Re: キキさんにリクエストです。すみません。 ( No.1 ) |
- 日時: 2017/05/31 15:37 (eonet)
- 名前: yamaneko
- 失礼ですが、「罪になる」としたら「離婚」を思いとどまるという選択はお出来になるのでしょうか?
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No.0に対する返信 ( No.2 ) |
- 日時: 2017/05/31 15:53 (dip0)
- 名前: キキ
- 初めまして
ご夫婦ともクリスチャンなのですね。 (ご結婚前からですか? 結婚されてからでしょうか。)
153匹の魚さんは定年前ということですので 私は、若輩者ですので(40歳です) 恐縮なのですが、一番いいのは神様にお祈りしつつ、聖霊とともに聖書を読み、 牧師さんなどに相談された上で、最終的に ご夫婦で話し合われてください。
罪というのは<的外れ>という意味合いが ありますね。 そして、神様から離れる事(不従順、反抗) も罪と言えます。
人間的な判断で、良い(悪くない)と思う判断でも 的外れの良い事ということもありますよね。 <自分中心、この世中心>になってしまって 神様抜きで生きていた事と、(過去、現在の) 罪を悔い改めて、クリスチャンになられているかと思います。
この世の基準では罪とされないことでも、 神様の視点から見れば罪であることもあります。 離婚、姦淫、淫行。。。心の中で思っても 罪ですから^^ 罪を犯さない人は いないでしょう。
簡単に言えば、離婚は罪ですよね。。
神様の勧めに従うか従わないかは、それぞれが 嫌々ではなくて、自主的に決めることです。 義務的に神様の教えを守るのではなくて、 自発的に、そうする方が長い目で見て 幸せであり、平安があると納得されれば 従うのも良いでしょう。
今は、モーセやイエス様の時代とは違って 女性の社会進出もあり、社会保障もあるので クリスチャンでない方でも、暴力や借金など、大きな問題がある場合は離婚や別居という 選択肢を選ぶ事が可能であると思います。 (逃れ道として、制度があるのは良いことです)
社会的に、この世の制度や、経済的な支えや守りが あるから、離婚が<可能>である。 これは、結婚生活で苦しんでいる人には ありがたいことです。 しかし、反対に言えば、この世の基準で (短期間の見方では)良いと思うことでも、 長期的な視点、神様との関係という側面では よくない部分もあります。
神様の守りや、神様の意向(自分の心と思いが神中心)ではなくて、この世の守りの方に頼ったり、左右されて自分の人生の大事なことを、決定してしまう。 (自分の感情とこの世中心)ということに なってしまうことがあると思います。
この世的には、悪でも罪でもないですし、 その人の自由だと言われていることです。^^ しかし、それは神様を愛し、頼る(信頼する) という生き方から離れてしまうという 危険性もあります。
あなたが何を中心にして生きたいのか。 何を優先するのか、どのように生きたいのか。 とも言えます。
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Re: キキさんにリクエストです。すみません。 ( No.3 ) |
- 日時: 2017/05/31 19:48 (ocn)
- 名前: 153匹のさかな
- 初めまして。
ご意見ありがとうございます。
罪であれば思い留まるのか これに関しましては、私の定年を機に妻は計画しており、私の意志では最早どうすることも出来ません。 離婚回避への話し合いですが、息子が独り立ちをした時期から続いています。 私は一体となったものを割くことは望まず、会話は無くとも離婚はしたくありませんでした。 そして年月が流れ、不覚にもこの歳の私に好きと思える方が現れました。 であれば、妻の望み通りに離婚と思いましたが、長年連れ添った妻、クリスチャン生活も長かったため躊躇しました。 所謂、裏切りに当たる身勝手な考えでした。 妻に限らず、相手を裏切る訳ですから罪に当たるのではないかと悩み始めました。
確かに、人間が考えるとする善悪の基準が、神様の基準に当てはまるとは限りないこと、 そして私たちは神の肢体に過ぎませんから、何を行うにしても御心に叶う言動を取らなければいけないことも承知しております。 神は愛です。 やはり離婚は罪なのでしょうね。 もう一度とは言わずに、修復に向けた話し合いを試みたいと思います。
本日は突然の呼び掛けに対し、ご迷惑をお掛け致しました。 貴重なご意見を頂きながらも、自己完結に至りまして申し訳ありません。 経過次第では幾度此方にお世話になるのかもしれません。 感謝いたします。 ありがとうございます。
また、私への意見はここ数日間は受け付けております。 忌憚のない厳しいお言葉でも結構ですので、宜しくお願い致します。
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Re: キキさんにリクエストです。すみません。 ( No.5 ) |
- 日時: 2017/05/31 20:36 (eonet)
- 名前: yamaneko
- 再び 失礼いたします。
私は無知な クリスチャンです。幼児教育に始まり 20歳で洗礼を受けました。
が、「聖書」は難解ですし、信徒さんはしばしば 俗人的でして 教会を離れております。
外国の話題では「カトリック」の戒律は厳しいようですが、私の場合は プロテスタントですから「結婚」も「離婚」も 観たり聞いたりしています。
始めの 文章では経過がわかりませんでしたが、相手の希望でしたら「離婚」に問題は無いと考えます。
無理に「信教」を守ることより、人間的に生きられることが 大切ではないでしょうか?
