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夫との価値観相違について

日時: 2012/05/25 21:49 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

昨夜、珍しく夫と喧嘩になりました。

喧嘩と言うより一方的に怒鳴られて、私は今もショック状態で苦しいです。

夫は基本的に温厚で、人に優しく、細かいことにこだわらない、一緒に居てとても楽な人で、そのことには、いつも感謝しています。

でも、自分のことになると、その鷹揚さが”いい加減””だらしない”という欠点となります。

恥ずかしい話ですが、夫は歯を磨くのが何より嫌いで、わたしと知り合った20年前には、すでに、半分くらいしか自分の歯がありませんでした。それからも徐々に減っています。

数年前、もうこれ以上、歯を失うのは彼にとって良くない、と、私からお願いして、何とか歯だけは磨いてから寝てくれるようになったのです。

でも、そのことが彼には凄くストレスだったのです。

誰にでもそれぞれ許容範囲があって、譲れない部分があって、夫にとっては、『口うるさい』のが一番イヤなのは知っています。
とにかく、言葉の少ない人で、話し合いが出来ません。
昨夜も、夫が切れたのがショックで、納得いかなくて、話し合いたくて、やんわりと、「ねぇ・・」とひとこと言っただけで、「うるさいな!」と言われ、私は声が出なくなりました。
今も出ません。「失声症」です。


この20年、口うるさくしないよう、歯磨きのこと意外は、私も目を瞑ってきました。

そのくらい私が歩み寄ってもおつりが来るほどの恩恵を、普段私が夫から貰っている、と分かっているから。

・・・でも、歯が無くなれば困るのは彼だ。
・・・なぜ分かってくれないんだろう。
・・・言われたくなかったら、言われずに済むようにやってよ。

などという気持ちが抜けずに苦しいです。

私がここで折れて彼が反省しないと、また同じことが繰り返される、と思い、絶望してしまいます。
夫がこのことで変わってくれないのは分かっているので、真剣に、蒸発しちゃおうかと、さっきまで考えていました。

頭を冷やしたいと思い、こちらのサイトに来て見ました。


・・・困るのは夫なのだから、夫の好きにさせ、総入れ歯にでも何でもなればいいと割り切れればいいのですね。

結局、価値観の違いですよね。歯が無くなる事など、彼にとっては取るに足らないことで、小言を言われたり、きちんと歯を磨くことに比べればなんでもないことなのでしょう。私としては信じ難いですが。

こんなことで、当てつけに死んでしまおう、とか思う自分の弱さに腹が立ちます。

この場にこんな恥ずかしいことを吐き出させて頂いてすみません。

贅沢な悩みだと呆れられることと思いますが、今はとにかく何もかも虚しくて、消えてしまいたいです。

心の持ち方をお教え頂けたら幸いです。


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Re: 夫との価値観相違について ( No.1 )
日時: 2012/05/26 06:07 (plala)
名前: かゆがも

>・・・困るのは夫なのだから、夫の好きにさせ、総入れ歯にでも何でもなればいいと割り切れればいいのですね。
その通りですね。

>結局、価値観の違いですよね。歯が無くなる事など、彼にとっては取るに足らないことで、小言を言われたり、きちんと歯を磨くことに比べればなんでもないことなのでしょう。私としては信じ難いですが。
私も同感ですが、それこそ価値観の相違なのでしょう。
自分とは違った価値観を持った人がいることは認めないと。

たとえ相手が自分の夫でも、夫が普段温厚であろうとも、もともと人を変えることは難しいことなんですよ。
自分を変えたいのであれば自分のやる気と、努力次第です。
しかし、相手が変わるには相手のやる気と努力が必要です、相手次第です。
夫が歯を磨きたくないのであれば放って置けばよいでしょう、その結果と責任も夫のものです。
病人が医師にかかったとしてお薬を貰います、しかし、キチンとお薬を飲むかどうかは患者の責任で医師の責任ではありません。
夫も歯を磨かないことは体に悪いと百も承知でしょう。
人間はもともと体に悪いことが大好きなんですよ。
酒、タバコ、甘いもの、辛いもの、危険なスポーツ・・・
体に悪いと分かっていても脳がそれを欲したらほとんどの人が逆らえません。
(私も趣味でカラテをしますが、たとえそれが危険を伴う行為だと分かっていてもやめられません。)
たまたま夫はそれが歯を磨かないことなんでしょう。
しかし、本人が危険を承知でそうしているなら、放っておくしかないんです。
せめて夫がこれ以上歯を悪くしないことを祈るぐらいしかないと思います。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.2 )
日時: 2012/05/26 12:24 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

かゆがもさん、ありがとうございます。

理屈ではすべて分かっていても、どうしても心が受け入れられず、割り切ることがどうしても出来なかったので、かゆがもさんに背中を押していただいた気持ちです・。

物事がすべて自分の思い通りになるなんて、虫のいい話ですよね。
夫だって人間。完璧を求めるのは酷だし、じゃあ、私はどれだけ完璧なんだ?、と自問自答することもあります。

夫は酒は一切飲めませんが、タバコは一日20本くらい吸うようです。
この禁煙ブーム、値上げ一方の世になってさえ、全くやめる気は無いです^_^;

自分を律することだけはしない人です。

人に寛容すぎる分、自分にも寛容なのでしょう。


   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.3 )
日時: 2012/05/26 13:05 (plala)
名前: かゆがも

> 理屈ではすべて分かっていても、どうしても心が受け入れられず、割り切ることがどうしても出来なかったので、かゆがもさんに背中を押していただいた気持ちです・。
時々、感情が優ってしまい、理屈を受け入れられないことがあります。
しかし、落ち着いてみればやはり理性・理屈が正しいということが分かります。

> 物事がすべて自分の思い通りになるなんて、虫のいい話ですよね。
> 夫だって人間。完璧を求めるのは酷だし、じゃあ、私はどれだけ完璧なんだ?、と自問自答することもあります。
それだけ分かっている方なのなら、私から申し上げることは何もありません。

> 夫は酒は一切飲めませんが、タバコは一日20本くらい吸うようです。
> この禁煙ブーム、値上げ一方の世になってさえ、全くやめる気は無いです^_^;
私はタバコ一本吸いませんが、酒がちょっと・・・、控えないと(笑)

> 自分を律することだけはしない人です。
> 人に寛容すぎる分、自分にも寛容なのでしょう。
人は誰しも良い面と悪い面をもっています、あなたも夫も私もそうです。
人に寛容というのは夫の良い面です、是非見習いたいものです。
自分を律することができないのは夫の悪い面です、自分はそうならないよう気をつけるだけです。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.4 )
日時: 2012/05/26 19:46 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

かゆがもさんの返信のご丁寧なひと言ひと言が、サプリメントのように感じます。

やはり、今日一日、悟ったつもりのことが消え去って、何度も気持ちが行ったり来たり、・・・・今も、すごく凹んで、どうしようもなく虚しくて涙が止まりませんでした。

また、かゆがもさんのアドバイスを読み直して、自分の気持ちを立て直そうと思ってここに来ました。

本当にありがとうございます。

でも、まだまだ道のりは遠そうですが^_^;

今日も、これから帰って来る夫とどう接したらいいか、判断できずに苦しんでいます。

あんなに汚い言葉で私を傷つけた仕返しをしたいのだと思います。嫌な女です。
ムスッとすることで、「私はこんなに苦しんでるんだ」という気持ちを表したくて仕方ないのです。そんなことをしても、夫がこのことに関して反省しないと分かっている限り、却って彼にストレスを与え、いいことはひとつも無いのに・・・。

『負けるが勝ち』とか、『言わぬが華』という言葉を思い出してみるのですが、自己愛が強い私は、なかなかそういうわけにはいかず、情けないです^_^;

本当に、気持ちを切り替えたいです。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.5 )
日時: 2012/05/27 04:53 (plala)
名前: かゆがも

> あんなに汚い言葉で私を傷つけた仕返しをしたいのだと思います。嫌な女です。
怒りに対し、怒りを返していては、その恨みはついに止むことはありません。
怒りには許しを与えることで、その恨みは治めることができます。
怒りに対して、怒りを返していては、相手と同じレベルなんですよ。

> ムスッとすることで、「私はこんなに苦しんでるんだ」という気持ちを表したくて仕方ないのです。
多分、嫌われてお終いです。
怒りには怒りが、優しさには優しさが帰ってきます、シンプルです。
あなたが苦しんでるのは分かりますが、夫も苦しんで生きる一人の人間だということは覚えておいてください。

>そんなことをしても、夫がこのことに関して反省しないと分かっている限り、却って彼にストレスを与え、いいことはひとつも無いのに・・・。
ああ、やっぱり理屈は分かってるんですね。ただ感情が優ってしまう。

> 『負けるが勝ち』とか、『言わぬが華』という言葉を思い出してみるのですが、自己愛が強い私は、なかなかそういうわけにはいかず、情けないです^_^;
勝者の得るものは恨みです、かといって負けるのも悔しい、賢い人は勝敗を超越しています。
最初から戦わない、ってことです。

> 本当に、気持ちを切り替えたいです。
人が自分を良くしようと思ったら努力と時間が必要です、でも他人ではなく自分の改良は可能です。
焦らず、頑張ってください。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.6 )
日時: 2012/05/27 13:17 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

かゆがもさん、毎回、目からうろこのような箴言、感謝いたします。

理屈を心に落とし込めず、フラフラと浮遊する自分の心を、その都度軌道修正して頂いています。

私は、何度言っても聞きわけの無い、幼児みたいですね。

昨日の深夜から、気持ちが不安定で、消えてしまいたくて仕方ありませんでした。

そこにあるのは、夫への怒りではなく、『孤独感』です。

全面的に信頼していた人を失って、この世でたった一人になったような寂しさ。
どれだけ夫に依存しているか、こういうときに実感します。

知り合ってから20年以上、イライラする素振りすら殆ど無かった彼に甘えすぎていました。

言うまでもなく、夫もやはり、仏様でも聖人君子でもなく、普通の人間なのでした。

多分、夫への幻想を捨てるのが怖いだけなのです。
そんな酷なことを今まで求めていた自分。

夫もさぞかし見えない忍耐をしているはずです。

私のような、つまらぬ、面倒な女に、どうしてこんなにいい人が与えられたのかと、いつも不思議に思い、当たり前と思ってはいけないと、常に感謝して生きてきました。

・・・様々な理屈を分かっていながら、なぜ私はこれほどもがくのでしょうか。
・・・心が拒否するのでしょうか。
そういう自分にも絶望してしまいます。人一倍ずるくて、わがままで、最低の人間だと思います。


昨夜は、どうしてもこみ上げる寂しさに慟哭しながら、とにかく彼のことを赦したくて赦したくて、・・・相手を赦すにはどうしたらいいのか、仏教の本などで調べたりしていました。

でも心は少しも「改善せず、今朝も絶望の思いで目覚めました。

でも今は、かゆがもさんの、「夫も苦しんで生きる一人の人間」というお言葉が、天啓のごとく心に響いていますので、何とか踏ん張りたいです。

本当にありがとうございます。
何とか立て直したいです。夫に笑顔を見せたいです。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.7 )
日時: 2012/05/28 09:14 (plala)
名前: かゆがも

> そこにあるのは、夫への怒りではなく、『孤独感』です。
孤独は人の、生命の本質です。
人は何も持たずに独りで生まれ、全てを置いて独りで死んで逝きます。
誰もが本当は孤独なんです。
ですから、生きている間ぐらいは周りの人たちと仲良くしておきたいものです。

> 全面的に信頼していた人を失って、この世でたった一人になったような寂しさ。
> どれだけ夫に依存しているか、こういうときに実感します。
何ものかに依存することは危険なんですよ。
夫・妻に、子供に、地位に、財産に、なんにでもそうですが、依存するものが失われたら苦しむことになります。
しかし、どんなものでも失われる可能性があり、いつかは必ず失われます。
ですから相手を大切にしつつも依存しない、それが無理ならいつかは失われるのだと覚悟の上で生きることをお勧めします。

> 知り合ってから20年以上、イライラする素振りすら殆ど無かった彼に甘えすぎていました。
> 言うまでもなく、夫もやはり、仏様でも聖人君子でもなく、普通の人間なのでした。
> 多分、夫への幻想を捨てるのが怖いだけなのです。
> そんな酷なことを今まで求めていた自分。
やっぱり、きちんと自己分析できてますね。

