Re: 家庭環境?虚言癖 ( No.1 ) |
- 日時: 2012/02/21 23:59 (dip)
- 名前: らら
- りんねさん
兄弟 姉との扱いの違いを感じて、親から愛情をうけていない 大切にされていない。。と感じるのですね。
私も親なので、よく感じるのですが。 いつも、好きなものを、すぐに手に入れられる子どもが必ずしも幸せな子どもではありませんし、沢山与えるから親の愛情があるというわけではないと思いますよ。 もちろん、あなたのご兄弟に対しては、特別な愛情があって、好きなものを与えているのか、わかりませんが。。 自分の家と人の家も、事情が違うというのと、同じ兄弟でも性格がちがうので 接し方やしつけの仕方も、かわってくる事はあるでしょうね。 まったく同じ扱いをする事が、<平等>に愛しているとは、限らないものです。 区別があっても、それぞれ大切に思っている事もあるでしょう。
ただ、窓から足をもって つり下げられるというのは、しつけをこえて いますね。。 愛する事、しつける事、両方必要ですが、やり過ぎはいけませんね。 他のご兄弟には、そういう事はされたことはないのですか?
嘘をいって 友達と話をあわせようとする。。 人はだれしも、人とうまくやっていきたい、認められたいとおもうものです。 それで、ついつい、たわいのない嘘をついたり、適当にその場を 取り繕う事も。。あるでしょう。 でも、その場はなんとかなっても、本当のいみで友情や、いい信頼関係は きずけるという保障にはならないですよね。^^ 嘘をいわなくても、素直にしらない。。それ何?と、興味をもって質問することも できますよね。 (知らないの?という反応が怖いかもしれませんが、 それは。。一時的な恥であって、知らない事であなたをバカにするひとがいれば そういう人とは、いずれにせよ表面的に仲良くなっても、関係は続かないと、判断もできますよ) 失敗に関しても、へんに取り繕うよりも。。きちんと謝ったり、正直であるほうが、信頼関係を築けるものです。
そして、親の愛情というのは、たんに生んだり食事を作る事ではありません。 それは、親としての務めであって、愛情とはまた違いますよね。
愛情というのは、まずは。。信頼関係が必要ですね。 信頼関係を築くのに、邪魔になるものは。。恐れ、罪悪感、不信感です。 これらを、少しずつ取り除いていく事が大切だと思いますよ。
いままでの不満や悲しみなどの理由があって、親への不信感があると、親との 、信頼関係は築けませんよね。
先生が仰っていた、自分の世界をひろげるというのは。 たぶん、あなたが作ってしまった壁を取り壊すという事ではないですかね。 親から信頼されていない、愛されていないのでは?という恐れから あなたは、自分のほうで それを見ないように、それで傷つかないように 壁を作ってしまっているのではないですかね?