それが「罪」と言われるのでしたら「信教」を捨てれば良いと思います。
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No.3に対する返信 ( No.6 ) |
- 日時: 2017/05/31 20:41 (dip0)
- 名前: キキ
- 153匹のさかなさん
奥様が離婚を計画をされているということですね。 できれば、あなたは離婚を回避されたいと 思っていたのですね。 息子さんが独り立ちをされたので、奥様は離婚を 考えられたのですね。 息子さんは、そのことをご存知なのでしょうか?
会話がないのは、辛いことだと思います。 しかし、会話をしたいと思っても、 あなたの一方的な願望だけでは、どうにもならないこともありますね。
夫婦の会話がなくなったため、他の女性に関心が出てしまい、好きな方ができたのですね。 その方はクリスチャンで独身の方でしょうか? 相手の方も、あなたに好意があるのでしょうか。
夫婦の信頼関係が、修復不可能である場合、 歩み寄りや話愛を奥様が頑なに望まないのであれば。 難しいですよね。
特に過去に大きな問題があったのではなくて すれ違いが続いて、収拾がつかない状態に なっているということでしょうか。
夫婦同士でよく話し合えればいいのですが、 どうしても平行線になる場合は、奥様にも相談をした上で、牧師や牧師夫人、または信頼出来る先輩のご夫婦(クリスチャン夫婦)に相談をしたり、意見を聞いてみないかと持ちかけられるのも、良いと思います。
奥様はすでに、牧師さんや姉妹などに 相談はされていますか。。 それとも一人で抱えて<我慢>して、別れると 決めているのでしょうか。 愛ある忍耐よりも、自分の肉(精神力)に頼った我慢をしてしまう 傾向がクリスチャンでも(意思表示や話し合いが苦手な)日本人の方には 多いですよね。 霊によって生まれて、新生したはずなのに、 肉の方法(古い方法や考え)を続けて しまうことがあります。 礼拝には、夫婦で同じ教会に行かれているのですか。
離婚を防げれば、それでいいという ことではなくて、信頼関係を修復すること、 愛を立て直せるかが問題ですよね。
罪を犯さないこと、教えを守ることだけが目的ではなくて 神様との信頼関係と、愛ある関係を築くこと 自分の中の愛を育てることによって、 結果的に、罪を避けられることが大事です。
罪や律法の奴隷ではなくて、私たちは神様の子供であり 義の奴隷となっていますからね。(ローマ書6〜8章)
コリント第一 10章2節 すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。すべてのことは許されている。しかし、すべてのことが人の徳を高めるのではない。
離婚することが、本当に、奥様の 悩みや不安を解消する手段となるのかどうか。 あなたも離婚して、好きな方とお付き合いをして 再婚をされることが幸せなのか。。 今一度、話し合い、考えてみてくださいね。
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No.4に対する返信 ( No.7 ) |
- 日時: 2017/05/31 21:40 (dion)
- 名前: 153匹のさかな
- ななこさま
初めまして。
その様な思想もあれば良いと何度も思ったことか。 ご紹介して頂いた歌についてですが、申し訳ありません。 貴女様の親切なお心遣いには感謝いたします。 ですが、私は聖歌讃美歌以外にはご興味ございません。 これもまた私のポリシーと言うものです故、お気を悪くなさらないでくださいね。 このお気持ちだけで救われました。 ありがとうございます。
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No.5に対する返信 ( No.8 ) |
- 日時: 2017/05/31 21:42 (dion)
- 名前: 153匹のさかな
- yamanekoさま
お言葉ありがとうございます。
貴女様も同じプロテスタントのクリスチャンですか、嬉しく思います。 そうですね、聖書は難解であり自己解読には危険を伴いますよね。 私も何度も読み返ししておりますが、未だに辻褄が合わなく理解できない箇所が多々あります。 ですが、こればかりは神にお聞きする手立てしかありません。
カトリックでは離婚に対し厳しいと聞いております。 そんな離婚の話しですが、全てのクリスチャンの半数は離婚しているという嘆かわしいのが実状です。 それに私が加わるのかと思うと情けないことでありますが、とは言うものの、伴侶である妻の希望でも思え返し寄りを戻したいと願っております。
