Re: 私がPTSDになった話 ( No.1 ) |
- 日時: 2017/04/06 01:01 61.197.254.221
- 名前: あお
- 私が一番記憶に残っている幼い頃の記憶は、小学校入学前に母から『一緒に死のうか』と言われたものです。当初から私の両親は折り合いが悪く、今は落ち着いているものの夜中にも関わらず喧嘩ばかりでした。疲れた母がそういったのも今は理解できなくもないですが、当時の私には頭をハンマーで殴られるような思いでした。
私は母によって生死が決められるような子なんだ、と認識しました。
私は両親にどちらが好きか、と聞かれることが嫌いでした。どちらか一方を選べば二人は離婚してしまう気がしていていつも両方だと言いました。父と母が喧嘩して家を飛び出そうとするたびに足に縋り付いて止めました。小学校に上がっても変わりませんでした。 母は父と喧嘩するたびに家に入れるまいと鍵をかけました。開ける鍵のない家の中からしか施錠も開錠もできない鍵を。私がこっそり開けていました。 ですが一度だけ父が帰ってくる前に開けられない時がありました。母の目を盗んで開錠し、急いで元いた二階に駆け上がり布団の中に潜り込みました。父も二階へと上がってきました。私は息を殺しながら寝たふりをしました。何もしていないことを装いました。そんな私に父が浴びせたのは感謝の言葉でなく、罵倒と蹴りでした。お前が鍵を閉めたのだろう、と。 あまりのことに泣いた私を見て母は父に事の次第を捲し立てました。母に抱かれて泣く中で、母の所為なのにという思いが強かったです。 一方小学校の方でもいじめとは言えませんが、嫌がらせを受けていました。私を嫌う女の子が事あるごとに私を馬鹿にしたり、私の好きなものをからかう、先生に私がやったことを大袈裟に吹聴して怒らせる様な軽いものから座っている椅子を蹴るなどの行為を受けました。 その子と取り巻きがやったことの1つで、私が給食を食べ終わり片付けようと席を立ったときのことがあります。その子は示し合わせて通せんぼをして、私は立ち往生をしました。しばらく経っても全く動く気はなくクラス中の視線が自分に集まっていることを知覚しました。お願いをしても取り合わずニタニタと彼女は笑っていました。 クラスの誰も助けてはくれなかった。 彼女は悪い子だと、私と一緒のときは言うのにいざという時には何もしてくれない友達。皆嫌いでした。 同時に恐怖の対象でもありました。 他人の視線が嫌でした。
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Re: 私がPTSDになった話 ( No.2 ) |
- 日時: 2017/04/06 01:06 61.197.254.221
- 名前: あお
- まだまだ一部しか書いていませんが涙が止まらないので、今日のところは控えさせていただきます。
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Re: 私がPTSDになった話 ( No.3 ) |
- 日時: 2017/04/12 19:05 58.94.93.54
- 名前: さん
- 読んでますよ。
無理しないで。
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