなんです。
>彼もいて、大好きで 幸せなはずなのに! >彼に出会えて本当に良かったと思うのに、 死が生の苦しみからの開放かどうか分からないのですから、 生きている間に幸せになることに注力してはどうでしょうか。 どうしたら、自分が、彼が、幸せになるか、そこに意識を集中させます。 それこそ真剣にです。 もう、過去の後悔も、未来の不安も頭に浮かばないぐらい、幸せになることに集中してください。
>幸せは長く続くはずがない。 放っておいたら確かにそうだと思います。 ですから、長持ちするように努力するのはどうでしょう。 どうすれば彼が喜ぶか、自分が幸せになるか、実践してみてください。
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幸せ ( No.2 ) |
- 日時: 2011/08/10 10:04 (docomo)
- 名前: ちょこ
- 死んだ後がどうであれ、人はいづれ死にますよね。だったら早くてもいいかなと考えました。
今、生きる道を探し中の人は、いつも死と隣り合わせなのでしょうか。
幸せになりたくて、一度は諦めた大学受験の勉強を始めました。もともと最初はそこで躓いたので、そこを乗り越えると解決の糸口が見えるのではないかと考えたからです。両親に相談して、宅浪ですが 限りなく合格できる力をつけようと考えました。勉強して、そしていま合格が見えています。
そしたら、何故か最近悲しくなって夜ずっと泣いてるし、頭は痛くて重いし、心臓がどきどきして息が苦しいです。 このように心に余裕があっても、時期(波)がくれば状況の良し悪しに関係なく全てが駄目になってしまいます。
幸せを長続きさせる努力は元気なときはいろいろ活動してしてきました。 バイトも面接をたくさん受けて、仕事も短期間ではありましたが(勉強のため)頑張りました。彼とは、家に来るときはご飯をつくって待っていて、もっと仲良くなれるように家事も楽しく頑張りました。勉強も一日10時間はしています。ちょっと少ないですが、現役のとき休日は17時間やって倒れたので、とにかく今回は心に余裕をもってやろうと思いました。
でも 時期がくれば駄目なんです。その結果受験に失敗したら立ち直れません。立ち直れないのはあくまで二次的なもので、意味のわからない波が大変不安です。
もう4年もこうゆう波の繰り返しで、閉鎖病棟の長期入院も何回かしました。 かゆがもさんは、人は普通不安定だとおっしゃいますが、私は波が激しすぎて 疲れました。 繰り返すうちに段々希望も持てなくなりました。
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Re: 幸せ ( No.3 ) |
- 日時: 2011/08/10 13:06 (wind)
- 名前: かゆがも
- >死んだ後がどうであれ、人はいづれ死にますよね。だったら早くてもいいかなと考えました。
仰るとおり、人はいずれ死にます。 しかし、死後が天国・地獄かなのか、輪廻転生なのか、虚無なのか、我々にはわかりませんよね。 でも対策はあるんです。
>今、生きる道を探し中の人は、いつも死と隣り合わせなのでしょうか。 誰でも死とは隣り合わせです。 ただ世間一般では人は死と向き合うことを忌避する傾向があります。 本当はいつも「自分はいつか死ぬ身である」ことを自覚して生きたほうがいいと思います。 そしたらくだらない争いとかはほとんどなくなるはずなんですが。
>幸せになりたくて、一度は諦めた大学受験の勉強を始めました。 >幸せを長続きさせる努力は元気なときはいろいろ活動してしてきました。 >バイトも面接をたくさん受けて、仕事も短期間ではありましたが(勉強のため)頑張りました。 >彼とは、家に来るときはご飯をつくって待っていて、もっと仲良くなれるように家事も楽しく頑張りました。 >勉強も一日10時間はしています。 努力はすでに結構されているんですね。
>現役のとき休日は17時間やって倒れたので、とにかく今回は心に余裕をもってやろうと思いました。 そうですね、17時間は無理があると思います。