僭越ながら申し上げます。 信教についてですが、これは私の持論に過ぎませんが 基督教も信教も、私には意味の無いことだと思っております。 傍から見れば信教に見えて当然ではありますが、私が第一と向き合っているものは形ではなく神なのです。 であるからして、捨てる事や続けることには何ら感じておらず、罪自体と結び付けたくはないのです。
ご心配して頂いたにもかかわらず、ご無礼な発言、お許しください。 ありがとうございました。
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No.6に対する返信 ( No.9 ) |
- 日時: 2017/05/31 21:46 (dion)
- 名前: 153匹のさかな
- キキさま
度々のお言葉ありがとうございます。
私が好きになってしまった同世代の女性についてですが、ノンクリスチャンです。 また、私に対して好意を抱いており、文通(メールです)するに至る仲です。
修復についてはそうですね、一方的な思いを相手に望んでも理解し難いものには当然の如く拒否されますから。 少しずつ蟠りを解きながら歩み寄りたいと考えております。 また、ノンクリスチャンな息子からは、この想いを話ししたところ、私の人生ですからお好きなようにとのことでした。 家庭を持っている以上、息子には迷惑を掛けたくない思いはあります。
通い慣れた教会の牧師や副牧師、伝道師にもお聞きすることには抵抗を感じており、此処でお話を伺った故です。 確かに多くの信者を抱えている訳ですから、私の悩みに対しても良き助言が得られるのかも入れません。 妻も同じ協会に足を運んでおりますので、面目もありますでしょうから気を遣う訳であり、ご相談も出来ないのです。
第一コリント、そうですね。 全てが益に。 今一度、聖書を読み返し、祈り求めていきます。 ありがとうございます。
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No.9に対する返信 ( No.10 ) |
- 日時: 2017/06/01 04:29 (dip0)
- 名前: きき
- 〜さんでお願いします(恐縮です)
主にある兄弟姉妹の<妹>とお考えください。
お相手はノンクリスチャンの女性なのですね。 実際にお会いしたことがあって、今は 文通(メール)などをしているのですか。 好意もあるとのことですが、 信仰への理解もあるのでしょうか。 (多くの方は、信仰や、聖書について 全くと言って知らないか、誤解している 部分がありますよね。 クリスチャンでも、個人差がありますね。)
恋人、友人としては、信仰の違いがあっても それほど問題にはなりませんが、 家族(親族)となると、違ってきますね。
彼女にはご両親やご兄弟などはいるのでしょうか。 特に、信仰している宗教はないですか。
息子さんは、あなたがたの人生ですので、 任せるという感じなのですね。 時が来て、信仰を育てられると(立ち返られる)と いいですね。
通い慣れた教会の牧師さんなどに 相談するのは、<面目ない>部分や 恥ずかしいと思うお気持ちもわかります。 夫婦間で解決できるのであれば、それがいいですね。
ただ話せる範囲でアドバイスを 望まれるのであれば、相談されるのも いいでしょう。
クリスチャンであっても、<信仰の温度差>が ある場合もありますね。 もしあれば、そのことについて夫婦もしくは 牧師さんや伝道師を交えて話すのも良いかも しれません。
すれ違いを、埋めたくてもどうにもならない 部分もありますね。
離婚は罪といっても、何が何でも 赦されない、というわけではありません。
やむ終えない事情があることもあります。 クリスチャンであっても、神を愛していても 家族を愛したいと願い、離婚を避けたいと思っていても、 罪を犯してしまう事(避けられない事)は、あるものです。
自分の努力や意向だけではどうにもできないもの、 肉の傾向や弱さというものがあります。 ある部分で強くても、ある部分は弱い場合があります。 必ずしも、自分の強い部分で勝負できないことや 通用しないことやもありますよね。
どうにもできない場合、神様が愛と公正を持って 私たちの心、状況をすべて見てくださり、 悔い改めと信仰により、救いと赦しの望みがあるというのは 感謝ですね。(ローマ7)
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Re: キキさんにリクエストです。すみません。 ( No.11 ) |
- 日時: 2017/06/01 13:09 (eonet)
- 名前: yamaneko
- ききさんへ
無知な 私が余計な口出しをして失礼しました。
なかなか 難しいですね?
