Re: 主人の信心についてです ( No.1 ) |
- 日時: 2011/10/01 22:17 (so-net)
- 名前: ABC
- こんばんわ
似たようなことを経験し、今は、その当時の相手と別れた者としてレスできるか と思いましたので、コメントします。
2世、3世の方というのは、ご両親、祖父母から「信教」というポリシーで育ち、 それに関係する人々に「祝福」され、その人々の中で成長してきたのです。 この経験がある人とない人が、完全に理解し合うことは無理です。
でも、普通に生活はできますよね。 なぜなら、上記で作られた「人格」は、普段控えめにしてます。 ただ、ひとたび、「困難」や「トラブル」などがおきた場合、その顔がでてきます。
ご主人と話しているとき、今、この人は一体、誰の言葉を言っているの? 自分の考え? それとも、植えつけられたセリフ? そんな感じになったことはありませんか? そのときは、その人格がでてきているだけのことです。
しかし、この人格を変えることはできません。 変えようとすると、自分の中で矛盾ができてしまい、ストレスになります。 そのため、この点に関しては諦めましょう。
その人格がでてきたようなら、話をストップし、さっきの話をしないことを前提に 手をつないで散歩に行ってはどうですか。 無言でいいのです。 そうすることで、ご主人が一番大事なことに気づけるようになると思います。
信者の方が言った言葉ですが。ようは 「良いことがあるのは信心のおかげ。悪いことがあるのは信心が足りないから」 この手の言葉は、誰かからいわれた言葉をそのままいっているのですから、 気にしなくていいですよ。
お子さんの件ですが。 悩みますよね・・・ ただ、この悩み。 早急に答えを出さずに保留にしませんか?
gggさんが、今望むものは、ご主人との時間ではないですか? ご主人の立場、必要といわれている行事を一旦、かんがえず、ただ、一緒に お出かけしたり、話をする時間。
それを増やすよう、ご主人と話をしてみたらどうですか?
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Re: 主人の信心についてです ( No.2 ) |
- 日時: 2011/10/02 14:00 (eonet)
- 名前: いもむし
- 学会の人間は寺には行かないでしょう。
それじゃあ、違う宗教になってしまう。 創価学会は、寺とは無関係です。
自分は、宗教団体が嫌いです。 自分はですよ。 信者の方、これを見て怒らないでくださいね。
なのに、自分の家族は宗教家族です。 言い方が悪いですが、おえってなります。 全く理解できない。 何でもかんでも宗教に絡めるなって思います。 洗脳されてんのかって思うんです。 恐いってのも解りますよ。
で、結論ですが。 貴女が信者になるか、お別れするしか方法はないでしょうね。 信者は信者でしかないですから。
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Re: 主人の信心についてです ( No.3 ) |
- 日時: 2011/10/02 14:10 (eonet)
- 名前: いもむし
- 因に、それは、にっけんしゅうというやつらしいです。
創価学会は寺には一切行きませんよ。
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Re: 主人の信心についてです ( No.4 ) |
- 日時: 2011/10/02 14:12 (eonet)
- 名前: いもむし
- なんか色々と勘違いしてましたwwww
すいません。
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Re: 主人の信心についてです ( No.5 ) |
- 日時: 2011/10/02 14:23 (ocn)
- 名前: mike
- 私の母も祖父も創価学会で、元々創価学会も日蓮正宗の門下でしたから同じような感じでしょうね。私も自動的に信者になっていましたが、私は宗教が好きではないので脱会を申し出ました。
信者を増やすための折伏は学会はとても熱心にやっていましたし、創価学会の信者がこれだけ増えたのも折伏の結果でしょう。
宗教の全てを否定するつもりはありませんが、あまりにも形式的になりすぎていると思います。
信者としてはそれで幸せかもしれませんが、周りの関係ない人にとっては苦痛かもしれませんね。
旦那の信仰を理解したうえで結婚したのだから、それは仕方のないことだと思いますよ。いまさら旦那に信仰を止めさせることは難しいですしね。あなたが我慢するしかないでしょう。離婚までいかないことを祈ります。
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宗教組織について ( No.6 ) |
- 日時: 2011/10/02 21:09 (ppp)
- 名前: どんがはちょ
- 法華講と一口にいってもいろいろ組織はありますが・・・
それはともかく、創価学会も立正佼成会も 日蓮正宗もしくは日蓮宗を名乗っていてもそれは看板だけ 宗祖、日蓮大聖人の教え、精神からは大きく逸脱しているのが現状です。 いわゆる、それが「宗教」なのですから 「宗」とは「衆」もしくは「集」に通じ、「大勢」「集団」という意味です。 信心とは本来、自分対信仰対象物(この場合は御本尊ですが)における境地の悟りを目指すもの それは、大聖人自身が生涯一人で修行を積まれたことが何よりの証拠 もちろん、弟子も信者もいましたが、だからといって組織を結成した事はありません。 群れをなして反社会的行動をしたり、大勢で、よってたかって、個々の信心の優劣をなじったり 自分たちの理論を強引に押し付けたりするなんて事もしていません。 すべては現代に出現した宗教組織のなせる業です。 つまり、宗教組織というものは、その存在自体がすでに大聖人仏法から逸脱しているのです。
ご主人に限らず、こういった組織の信者は多かれ少なかれ「洗脳」状態です。 「こういう場合にはこうする」 「こう言われたらこう返す」 その他諸々の、活動する上でのマニュアルがシステマチックに伝承されていきます。 何十年も、ほぼ毎日、顔を見合わせれば同じ事を言い合っているのです。 だから、誰に聞いても、誰がしゃべっても同じ反応、同じ返事しか返ってきません。 そして、異論や異質なものに対しては異常な程に敵対します。 これは、組織内宗教活動においては、「己」「我」が無いに等しいと言ってよいでしょう。 自分の感性で物事を捉え、自分の頭で考え、自分の言葉で話す。という行動は著しく否定されます。 しかし、これはむしろ信者自身にとってもその方が楽であり、そうありたいのです。
例えば、万が一、奇跡的に「洗脳」が解けるような出来事があったとしましょう。 しかし、それを認識したとしても、ほとんどの信者はそこから離れられません。 なぜならば、それは、今までの何十年という自分の人生を否定する事になるからです。 「自分のやってきた事は間違っていた」別なところに「真実」があった。 などという事はとても受け入れられないでしょう。それはとても勇気のいる事ですからね 人生はリセットできません。なかった事にもできませんから 再スタートは何回でもできるのですけどね、 自分を否定したくないから、気がついても結局そこに居続けるのです。 その方が安心で楽だから・・・。
お話の内容から察しますと、貴女はある程度は承知の上で結婚してらっしゃる。 ならば、ご主人のそういった行動も、「そういうものだ」と受け入れるしかないのではないでしょうか それこそ、信心について何かを指摘しようものなら逆上するでしょう。 日蓮正宗を標榜しながら、宗祖教えに反しているのだから、突っ込みどころは満載ですけどね。
「信仰心」そのものは、とても素晴らしい事なんですけどね その方向が間違っていれば、本人だけではなく周りも不幸にしてしまう事は様々な事例が証明しています。 貴女がこれからどうされるのかはわかりませんが 貴女自身は、常識的な目線を失わずに、組織活動というものを客観的に見届けていて欲しいと願います。
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