> 夫もさぞかし見えない忍耐をしているはずです。
もちろん、そうでしょう、忍耐なしに生きている人などいません。

> 私のような、つまらぬ、面倒な女に、どうしてこんなにいい人が与えられたのかと、いつも不思議に思い、当たり前と思ってはいけないと、常に感謝して生きてきました。
それはあなたにある美点に惹かれたからでしょう。
人に常に感謝して生きようなどと考える人は美点があるに決まってます。

> ・・・様々な理屈を分かっていながら、なぜ私はこれほどもがくのでしょうか。
> ・・・心が拒否するのでしょうか。
> そういう自分にも絶望してしまいます。人一倍ずるくて、わがままで、最低の人間だと思います。
人は誰でも感情の奴隷なんですよ。
怒りに支配された、欲に支配されたら、ほとんどの人がそれに逆らえません。
あえてそれに逆らうのが仏道です。

> 昨夜は、どうしてもこみ上げる寂しさに慟哭しながら、とにかく彼のことを赦したくて赦したくて、・・・相手を赦すにはどうしたらいいのか、仏教の本などで調べたりしていました。
実は私は小乗仏教徒なんですよ。
私の言葉は仏典からの引用が多いです、私のオリジナルは少ないんですよ。

下のリンクは、スリランカ出身のお坊さんのお話の本なんですが、分かりやすくて面白かったです。
怒りがいかに悪いことか、そしていかに怒りをコントロールするかについて書いてあります。
寂しさも、許せないことも仏教では怒りの一種にカテゴライズされます。
http://www.amazon.co.jp/%E6%80%92%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%93%E3%81%A8%E2%80%95%E5%BD%B9%E7%AB%8B%E3%81%A4%E5%88%9D%E6%9C%9F%E4%BB%8F%E6%95%99%E6%B3%95%E8%A9%B1%E3%80%881%E3%80%89-%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%A0%E3%83%83%E3%83%AC-%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9/dp/4901679201/ref=pd_sim_b_1

   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.8 )
日時: 2012/05/28 12:22 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

かゆがもさん、ありがとうございます。

お陰さまで、昨晩からは、時間経過も手伝い、何とか心が落ち着いてきています。

かゆがもさんが仏教徒でいらっしゃると知り、感激しております。

小さなことで右往左往、すぐに動揺する自分は、様々な仏教の解説的な本が手放せない人生です。乱読です・・・。



どういう考え方をすれば今の自分が楽になるのか、そればかりを追って生きています。

小事にも大事にも動揺せず、大きな意味で悟りを開いている方に、本当に憧れます。

信仰を持っていらっしゃる方も、やはり悩まれるのでしょうか?

かゆがもさんと、こうしてありがたいやり取りをさせて頂いて、打てば響くお言葉を、適材適所に発せられるこの方は、いったいどういう方なのだろう、と感じていました。

まるでお坊さんと相対しているような気持ちになっていました。

小乗仏教というと、大乗と違い、修行が厳しいのではないかと思います。

かゆがもさんは、ご自分を常に律しておられるのですね。すばらしいです。

私は、失礼ながら、あちらこちらとつまみ食い、・・・・いいとこ取りをしているだけですが、様々な啓発本がある中で、やはり、仏教が一番自分にしっくり来ます。

今日こそ夫に、小さくてもいいから笑顔を向けたいです。


夫に対する怒りは、まだ時々頭をもたげますが、今やほとんど心の見えない場所に沈んでいます。
今は、暗い顔をどうしても吹っ切れない私に付き合う夫が、とても気の毒でかわいそうで・・・私が悪いことをしているとしか思えないです。私はサディスティックではないので、これ以上夫を苦しめることは我慢できません。








   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.9 )
日時: 2012/05/28 17:38 (plala)
名前: かゆがも

> かゆがもさんが仏教徒でいらっしゃると知り、感激しております。
私もこの掲示板で私以外に仏教徒がいると分かり嬉しいです。

> 小さなことで右往左往、すぐに動揺する自分は、様々な仏教の解説的な本が手放せない人生です。乱読です・・・。
乱読でも大丈夫です。
「仏教は始め良し、中良し、終わり良し、全て良し。」
「仏教は舐めるだけでも効果がある。」
とも申します。乱読でもそれなりの効果があるはずです。

> どういう考え方をすれば今の自分が楽になるのか、そればかりを追って生きています。
それが普通ですよ。
勉強するのも、働くのも、結婚するのも、友達を作るのも、結局は自分の幸せのためです。

> 小事にも大事にも動揺せず、大きな意味で悟りを開いている方に、本当に憧れます。
私も悟っていらっしゃる方には大きな憧憬を持っています。

> 信仰を持っていらっしゃる方も、やはり悩まれるのでしょうか?
悟っている方は悩みません、もういうレベルは超越してるんです。
仏陀という字がありますよね、陀の漢字のつくりが蛇と同じでしょう。
これは仏陀が蛇が脱皮するかのように、人を超越してしまったことを表現してるんだそうです。

> かゆがもさんと、こうしてありがたいやり取りをさせて頂いて、打てば響くお言葉を、適材適所に発せられるこの方は、いったいどういう方なのだろう、と感じていました。
ただのサラリーマンですよ。在家の信者という奴です。

> 小乗仏教というと、大乗と違い、修行が厳しいのではないかと思います。
私は在家の社会人なので普段は修行していません。戒律は可能な限り守りたいと考えてますが。
しかし、年に何回かは時間を作り、瞑想修業するようにしています。

> かゆがもさんは、ご自分を常に律しておられるのですね。すばらしいです。
残念ながら、修行が足らず、五戒のうち不飲酒戒が守れていないんですよ、お恥ずかしい。

> 私は、失礼ながら、あちらこちらとつまみ食い、・・・・いいとこ取りをしているだけですが、様々な啓発本がある中で、やはり、仏教が一番自分にしっくり来ます。
それでも効果はあります。やればやっただけ、勉強したら勉強した分だけ効果があるのが仏教です。
しかし、仏教では本来勉強よりも、実践に重きを置いています。

> 今日こそ夫に、小さくてもいいから笑顔を向けたいです。
そのお気持が大切ですね。

> 夫に対する怒りは、まだ時々頭をもたげますが、今やほとんど心の見えない場所に沈んでいます。
> 今は、暗い顔をどうしても吹っ切れない私に付き合う夫が、とても気の毒でかわいそうで・・・私が悪いことをしているとしか思えないです。私はサディスティックではないので、これ以上夫を苦しめることは我慢できません。
悪い方はこんな考え方しませんよ。
悪い人の考え方は、
「どうして夫は私を分かってくれないのか。私はこんなに苦しんでるのに。正しいのは私なのに。」とこんな感じで、いつでも私、私、私で相手のことなんか考えません。
夫のことを考える、あなたはそんな人ではありません。
暗い顔をどうにかしたい、、、ということですが、何か好きなこと、趣味でも持たれて気分転換をされてはいかがでしょう。
私も暗い思考や怒りに支配されそうになることがあります、未熟ゆえです。
そんな時はまず、怒りや悲しみに気がついて、ワザと楽しいことをします。
私の場合はスポーツ関係が多いですね、頭の中が真っ白になるぐらい運動します。
あとは暗い思考も怒りも、永遠に続くものではありません、必ず過ぎ去る、無常のものなんです、そのことを理解しておくと楽になると思います。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.10 )
日時: 2012/05/28 21:12 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

かゆがもさん。ありがとうございます。

涙ながらに拝読しました。

私のような者を”仏教徒”などといって下さるなんて思いもよらなかったので、とても驚きました。

私は、ただただ息苦しくて、自分が救われたくて、溺れる者が必死に藁を掴むが如くに書物を漁り、仏教の教えの”いいとこ取り”をしているだけです。

そんな人間をも仏教徒と言ってもらえるのなら、余りある光栄です。

本当に未熟で、自分の中の悪を切り捨てることがどうしても出来ない私は、親鸞聖人の「悪人正義」に感銘を受けます。

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」・・・という大らかなお言葉を、煩悩の塊である自分の、都合の良い心の支えにするような、甘えた人間です。

今までも、死にたいくらい苦しいとき、いっそ、死ぬくらいなら、出家してしまおうか、そうすれば救われるのではないか、・・・・などと思ったこともあります。現実から逃げるためにそんなことを考えるのは、不謹慎でしょうか。

もし、私のような存在でも、仏教徒と言っていただけるのでしたら、私は、かゆがもさんに苦笑されても仕方ないような、「無様な仏教徒」として生きてみます。



・・・実は、今回の、夫とのことは、私にとって降って湧いたような問題であり、それが薄れてくれば、それを押しのけて頭をもたげる大きな問題があります。

ここ数年、常に私を支配する苦しみです。

親、兄弟にまつわることです。

実家に暮らす、老いた親の行く末に関して悩むところが大きいのです。

それぞれ所帯を持った兄弟たちは、皆、自分の家庭と仕事で忙しく、関係も良くなく、親と疎遠です。

心配性なのは私だけです。
今は、苦しみ、もがきながらも、私に出来る限りのことを何とかやっています。
もちろん、夫の全面的協力を得ながらです。

夫は本当に素晴らしい人です。心から尊敬しています。
自分のことより、弱い人を自然に優先できる稀有な人です。
生まれ持った性質なのでしょう。
私が何十年経っても、何百冊の本を読もうと、全く出来ないことを、ひょいっ、…とやってのけてしまうのです。
いつもいつも感動します。
この感動に慣れることはありません。
そして、夫の優しさを、当たり前だと思うこともありません。
親は、彼のことを、「まるで○○は仏様だ」、・・と言います。
だからこそ私も、少しでも夫につりあうような、夫にお返しできるような人間になりたい、と思うのですが・・・。現実は厳しいです・・。

いつも、「一番近くにこんなに素晴らしい見本が居るのになぁ」、と夫を羨ましく眺めています。
…決してノロケのつもりではありませんので許して下さい…(汗)。

同じ人間でも、ずいぶんと違うものだなぁ・・・・と。

一方、了見が狭くて、どうしても自分の利益を考えてしまい、老親に献身的になりきれない自分をいつも責めています。





   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.11 )
日時: 2012/05/29 13:48 (wind)
名前: かゆがも

> 私のような者を”仏教徒”などといって下さるなんて思いもよらなかったので、とても驚きました。
仏陀と仏教を僅かでも愛楽するものは死後悪趣に落ちることはない、とまで言われてます。

> 私は、ただただ息苦しくて、自分が救われたくて、溺れる者が必死に藁を掴むが如くに書物を漁り、仏教の教えの”いいとこ取り”をしているだけです。
仏教の教えをとりいれて、自分の人生を良くしようと行動する人は仏教徒といって良いと思います。

> 今までも、死にたいくらい苦しいとき、いっそ、死ぬくらいなら、出家してしまおうか、そうすれば救われるのではないか、・・・・などと思ったこともあります。現実から逃げるためにそんなことを考えるのは、不謹慎でしょうか。
現実世界、凡俗の世界の苦しみであれば出家せずとも現実的な解決法があります。
出家の世界は出世間の世界、人(生命)を超越することを目指す、超人の世界だそうです。

> もし、私のような存在でも、仏教徒と言っていただけるのでしたら、私は、かゆがもさんに苦笑されても仕方ないような、「無様な仏教徒」として生きてみます。
私だって冗談でも良くできた仏教徒などとはいえません。
良いじゃないですが、無様だって、がむしゃらにしがみついてでも頑張ってれば。

> 実家に暮らす、老いた親の行く末に関して悩むところが大きいのです。
いや、これは私と同じ悩みですね。

> それぞれ所帯を持った兄弟たちは、皆、自分の家庭と仕事で忙しく、関係も良くなく、親と疎遠です。
そうは言っても兄弟ですから協力しながら対処すべきです、時間が出せないのなら金ぐらい出してもらいましょう。

> 心配性なのは私だけです。
> 今は、苦しみ、もがきながらも、私に出来る限りのことを何とかやっています。
> もちろん、夫の全面的協力を得ながらです。
年老いた親の世話はとても大きい善行為ですよ。

> 夫は本当に素晴らしい人です。心から尊敬しています。
> 自分のことより、弱い人を自然に優先できる稀有な人です。
> 生まれ持った性質なのでしょう。
> 私が何十年経っても、何百冊の本を読もうと、全く出来ないことを、ひょいっ、…とやってのけてしまうのです。
> いつもいつも感動します。
> この感動に慣れることはありません。
> そして、夫の優しさを、当たり前だと思うこともありません。
> 親は、彼のことを、「まるで○○は仏様だ」、・・と言います。
> だからこそ私も、少しでも夫につりあうような、夫にお返しできるような人間になりたい、と思うのですが・・・。現実は厳しいです・・。
> いつも、「一番近くにこんなに素晴らしい見本が居るのになぁ」、と夫を羨ましく眺めています。
> …決してノロケのつもりではありませんので許して下さい…(汗)。
でもあなたはそんな優れた方の奥さんになった人じゃないですか。

