No.0に対する返信 ( No.1 ) |
- 日時: 2018/09/11 04:14 (ocn)
- 名前: かゆがも
- > 生きる意味って何でしょうか?
何でしょうね? 私は中年の男性ですが、この年になっても未だ分かってませんよ(;・∀・)
> 最近全てのことに対して嫌気がさしてきて、「生きてて楽しいこともあるでしょ」と友人に言われても、楽しかったらそれが何なんだ?という気持ちになります。 生きていると嫌なことはあまりも多く、楽しいことはごくわずか。 そしてその楽しいことですらすべては一時的なこと、過ぎ去ることです。 あなたが虚しくなるのもわかります。
> 特に辛いことがあったとか、悩んでいるとか、そういう訳では無いのです。 特別辛いことが無いようで何よりです(^ω^)
> むしろ友達とは上手くやってるし、何か大きな不自由がある訳でもありません。 喜ばしいことですね。
> ただ、ひたすらに「どうせ最後は死ぬのにこんなことしてもな」というような気持ちになります。 仰る通りです。 どうせ最後は死にます、全ては水泡のごとく消え失せるものです。 一生懸命貯めた財産も、良好な友人関係も、大切な家族も、全ては死で失われます。・
> 特に答えがある訳では無いと思いますが、皆様の持論や生きる意味を教えてください(゚∀゚) 仏教では、生きる意味は特にない、と教えられています。 生命はただただ、この虚しい、苦しみの輪廻を繰り返すだけ。 だったら人生を、この輪廻から抜け出すために使いませんか?、というのが仏教の提案ですね。
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Re: 生きる意味ってなんでしょうか? ( No.2 ) |
- 日時: 2018/09/11 12:36 (odn)
- 名前: まるP
- まず、最初に言っておきたいのは・・
「どうせ最後は死ぬのにこんなことしてもな」というような気持ちになり、、楽しかった、嬉しかったなど、生きている喜びや生きる意味など、死んでしまうから、“すべて無駄”であるような考えは間違いということです。
いろいろな思想家や、神秘家の教えも参考にした、私の考えるところは・・現在の私たちの名前も、また欲望、思考、興味もすべて肉体を失った後も継続していきます。
肉体の死を迎えた時に最初に移る世界が「感情の世界」であり、その後に「思考の世界」で生き続けるわけです。そして、、人によっては「転生」があるのでしょう。
死んで肉体を離れた後、最初に行く「感情の世界」は・・自分が生きていた“ふさわしい領域”にいるそうです。
つまり、生きる意味は・・自分がどうしたいのか、どう生きたか、など、人が生きた人生によって、死んだ後の世界でも、その感情と思考状態がそのまま続いていくようですね。
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Re: 生きる意味ってなんでしょうか? ( No.3 ) |
- 日時: 2018/09/11 17:11 (mesh)
- 名前: ナナシ
- 人生なんか死ぬまでの暇つぶしですよ
特に何も考えなくても、何もしてなかったら 腹は減るし排泄もするんです 人生とはその繰り返しだと思います
ただその繰り返しを継続していくために、人は働いたり学ぶ必要があると思います
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Re: 生きる意味ってなんでしょうか? ( No.4 ) |
- 日時: 2018/09/12 04:24 (softbank126243115244.bbtec.net)
- 名前: 腹金
- 産まれる=苦しみ
死ぬ=苦しみ
病=苦しみ
老いる=苦しみ
考える=苦しみ
憎悪する=苦しみ
嫌いな人に会う=苦しみ
妬む=苦しみ
近親者が死ぬ=苦しみ
この苦しみの世界にようこそ( ・∇・)
あなたは苦しみの世界に生まれて来ました
ですので、今後あなたは苦しむ為に生きていく事になります
が…
この苦しみの世界を生きていく為に必要な智恵は、先人が用意してくれています
智恵とは、苦しみから脱出出来る武器みたいな感じですかね( ̄ー ̄)
暇があれば、探す事をちょっとお薦めします
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Re: 生きる意味ってなんでしょうか? ( No.5 ) |