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Re: キキさんにリクエストです。すみません。 ( No.12 ) |
- 日時: 2017/06/01 17:30 (dip0)
- 名前: キキ
- yamanekoさん
プロテスタント系ということを 知って、親近感を感じました^^ 私もプロテスタント系、自由福音系です。
私も、まだまだわからない部分はたくさん あります。 聖書の解釈も、基本は似ている部分もありますが 部分的に違う部分も、宗派ごとまたは 同じ宗派でも牧師(神学者)によって 違うこともありますね。
聖書理解は、礼拝を聞いたり、ネットで 牧師の説教や解釈を読んだり、伝道師や信徒さんの ブログからも学んだり。。聖書を読み祈ることで、以前よりは深まりました^^
幼稚園の時にプロテスタント系だったので 神様のことは、信じていましたが、 聖書への知識や理解は。。少なかったので、 神様と共に生きる(神との信頼関係)。というより、 神様の存在と、愛と公正さを信じる (神様を信じる)という、 どちらかというと、宗教的?なものでした。
それが変わったのは、教会に行って、 聖書の解釈を得たり、聖霊の働きのことを 知ってからです。^^
聖書は、小学校3〜4年から新約聖書を読んでいて 中学からは旧約聖書も部分的に読んで いましたが。。教会に行ってなかったので、 解説がいないと、わからない部分はたくさん ありました。 (使徒の働きの、フィリポとエチオピアの宦官の行にもあるように、聖書の理解には<案内人>がいると言えます。)
教会に行って、正式に洗礼を受けたのは 大人になってからですので、 正式な(公的な)クリスチャン歴は、あまり長くないですよ。
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Re: キキさんにリクエストです。すみません。 ( No.13 ) |
- 日時: 2017/06/01 19:39 (ocn)
- 名前: 153匹のさかな
- yamanekoさまへ
当然の如く、お気を悪くさせてしまいまして、 大変に申し訳ございません。
議論するつもりは更々ありませんが、忌憚なく、各々の思想も異なることでしょうから、何分ご理解を頂きたく申し上げます。
そうですね、難しいものですよね。 私を含める『人』の考えというのは。 ですが、難しくも難があるが故に有難い。 その言葉、思いに考えさせられるのですから。 yamaneko様、感謝していますよ。
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Re: キキさんにリクエストです。すみません。 ( No.14 ) |
- 日時: 2017/06/01 19:53 (ocn)
- 名前: 153匹のさかな
- キキさんへ
彼女についてですが、兄弟がいると聞いております。 息子も救われるようにとは思うのですが、何分、妻との和解に至っていない状況ですので示しも付かず、何を言っても説得力に欠けるものです。
牧師への相談は難しいことでもありませんが、妻の感情を第一としております。 妻がまだ私と一緒に、教会に来て礼拝を続けていますから、相談したことで妻自身に恥を掻かせたくはありませんので。
私事ではありますが、クリスチャン歴は27年です。 元々は仏教徒であり、中学を上がる前までは熱心的であり、お寺にも通っておりました。 今思うと悔い改める事であり、忘れたい過去でもあります。 蒔いた種も根付く場所も悪ければ、最終的に刈り取るのは自身ですから、悔いのないように向き合って生きたいですね。 失礼いたしました。
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No.14に対する返信 ( No.15 ) |
- 日時: 2017/06/02 16:08 (dip0)
- 名前: キキ
- 153匹のさかなさん
彼女にはご兄弟がいるのですね。 信仰については、彼女だけでなく、家族の 理解も必要なことがありますよね。
できれば(彼女が望むなら。) 三浦綾子氏の、聖書入門の本や、 聖書入門.comなどのサイトで、聖書について学んで いただけると。。いいですね。 求道者にも、信徒の方でも楽しく視聴できます。
聖書と福音 ゴットクエスチョン 牧師の書斎 などもお勧めです。
家族や隣人を愛し協力し合いつつも、信仰に関して、 大切な部分は守る際に、時に不理解や誤解を 生むこともありますので苦労しますよね。