>心に余裕があっても、時期(波)がくれば状況の良し悪しに関係なく全てが駄目になってしまいます。 >でも 時期がくれば駄目なんです。 >その結果受験に失敗したら立ち直れません。 >立ち直れないのはあくまで二次的なもので、意味のわからない波が大変不安です。 かゆがもさんは、人は普通不安定だとおっしゃいますが、私は波が激しすぎて 疲れました。 確かに人には誰にでも感情の波があります、激しい人も、小さい人もいます。 しかし、感情の波が大きくて、社会生活や、学校生活に支障をきたすほど激しいときは病気として治療の対象になります。
私の勝手なちょこさんのコメントを読んだ上での感想を述べさせていただきます。 ちょこさんは既に幸せになるための努力をけっこうなさってます、しかし、根をつめすぎているような印象を受けました。 もちろん、自分が幸せになるために、勉強やバイト、彼と仲良くすることは大切で、素晴らしいことです。 しかし、もっと肩の力を抜いて、気楽に努力されてはどうでしょうか。 目標を達するために努力することはもちろん大切です。 でも、努力は必ず報われるとは限りません。 かといって努力せずに目標が達せられることはない、我々には選択肢がコレしかないんです。 ですから、「できるだけのことはやった、最善を尽くした、コレでダメならあとは野となれ山となれ!」 という一種の諦念を持ってはどうでしょう。 勉強も、恋愛も、最善を尽くしたら、あとは放っておく。 自分が最善の努力を尽くしたら、失敗しても仕方がないんですよ。 だって人間、最善を尽くす以上のことはできないんですから。
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幸せ ( No.4 ) |
- 日時: 2011/08/10 23:07 (docomo)
- 名前: ちょこ
- 対策とは…死の先がどうなっても後悔しないように生きることや、そのようなことを考え続けることとかですか?
いつかは死ぬと考えてれば、確かに無駄な争いは無くなりますね。ただ、いつも死と向かい合っていたら、ちょっと生きづらいかも…考えない人の方が寧ろ力強く くよくよせず生きれて 得な感じがします。でも、そう考えるのは、私がまだ自分の生きる道がわかっていない・中途半端にしか死を悟っていないからなのかな…
心の波は、さすがに様子が変なので精神科に通院しています。今日、緊急で診察を入れてもらって薬をもらいました。今眠いのですが、効いてくるといいです。病名は境界性人格障害というものです。
努力は報われないことがあるということ、忘れてました。報われないことがあると考えると切ないです。ただ私は運動が得意なので部活のことを考えれば これもしかりですね。
気楽に努力できたら本当に良いです。ここで初めに書いた悩みとリンクさせると、何か駄目になったら 気分が激しく落ち込んで自殺したくなるんです。生きる意味がないから、希望が無くなればやっぱり生きてる意味ないなと思ってしまいます。だからもう必死です。一つも駄目にならないようにしないと死が迫って来るような感じです。根詰めて努力しているように見えるのは、そうゆう理由からです。まぁもともとプライドが異常に高いのもあると思いますが。
もっと気楽に努力できるように意識を変えなくてはいけないですね。
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Re: 幸せ ( No.5 ) |
- 日時: 2011/08/11 08:30 (wind)
- 名前: かゆがも
- >いつかは死ぬと考えてれば、確かに無駄な争いは無くなりますね。
そう思います。
>ただ、いつも死と向かい合っていたら、ちょっと生きづらいかも… >考えない人の方が寧ろ力強く くよくよせず生きれて 得な感じがします。 そうでしょうか、死を意識している方が冷静に対処できると思います。
>でも、そう考えるのは、私がまだ自分の生きる道がわかっていない・中途半端にしか死を悟っていないからなのかな… 死については徐々に考えればよろしいと思います。
>境界性人格障害 これはお医者様の領分ですね、お大事にして下さい。 私にできるのはコレまで年を重ねるごとに学んだことを示すぐらいです。