> 同じ人間でも、ずいぶんと違うものだなぁ・・・・と。
人は自分と人を比べて相手が優れていれば妬み、相手が劣っていれば驕ります。
つまり、自分と他者を比較して良いことはないんですよ。
あなたはあなた、旦那さんは旦那さん、違って当たり前です。

> 一方、了見が狭くて、どうしても自分の利益を考えてしまい、老親に献身的になりきれない自分をいつも責めています。
まず、「自分にとって自分が一番大切である、自分は幸せになりたい。」という事実を認めてしまいましょう。
「いえ、私にとっては子供が、夫が、親が、一番大切です。彼らが幸せなら私は不幸でもかまいません。」というのは嘘っぱちです。
その心には、自分の幸せにとって子供、夫、親が欠かせない、大切である、という心理が隠れています。
ですから、「自分にとって自分が一番大切である、自分は幸せになりたい。」ということを正直に認めてしまいましょう。
その上で、「私が幸せであるためには私の大切な人たち、夫・親・子供・親友・・・も幸せであることが重要である。」と考えられます。
この考え方を広げていくと、皆誰だって誰かの大切な人なんですから、万人の幸せを願うべき、となります。
(仏教ではもっと大きく、生きとし生ける全ての生命が幸せであるよう、願うべきと教えています。)

年老いた親をこれからどう面倒をみるか、考えちゃいますよね。
私は40歳男性、独身のリーマンで、72歳の父と、66歳の母がおります、2人ともまだ健康です。
私は37歳頃までは関西のほうで在住し、仕事をしていたのですが、その頃に両親の老齢を理由に故郷の方へ転職しました。
今では実家より徒歩3分ぐらいの場所の賃貸マンションを借りてほぼ毎日両親の様子を見に行きます、食事も一緒にします。
これが私の両親が年老いて私の力が必要になったときのための私なりの準備です。
私は独身なので身軽に故郷に帰って転職できました。
結婚されて自分の家庭と仕事に縛られているのはそうもいかないでしょう。
しかし、それはあなたもご兄弟も誰だって同じ事のはず。
あなたとご兄弟でよく話し合って、もしもの時は誰がどのようにご両親をサポートするべきか、直接サポートできないものは間接的に経済的にサポートするように約束したりとか、相談されてはどうでしょうか。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.12 )
日時: 2012/05/29 18:24 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

親の今後に関するアドバイス、どうもありがとうございます。

恥ずかしい話ですが、私が一番困るのは、兄弟の、親に対する無関心だけではなく、兄弟同士も疎遠で、しかも仲が良くない、ということです。それに加えて、私は兄弟の仲でもっとも”味噌っかす”で、立場が弱く、兄弟に対して気を使いすぎて言いたいことの一つも言えません。

うちの場合、母は既に他界しており、後期高齢者になろうとする父が、一人で実家に暮らしているのです。
母が亡くなった時点で、私は、一人残された父の行く末を兄弟で話し合うべきだと考えていました。
しかしその私の考え方は誰にも受け入れられず、いまだに父は放って置かれています.

父自身は、「子供には子供の人生があるから、誰にも世話になる気は無い。そういう時代だ」・・・・と、やきもきと心配する私に言ってくれます。残された僅かな蓄えで、施設に入るなりなんなりして、何とか一人でやっていこうと思っているようです。
その父の気持ちを知っているからといって、果たしてこのままでいいのか・・・。

現実に今、父は、あの歳で、日々、一人で家事をこなして暮らしているのです。
父が、一人でお皿を洗っている姿や、洗濯物を干している姿を思うだけで、私は胸が締め付けられて、たまらなく苦しくなります。
何をしていても父のことが頭に浮かび、辛いです。私はっちょっと異常なのかしら、とさえ思います・・。
父にちゃんとしてあげられない自分の後ろめたさが根底にあるからですね。

不甲斐ない子供たちでごめんね・・と。

父は、本当に子供たちに何も求めてきませんが、私が放っておけなくて、今は、毎週末に、夫と一緒に、「遊びがてら」を装って実家に行き、出来るだけの家事をしています。

それも、私の場合は、悲しいことに、行かなくてはならない、という”義務感”になると、気持ちの負担になることが分かっているので、へんな言い方ですが、何気なさをいつも心がけています。そうすれば、父も、「やってもらっている」感が少なく、気持ちに負担をかけないかな、と・・・。

私は、何事もこうして、考えすぎるので疲れてしまうのです。
嫌な言葉で言うと、「計算高い」のです。それが自分の一番嫌なところです。

口では言わないまでも、そうすれば父が本心では喜ぶと分かっているのに、何もかも引き払い、父のところに行く決心が出来ない自分を、ずるくて冷たい女だと思います。

私が家事に忙しく動き回る間、夫がずっと父の相手をしてくれています。夫はいつでもうちの実家に入っていい、と、ありがたいことをずっと言ってくれているのに、私が”NO”なのです。なんと情けないことでしょう。
自分の利益を守りたい気持ちと、父への強い愛情の狭間で、窒息しそうな日々です。

普段父のことを考えるとき、ほかの兄弟のことは不思議なくらい頭に浮かびません。

現実問題として、父に多少でもしてあげられるのは、自分と夫しかいない、と分かっているからです。
やる気の無い人にイヤイヤしてもらう父を想像するだけで、悲しくなりますから・・・。

一般的に言えば、貧乏くじを引かされた、と愚痴を言われても仕方ない夫に、「いつもごめんね、私一人っ子じゃないのにうちばっかり」とか、「ありがとうね」と、毎週しつこく言う私に、夫は「別に〜・・・みんな忙しいんだよ。俺、暇だモ〜ン」・・・と笑って言ってくれます。

こんな有難い夫だからこそ、自分の親にもかかわらず二の足を踏んでいる自分の狭い心が許せないのです。

夫の存在が、私の背中を押してくれていなかったら、私は逃げてしまうかもしれません。

一人っ子だったなら、こんなに悩まず、踏み切ることが出来るのかも知れないと思うことがあります。
勝手な言い分ですね・・・。これも計算でしょう。

レスを拝見した限り、かゆがもさんは一人っ子のようですが。

かゆがもさんが、転職をしてまで故郷に戻られたエネルギーに、心から脱帽します。

そして、その潔さに敬服し、憧れます。潔さは、美しいと思います。

・・・本当に、とりとめの無いことばかりですみません・・・。


そうそう、肝心なお話です。
お陰さまで、ご心配頂いた、今回の夫との件は、ほぼ解決しました。

仕事の手が空いた時に、夫が緊張した様子で電話をくれて、「あの時は、自分が全部悪かった、ごめんね、忘れて!」とはっきり言ってくれました。

夫からの電話に出る前、今度こそ・・・、と思い、私もかなり緊張しました。

かゆがもさんのおかげで、立ちなおりつつあった私は、夫が口を切る前に、「誰でも、疲れてる時もあるし・・・いちいちこのくらいのことでくよくよして、いつまでも嫌な思いさせてごめんね・・・」と、小さな声で言ったのですが、夫はそれを打ち消すように、自分の非を謝りはじめました。

今回のことは、自分でも本当に以外だったようで、寝起きとはいえ、反省している、・・・・と。

私は思わず、感動で泣きじゃくりました。

全く期待していなかったものを与えられて、本当に感激したのです。

世界の色が、一瞬で変わりました。

「雨降って、地固まる」という言葉がすぐに浮かびました。

身に降りかかる試練に、無駄なことは一つもない・・・という言葉を信じたくなる瞬間でした。


諦めなくて良かった。
破滅的な考えに支配されそうになった私を救ってくださったかゆがもさんに、心から感謝いたします。

心置きなく、二人三脚で、父の今後を考えていけます。

想像していたとおり、自分の中ではもう既に、父への心配が心の錘にとって代わっています・・・。

道のりは厳しいです。






   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.13 )
日時: 2012/05/30 06:05 (plala)
名前: かゆがも

> 恥ずかしい話ですが、私が一番困るのは、兄弟の、親に対する無関心だけではなく、兄弟同士も疎遠で、しかも仲が良くない、ということです。それに加えて、私は兄弟の仲でもっとも”味噌っかす”で、立場が弱く、兄弟に対して気を使いすぎて言いたいことの一つも言えません。
もしかして、末っ子か、兄弟中唯一の女性ですか。

> うちの場合、母は既に他界しており、後期高齢者になろうとする父が、一人で実家に暮らしているのです。
> 母が亡くなった時点で、私は、一人残された父の行く末を兄弟で話し合うべきだと考えていました。
> しかしその私の考え方は誰にも受け入れられず、いまだに父は放って置かれています.
> 父自身は、「子供には子供の人生があるから、誰にも世話になる気は無い。そういう時代だ」・・・・と、やきもきと心配する私に言ってくれます。残された僅かな蓄えで、施設に入るなりなんなりして、何とか一人でやっていこうと思っているようです。
> その父の気持ちを知っているからといって、果たしてこのままでいいのか・・・。
父の誰かの世話にはならない、という気持ち自体は立派なものなんですよ。

> 現実に今、父は、あの歳で、日々、一人で家事をこなして暮らしているのです。
> 父が、一人でお皿を洗っている姿や、洗濯物を干している姿を思うだけで、私は胸が締め付けられて、たまらなく苦しくなります。
これは家事を悪く捉えすぎでは。
ご高齢の方でも自分で動けるうちは、自分で出来ることは自分でやったほうが、健康のためにも、ボケ防止のためにもよろしいです。

> 父は、本当に子供たちに何も求めてきませんが、私が放っておけなくて、今は、毎週末に、夫と一緒に、「遊びがてら」を装って実家に行き、出来るだけの家事をしています。
私が何かを言う前にもう行動はされてるんですね。

> それも、私の場合は、悲しいことに、行かなくてはならない、という”義務感”になると、気持ちの負担になることが分かっているので、へんな言い方ですが、何気なさをいつも心がけています。そうすれば、父も、「やってもらっている」感が少なく、気持ちに負担をかけないかな、と・・・。
> 私は、何事もこうして、考えすぎるので疲れてしまうのです。
> 嫌な言葉で言うと、「計算高い」のです。それが自分の一番嫌なところです。
計算高い、というのは本当は自分の利益のためにやってるのに、相手のためかのように装うことです。この場合は逆じゃないですか、逆の場合は思いやりと言います。

> 口では言わないまでも、そうすれば父が本心では喜ぶと分かっているのに、何もかも引き払い、父のところに行く決心が出来ない自分を、ずるくて冷たい女だと思います。
誰にだって立場があります。父にしたってあなたの幸せを犠牲にしてまで自分をかまって欲しくないでしょう。

> 私が家事に忙しく動き回る間、夫がずっと父の相手をしてくれています。夫はいつでもうちの実家に入っていい、と、ありがたいことをずっと言ってくれているのに、私が”NO”なのです。なんと情けないことでしょう。
今時、なんともありがたい夫ですね!