おばあ様や、おじいさま、身近なひとに不安を話せるといいのですが。 自分で解決できない問題は、だれかに間にたってもらって、解決するという 方法もありますよ。 子どもだけでなく、大人の世界でも 自分の能力や、知識や努力では解決できない問題もあるのです。
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Re: 家庭環境?虚言癖 ( No.2 ) |
- 日時: 2012/02/22 00:06 (ocn)
- 名前: ちょぼ
- 調子のいいときは、両親が今まで自分にしてくれたこと全てが、ありがたく思い出され愛されていたと確信するが、不調のときは両親に傷つけられたことや、どんなに自分に無理解だったかということが思い出されたりするもんです。
調子のいいときは仕事の苦労も全て意味のあることに思え、不調のときは全て無駄なことに見えて虚しくなったりね。 誰しもそんな経験があるんじゃないかな。 世の中の出来事は全て、いい面もあれば悪い面もありますよね。 プラスの意味にもとれれば、マイナスの意味にもとれる。 そして、自分自身の考え方によって、常にその間を揺れ動いているようだ。 ある出来事をポジフィルムで眺めているときは世界は光り輝いて見える。 でも同じ風景をネガフィルムで見ると、確かに同じ風景のはずなのに、なにもかも違う。 何かもがネガティブに見えてしまう。 しかし一度でもこの感覚を経験した人は逆に強いのではないだろか。 なぜなら、同じ出来事をポジとネガの両方から見られたのだから、それだけ世界の見方が広がったわけで。
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Re: 家庭環境?虚言癖 ( No.3 ) |
- 日時: 2012/02/22 00:27 (plala)
- 名前: こと
- さびしいですね。
理解するようになってくると気づくことが多かったでしょう。 血がつながっていてもそういうことはあるんです。 むしろ血がつながっているからなのかもしれないですけどね・・親はきげんで子供をかわいがるし、殴りもするし・・・捨てもする。 平気でうそをついてるわけじゃないんですよね。苦しいからうそをつくようにうなったんですよね;;
きっとりんねさんは強くなります!親がいない世界でも生きていける人になれると思います。
大丈夫です^^
またお話し聞かせてください。
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No.1に対する返信 ( No.4 ) |
- 日時: 2012/02/22 17:45 (dion)
- 名前: りんね
コメントありがとうございます。 親御さんの立場である方にコメントして頂けて心強く感じました。
自分でも分かってはいるつもりなのですが、どうしても気持ちが落ちると、”私だけ”という矛盾した被害妄想的なことを感じてしまいます。 窓から吊り下げられる時は、幼稚園ぐらいの時で、私が八つ当たりして暴れる親から他の兄弟より逃げ遅れた時でした。兄弟の中で、親が暴れ出したときは、逃げた者勝ちという暗黙の了解がありました。
嘘をついていると自覚しはじめたのは、数年前くらいからで、それまで自分がどれだけの嘘をつき続けてきたのかはかりしれません。もしかしたら、今でも私の嘘を信じている人がいると思うと申し訳ない気持ちがして……。最近は、友達と話していて、少しオーバーな話をしすぎると、その事に気づいてすぐに謝罪したりしています。それでも、やはり無自覚に嘘をついている時がある事はたしかだと思います。時々人に、”あのときあそこでそうしたって言ってたじゃん”とかいう話をされるのはざらですから……。それは単に相手の思い違いなのかは分かりませんが。
愛情に大切なのは信頼関係……。 少し納得しました。でも、いまいち理解できないところもあります。すみません。 親の機嫌が良い時は普通に会話できますが、機嫌が悪いと、一方的に覚えのない事で怒られたりして、やはりしばらく親と会話するのが怖くなります。とりあえず、機嫌をとるのに勤しんでいます。
壁……。そうかもしれません。 上にも書いたように、自分は嫌な事をすぐに怖いと感じて避け続けています。いつもどうやって立ち回って嫌な事を避けるか考えてしまってます。 友人関係も上辺だけの付き合いにしてしまって、時々人間不信に陥る事もあります。