>努力は報われないことがあるということ、忘れてました。 >報われないことがあると考えると切ないです。 確かに報われないことは誰だって嫌でしょう。 でも事実は否定できないんですよ、受け入れるしかないんです。 ですから、人生、努力してダメなら気楽に諦めるのも時に必要だと思います。 そして、自分でできることをして、手に入るものを手に入れればいいと思います。
>ただ私は運動が得意なので部活のことを考えれば これもしかりですね。 スポーツは分かりやすい例ですね。 ボクシングではみんながチャンピンを目指して努力しています。 でも、チャンピオンは常に一人です。 ランキング一位の人だって、二位・三位の人だって、ランキング外の人だって みんな勝つために努力しているのに、チャンピオン以外は皆、敗者です。 そのチャンピオンですら何時かその座を降りることになるんです。
>気楽に努力できたら本当に良いです。 そのように頭の中で繰り返し唱えてみてはどうでしょう。 何かあっても「気楽に、気楽に。」と、脳の一種のトレーニングです。
>何か駄目になったら 気分が激しく落ち込んで自殺したくなるんです。 でも、よく考えたらこの世で駄目にならないもの、壊れないものなんてないんですよ。 例えば恋愛を例えにとります。 出会いはすでに別れの始まりで、出会った時点ですでに何時は別れることは決まっています。 世間では男女が一緒になり、また別れるなんて日常茶飯事です。 そんな当たり前のことが自分に起こっても全然不思議ではありません。 それとも自分だけは決してそんな嫌なことが起こらない特別な存在なのでしょうか、違いますよね。 仮に、一生一緒にすごしても、最後は死が二人を分かちます。 ですから、生きている間ぐらいは一緒に仲良く過ごすのが正解かと思います。 でもそれはもう実践されているんですよね。
>まぁもともとプライドが異常に高いのもあると思いますが。 人は自分が正しい、可愛い、重要である、一番、特別と思い込んでいる生き物です。 このような感情を自我(エゴ)といいます。 エゴは皆持っていますが、このエゴが強いと苦しむことになります。 エゴが強いと自分が間違いを犯したり、失敗することで苦しむことがあります。 なぜなら「正しいはずの、特別なはずの自分が間違うこと・失敗することを許せない」のです。 しかし、エゴは間違っています、だからエゴが強いと苦しいんです。 よくよく考えてみれば本当は、自分は特別ではない、当たり前で、皆と一緒で、間違うこともある、存在です。 いいじゃないですか、ちょっとぐらいミスしても、失敗しない人間なんていませんよ。 それともあなたは失敗など決してない完全無欠のスーパーマンでしょうか、 違いますよね、特別ではない、当たり前で、皆と一緒で、間違うこともある普通の人間です。
>もっと気楽に努力できるように意識を変えなくてはいけないですね。 そうですね、是非意識改革をして下さい、頑張って。
>対策とは… >死の先がどうなっても後悔しないように生きることや、そのようなことを考え続けることとかですか? 大体あってます。もう少し詳述しますね。
死後どうなるかは分かりませんし。 ですが死後の考え方をまとめると以下の三つになります。
キリスト教やイスラム教では死後、天国や地獄に行くと説いてます。 仏教やヒンズー教では死後、他の生命に輪廻転生すると説いてます。 一部の科学者・物質主義者は死後はない、虚無である、と説いてます。
(最近は三番目の虚無が人気だと思いますが、科学者がよく間違いをするのはご存知の通りでとても信頼できません。)
死後のことは分かりませんが、どのように生きたら良いかは分かります。
それは「悪いことをやめ、善いことをすること」です。
もし、そのように生きていくのであれば、 死後、天国・地獄であれば天国行きですばらしいことですし、 死後、輪廻転生であればより高次の生命に生まれてありがたいことですし、 死後がないのであれば生きている間、周囲の人から信頼されて生きれるでしょう。 死後は分かりませんが、やるべきことは実は変わらないんですよ。
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