> 自分の利益を守りたい気持ちと、父への強い愛情の狭間で、窒息しそうな日々です。
そもそもお父さんはどう考えてるんでしょうか。
自分が元気なうちは妻との思い出のある実家から出たくない、というのはあり得ることです。
元気なうちは独りでいたい、というのはそんなに悪いことではないと思うのですが。
それに、週に一回は様子を見に、家事を手伝いに行っているわけですし、現状はそんなに悪くなさそうですが。

> 普段父のことを考えるとき、ほかの兄弟のことは不思議なくらい頭に浮かびません。
頼りにならないと考えているのでしょうね。

> 現実問題として、父に多少でもしてあげられるのは、自分と夫しかいない、と分かっているからです。
> やる気の無い人にイヤイヤしてもらう父を想像するだけで、悲しくなりますから・・・。
子供の面倒を見るのって人間でなくとも、動物でもやるんですよ。
しかし、年老いた親の面倒を見るのは人間だけです、とても善い行いなんですよ。
それが分からないというのは残念で、可哀相な人たちです。

> 一般的に言えば、貧乏くじを引かされた、と愚痴を言われても仕方ない夫に、「いつもごめんね、私一人っ子じゃないのにうちばっかり」とか、「ありがとうね」と、毎週しつこく言う私に、夫は「別に〜・・・みんな忙しいんだよ。俺、暇だモ〜ン」・・・と笑って言ってくれます。
う〜ん、善い旦那さんだなあ。

> こんな有難い夫だからこそ、自分の親にもかかわらず二の足を踏んでいる自分の狭い心が許せないのです。
でも、父の意向が一番重要視されるべきでは。

> レスを拝見した限り、かゆがもさんは一人っ子のようですが。
弟がいるのですが、まだ自分の仕事で手一杯のようでまだ親の老後のことまでは考えが回らないと思います。

> かゆがもさんが、転職をしてまで故郷に戻られたエネルギーに、心から脱帽します。
独身ゆえの身軽さですよ、家庭があったら私も簡単に行動できなかったでしょう。

> 仕事の手が空いた時に、夫が緊張した様子で電話をくれて、「あの時は、自分が全部悪かった、ごめんね、忘れて!」とはっきり言ってくれました。
おお、やはり今時稀有な善い旦那さんですね、是非これからも仲良くしていってください。
恐らく、大抵の難関は二人で乗り越えられるでしょう。

> かゆがもさんのおかげで、立ちなおりつつあった私は、夫が口を切る前に、「誰でも、疲れてる時もあるし・・・いちいちこのくらいのことでくよくよして、いつまでも嫌な思いさせてごめんね・・・」と、小さな声で言ったのですが、夫はそれを打ち消すように、自分の非を謝りはじめました。
つくづく、旦那さんには頭が下がります。そしてあなたにも。

> 身に降りかかる試練に、無駄なことは一つもない・・・という言葉を信じたくなる瞬間でした。
忍耐は最高の修業であるとも言いますしね。

> 心置きなく、二人三脚で、父の今後を考えていけます。
> 想像していたとおり、自分の中ではもう既に、父への心配が心の錘にとって代わっています・・・。
> 道のりは厳しいです。
もし、夫があなたの父を受け入れる気があり、父もあなたと暮らしたいと望むのであれば同居も考えても良いのでは。
しかし、この場合一番尊重されるべきは父の意向でしょう。
「自分がまだ動けるうちは、独りでいたいのだ。」と言われたらそれまでです。
これまで通り、時々様子を見に行くぐらいで十分だと思います、自分の身の回りのことができなくなったらまた考え直すことになりそうですが。
父があなた達と同居したいという意向であれば、ここは夫に甘えてはどうでしょうか。
恩返しは如何様にも出来ます。
これまで以上に夫によく尽くしたり、夫のご両親を自分の親とも思って世話したり、夫が老齢になったときに支えたり(男の方が一般的に寿命が短いので)、いろいろ出来ますよ。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.14 )
日時: 2012/05/30 14:14 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

いつも丁寧な返信、ありがとうございます。

私には兄と姉がいます。どちらも非常に責任ある仕事を持ち、子供も居ます。
2人とも、距離的にはそれほど離れていないところに住んでいます。

一番遠いのは我が家です。・・(といっても車で1時間程ですが。)
実家は、公共交通機関でのアクセスが非常に不便な、辺鄙なところにあるので、免許の無い私は夫の助力なしには実家に行けません。だからこそ余計に夫には感謝です。

父のことですが、・・・うちの父は非常に厳格で、子供達から見ると非常に怖くて近寄りがたい人でしたが、常に自分を律して生きてきた尊敬できる人です。

でもそのせいで、家族から愛想を尽かされがちなところもあったのです。
ほかの2人は、未だにその頃の父のやり方をあれこれ根に持っている、と口に出して言うのを聞き、とても驚きました。
私は細かいことにもいちいちくよくよする弱い人間なのに、なぜその私だけが、父の過去をすべて水に流してケロッとしているのか、と。

優秀な兄や姉と違い、兄弟で最もダメだった私など、殴られはしなかったものの、年がら年中正座をさせられて、本当に、カツオ君のように、長時間の説教をされたものです。でも今私には、父に対して愛情以外の何もありません。

…ということは、兄達よりは、そういう部分では幸せなのかもしれない、と思うこともあります。

・・・と申しますのは、普段は考えもしないし、頼ろうと思わない兄弟ですが、「あんな父を、よく心配しないでいられるなぁ」と、時々、変な言い方ですが、”羨ましく”思う瞬間があるのですが、もしかすると、兄たちは兄たちで、「父を赦せない」という苦しみを抱えているのではないか、…と最近思うようになったのです。
人の心の中はわかりませんので、何もそんなことで苦しんでなどいない、ただの無関心なのかもしれませんが・・。

私にとって、人を赦せない、ということが最も苦しいことなので、こんな感じ方をするのかもしれません。


・・・・それでも、歳月を経て、父も、母を亡くし、今は本当にかなり丸くなりました。

私から見ると、今は、ただの弱い年寄りです。
数年前にした大病により、体に少し不自由な部分があり、時には、その痛みで、一人では厳しいのではないか、という状態になることがあるのです。

でも、マメで綺麗好きの父は、家事を苦にする様子は無く、家もきちんと整理整頓、洗濯もし、食事は完全に自炊し、台所はいつ行ってもピカピカです。
男ヤモメにウジが湧く、とは正反対の人です。
ただ、いくら几帳面だとは言っても、そこは男ですし、不自由な体のせいで、掃除機や細かいところなどは億劫のようなので、そういう父の手の回らないところを私がそれとなくやります。

そう、・・・話はそれてすみませんが、”それとなく”、というのは、昔から私の「不思議な」特徴で、誰かに何かを”してあげたくて”するときに、相手に「ありがとう」と言われたくないのです。子供のときからこの気持ちは顕著でした。感謝の言葉を言われたくないのです。普通は逆なのでは、と思うのですが・・・。
かゆがもさん、やはり私は変ですよね。これはどう考えたらいいことなのでしょうか・・・?

本当に細かい、つまらないことですが、たとえば父にお茶を出して、「ありがとう」いう言葉を聞きたくないから、パッ、と出してササッ、っと忍者のように立ち去る、・・・といった具合です。長年やっていると、これも疲れますよ・・・。
母の生前、何かの折、そのことを言うと「あんた、変な子ね^^」と笑ってましたが・・まだまだ数え切れないおかしな性質がありますので、これは氷山の一角jですが・・。


話がそれてすみません・・・。


父は、出来る限り自分でやって、いよいよとなった時の身の振り方は自分で判断する、と今は言っています。
辺鄙な立地の、ただ広いだけで取り柄の無い古い家に私が入るのは、娘の将来を思うと現実的ではない、と考えてくれてのことです。

私は、いくら考えても自分が出来ないことに、いつまでもこだわって、罪悪感を持ち、自分が赦せなくてもがいているのです。

「出来ることだけやる」、・・・・の、「出来ること」の範囲を決める判断を、自分ですることがなかなか出来ないのです。
易きに流れようとする自分が嫌・・・。

精神的、肉体的に負担が大きすぎて、自分が潰れてまでやることは、決して良いことではないかもしれませんが、でも、潰れてまでもやるのが本当じゃないのか・・・・と言う考えも一方で湧いてきて私を苦しめるのです。

迷って迷って・・・どうするのが生きる道なのか・・・、ほとほと疲れました・・・。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.15 )
日時: 2012/05/30 17:11 (wind)
名前: かゆがも

> 私には兄と姉がいます。どちらも非常に責任ある仕事を持ち、子供も居ます。
> 2人とも、距離的にはそれほど離れていないところに住んでいます。
本来なら、お2人に力になってもらいたいところですね。

> 一番遠いのは我が家です。・・(といっても車で1時間程ですが。)
お疲れ様です。運転をしていただける、旦那さんにも。

> でもそのせいで、家族から愛想を尽かされがちなところもあったのです。
> ほかの2人は、未だにその頃の父のやり方をあれこれ根に持っている、と口に出して言うのを聞き、とても驚きました。
それでも育てていただいた父親なんですから、過去のことにこだわらず、恩返ししたほうが良いんですけどね。育てていただいた恩というのはとてつもなく大きいんです。
兄姉は責任ある仕事に付いているとのこと、父親の厳格な教育の賜物の可能性は大きいんじゃないでしょうか。

> 私は細かいことにもいちいちくよくよする弱い人間なのに、なぜその私だけが、父の過去をすべて水に流してケロッとしているのか、と。
はっきり言いましょう、あなたの方が人格が優れているからです。

> 優秀な兄や姉と違い、兄弟で最もダメだった私など、殴られはしなかったものの、年がら年中正座をさせられて、本当に、カツオ君のように、長時間の説教をされたものです。
あなたが兄姉より劣っていると思っているのは能力のことでしょう。
勉強や運動、そういったことの優劣でしょう。
能力とはただの道具です。
道具はあった方が便利ですが、人間の優劣とは関係ありません。
人間の優劣を決めるのは人格です。

> …ということは、兄達よりは、そういう部分では幸せなのかもしれない、と思うこともあります。
その通りです。
正しいもの、人格が優れている者は楽に生きられます。
現在、あなたはとても自分が楽だとは信じられないかもしれませんが、兄姉はさらに苦しんでるでしょう。
人を許せないということはいつも頭の中に許せない、怒りの対象が一緒に住んでるようなものです。

> ・・・と申しますのは、普段は考えもしないし、頼ろうと思わない兄弟ですが、「あんな父を、よく心配しないでいられるなぁ」と、時々、変な言い方ですが、”羨ましく”思う瞬間があるのですが、もしかすると、兄たちは兄たちで、「父を赦せない」という苦しみを抱えているのではないか、…と最近思うようになったのです。
あってると思います。

> 人の心の中はわかりませんので、何もそんなことで苦しんでなどいない、ただの無関心なのかもしれませんが・・。
或いは無関心(無知)+許せない(怒り)かもしれません。
人の悪い感情には大別して、欲、怒り、無知の三つになるのですが、無知は他の欲、怒りと結合しやすいんですよ。
欲と怒りは結合しません。

> 私にとって、人を赦せない、ということが最も苦しいことなので、こんな感じ方をするのかもしれません。
同感ですね。

> ・・・・それでも、歳月を経て、父も、母を亡くし、今は本当にかなり丸くなりました。
> 私から見ると、今は、ただの弱い年寄りです。
> 数年前にした大病により、体に少し不自由な部分があり、時には、その痛みで、一人では厳しいのではないか、という状態になることがあるのです。
その時こそはあなたの出番ですが、出番をきめるのは父とあなたの相談でしょうね

> でも、マメで綺麗好きの父は、家事を苦にする様子は無く、家もきちんと整理整頓、洗濯もし、食事は完全に自炊し、台所はいつ行ってもピカピカです。
動けるうちは家事は自分でやった方が健康に良いですね。

> 男ヤモメにウジが湧く、とは正反対の人です。
はっ、耳が痛いですな。

> ただ、いくら几帳面だとは言っても、そこは男ですし、不自由な体のせいで、掃除機や細かいところなどは億劫のようなので、そういう父の手の回らないところを私がそれとなくやります。
やはり、現状はそれなりに上手く行ってるのではないでしょゆか。

> そう、・・・話はそれてすみませんが、”それとなく”、というのは、昔から私の「不思議な」特徴で、誰かに何かを”してあげたくて”するときに、相手に「ありがとう」と言われたくないのです。子供のときからこの気持ちは顕著でした。感謝の言葉を言われたくないのです。普通は逆なのでは、と思うのですが・・・。
> かゆがもさん、やはり私は変ですよね。これはどう考えたらいいことなのでしょうか・・・?
いや、思いやりの一環だと思いますよ。
相手にすまない、という気持ちにさせたくないのでしょう。

> 本当に細かい、つまらないことですが、たとえば父にお茶を出して、「ありがとう」いう言葉を聞きたくないから、パッ、と出してササッ、っと忍者のように立ち去る、・・・といった具合です。長年やっていると、これも疲れますよ・・・。
> 母の生前、何かの折、そのことを言うと「あんた、変な子ね^^」と笑ってましたが・・まだまだ数え切れないおかしな性質がありますので、これは氷山の一角jですが・・。
「ありがとう」という言葉は聞く側にとってそんなに悪い気持ちではありません。
言う側にとっても感謝の表明なのでやはり悪い感情ではありません。
今度は「ありがとう」を受け止めてあげては?