息子さんに関しても、両親ともクリスチャンであることで神様や、聖書の教えに対しては 早く種をまかれていることは<恵み>だと思います。 ただ、人は、恵みの大きさを理解できないことが 多々あります。(特に若い時はそうですよね。^^)
神様の恵み以前に、家族による守りや助けの恵み。。 人は、義務や責任という言葉に置き換えて 感謝するよりも、<当然>当たり前のように 思ってしまうことがあります。
<時>があるとも言いますね。 種まきの例えにもありますが、 種が早く撒かれても、まだ本人が種を受け入れて、 芽を出したり成長する<時期>ではない こともあります。 心。土壌がまだ、耕される必要もあるでしょう。
罪の影響による<高慢、反抗、利己愛>の傾向が あるので、それらの岩や小石を取り除いていき、 時には高慢な思いを砕かれる必要があると思います。
私も、幼少から神様を信じてはいましたが、まだ 心がかたくなな部分があり、自分の知識に 頼ってしまったり、無知ゆえの不安があり 教会に行くのが遅くなってしまい、 信仰が成長するのが遅くなりました。
学生のうちは、家族や周りの人の助けや支えを理解している<つもり>の事も多いものです。 部分的な理解や頭の理解で、心からの理解までに 至ってないことも多いものです。
社会人になり、経済的に自立したり 仕事や結婚を通じて、自分が砕かれることで、 自分の無力さや限界を感じて、 神様の知恵、助けと支えが必要であることを 謙虚に受け入れられることも あると思います。
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Re: ( No.16 ) |
- 日時: 2017/06/02 19:26 (dip0)
- 名前: キキ
- 神様を心から人生に受け入れるには
心を耕すという準備(期間)と時があると思います。
自分が模範的になれない時にでも 完全な手本としてイエス様がいます。 言葉や態度で示すのに、限界があっても 聖霊の働きにより、信仰を持つことができます。 (コリント第一 3章)
心苦しいと思いますが、今は忍耐して待ち、 より一層、主や聖霊の働きに委ねるという時期なのかもしれませんね。 コリント第二 12章7〜10節 私は弱い時にこそ、強い
自分が弱い時、無力な時にこそ主に頼ることができ、自力で何かをする時よりも、強くあることができるものです。
6月4日は ペンテコステ(聖霊降臨日)ですね。 奥様とも、礼拝に出席されるでしょうか。 神様の救い、そしてクリスチャン生活を 送る上での聖霊の働き、助けの恵みについて 思い巡らす機会となることを、 ぜひ今日明日、お祈りしてみてください。
牧師や伝道師に直接的に相談をしなくても、 (できないときは)祈りによって、良いメッセージや助けが得られることもあるかもしれません。 自分の努力(外からの努力)だけでなく、 聖霊の働きという、内側にいる強力な<助けて>に 任されてみてください。
ご自身も、奥様も幸いクリスチャンですから <霊の思いによって>、内側から変えられることを 願い、祈られてみてください。。 そして、話し合いができますように。
27年の長いクリスチャン生活を歩まれる際に、いろいろなご苦労があったかと思います。 私は洗礼を受けて、8年ほどです。
もともとは仏教を信じてらっしゃったのですね。 親の影響(伝統などで)仏教徒、神道、ヒンズー、イスラム教徒、ユダヤ教の方であっても、主を受け入れる方もいますね。 激しい迫害、差別などに遭われている方もいらっしゃいますね。
世界中から人が漁られ、時が満ちてから再臨と新天新地が来ると聖書で預言(約束)されています。 終わりまで耐え忍べますように。
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Re: キキさんにリクエストです。すみません。 ( No.17 ) |
- 日時: 2017/06/02 22:26 (dion)
- 名前: 153匹のさかな
- キキさんへ
こんばんは 多くのお勧め、感謝いたします。 ありがとうございます。 キキさんは、クリスチャン歴とは私は余り申したくありませんが、中々の信仰の持ち主のようですね。 多様な面に於いて知識を取り入れられていますね。関心致します。
