Re: 自殺を考えることについて ( No.1 ) |
- 日時: 2012/08/02 13:29 (plala)
- 名前: かゆがも
- > 僕は頻繁に、死ねたらなあと考えることがある。
> > 特に何らかのつらい事情があるわけでもない。 私も死には興味持ってますよ、なんと言ってもまだ体験したことの無い現象ですからね。
> ただ、自殺ってなると、やっぱり凄い恐怖心が生まれるし、失敗して死にきれなかったら、もっと悲惨かもしれない。 どうしても自殺のプロセスで、痛みや苦しみも伴いますしね。
> 理想を言えば、気づかぬうちに外的要因で、突然の病でフッと逝くのがいいけど・・・ 私はどのように死ぬかは自分で分からないので、どのように生きるかについて考えてます。
> 死を願ってしまうのは、はたして、そんなに病的なことなのだろうか? 人には生きていたいという生存欲があります。 その反面で人は辛いこと・嫌なことがあると、死んでしまいたいと思う非生存欲があります。 実際、この国でも年間3万人を超す自殺者がいるわけで、人は結構死にたがりです。
ただ、死後楽になるかどうか分からないんですよね。
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Re: 自殺を考えることについて ( No.2 ) |
- 日時: 2012/08/02 21:16 (mesh)
- 名前: 地下室の住人
- 僕は、死んだあとには、楽もなければ、苦もないと思っています。
「無」になると思っています。
懲りない欲求だとか、無駄で、病的なほど過剰の自意識に苛まれる日々。
全部消えてしまえば、こんな苦もなくなる・・
楽なんか要らないから、全て無くなればいいんだ・・・
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Re: 自殺を考えることについて ( No.3 ) |
- 日時: 2012/08/02 21:58 (ocn)
- 名前: あい
- 私も嫌なことがあるとよく自殺を考えるよ。
けど考えるだけであって行動に移すことなんてできないよね。 死んだあとどうなるかって事が怖すぎて。 死後の情報なんてこの世の誰もがわからない事だし。
私は死が怖いと考える余裕があるうちはまだ大丈夫と思ってる。 実際に自殺した人たちって、死のことを考える余裕なんてなくて、 この世からいなくなりたいって思いのほうが大きかったから 行動に移したんだと思うし。
だから、ちょっと嫌なことがあったくらいで死にたいって思って 結局行動に移す勇気なんてない自分がすごく恥ずかしい。 死にたいって考えた直後にいいことがあると、 やっぱり死ななくてよかったって思うよね、ほんと単純だ。
今も死にたくてしょうがないけど、やっぱり死ぬ勇気はない。 もう少し我慢したら、自分の存在意義が見えてくるかな。
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Re: 自殺を考えることについて ( No.4 ) |
- 日時: 2012/08/02 23:08 (mesh)
- 名前: 地下室の住人
- そもそも今、こうして生きているのは、単に死に直面することが怖いからで、先延ばしするようにして、無為に時間が過ぎていく。
自殺にはしってしまった人と僕のような人との差は、紙一重のようで、実はすごく大きいものかもしれない。
行動よりも思考が先行してしまう僕は、救いを求めてはならぬような気がする。
生きる意味とか、自己の存在意義を求めては、苦しむだけの悪循環に陥るくらいなら、そのようなものの存在を一切信用せず、自分を取るに足らない人間だと自覚して、感情の振れ幅を少しでも小さくして、生きていければと願う。
これは弱い人間か、それとも振り回されないという意味では強い人間なのだろうか。
信じるから、裏切られる。
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Re: 自殺を考えることについて ( No.5 ) |
- 日時: 2012/08/03 00:00 (ocn)
- 名前: 名無し
- 生きる意味や存在意義に「死」を用いれば良い
もちろん、自殺などではなくより建設的な意味での死
そうすれば、無闇に自殺を意識することもなくなるし 死を目標とし常に視野に捉えることができるなら、目先の利益に流されることもない
当然、感情の起伏も最低限で済むうえ 心を痛める要素も減ってくるので、比較的平穏な人生を望める
これを実行できるようになる頃には 「良い意味」で、自分は取るに足らない弱い人間だと意識することができるはず
すると心に余裕と、芯ができるので 自身の未熟さを理解した上で、より高次の存在へと登りつめることができる
弱い自分を守ることができる強い自分を手に入れられる
独りよがりな生き方で満足することができるのなら、信じるのは自分だけで良い ただ、これは他人様を無下に扱って良いという意味ではないし
人を見る目を養えられれば、善人のみを身近に置くこともできるし その環境ほど力強く頼もしいものはない
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Re: 自殺を考えることについて ( No.6 ) |
- 日時: 2012/08/03 01:06 (mesh)
- 名前: 地下室の住人
- 関連書籍の販売増加にもみられるように、幸福論を求める人々が日本に多くいる。
震災以降は特に、幸せについて考える機会も増えている。