> 父は、出来る限り自分でやって、いよいよとなった時の身の振り方は自分で判断する、と今は言っています。
立派な態度ですね、私もそうしたいです。
「わかったわ。無理はしないでね。でもしてもらいたいことがあったら何でも言って頂戴。」というぐらいでよろしいのでは無いでしょうか。

> 辺鄙な立地の、ただ広いだけで取り柄の無い古い家に私が入るのは、娘の将来を思うと現実的ではない、と考えてくれてのことです。
静かな田舎なんて私はあこがれちゃいますけどね、まあ、私の実家も大概田舎ですが。

> 私は、いくら考えても自分が出来ないことに、いつまでもこだわって、罪悪感を持ち、自分が赦せなくてもがいているのです。
> 「出来ることだけやる」、・・・・の、「出来ること」の範囲を決める判断を、自分ですることがなかなか出来ないのです。
> 易きに流れようとする自分が嫌・・・。
人は配られたカードで勝負するしかないんですよ。
そしてで出来る以上のことをするのは不可能です、自分の今の限界を認めては。
現時点で父のお世話は本人が家事が出来ることもあって上手く回っていると思います。
また、父の具合次第で限界の枠を広げるのでも良いのでは、と思いました。

> 精神的、肉体的に負担が大きすぎて、自分が潰れてまでやることは、決して良いことではないかもしれませんが、でも、潰れてまでもやるのが本当じゃないのか・・・・と言う考えも一方で湧いてきて私を苦しめるのです。
そもそも父があなたが潰れるまでお世話することを望まないでしょう、厳格で己を律してきた人なのでしょう。

> 迷って迷って・・・どうするのが生きる道なのか・・・、ほとほと疲れました・・・。
私の判断で恐縮ですが、現時点での父のお世話は上手くいっていると思います。
もし、週一で不満なようなら、週二でお世話をしにいくという方法もあると思います。

もう一つ思いつくのは父の近況を時々手紙にして兄姉に報告しますね。
そうすればあなたが父の世話のために頑張っていることが伝わり、協力もえられるかも、知れません。
あくまで可能性ですが、兄姉にも親孝行をする機会をあげたいものです。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.16 )
日時: 2012/05/30 21:18 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

かゆがもさんのおっしゃった、「無理はしないでね。でも、困ったこととか、してもらいたいことがあったら、何でも言ってね。」・・・という言葉は、まさしく父に対して、最近私が、富に言っている言葉です。

週末に行った時、父の行動や言動に少しでも違和感を感じたりすると、自分の家に戻っても父の様子が気になって仕方なくなります。
もしかすると倒れてるんじゃないか、とか火の元は平気かしらとか、運転は大丈夫?とか・・・・。いてもたってもいられなくなって、電話することがあります。またそのときも、”それとなく”用事を作って、ですが・・。
無事を確認すれば私も安心して、最後に、「困ったことがあったら言ってね。子供に迷惑かけるの嫌だから、とか、お願いだからそういう考えだけはやめてね、そっちのほうが迷惑だから。もう、そういう歳じゃないんだよ」と言わせてもらいます。

気丈でプライドが高くて、近寄りがたく、周囲に弱みを見せずに威厳だけを守って生きてきたような父に、子供の中でも一番味噌っかすな私がこんなことを言える日が来るなんて、思っても見ませんでした。
父も不本意かもしれないです・・・(笑)
人生は深いなぁ、と感じます。


結局私は過度な心配性で、何事も針小棒大に考え、取り越し苦労ばかりして勝手に疲れているのです。

かゆがもさんがおっしゃるように、現状としてはうまく回っているのだと思います。

私のダメなのはそこです。つまり、「今を生きること」が出来ないのです。
過去を追うな、未来を願うな・・・というお釈迦様のことばを自分の最大の課題として、紙に書いて部屋に貼ってもいますが、何年経っても全く身に付きません。
先の心配ばかりして、「今」を台無しにする日々です。
現時点では問題なくても、明日来るかもしれない異変が怖くて、いつもおびえています。
襲ってくるかもしれない衝撃に備えて、常に身構え、体を硬くしているのです。

身構えていないと、とても衝撃を受け止められないと思うからです。
”臆病病”とでも言うのでしょうか。

今も、父を失う日が、遠くない将来に来るであろうことに怯えてばかりいます。
そして、その前に来るであろう父の衰えを受け入れるのが怖い・・・。来てしまえば受け入れるしかないのに。そんな先のことばかり考えているのです。
かゆがもさんから見れば、こんな私が、仏教の本を読んでいるなんてとても思えないでしょうね。本当に無様な仏教徒です。

これほど身に付かない者もいないのではないか、と呆れます。

仏教に近付くきっかけは人それぞれだと思いますが、かゆがもさんはどういった経緯で仏教徒になられたのですか?

私のように、ただただ苦しくて、今の自分がとにかく楽になりたくて縋り付いた、というようには思えないのですけど・・・。

今の私にとってのかゆがもさんは、僧侶そのものです。

僧侶の説法をきく、という私の夢が、叶えられたかのようです。
本当にありがたくてたまらないです。

本の活字で読む言葉よりも、かゆがもさんが、私一人に向けてアドバイスして下さる生の言葉に、熱を感じます。

かゆがもさんは、このサイトでは、なくてはならないお忙しい存在です。ご自分のお時間を削ってまで、悩める人々の力になっておられるように見受けられます。まるで見返りを求めないボランティア活動をされているようです。

まさしく仏教徒なのですね。

全く、こうして私はいつも余計なことばかり書き込むので、さぞかしご迷惑なことと思います。本当にすみません。

・・・そう、兄たちには、普段は気持ちに負担をかけるのがいやで、メールひとつしませんが、父に少しでも異変を感じたときは、メールで知らせるようにしています。
でも、またいつもの私の取り越し苦労だろう、と捕らえているのでしょうか、・・・全くなしのつぶてです。
また私の、「狼が来た」だと思っているのかもしれません。その意味では自業自得です。


   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.17 )
日時: 2012/05/31 09:20 (plala)
名前: かゆがも

> かゆがもさんのおっしゃった、「無理はしないでね。でも、困ったこととか、してもらいたいことがあったら、何でも言ってね。」・・・という言葉は、まさしく父に対して、最近私が、富に言っている言葉です。
やはりやれることはすでにやってる感じですね。

> もしかすると倒れてるんじゃないか、とか火の元は平気かしらとか、運転は大丈夫?とか・・・・。いてもたってもいられなくなって、電話することがあります。
父が病に倒れる、突然の死は起こるときは起こります。
そのことは覚悟されたほうがよろしいでしょう。
そしてその時後悔しないように、しっかり世話をするしかないように思います。

> 無事を確認すれば私も安心して、最後に、「困ったことがあったら言ってね。子供に迷惑かけるの嫌だから、とか、お願いだからそういう考えだけはやめてね、そっちのほうが迷惑だから。もう、そういう歳じゃないんだよ」と言わせてもらいます。
上手い言い方ですね。

> 気丈でプライドが高くて、近寄りがたく、周囲に弱みを見せずに威厳だけを守って生きてきたような父に、子供の中でも一番味噌っかすな私がこんなことを言える日が来るなんて、思っても見ませんでした。
> 父も不本意かもしれないです・・・(笑)
そうでしょうかね。
頼りなかった末っ子が、頼もしくなったことに喜んでいるかもしれませんよ。

> 結局私は過度な心配性で、何事も針小棒大に考え、取り越し苦労ばかりして勝手に疲れているのです。
裏を返せば心配性は大きな失敗を避けるためです、上手くコントロールできれば役に立つと思います。
たとえば父の世話は父が許す限り、自分の出来る限りかんばる、
しかし、それでも父が病に倒れたり、突然死んだりすることはあり得るのだ、と覚悟する。

> 私のダメなのはそこです。つまり、「今を生きること」が出来ないのです。
> 過去を追うな、未来を願うな・・・というお釈迦様のことばを自分の最大の課題として、紙に書いて部屋に貼ってもいますが、何年経っても全く身に付きません。
> 先の心配ばかりして、「今」を台無しにする日々です。
> 現時点では問題なくても、明日来るかもしれない異変が怖くて、いつもおびえています。
> 襲ってくるかもしれない衝撃に備えて、常に身構え、体を硬くしているのです。
人間は過去の嫌なことを思い出しては悔やみ、未来の不安を思っては怯えます。
ですが、実際に在るというのは今・現在だけで、過去も未来も頭の中の幻想・思考の産物です。
人は時間があると、過去を悔やんだり、未来に不安を覚えたり、ろくなことを考えません。
ですから、今・現在で自分の幸せのためにできることに集中することをお勧めします。
最善の今・現在の積み重ねが、最良の未来に繋がるのだと思います。

> 身構えていないと、とても衝撃を受け止められないと思うからです。
> ”臆病病”とでも言うのでしょうか。
ある程度の臆病は役に立つと思います。それを使いこなせればいいのですが。
人は悪いことをすることに対し、夜も眠れないぐらい臆病になったほうがよい、と何処かの長老も言ってました。
そのように臆病を生かしてみては?

> 今も、父を失う日が、遠くない将来に来るであろうことに怯えてばかりいます。
> そして、その前に来るであろう父の衰えを受け入れるのが怖い・・・。来てしまえば受け入れるしかないのに。そんな先のことばかり考えているのです。
父の衰えも、父も避けられないことです、覚悟が必要ですね。
そして父のことを、衰えて、死んで、可哀相と思うかもしれませんが、
なんのことはない、我々自身も衰えて、死ぬんです。

> 仏教に近付くきっかけは人それぞれだと思いますが、かゆがもさんはどういった経緯で仏教徒になられたのですか?
> 私のように、ただただ苦しくて、今の自分がとにかく楽になりたくて縋り付いた、というようには思えないのですけど・・・。
私も似たようなものですよ、苦しみから逃れたかったんです。
下記にまとめたのは何時か僧(サンガ)の長老方にお会いしたとき、自己紹介するために考えた文章です。
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30代半ばを過ぎて生きることに非常に疑問を持ちました。
仕事などで難問にぶつかると、生きるために仕事をして糧をえているのに、なぜ仕事で死にたいほど辛い目にあわなくてはいけないのか。
これでは本末転倒ではないか、そもそもなぜ人は生きなければならないのか、疑問に思うようになりました。
「なぜ生きなければならないか」いくら考えても答えはでませんでした。
自分で考えてダメなら過去の賢者や哲学者は解決していないかと思い、本屋・古本屋に向かいました。
しかし、どの本も疑問には答えてくれませんでした。
そこで「なぜ生きなければならないか」という難問は置いておいて、
それでは「自分はいったい何をしたいのか」ということを考えてみました。
そして考えた末、「自分は幸せになりたいのだ」ということに気がつきました。
この考えに出会ったときはとても重要なことに気づいた、と大変喜びました。
さらに、「自分が幸せになるためには家族や友人、自分の大切な人たちも幸せである必要がある。」と考えました。
(後に仏教に出会い、自分と親しい者の幸せだけでなく、全生命の幸せを願うべきである、という考えに触れたときは驚きました。)
私は両親が嘆き悲しんでいるのに、自分だけ幸せで笑っていることを想像できませんでした。
私はさっそく故郷に帰り、歳をとり、これから弱っていくであろう親のそばで暮らすことにしました。
両親も大変喜びして大成功でした。
しかし、私は同時に「自分は完全な幸せでない」ことに気づきました。
勉強し大学に受かって資格を取得できても、望んだ仕事に就けても、体を鍛え体力がついても、お金を貯めても
もちろん、大学に受かるのも、望んだ仕事に就くのも、体力がつくのも、お金がたまるのも楽しいことです。
でも完全な幸せ、という状態にはなりませんでした。
もしかしたら、私が独身のせいなのかとも思いましたが、
世間を見回すと自分の子供のことで悩んだり、配偶者の不平不満を言っていたり、
妻を娶ったから、子供が生まれたから、完全な・最高の幸せであるとは思えませんでした。
そこでまた私は過去の賢者や哲学者は解決していないだろうかと思い、本屋・古本屋に向かいました。
そこでソクラテスの「無知の知」を知ったり、老子の「タオ」を知ったりして大変感銘を受けました。
禅宗の本も読みましたが、何か大切なことを言ってるようなのですが難解でわかりませんでした。
そして長老の著書「仏教は心の科学」に辿り着きました。
大変楽しく拝読できました。ちなみに中古本で100円で購入できました(笑)。
そして、仏教は他の宗教と違い、要するに心の法則について語っているのだと気づきました。
そして長老の様々な著書を読み漁るようになりました。
著書の中の「まさか、あなたは本で読んだことを知識だけにするつもではないでしょうね。」といった内容の、長老の大変挑発的な文に刺激を受け、「よし、瞑想にチャレンジしてやろう、自分で本当かどうか試そう!」と考えるようになりました。
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> まさしく仏教徒なのですね。
どう考えても端くれですが〜。