- 日時: 2018/09/12 06:27 (plala)
- 名前: ポイント
- あくまでも私の意見ですが「意味」というものを求めたり探したりすることは、何らかの「結果」を求めたり探していることになります。
例えば「こんな勉強に、何の意味があるんだ」ということは「勉強をして、どんな結果が得られるのだ」ということであります。
逆に言えば結果が予測できれば意味も発生するわけで、例えば家族で楽しく過ごすという結果が予測できれば、いろんな交通手段で出かける旅行の意味も発生します。
しかし「結果が出ないと意味も定まらない」ということであり、家族で楽しく過ごすつもりの旅行が、台風などでさんざんな目にあったら「出かけた意味がなかった」ということも往々にしてあります。
それらは「結果第一主義」的な考え方であり、結果が悪ければ過程にも意味がなくなるという考え方で、この考え方をしている限り常に一喜一憂しなくてはなりません。
結果によって過程の意味が左右されない考え方をすると、そういうことはなくなります。
「どうせ結果として死ぬのだから」ということで「生きるという過程の意味はない」ではなくて「やがて死ぬことは分かっているけれど、今何かをしていることに意味があるのだ」ということになります。
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Re: 生きる意味ってなんでしょうか? ( No.6 ) |
- 日時: 2018/09/12 14:24 (ppp)
- 名前: B.B
- 生きる意味というのは「自分以外の何かに、自分の人生を使って奉仕する事に喜びを見いだした時に使う言葉」だと思う。
子供の為、彼女の為、社会の為、人によっては神の為・・・なんてのもいるよね。
スレ主に必要なのは良い出会いだと思うよ。それが何かは分からないが。
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Re: 生きる意味ってなんでしょうか? ( No.7 ) |
- 日時: 2018/09/12 17:49 (ocn)
- 名前: 泥魚
- ニヒリズム、というものが恐らく今のパンドラさんの心境に近いものだと思うのですが
この際ですから、逆説的に考えてみてはいかがでしょうか
「人生に意味があったとしたら」 具体的に言えば、
「〇〇を達成することが人間の生きる意味」といった普遍的な真理や正解のようなものが仮にあったとしたなら
〇〇にいろんな条件を当てはめてみて、そうすると人間がどのような影響を受けるのか、どういった変化にさらされるのか
考えてみると面白いかも知れません
ちなみに個人的な意見としましては 学生時代からいろいろな葛藤を乗り越えてきた結果、
「自分が生きていること自体に意味はない」という結論に至っています
ただ、面白いことにパンドラさんと意見が分かれるのは だからといってネガティブにはならないということですね
自身の「生」に価値や執着を持たないということは、自己保存の概念から解放されるということです
それはつまり目先の利益にとらわれることなく、世のため人のために行動することが可能だということ すると意図せず必然的に、人様から感謝されたり、尊敬されたりするようになり
より、高度な立ち振る舞いが可能になることで経済的にも精神衛生的にも充実した良い循環が生まれます
存在そのものに価値を見出すと、その喪失ショックが常についてまわり、
「失いたくない」という感情的な志向が、物事の本質から逸脱させます
道具に例えるなら、 包丁を持つことや、それ自体に価値を見出すのではなく
その包丁でどれだけ美味しい料理を作れるのか、ということに注目します
これは親の存在にも適応します 親の喪失はとても悲しい出来事であることに違いはないですが、
大切なのは親が生きていること自体にあるのではなく 親から何を教わったのか、そしてそれを誰に継承していけるのかということに注目するのです
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Re: 生きる意味ってなんでしょうか? ( No.8 ) |
- 日時: 2018/09/12 18:40 (enabler)
- 名前: ライチレッドグレープ
- 生きる意味は願望 修行 夢
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