Re: 末期がん。孫を抱けないまま ( No.1 ) |
- 日時: 2018/03/31 11:46 (au-net)
- 名前: 町内部長
- 親は無くても、子は育つ。
いらぬ心配しないほうがいいよ。
人は何時か死ぬ、それが遅いか早いかの違いなんじゃないかな。
子が結婚するとかしないとかはともかく、 君は後世に血を残した。 それは誇れる事じゃないか。
君も辛いけど、残された方がもっと辛いんだよ。 君が取り乱したりしたら、家族の不安が募るから。
腹を決めるしかないな。
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No.0に対する返信 ( No.2 ) |
- 日時: 2018/03/31 17:37 (au-net)
- 名前: 泡
- 近しい人が59で癌で亡くなりました。
その人は、最後まで自分が癌だと知らず、亡くなる前日まで治ったらどこ行こうかとコンビニで雑誌を買ってで見ていました。
その後、その人の子供たちは結婚したり、子どもができたりしています。
心配しなくても、道は連綿と続いて行くようです。
その人がいたから、できた道。
その人のことを思い出しながら、続いていく道です。
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Re: 末期がん。孫を抱けないまま ( No.3 ) |
- 日時: 2018/03/31 19:39 (fctv)
- 名前: 木嶋
- こんばんは。
このような状況の時に、どんな言葉を選んでいいか正直不安で迷っています。ただ、あなたの不安や様々なお気持ちに比べれば私のそんな思いなど軽いものですから、しっかりとお話しさせていただこうと思います。それに私も同じ50代、いつ死が訪れてもおかしくないけれど、それが今だという事になれば、そんな準備などできるものではないのもよく分かります。本当に早すぎますよね…。
まだ死にたくないなあ
そう、最後に綴っておられますが、おそらく孫の事も含め、やり残した事の多さに仰っているのかなと想像してしまいました。 誰しも、全てをやり終えてから旅立つなど有り得ないとは思いますが、まだまだ死が早すぎるあなたにとっては、残された時間の短さから、特に痛感しておられるのではないでしょうか。
残念ながら、私にはそれは分かりませんが、ただハッキリと言える事は、 あなたが今まで生きてきた中で、あなたが気付いていない、若しくは大して意識をして無いにせよ、あなたに救われ、あなたから勇気や希望を分けてもらえた…あなたに感謝し、あなたのお陰だと思っている人は、きっと一人や二人ではない筈だという事です。
二人のお子さんもそうですが、それ以外にもあなたのお陰で・・・ そう思って生きている方がたくさんいると思います。 それこそが生きてる、または生きていた証だと私は思っています。
先に書かせてもらったように、私にはまだ死の覚悟もなくて、あなたの心境を察するには至りませんが、 どうか、やり遂げられない事ではなく、やり遂げたことや、あなたが居てくれたお陰、または誰かのお陰であなたが生きてこれた… そこに心を合わせてくださいませ。
同年代とは言え、まだまだ若輩者の私はこのような事しかお伝え出来ませんが、もしお気に障るような言い方があれば、先にお詫びしておきます。 ご家族との時をどうぞお大事になさって過ごしていってください。 ご家族の幸せを心より願います。
それでは失礼します。
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Re: 末期がん。孫を抱けないまま ( No.4 ) |
- 日時: 2018/03/31 19:49 (ocn)
- 名前: 泥魚
- 何を言っているのですか
これからが一番楽しい時期でしょう
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Re: 末期がん。孫を抱けないまま ( No.5 ) |
- 日時: 2018/04/01 18:38 (panda-world)
- 名前: ダダダ
- 病気になることは、今までの自分を見つめなおし、成長するチャンスでもあります。
癌細胞はブドウ糖を栄養源として増殖するそうです。 食事等、みなおしてみてはどうでしょうか
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Re: 末期がん。孫を抱けないまま ( No.6 ) |
- 日時: 2018/04/01 21:54 (au-net)
- 名前: 40代の既婚者
- 4年前に心筋梗塞を経験しました。
私の場合、当時は心筋梗塞と思っておりませんでしたので、意識を失う寸前になっても、死を考えておりませんでした。 意識を取り戻すと、手術台で治療されており、医師からは心臓も一時停止していた。と、聞いた時、初めて死にかけたのだと、気づきました。 一ヶ月の入院中、助かった喜びもありましたが、もし死んでいたら?と思うと、妻や息子の生活は?両親、義父母は?若い私が先に逝ったらどうなっていたのか?など、関心がなかった保険の詳細を慌てて妻に確認したこと数年経過しても最近のように覚えております。 40代で、血圧も安定していた為、血栓を取り除くだけの治療だった旨を聞き、暫くは新たな保険加入ができない為、気合い入れ直して仕事に専念しようと無理したのか、数ヶ月後再発してしまい、再手術。 前回の事もあり、前兆が理解できたので、意識が、あるまま手術することになりました。 意識がある中での治療でしたので、恐怖が先行し、死までの時間を医師に問うなど、情けない会話をしていたこと覚えております。 無事手術を終え、病室には中学生になる息子がいたので、今回ばかりは、弱気になってしまい、息子に謝り、万が一のことがあれば、 母さんを守ってくれ!ごめんな!と何度も謝りました。
それからの息子は、逞しく成長してくれて、 驚く成長を見せてくれています。
そんな息子に私は刺激を受け、負けてられない!と意気込み、働きました。 すると、三度目の再発。 慣れたもので、前兆が分かるようになったので、自ら病院に行き、自ら手術台に登りました。成長してくれている息子がいるので、全く手術に恐怖なく、笑って医師と会話しておりました。医師からは、三本の動脈全てにステント入れます?少し時間がかかりますが? と、問われましたが、何でもしてください! と、言ったぐらい恐怖がありませんでした。
大蔵様の死が、家族にどのような影響を与えるのか?は、分かりません。 ですが、最期くらいは弱気な父親でも、いいのではないのでしょうか? 心残りや、悔いを、素直に問われたらどうです?その問いは、家族ならば、きっと答えてくれます。 残り僅かの日々を、辛い痛みだけの苦しみではなく、この痛みがあるから、家族は成長してくれると願い、明日を乗り越えて下さい。
大蔵様の、残りの日々と、御家族の今後の生活が幸せであること、心より願っております。
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