> 全く、こうして私はいつも余計なことばかり書き込むので、さぞかしご迷惑なことと思います。本当にすみません。
ここはこういうための掲示板ですよ。

> ・・・そう、兄たちには、普段は気持ちに負担をかけるのがいやで、メールひとつしませんが、父に少しでも異変を感じたときは、メールで知らせるようにしています。
> でも、またいつもの私の取り越し苦労だろう、と捕らえているのでしょうか、・・・全くなしのつぶてです。
> また私の、「狼が来た」だと思っているのかもしれません。その意味では自業自得です。
父の異変があるときにメールするのも一つの方法ですが、
定期的に父の様子を伝えるのも一つの方法かもしれませんね。
今日は○○を食べてとても喜んでた、最近めっきり弱くなった、ビンの蓋も開けられなかった・・・
などと普段の様子を定期的に伝え、父がもう昔の厳しい、力強い頃とはもう違う、年老いた老人なのだ、丸くなったのだ、ということが伝われば、兄姉の態度も変わる可能性があるのでは、と思いました。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.18 )
日時: 2012/05/31 12:28 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

私の余計な質問にまでお答えいただき、ありがとうございます。

かゆがもさんが仏教徒になられた経緯を拝読して強く感じたのは、私とは真逆の、とてもとても頭のいい方だ、ということです。

これは、このやり取りを通じていつも思って来たことでもありますが、ご自分の中に現れた気持ちを具現化し、冷静に分析なさる能力に優れた方だ、と感じました。

こんな感じ方をするのは、私自身が、常に、そうなりたいと思っているからです。
私は、心に漂う様々な思いを、うまく整理して、秩序立てて言葉にすることが苦手です。伝えたいことの半分も伝わらない気がして、いつももどかしい気持ちになります。

それに、「自分がどうしたいのか」「やりたいことは何か」・・・と考えるのも苦手です。これも私の変な特徴なのですが、何がしたいのか、いくら考えても分からないのです。好奇心が薄く、物欲も薄いです。衣食住も、最低限のもの意外、全く欲しいと思わないのです。
この価値観は夫も同じなので、物に対するこだわりも無い、異常なほどシンプルな、悪く言えば貧乏くさい生活です。
これは節約の意味では利点かもしれませんが、一方で、巷にあふれるブランド品などを欲しがる人を、羨ましくも感じるのです。
それが、その人たちのエネルギーになっていると思えるから。

とにかく私は昔から、自分のやりたいことが何なのかが全くわからないのです。
就職もせず、なんと、初めてお付き合いした男性である夫と結婚して、今に至ります。世間の荒波に揉まれていないから未熟なのだ、とも思います。
結婚以来20年、ずっと、お互いの親との交流だけに終始してきた夫婦なのです。レジャーなども興味がなく、とにかく実家の親のところへ、夫と足しげく通うだけの年月でした。


以前、母を見送ったときも、相当苦しみ、もがき、本当に、こんなに苦しいなら自分の命を絶ってしまおう、とまで考えた日々でしたので、そう遠くない将来、またあの恐怖が襲ってくる・・・と思うだけで息が止まりそうになります。
これほどまでに親の死が怖いのは、自分の人生を生きて来なかったからかな、と、今になって思います。
親離れできていない典型だと思います。

覚悟。
その一言に尽きるのですよね。
理屈で分かっているのにジタバタする。

かゆがもさんが、まるでスポンジのように仏教を吸収されている様子に、敬意を禁じ得ません。
能力の高さを感じ、心から羨ましく思います。

サプリメントCMに、「効き目には個人差があります」というテロップが出るのを思い出します…。

・・・そうそう、これもつまらない質問ですみませんが、かゆがもさんは「五戒」の中の、「不殺生戒」も実行されているのですか?
お坊さんは蚊も殺さない、といいますが・・・私は昨日、暖かくなってとうとう今年も台所に現れた、小さい”ゴ○ブリ”を殺生しました・・・。
蚊も、ほぼ反射的に、死に物狂いで追いかけてしまいます。

でもそのたびに、殺生してごめんね、・・・という思いが湧きはしますが・・・。


   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.19 )
日時: 2012/06/01 11:16 (wind)
名前: かゆがも

> こんな感じ方をするのは、私自身が、常に、そうなりたいと思っているからです。
> 私は、心に漂う様々な思いを、うまく整理して、秩序立てて言葉にすることが苦手です。伝えたいことの半分も伝わらない気がして、いつももどかしい気持ちになります。
人は外界から目鼻耳舌身体から情報が入ると、対象を認識し、感情が起こります。
そしてその感情に支配されたり、感情のままに行動すると失敗するんですよ。
夫から意外な言葉を聞いてしまって悲しくなっても、夫にも言い分や考えがあるでしょう。
父の様子を見て不安に思っても、父にも立場があるでしょう。
感情に支配されず、理性によって具体的な解法を探すのが良いと思います。
自分の努力によって何とかなりそうなことは頑張る。
自分の努力によってどうにもならないことは放っておきます。

> それに、「自分がどうしたいのか」「やりたいことは何か」・・・と考えるのも苦手です。これも私の変な特徴なのですが、何がしたいのか、いくら考えても分からないのです。好奇心が薄く、物欲も薄いです。衣食住も、最低限のもの意外、全く欲しいと思わないのです。
> この価値観は夫も同じなので、物に対するこだわりも無い、異常なほどシンプルな、悪く言えば貧乏くさい生活です。
世俗的なことに興味が薄いのは問題ないと思います。
世の中、物欲や世俗的な欲にとらわれて、なんと多くの人が苦しんでいることか(私もその1人ですが)。
衣類は今あるものや中古でも十分ですし、食事だって和風粗食の方が健康によろしい、住居だって雨風防げれば問題ありません。
もともと世俗的なものは儚いものですし、喜びも小さいですし、執着するに値しないんですよ。
それではいったい何に興味を持つべきかというと、それが人格の向上です。

> これは節約の意味では利点かもしれませんが、一方で、巷にあふれるブランド品などを欲しがる人を、羨ましくも感じるのです。
> それが、その人たちのエネルギーになっていると思えるから。
確かに欲や怒りはエネルギーになり、それで生きることは可能です。
しかし、それは苦しい生き方です。
ブランド品が欲しいということは、手に入らないときはそのことに苦しみます、手に入ったら今度はそれが失われることに苦しみます、折角手に入れてもそれは徐々に壊れていきますし、自分の趣味嗜好すら変わってしまうんです。
去年、自分に良いと思って買った服が、今年になってみるとなんとなく好みではない、などということはよくあります。

> とにかく私は昔から、自分のやりたいことが何なのかが全くわからないのです。
それでは人格の向上を目標とされてはいかがでしょうか。

> 就職もせず、なんと、初めてお付き合いした男性である夫と結婚して、今に至ります。世間の荒波に揉まれていないから未熟なのだ、とも思います。
> 結婚以来20年、ずっと、お互いの親との交流だけに終始してきた夫婦なのです。レジャーなども興味がなく、とにかく実家の親のところへ、夫と足しげく通うだけの年月でした。
旅行で見知らぬ土地に行って何になるんでしょう、変わった風景を見て、変わった食事を食べてそして疲れて帰ってくるんです。
ゴルフをして何になるんでしょう、小さなボールを小さな穴に入れてその打数を自慢するんです。
結局、レジャーというのは自分の感覚を楽しませるために行う、暇つぶしで役に立たないんですよ。
しかし、人間は退屈が苦手ですからレジャーに興じるわけです。
私もレジャーを楽しむことはありますが、そんなに執着はしませんね、所詮感覚と楽しませるだけの時間の無駄だと思ってます。
それと比べて親孝行は非常に大きな善行為です。

> 以前、母を見送ったときも、相当苦しみ、もがき、本当に、こんなに苦しいなら自分の命を絶ってしまおう、とまで考えた日々でしたので、そう遠くない将来、またあの恐怖が襲ってくる・・・と思うだけで息が止まりそうになります。
> これほどまでに親の死が怖いのは、自分の人生を生きて来なかったからかな、と、今になって思います。
> 親離れできていない典型だと思います。
人は生まれたときから死ぬことは決まっています、これは努力してもどうにもなら無いことです。
しかし、親孝行は生きている間に努力できることです。

> 覚悟。
> その一言に尽きるのですよね。
> 理屈で分かっているのにジタバタする。
努力で何とかなることは努力する、努力でどうにもならないことは放っておきます。
そういう覚悟です。

> ・・・そうそう、これもつまらない質問ですみませんが、かゆがもさんは「五戒」の中の、「不殺生戒」も実行されているのですか?
> お坊さんは蚊も殺さない、といいますが・・・私は昨日、暖かくなってとうとう今年も台所に現れた、小さい”ゴ○ブリ”を殺生しました・・・。
> 蚊も、ほぼ反射的に、死に物狂いで追いかけてしまいます。
> でもそのたびに、殺生してごめんね、・・・という思いが湧きはしますが・・・。
私も可能な限り、不殺生戒は守ってます。
私は若い頃、大学で研究のために多くの小動物を殺していますのでもう殺生はウンザリなんです。
これは仏教に興味を持ったこととも関係しています。
私は、ゴキブリも、ハエも、蚊も、雑草も殺しません。

しかし、農夫が雑草を抜かずに生きれるでしょうか、漁師が魚を殺さずに生きれるでしょうか?
凡夫として世俗で生きていくには完全に殺生を止めることは難しいんですよ。
私も台所や風呂を掃除するときはカビを殺しているでしょう。
しかし、自分の健康のため、住居を清潔に保つには避けがたいことです。
ですから自分で可能な限り不殺生戒を守るように努力はしてます。
それでも生きていく上で悪いことをしてしまいます、殺生をしてしまいます。
そういう場合は善いことをして悪い業を相殺するようにすると良いんだそうです。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.20 )
日時: 2012/06/01 13:11 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

物欲が無いことは問題ないとしても、私は、人一倍好奇心が薄いことをマイナスにしか捕らえていませんでした。
人生に深みが出ない、と感じるのです。

案の定、優しい夫のおかげで、20年もぬるま湯に浸かった人生で、世俗の垢にまみれることも無く生きて来てしまいました。
その結果、打たれ弱く、常に「自分。自分。」と、自分の心の形ばかり見つめる癖がつきました。
些細なことは、まぁ、何とかなる・・・と受け流すことが全く出来なくなってしまいました。
悩む余裕などないほど忙しい方がよかったのだろう、と思います。

かゆがもさんもおっしゃった通り、暇だとろくなことを考えないのも分かっていますので、そういう意味でも何かやりたいことでもあれば、・・・といつも考えます。
やはり、心の触れ合いがありそうなボランティアなどがいいかな、と思うこともあるのですが・・・。


好奇心が薄く、親のことばかりの私たち夫婦に、「何が楽しくて生きてるの?」と言う人がいます。
決して悪い気持ちで言うのではなく、少しは親以外のことで、自分たちの楽しみも見つけろよ、と、良かれと思って言ってくれるのはわかっています。 
時々夫婦だけで温泉にでも行って気分転換してきたらいいのに、という感じです。

悩んだとき、心がもやもやするとき、気分転換が必要なのはなんとなく分かります。

でも大きな憂いを抱えたまま、例えば遊びに行っても、少しも楽しめないですし、「気休め」に却って虚しくなるだけで・・。

やはり私は、自分の心の持ちようを探ることに終止するばかりなのです。

「暇つぶし」ではなく。「気分転換」としての旅行などは行ったほうがいいでしょうかね。

・・・・・かゆがもさんのアドバイスである、「今・現在で自分の幸せのためにできることに集中する」ということについて真剣に考えたいです。

私の場合、そこで困るのが、”自分の幸せ”とは・・・その答えがいくら考えても出ないのです。

ただただ、波風立てず、平穏に生きたい。
昔から、望みといったらそれくらい。

でもそういう生き方では生まれてきた意味がない、二つの道で迷ったら困難な方を選びなさい。困難を乗り越えるためだけに人は生まれてくる、ともいいます。


自分の幸せ・・・。
ひろさちやさんの本を読んで、「世間の物差し」で計ることをやめたのはずいぶん昔。かなり自問自答しました。
そのころは、家を買わなくちゃ、と漠然と考えていましたが、それが「皆が持っているから、結婚したらマイホームを持つのが常識だから」という考えでしかなかった、というのがよく分かったからです。

贅沢をしたい、という気持ちはその頃からポッキリと消えました。

夫と仲良く、親と仲良く。そればかり。

かゆがもさんのおっしゃる、「人格の向上」は、確かにとても憧れるところです。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.21 )
日時: 2012/06/01 15:57 (wind)
名前: かゆがも

