Re: 喧嘩や虐め無くなる日 ( No.1 ) |
- 日時: 2017/04/06 23:52 (dip0)
- 名前: きき
- 残念ながら喧嘩。いじめ、争いが
<今の世の中>からなくなることはないでしょう。。 人は利己的な傾向がありますし、 良心が強い人もいますが、麻痺している人も います。
ただ、身近なところから、小さな争いが生じないように、予防をしたり、小さな協力はできるかもしれませんね。
確か教会を作りたいと 言ってた方ですよね。 クリスチャンなのですか? 聖書のマタイ書にも 平和をつくり出す人たちは、さいわいである、 彼らは神の子と呼ばれるであろう。とありますね^^
フランシスコの平和の祈りにも ヒントがあるでしょうね。
<主よ、わたしを平和の器とならせてください。 憎しみがあるところに愛を、争いがあるところに赦しを、 分裂があるところに一致を、 疑いのあるところに信仰を、誤りがあるところに真理を、 絶望があるところに希望を、闇あるところに光を、 悲しみあるところに喜びを。 ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。 理解されるよりも理解する者に、 愛されるよりも愛する者に。 それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、 許すことによって赦され、 自分のからだをささげて死ぬことによって とこしえの命を得ることができるからです>
愛、愛による赦し、一致、信仰(信頼) 自分への愛や尊重、人への愛や尊重を 家庭でも学校でも育てていけることを 願います。家庭内で不安がある人もたくさん いますから、学校や地域社会、教会でも 子供を見守り、サポートしていく必要があるでしょう。
いじめに関しては、フィンランドの 対策でKiVaというのがあります。 傍観者(いじめをしてない人、いじめを見てる人)がどのように振る舞うかについても、小学校の時から 授業などにも取り入れて(ホームルームなど) 話し合うことも必要ですね。
他人事ではなくて、人の苦しみに対して 思いやる心、想像力、協力する気持ちを 育てることも大事ですね。 それも自分一人でなんとかするのではなくて 周りの人と協力する、大人の助けを得ることが 重要なのだと思います。
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Re: 喧嘩や虐め無くなる日 ( No.2 ) |
- 日時: 2017/04/06 23:52 (softbank060097082090.bbtec.net)
- 名前: ネオネオ
- まぁ、来ないでしょうね。と、いうか自体はどんどん悪くなってきていますよね?そもそも、
国や土地などで決めてしまった →人間的欲望{強欲}=さらに領地を広げたがる=endless という感じです。ですが、これは現実では成り立たないです。何処かで、決めなければ人類がバラバラになりますし、人間が力を求めるのは必然です。
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Re: 喧嘩や虐め無くなる日 ( No.3 ) |
- 日時: 2017/04/07 00:59 (openmobile)
- 名前: ある力
- そうですよね返信
ありがとうございます 無くならないと言うのは悲しいです
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Re: 喧嘩や虐め無くなる日 ( No.4 ) |
- 日時: 2017/04/07 07:49 (ocn)
- 名前: 泥魚
- 本来の意味とは異なる言葉ですが
上を見て生き、下を見て暮らせ
ということだと自分は思います
喧嘩やイジメ(全てが絶対悪だとは思わない)は人間の根幹的な心理メカニズムに基づいて起こっていることなので
はい、明日から喧嘩やイジメは無しにしましょう
ということはあまりにも非現実的な話ですが
5年後までにこの学区内での喧嘩・イジメ発生率を前年度の50%までに抑えましょう
となれば、今から何をしなければならないのかが少し見えてくるような気がしませんか
大いなる目的と対峙し打ちのめされそうになってしまったら
まずはそこに達するために必要な目標を掲げ、歩みを止めないことです
世界中でノーベル賞級の発見や変革をもたらしてきた人物達はみな、例外なくこの作業をしてきたと思います
喧嘩やイジメを無くすというのはこういた次元の話ですよね 指をくわえてただ傍観しているだけでは何も変わりません
自分はできると思いますよ
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Re: 喧嘩や虐め無くなる日 ( No.5 ) |
- 日時: 2017/04/07 10:41 (plala)
- 名前: ポイント
- あくまでも私の意見ですが、喧嘩や虐めの線引きは難しいし、全ての人が平等な共産的な社会になると、退廃につながると思います。
スポーツの試合は一種の喧嘩ですし、相手を困らせてやっつける虐めと言えなくはありません。
「相手に悲しい思いをさせないように」と、一時期幼稚園の運動会の駆けっこで一位とかビリとか分けないようにしたこともあったようですが、やはりそれでは面白くないし努力もしなくなります。
どんな仕事をしても、能力があろうがなかろうが、頑張ってもサボっても、給料も生活水準も同じならば、喧嘩も虐めも減少すると思われますが、かなりつまらなくて虚しい生き方になります。
なので私は「平和な世界は、つまらない世界」だと思いますし、ある意味ではそういうつまらない虚しい世界が嫌で、人々は争い戦いながら生きることを選択しているように思います。
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Re: 喧嘩や虐め無くなる日 ( No.6 ) |
- 日時: 2017/04/07 11:42 (odn)
- 名前: いしまる
- この世界に虐めや喧嘩が無くなる日は・・はっきり言ってきません。
虐めや争いなど、相手が自分に対してなんらかの利害対立や、敵意を持つからこそ起こると思いがちです・・しかし虐めや争い、戦争すること自体が人間の本性だから、特別な原因がなくても、これらは起こってしまいます。
人間の長い歴史を振り返っても、まだ、国家というものが形成されておらず部族同士、村同士といった小さな単位でも争いをし、殺し合いをしていました。
戦わなければ殺される状況なので、自分の身を守るには、集団で武器を持って戦うしかなかったのです。
現代では、法の支配が確立されているので、武器を持たずに無防備でいられますが・・思想的な暴力をもった個人や、主義や思想教育の団体、そして、宗教の名を借りた組織(特に創価学会のことです)などが、個人への攻撃や虐めを日常的に行なっているのが現実ですね。
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