一度だけ、中学の先生が面談の時に親に”もう中学生ですから、少しずつ自由にさせてみては?”といきなりそんな話をしはじめました。 親は怒鳴りつけはしませんでしたが、先生に”うちにはうちのやり方がありますから”をはじめとして先生を黙らしてしまいました。 家に帰った後、先生に何か言ったのかと問いただされて怒られました。私は先生にそんな事相談した覚えはないのですが……。それを言っても、”どうせ自分はお前にとって極悪非道の親”だと言われました。 そんな事思ったこともありません。 たしかに不満はありましたが、ここまで育ててくれたのに、極悪非道まで思ったことはありませんでした。 でも、そのとき酷いショックを受けた私は、心の中で、”そこまで思うのなら、自由にしてくれ”とまた矛盾したことを思ってしまいました。
+に考えている自分と、−に考えている自分がいて、気持ちが矛盾しすぎて、不安定です……。
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Re: 家庭環境?虚言癖 ( No.5 ) |
- 日時: 2012/02/22 18:39 (dip)
- 名前: らら
- りんねさん
親の機嫌がわるいときに、八つ当たりをされる。。耳がいたいです。^^ 私自身も、こどものとき親の言動の、矛盾を感じたり不満を感じたり してきました。でも、実際親になっても、いつも自制心をきかせて、穏やかに振る舞えるわけではないのですよね。 (私には小学生の子どもがいます。) もちろん、言い過ぎたなとか、いまのは叱ったのではなくて、たんに感情的に おこっていたな。。と反省する事もしばしばです。
親御さんが、先生にアドバイスをうけられて、少し。。反省されたり 自戒される機会があるというのは、良い事だと思います。 極悪非道の親だと思われている、という言葉は、きっと 親御さんも 自分で、不当なおこり方をしているという意識があるのだと思いますよ^^ でも、心の余裕が無かったりして、自制心がきかないのでしょうね。 せめて、お父様かお母様か、どちらかが 穏健な方であれば、歯止めが きくとおもうのですが。。
親も勿論、子どもを自立心をもたせ、社会に出ていきていけるようにしようという。。責任感もプレッシャーというものもあるのです。 。 かんぺきで、子育てに自信満々な親というものはいません。 大人になっても、親も、親子関係や人間関係において、新しい問題にぶつかっていくので。。試行錯誤しながら成長していかないといけないのですよ。。^^
<自分で選択して行動する自由>というのは、ご存知の通り、大きな責任がともなうものです。 子どもは、小さいうちは判断力や知識が少ないので、親や先生や周りの人の アドバイスを聞いたり、制限を設けられて守られたりする必要があります。 でも、中学生くらいになれば、<自我>や<自立心>がでてきますよね。^^ 自立できるように、自由な行動ができるように、親や周りの大人が協力するというのは 大事な事なのです。
親や大人は、子ども(未成年)を危険な事からまもる 義務もあります。 子どもの責任能力以上に、大きな自由を与えるのは、危険なこともあります。 寛大さと、放任、束縛と、保護は。。違います。 子どもによって、 どのように手綱を緩めたり、きつくしたりするかの。。塩梅も難しいのですよ。 時には、適切な対処もできれば、甘すぎる事もあれば、厳しすぎると感じることもあるでしょう。。 (ご兄弟に甘い事に不満をもつ事もあれば、厳しい事に 不満を持つ事もあるでしょう?)
手綱をすこしづつ、緩めていく事で自立させる必要もありますが、成人するまでは。 、時には成人しても、結婚しても。。親ですから。いざというときの逃れ道や、セーフティーネット(綱渡りの下の網)として、手綱(親子の絆)をつけたままにする必要があるのです。
自由になりたい、束縛されたくないという気持ちもあるとおもいますが、 自由と言うのは、自己責任をもつということです、自分の言動や選択の結果に すべて責任をもつこと、対処していくという。。厳しいものです。 私は、自由と言うのは、その人の責任能力に応じて与えられるものだと思っています。 子どもから大人になりかける思春期の頃は特に。。綱がうっとうしく感じる事もあれば、それで救われる事もあるのですよ。^^
壁をつくってしまう、逃げてしまう。。 これは、もし一時的であれば、自分を守る為に必要かもしれません。 でも、ずっとそのままでは、自分の世界はひろがりませんよね。^^ 自分への自信(自尊心)や、人との信頼関係を少しずつ、つくることはとても大切な事です。 信頼関係は、魔法のようにできるものではなくて、 家をたてるように、少しずつ作っていくものです。 土台(人への基礎的な信頼感や自尊心)に、すこしずつ骨組みを つけて、肉付けしていけばいいのです。
たとえ、いまは表面的。。とおもえても、心の中の傷をいやしつつ、いまのあなたにとって、精一杯の友人との関係を育てていけばいいのですよ。 今のあなたにできる、最善のことをしていればいいんですよ。 いまはまだ成長過程にいるのですから、焦らずに。。^^
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