僕はそこに「死」を考える必要があると考える。
前向き志向だけでなく、ネガティブ・後向き志向とうまく付き合っていきたい。
怖いけど、冷静に見つめて、心の平静がほしい。
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Re: 自殺を考えることについて ( No.7 ) |
- 日時: 2012/08/03 17:02 (ocn)
- 名前: 名無し
- 臭いものには蓋をしたがるのが人間の性というもの
凡人にはその意味するところを理解できない
では上記で提唱させてもらった「建設的な死」は
前向きだろうか、後ろ向きだろうか
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Re: 自殺を考えることについて ( No.8 ) |
- 日時: 2012/08/04 14:33 (mesh)
- 名前: 地下室の住人
- 「建設的な死」は、前向きかつ後向き、すなわち、両方を視野にいれた横向きな考えだろう。
人間はひたすら死に向かって進んでいる。それは、10秒後かもしれないし、100年後かもしれない。
後向きというのは、前に迫ってくる死を見ないようにしているだけにすぎない。
前向きというのは、死を受け入れられる状態なら良いが、死にたいがために自暴自棄になっている状態も含まれるのではないか。
いつ死んでも良いという心の平静を保つ一方で、怖いものとされる死を忘れるほどの喜びを感じることも時には必要である。
どっちつかずのグレーゾーンを許容することが、人が幸福でいられる条件ではないだろうか。
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Re: 自殺を考えることについて ( No.9 ) |
- 日時: 2012/08/04 15:02 (ocn)
- 名前: 名無し
- >いつ死んでも良いと思うことで心の平静を保つ
>どっちつかずのグレーゾーンを許容することが、人が幸福でいられる条件ではないだろうか。
現状における自分なりの、最善の答えは導けただろうか?
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Re: 自殺を考えることについて ( No.10 ) |
- 日時: 2012/08/04 18:52 (mesh)
- 名前: 地下室の住人
- 自分にこびりついている欲求をそぎ落としていくことで、穏やかに生きていきたいと思う。
名誉欲・金銭欲・性欲・・・全て邪魔だ
自分は無力な存在であることを自覚し、諦め、死んだように生きる。
過剰な自意識に振り回されている自分が、本当に嫌い
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Re: 自殺を考えることについて ( No.11 ) |
- 日時: 2012/08/05 06:21 (plala)
- 名前: かゆがも
- > 自分にこびりついている欲求をそぎ落としていくことで、穏やかに生きていきたいと思う。
> > 名誉欲・金銭欲・性欲・・・全て邪魔だ > > 自分は無力な存在であることを自覚し、諦め、死んだように生きる。 > > 過剰な自意識に振り回されている自分が、本当に嫌い 素晴らしい、考えだと思います。 やはり、死について考えることは、生きる人間にとって有効なようですね。 何時死ぬか分からない身であることを自覚すれば、人も謙虚にならざるを得ません。
私も生きることに悩み、死ぬことに悩み、人生分からなくなってしまったことがありました。 私は頭があまりよろしくないので、過去の賢者・聖者・宗教家・哲学者・科学者が答えを見つけていないか、図書館・古本屋に足しげく通ったのを覚えています。 下記の三冊は当初、大変感銘を受けました。
ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫) プラトン (著), 久保 勉 (翻訳) 老子 (講談社学術文庫)金谷 治 (著) 仏教は心の科学 (宝島社文庫) アルボムッレ・スマナサーラ (著)
ソクラテスの「無知の知」や老子の「少欲知足」は素晴らしい人生の智恵だと思います。 今では小乗仏教に傾倒してます。
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Re: 自殺を考えることについて ( No.12 ) |
- 日時: 2012/08/05 23:25 (mesh)
- 名前: 地下室の住人
- どうか「逃げるな」「常に前向き」「ポジティブでいよう」といったメッセージを押しつけるのはやめてほしい。
僕はいじめで自殺してしまうことに関して、前向き志向の氾濫がある と考えている。
彼らは、どうしたらよいのか、一生懸命考えている。明日がやってくることにとても怯えている。
もしかしたら、彼らは、逃げることを良くないことだと思い込んでいるのではないだろうか。どんな困難にも立ち向かい、常に前向きでいなければならない、と苦しんでいるのではないだろうか。
もちろんこういう考え方はケースバイケースだ。
ただ少なくともいじめを免れるためには、逃げるやひきこもることで回避はできる。明日を生きる気持ちは絶やさずにすむ。
ネガティブであることをよくないことのように言うのはやめてほしい。ポジティブ思考ばかりが正当化される世の中はおかしい。
後向きで救われる命だってあるのだから。
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