> 私は、人一倍好奇心が薄いことをマイナスにしか捕らえていませんでした。
好奇心でしたら、善いこと、に持つことをお勧めします。

> 人生に深みが出ない、と感じるのです。
恐らく、他の世界も覗いて見たかった、そんな感じでしょうか。

> その結果、打たれ弱く、常に「自分。自分。」と、自分の心の形ばかり見つめる癖がつきました。
真剣に自分を観察していると、自分など無いのだ、という発見ができますよ。

> 悩む余裕などないほど忙しい方がよかったのだろう、と思います。
生きるってそう言う方多いと思います、私もそんな1人です。
そしてそんなことを言いつつ、死んでしまうのでしょう、あれもやりたかった、これもやりたかったと思いながら。。。
しかし、人生の時間は有限です、ですからやれることには自ずと制限があります。
ですから本当にやりたいこと、それ以上にやらなければならないことを誤らないことだと思います。
親孝行のために旅行やレジャーが犠牲になっても別に良いんですよ。
やりたいことより、やるべきことのほうが優先度が高いです。

> かゆがもさんもおっしゃった通り、暇だとろくなことを考えないのも分かっていますので、そういう意味でも何かやりたいことでもあれば、・・・といつも考えます。
> やはり、心の触れ合いがありそうなボランティアなどがいいかな、と思うこともあるのですが・・・。
善いことには大きく分けて二種類在ります。
それは善いことをすることと、悪いことを止めることです。
善いこととは所謂人助け、人に優しくすること、人に益すること、ボランティアとか親孝行はよく当てはまります。
悪いことを止めることとは嘘・泥棒・殺生・姦淫・酒・麻薬といったことを止めることです。
人助けは困っている人がいないと出来ませんが、悪いことを止めることはいつでも出来る善い行いです。

> 時々夫婦だけで温泉にでも行って気分転換してきたらいいのに、という感じです。
レジャーや旅行は無価値だと思ってますが、それでも我々凡人には必要だと思うんですよ。
そこまで強くないですから。

> でも大きな憂いを抱えたまま、例えば遊びに行っても、少しも楽しめないですし、「気休め」に却って虚しくなるだけで・・。
残念ながらこの世で虚しくないものはありません。
そもそも人間は息を二三分止めていたら、水を二三日断ったら、死んでしまうような生き物です。
生命そのものが虚しいんです。
仕事が上手くいっていても、お金があっても、地位があっても、家庭が上手くいっても、一抹の虚しさが拭いきれないのはそのためです。
その虚しさを断ちたいというなら、それはもう仏道の修業に入るしかありません。
虚しさの原因を探るんです。

> やはり私は、自分の心の持ちようを探ることに終止するばかりなのです。
もしかしたら、もう仏教の勉強だけでなく、実践する時期にきているのかもしれませんね。

> 「暇つぶし」ではなく。「気分転換」としての旅行などは行ったほうがいいでしょうかね。
暇つぶしでも気分転換でも割り切ってやる分にはかまわないと思います。

> 私の場合、そこで困るのが、”自分の幸せ”とは・・・その答えがいくら考えても出ないのです。
まず、その「自分」とは何かが問題になりそうですね。

> ただただ、波風立てず、平穏に生きたい。
> 昔から、望みといったらそれくらい。
波風が全く立たない、というのは無理でしょうが減らす努力は出来ます。

> でもそういう生き方では生まれてきた意味がない、二つの道で迷ったら困難な方を選びなさい。困難を乗り越えるためだけに人は生まれてくる、ともいいます。
選択をするときに、苦労するほうが正しいことはよくあると思います。

> 自分の幸せ・・・。
> ひろさちやさんの本を読んで、「世間の物差し」で計ることをやめたのはずいぶん昔。かなり自問自答しました。
> そのころは、家を買わなくちゃ、と漠然と考えていましたが、それが「皆が持っているから、結婚したらマイホームを持つのが常識だから」という考えでしかなかった、というのがよく分かったからです。
人の幸せは人それぞれなんですよ。
幸せな家庭を築きたいという人もいれば、ビジネスで成功したいという人もいますし、武道を1人で極めたいという人もいます。

> 贅沢をしたい、という気持ちはその頃からポッキリと消えました。
それは良いことです。

> 夫と仲良く、親と仲良く。そればかり。
これだって素晴らしく良いことです。

贅沢をやめ、家族と仲良くすることは人格の向上に役立つと思います。

> かゆがもさんのおっしゃる、「人格の向上」は、確かにとても憧れるところです。
人が死に面して最後に持っていけるのは財産でも、肉体でも、家族でもありません。
最終的に残るのは人格ぐらいなんですよ。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.22 )
日時: 2012/06/02 14:04 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

昨日、かゆがもさんに薦められてすぐ注文していた『怒らないこと』が届き、一気に読みました。

想像以上に噛み砕いてあり、分かりやすい内容でした。

法話の講義を文字に書き起こしたものなので、想像以上に分かりやすくて、難解な文章が苦手な私も一気に読み進めることができました。

なんと驚いたことに、この、アルボムッレ・スマナサーラ長老の書かれた『ブッダの教え 一日一語』という本が、数日前に図書館で借りてきた5冊の中に含まれていることに気づきました。

こちらの本も、ぜひ注文して、バイブルとして手元に置いておこうと思います。


今日はこれから、介護施設に入っている主人の母に逢いに行ってきます。

そして明日は私の父のところに行きます。

私は何事も用意周到でないと不安な性格で、馬鹿げた話と思われるでしょうが、実家に行くのは週末だけでも結局はそれまでの一週間を、日々、その準備として費やすことになるのです。

実家からの帰りの車の中ではもう既に、「来週は、さて、父にどんな惣菜を拵えてあげたらいいかしら・・・・?」と、思案し始めます。
情けないことに、器の小さい私は、そのくらいのことがプレッシャーになってしまい、心の負担にも感じてしまうのです。
そういう自分が嫌です。

平日買い物に行くたびに、自分の生活の毎日の食材と同時に、父にまとめて作り置きすべき惣菜メニューをあれこれ思案するのですが、能力が低いためか、それがまだとても苦痛を伴います。

同じ主婦でも、常に大家族の日々の食事をまかなう人達もいるのですから、自分も、これを修行だと思うべきですね。

でも、苦しいようでも、父を放って置くことの方が確実に苦しいのは間違いありませんから、逃げることでは決して解決しませんよね。

実家で、一心不乱に洗濯、掃除、大量の料理をしているとき、心の中にあるのは不思議と充実感だけなのです。
あぁ、面倒だなぁ・・・とは少しも思えず、ひとつでも多くのことを父にして上げてから帰ろう!と…という使命感に燃えている感じです。
義務感が無いからそのような余裕があるのだと思います。

残念ながら、長期闘病した母を亡くしたときには、様々なことが絡み合ったこともあり、そういうわけにはいきませんでした。

愛情と、苦しみ、悲しみ、怒り、自己愛・・・・あらゆる感情の渦の中で長い間もがき苦しみ、あまりの生き地獄感に、本気で自分の死を考えた程でした。

母に対しては、今も大きな大きな後悔を持っています。
「後悔」は「怒り」であり、「反省」とは違う、と知り、微妙なニュアンスの違いでしかないけれど、大きな違いなのだな、と思いました。

母の死からいくら時間が経っても、私の心の傷は少しも癒えません。
いつも母には、詫びながら生きずにいられません。

・・・そういう背景もあり、余計に、父に対しては、少しでも後悔をせずにすむようにしたいものです。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.23 )
日時: 2012/06/02 15:10 (wind)
名前: かゆがも

> 昨日、かゆがもさんに薦められてすぐ注文していた『怒らないこと』が届き、一気に読みました。
> 想像以上に噛み砕いてあり、分かりやすい内容でした。
早いっすね〜

> なんと驚いたことに、この、アルボムッレ・スマナサーラ長老の書かれた『ブッダの教え 一日一語』という本が、数日前に図書館で借りてきた5冊の中に含まれていることに気づきました。
今、長老の本は仏教関連の中では売れているほうだそうです。

> 今日はこれから、介護施設に入っている主人の母に逢いに行ってきます。
> そして明日は私の父のところに行きます。
ご苦労様です。

> 私は何事も用意周到でないと不安な性格で、馬鹿げた話と思われるでしょうが、実家に行くのは週末だけでも結局はそれまでの一週間を、日々、その準備として費やすことになるのです。
用意周到、大いに結構だと思いますが。

> 実家からの帰りの車の中ではもう既に、「来週は、さて、父にどんな惣菜を拵えてあげたらいいかしら・・・・?」と、思案し始めます。
> 情けないことに、器の小さい私は、そのくらいのことがプレッシャーになってしまい、心の負担にも感じてしまうのです。
> そういう自分が嫌です。
人は同じ味、同じ刺激を繰り返されると飽きる傾向がありますから、同じものを繰り返さず、あとは健康によければ何でもよろしいかと思います。

> 平日買い物に行くたびに、自分の生活の毎日の食材と同時に、父にまとめて作り置きすべき惣菜メニューをあれこれ思案するのですが、能力が低いためか、それがまだとても苦痛を伴います。
> 同じ主婦でも、常に大家族の日々の食事をまかなう人達もいるのですから、自分も、これを修行だと思うべきですね。
そうですね・・・、私の母などはネットでもいろいろ料理法を研究しているみたいです。
下記のサイト、非常に有名なのでご存知かも知れませんが、参考までに。
http://cookpad.com/

> でも、苦しいようでも、父を放って置くことの方が確実に苦しいのは間違いありませんから、逃げることでは決して解決しませんよね。
冷静な判断をされているようでよかったです。
料理を迷う苦しみと、父を放って置くことの苦しみでは、後者のほうが段違いに大きいです。

> 実家で、一心不乱に洗濯、掃除、大量の料理をしているとき、心の中にあるのは不思議と充実感だけなのです。
> あぁ、面倒だなぁ・・・とは少しも思えず、ひとつでも多くのことを父にして上げてから帰ろう!と…という使命感に燃えている感じです。
仏教において様々な家事、料理の準備などもすでに修業の一環なのだそうです。
禅宗などではお料理を担当するのは典座といって位が上のお坊さんが担当されるんだそうです。
家族を養い、世話をすることは尊いことである、とされてます。

> 義務感が無いからそのような余裕があるのだと思います。
大変素晴らしい心構えだと思います。

> 残念ながら、長期闘病した母を亡くしたときには、様々なことが絡み合ったこともあり、そういうわけにはいきませんでした。
こんな時の為の反省ですね。

> 母に対しては、今も大きな大きな後悔を持っています。
> 「後悔」は「怒り」であり、「反省」とは違う、と知り、微妙なニュアンスの違いでしかないけれど、大きな違いなのだな、と思いました。
いや、勉強の進みが速いのでびっくりです。

> 母の死からいくら時間が経っても、私の心の傷は少しも癒えません。
> いつも母には、詫びながら生きずにいられません。
仏教には回向という儀式があります。
自分の行った善行為による善業を死者に回向するんです、やってみますか。
http://www.j-theravada.net/qa/gimon22-23.html
死者への祈り Q&A

> ・・・そういう背景もあり、余計に、父に対しては、少しでも後悔をせずにすむようにしたいものです。
正しい対処法だと思います。それが反省ですから。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.24 )
日時: 2012/06/02 21:15 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

いつも、打てば響くお応え、感謝いたします。
お料理サイトのアドバイスまで下さり、ありがとうございます。

料理は子供の頃から、体の弱かった母の代わりにやっていたので、料理自体は全く苦ではないのですが、
・短時間で、
・なるべくリーズナブルな価格で多くの種類の食材を選んで、
・味のバラエティーをそろえ、
・・・・・などなど、と様々な制約が伴うので、かなり悩むところとなります。

やはり、一人でいる父の栄養のバランスがとても気になります。
野菜料理などの手の込んだものは自分で作らず、主に野菜ジュースに頼っている父のために、少しでも多くの栄養ある料理をつくり置きしてあげたい一心です。

男性は総じてその傾向があるかもしれませんが、父には、進んで野菜を取らなきゃ・・・という意識はあまり無いので、せめて野菜ジュースだけは欠かさぬようお願いしていますが。

あの歳になって、あれだけちゃんと男一人でやっているのだから、これ以上父に、もっと自己管理しろ、とか、…何かを求めるのは酷で、心配なら自分がしてあげるしかないですよね。
それが出来ないなら「心配だと、心配だ」と思う資格は無い、・・・と、今は思うことにしています。。
これは、母のときに、様々な失敗の経験から学んだことです。・・・と言っても、まだまだ悩みまくりですが・・・。