種蒔きについては、おっしゃる通り『時』が必要ですね。 また違う意味での『時』がありますよね。 ご存知の伝道の書#3になりますが、自益を優先しては何事も成らず、全ては御心に叶うように求める事が必要。 いくら求めても、それが明日に叶えられるときもあり、十数年後に知らず知らずのうちに叶ったこと。それらは多々ひたすらに祈り求める会話から始まります。 妻、息子にしても、信じて祈り叶えられる希望を見失わないということ。 コリント人への手紙1,2共に私は好みます。 第二コリント#13:4-8 すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。 また、ローマ#5:3-4 忍耐は最終的には希望を生み出すこと。 何事も逃げてはいけないと痛感しております。 やはり、兄弟姉妹(聖徒)の交わりには気付かされること多く救われます。 感謝いたします。
明後日、六月四日は、五十日もあっという間のペンテコステですね。 日々の祈りとは違う何かに期待したくなります。 それがメッセージや出来事がたとえ感じ得られなくとも、ヨブの様に過ごせたらと思います。 長く生かされていると、早く携挙が来ないものかと思う日もあり、洗礼を受けたばかりに、心無いことも言われ辛く苦しい時もありました。 彼らは何をしているか判らずにいますからと責めはしませんが、せめて救われるようにと願うだけでした。 これまた私事ではありますが、洗礼は川で行いました。 洗礼を受けるに当たり、ある牧師の生い立ちを聴いたのが切っ掛けでありました。 もう天に凱旋なさいましたが、メッセージには強さがいつもあり勇気付けられました。 そして通い慣れた教会の牧師に頼み込んだところ、少し驚かれたご様子でしたが引き受けて頂けました。 あの川から上がる瞬間は今も鮮明に忘れられない、喜びです。 それを思うとまだまだ頑張れます。時が満ちるまで。
キキさんは若くもしっかりとしていますね。 主を信頼し祈り求めているからなのでしょう。 詩篇#46-1
すべてに感謝しつつ、これにて失礼いたします。 ありがとうございました。
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No.17に対する返信 ( No.18 ) |
- 日時: 2017/06/05 02:26 (dip0)
- 名前: キキ
- 153匹のさかなさん
からし種のような信仰であっても、 それを成長させてくださる神様と 助けてくださる聖霊に感謝です。
牧師や兄弟姉妹、友人に話せて多少重荷を下ろせることがあっても、主と共に抱えて、何年〜10数年でも対処しなければいけない部分もありますね。 自分の見方では、失望や絶望しかなくても、 主から見たら、希望や手立てがあることもあります。
聖霊に導かれ、祈り、助けと支えを 得られますように。
箴言 14章10 魂の苦しみを知るのは自分の心。
ローマ 8章26節 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます
私も携挙、再臨をまちのぞみつつも、神の時が あり、自分が成長するという課題もあるのだと思い、希望を持って耐えていこうと思います。 そう遠くは無いと思いますが、主の時を待ちたいと思います。
川で洗礼をされたのですね。^^ 尊敬される牧師さんがいらっしゃったのですね。
主は憐れみ深い方なので、 この世で弱く愚かなものを愛してくださいます。
コリント第一 1章もまさにアーメンです。 神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。 (中略) 誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。
時に誤解を受けたり、批判を受けたり 肉の心やプライド(見栄)が傷つくことがありますが、肉のプライド(メッキのような自尊心)が砕かれ、 霊で生まれた自分が、霊の心と、主を賛美し 誇るという、新たな心を形成され、 練りきよめられていたのだと後で理解ができました。
詩篇 119 71節 苦しみにあったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたのおきてを学びました。
ローマ 8章 神を愛する人々、すなわち神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて益として下さることを私たちは知っています
平安がありますように。
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