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いじめは被害者が悪いのでは? ( No.0 ) |
- 日時: 2017/08/14 03:33
- 名前: 大野
- いじめ被害者が完全に悪いのではないですか?いじめで排除して何が悪いのですか?
いじめをめぐる問題で、いじめ加害者ばかりに責任が追求され糾弾されるといったことが蔓延する世の中になりましたが、間違っていると思います。 生理的に受け付けない、外見的特徴などまったく根拠に乏しい理由によるいじめは摘発して、然るべき対応を執るべきでしょう。いじめ被害者が他者の人権を脅かしたという証明ができないからです。 問題なのは、いじめ被害者になる者が他者の人権を脅かしエスカレートした場合です。これによるいじめを一元的に悪と見なし処罰するのは正しい行いとは言えません。
いじめ被害者の特徴として、自分の至らなさを省みようともせずに権利ばかりを主張し、明らかに自分の過失から何かトラブルが生じた場合は他人に責任を転嫁するところにあります。 いじめといった問題が起きた場合でも、自分に何が欠けていたのか、いじめに至った経緯について総括しようともせずに、いじめという行為そのものばかりを取り上げていじめ加害者を糾弾しようなどという狡猾な考えに至る人がいます。 中には加害者や傍観者、対応しなかった学校側に復讐しようなどという逆恨みかつ逆ギレまがいの悪巧みをしようとする輩までいます。お門違いにも程があります。 なにゆえこれ程までに他力本願なのでしょうか。なんでも親や他人に任せっきりで、要所で自分で考えて行動する習慣が身に付いていないからこのような歪んだ思考になるのだと思います。 これほど醜悪で、かついじめ被害者に更生の見込みがないなら、この世から消えてもらう他ないでしょう。 とりわけYahoo!知恵袋のいじめ被害に関する質問の本文より、この傾向をうかがい知ることができます。騙される回答者も気の毒ですが自己責任でしょう。
人権を蹂躙されいじめの加害者となる側としては、こうしたいじめ被害者となる側によって人権を脅かされているのですから、その権利を回復する必要があります。 話し合いで解決するならそれに越したことはありませんが、いじめ被害者になる人が話し合いに参加しないならば別の方法を考えざるを得なくなるわけです。 無視しろ!不必要に相手にするな!などと非現実的な妄言を吐く人がいますが、ちゃんと日本語が理解できているのでしょうか?人権を脅かされているのです。無視しろ!というのはかなり話題がズレていますね。
そこで、いじめ加害者になる側やその取り巻きとしては、はじめに第三者を間に入れて当事者で慎重に話し合いをする、学校側に対応を求める、明確な証拠と金銭的余裕があれば法廷に事件を持ち込む、学校側の対応に不備が認められるならストライキを起こす等、あくまで合法的な手段による解決を優先させるのが普通です。 最低限の常識を備えている人なら、いきなりいじめなどというハイリスクかつ犯罪まがいの手段を用いる真似はしません。 問題なのは上記の手段に訴えても解決が見込めない場合です。 我が国において、自力救済にあたるいじめは立件されれば紛れもなく処罰の対象であり、罪刑法定主義において決して許される行為ではありません。 ただ道義的側面としては、そうせざるを得ない状況が生まれる場合もあるのです。緊急性がないので正当防衛になることさえありませんが、いじめの加害者やその傍観者たちはそれだけ被害者によって苦しめられているという現実があります。 だからこそいじめという行為にはしります。これは不可抗力です。 いじめ加害者について誤解されている方がいるようなので代弁しますが、楽しくていじめている人ばかりではありません。それはむしろ少数派にとどまるはずです。 いじめ被害者によって苦しめられている人たちが大勢いるなら、その人たちを解放するためにいじめに奔走している加害者がいるのです。 いじめは相手を自殺に追いやる行為ですが、加害者はそれを百も承知で、それが目的でやっています。やる側としては死刑執行に匹敵する程の苦しみに苛まれることさえあります。楽しむ余裕など考えられません。自分が苦しむ以上に、いじめ被害者に生きる資格がないゆえ死んで欲しいからです。
にも関わらず、いじめの存在を良しとしない人権屋が湧いて出てきます。なぜいじめは悪いのですか?
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