でも母が、自分の命を以ってして最期に私に教えてくれたことなので、それを無駄にしないことが、母への供養にも繋がると思いたいです。

母の死を通して経験した地獄のような日々は、死ぬほどに苦しかった反面、本当に沢山のことを残してくれたと思います。

病気と闘う人、車椅子に乗った人、老々介護する人などを見た時の感じ方も、以前と随分変わりました。
以前も憐憫の気持ちは強いほうでしたが、今はもっと深いところで何か強いものを感じます。
今までの自分の感じ方は、表面的な同情でしかなかったのだな、と実感します。

死を見つめることは即ち『生』をみつめること、という言葉の意味も少しずつわかるようになりました。

そう、仏教のサイトのご紹介、ありがとうございます。
「Q&A・22・死者への祈り」、早速参考にさせていただきます。
サイト全体も、時間がある時に是非じっくり見てみたい魅力に溢れていると感じます。

本当にありがとうございます<(_ _)>


明日の父との一日を、大切に過ごしたいと思います。

・・・・・
すみません、追記させていただきます。
以前のかゆがもさんのお言葉の中に、”まず、その「自分」とは何かが問題になりそうですね。”
、・・というものがあって、それの、おっしゃるところの真意がとても気になっております・・。仏教における「自分」とはどのような位置づけになるものなのでしょうか・・・。

気になって少し調べましたが、『自分とは』というと哲学的なアプローチが大半なので・・・・。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.25 )
日時: 2012/06/03 05:36 (plala)
名前: かゆがも

> 料理は子供の頃から、体の弱かった母の代わりにやっていたので、料理自体は全く苦ではないのですが、
うわ、えらいですねえ。

> ・短時間で、
> ・なるべくリーズナブルな価格で多くの種類の食材を選んで、
> ・味のバラエティーをそろえ、
> ・・・・・などなど、と様々な制約が伴うので、かなり悩むところとなります。
これは私などがアドバイスできるレベルではないですね。
これが男性と女性の差なんでしょうか。
私なんか、腹が膨れればまあいいや、ぐらいですよ。

> やはり、一人でいる父の栄養のバランスがとても気になります。
> 野菜料理などの手の込んだものは自分で作らず、主に野菜ジュースに頼っている父のために、少しでも多くの栄養ある料理をつくり置きしてあげたい一心です。
いやあ、お父さん、私みたいですねえ。

> 男性は総じてその傾向があるかもしれませんが、父には、進んで野菜を取らなきゃ・・・という意識はあまり無いので、せめて野菜ジュースだけは欠かさぬようお願いしていますが。
は、男性は総じてその傾向があるように思います。

> あの歳になって、あれだけちゃんと男一人でやっているのだから、これ以上父に、もっと自己管理しろ、とか、…何かを求めるのは酷で、心配なら自分がしてあげるしかないですよね。
> それが出来ないなら「心配だと、心配だ」と思う資格は無い、・・・と、今は思うことにしています。。
> これは、母のときに、様々な失敗の経験から学んだことです。・・・と言っても、まだまだ悩みまくりですが・・・。
最終的には父の自己責任だと思いますよ。
我々子供はその手助けをするだけで。

> でも母が、自分の命を以ってして最期に私に教えてくれたことなので、それを無駄にしないことが、母への供養にも繋がると思いたいです。
それで十分ですよ。

> 母の死を通して経験した地獄のような日々は、死ぬほどに苦しかった反面、本当に沢山のことを残してくれたと思います。
しかし、あまりに死者のことで悲しまないよう気をつけてください、母もそんなことは望まれないでしょう。
後悔ではなく反省でお願いします。

> 病気と闘う人、車椅子に乗った人、老々介護する人などを見た時の感じ方も、以前と随分変わりました。
> 以前も憐憫の気持ちは強いほうでしたが、今はもっと深いところで何か強いものを感じます。
> 今までの自分の感じ方は、表面的な同情でしかなかったのだな、と実感します。
より深く同情できるのはよろしいことです。
私も病気の方、老齢の方、を見るときは、自分もいつかはああなるのだと考えるようにしています。

> 死を見つめることは即ち『生』をみつめること、という言葉の意味も少しずつわかるようになりました。
生と死は表裏一体でワンセットなんですよ。
生だけとか、死だけとかは成り立ちません。
死を考えることは即ち生を、生を考えることは即ち死を考えることになるんです。

> そう、仏教のサイトのご紹介、ありがとうございます。
> 「Q&A・22・死者への祈り」、早速参考にさせていただきます。
> サイト全体も、時間がある時に是非じっくり見てみたい魅力に溢れていると感じます。
面白いサイトですよ。

> 明日の父との一日を、大切に過ごしたいと思います。
いってらwww

> すみません、追記させていただきます。
> 以前のかゆがもさんのお言葉の中に、”まず、その「自分」とは何かが問題になりそうですね。”
> 、・・というものがあって、それの、おっしゃるところの真意がとても気になっております・・。仏教における「自分」とはどのような位置づけになるものなのでしょうか・・・。
> 気になって少し調べましたが、『自分とは』というと哲学的なアプローチが大半なので・・・・。
自分も、自我も、魂も、真我も、心の中にも、他にも、どこにも、自分といえるものはないんですよ。
自分とは妄想、勘違い、想像の産物なんです。
翼の生えた馬、ペガサスという想像上の動物がいますよね、あれと一緒、想像の産物です。
ただし、自分というのはかなり強力に心の中に根ざした勘違いなんです。
だれも自分なんかないなどとは思わないでしょう。
そして自分があるなどと思っているから、争いも悩みも尽きません。

まず生きることの定義をさせていただきます。
岩は見たり、聞いたり、しませんし、動きもしません。
人は見たり、聞いたり、考えたり、動いたりします。
この差が生きているということです、そしてこの生きる機能のことを心と呼びます。
即ち、生命-肉体=心、或いは生命=心+肉体、となります。
この世の全ては物質エネルギーか心(精神エネルギー)で出来ています。
肉体は物質ですね、そこに心があって生命になります。

心はさらに分けると六つの部門に分けられます。
目に外部の情報(光)が入ると眼識として認識します、
耳に外部の情報(音)が入ると耳識として認識します、
鼻に外部の情報(香り)が入ると鼻識として認識します、
舌に外部の情報(味)が入ると舌識として認識します、
身体に外部の情報(触感・熱さ・冷たさ・痛み・痒み)が入ると身識として認識します、
そしてそれぞれ情報を受けて感情や考えや妄想や意志が起こるのが意識です。
心は眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識で構成されています。

例えばですが、ゴキブリをみて「気持悪い!」と思ったとしましょう。
このときの心の流れですが、
まず、ゴキブリの映像が目に入ります(感受)、
次に、映像をゴキブリだと認識します(認識)、
そして、気持悪い、殺してやろうと思います(感情・思考・意志)
とこのような流れになります。
感受→認識→感情・思考・意志、まとめるとこんな感じです。
外部の情報にふれ、感受が起こり、感受が消え、認識が起こり、認識が消え、感情・思考・意志が起こります。
即ち、心は生まれたり、消えたりしているんです、連続してないんです、生滅を繰り返しているんです。
ただし、とても早い!すさまじく早いんです、そのため心はずっとあるような錯覚を受けます。
川がありますよね。しかし、本当にあるんでしょうか?
川も細かく見れば実際には水分子が絶えずその場所を流れているわけで、ずっと同じ水分子が留まっているわけではありません。
川は無数の、全く異なる別の水分子が流れているんですが、遠くから見ればまるで川は存在するように見えます。
心も川もポイントは細かく、厳密に見ることです。
生命を生命たらしめているのは心です。
でもその心は一時も休むことなく生滅しているんです。
「心の消滅=心の死」は実は常日頃起こっているんです。

そして目に映った映像(眼識)は自分といえるでしょうか、違いますよね、
そして耳に聞こえた音(耳識)は自分といえるでしょうか、違いますよね、
そして鼻に臭った香り(鼻識)は自分といえるでしょうか、違いますよね、
そして舌に味わう味(舌識)は自分といえるでしょうか、違いますよね、
そして身体に触れた触感(身識)は自分といえるでしょうか、違いますよね。

よって五感に自分、自我、魂、真我といえるものはありません。
そして最後の意識ですが、これもよくよく観察すれば、認識し、感情が起こり、思考し、意志する、機能であり、絶えず移り変わる、生滅するものであり、、連続していません。
よって、心の中に絶えず変わらずある、自分、自我、魂、真我といえるものはありません。
これで諸法無我の証明になります。
   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.26 )
日時: 2012/06/04 14:17 (asahi-net)
名前: ばんちゃ

こんにちは。
『自分』についての噛み砕いた解説、ありがとうございます。

冷静に考えてみれば、般若心経の「無」、「空」で、嫌というほど叩き込んだはずのことでした。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色…」
「無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法…」

母を失うことに伴う、無間地獄のような苦しみの中で、私は、般若心経を繰り返し唱えることで、何とか心の破滅を凌いでいた時期がありました。

枯れ木のように衰え、『死』を身にまとったような母の横で、静かにお経を唱えることで、少しですが気持ちが落ち着きました。
あの時は、藁にも縋る一心でした。

すべては空だ。
そう思い込もうと、一日中自分に言い聞かせる日々でした。

「存在と精神のすべてが空なのだから、生じたり、滅したり、きれいも、汚いもない、増えたり減ったりもない」
と唱える、
「是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減…」

という箇所が、そのときの自分に最も響きました。

でも今思うと、そのときは苦し紛れに般若心経を利用したに過ぎなかったようです。
あれほど何百回、何千回と唱えたにもかかわらず、全く身についていなかったのですから。

そして、一難去ってまた一難。

昨日、母のお墓をお参りしてから、父のところに行って、いつものように、アタフタとではありますが、家事を無事に済ますことが出来、その意味ではとても充実した一日でした。

しかし、いつもそうなのですが、実家に行くそのたび、心が波立って帰ってきます。

平日に、何とか立て直したつもりの状態が、一気に崩れます。 

その原因は、些細なことから大きなことまで様々です。
実家に残された母の遺品、思い出の詰まったものを見て、寂しさに打ちひしがれる・・・といったことは、日にち薬が効いてきたこともあって、少しずつ痛みは小さくなりつつあると思います。

でも昨日は、父から聞かされた、兄弟に関するあまりよくない情報によって、気持ちが一気にどんよりとし、今まで引きずっています。

具体的には言い辛いことですが…兄や姉が、親に対して、実は私の知らないところで、要領良く、うまく立ち回っていたかもしれない…。

とにかく必死だった自分だけが、ずっと蚊帳の外だったのかもしれない・・・。
分かり辛くてすみません。

「損得」で物事を考えるのをやめれば、こんな疑惑などどうでもいいことだと分かっているのに、波立つ心をおさめきれず、もやもやとしています。

過去の母の介護や、父の今の世話に関しても、私が自分のやれることをやればいい、と割り切ってきたので、「自分だけ負担が大きいのは何故…」という不満は殆どありません。
それなのに、兄弟が、いわゆる世間の物差しで言う「得」をしたかもしれないからといって、動揺する自分に辟易します。
「別にいいじゃん、人のことは人のこと」
「私は今のままで不足はない」
と考える一方、
『ずるい…!』という、感情としても、濃密で汚そうな「妬み」の気持ちが、打ち消しても打ち消してもどうしても湧いてきて、私を汚染してきます。

昨日、帰りの車の中で、私だけに話された父からの情報によって波立った心をもてあまし、「ついてないなぁ」「あんな話、私に言わないで欲しかった」などと、もやもやしていました。
でも、そこでふと、横で運転してくれている夫のことを考えました。

夫は、私のこの憂いを知らないけれど、もし、自分たちだけが、世間の物差しで言う「損」をしていたかもしれない、と私が打ち明けても、夫なら、必ずや、

『別にいいじゃん♪^^人のことは^^』

と、笑って簡潔に言うのだろうな、と思いました。


そして改めて「夫のように生きたい!!」と、強く思いました。

人のことは関係ない。自分より弱いものを助けるのは当たり前・・・・いつもそういう態度の夫。どんなときもニュートラルでいられる夫を、本当に見習いたいです。

仏教の本も読まず、ほぼ生まれ持った性質と重ねた経験だけであそこまで悟っている夫を、本当にすごい!と思います。

私の財産はこの夫だ。そう思えば何も要らないではないか。
そんな考えになりきれれば今のもやもやなど吹き飛ぶことでしょうに。

…ダラダラとすみません・・・。

先日かゆがもさんに教えていただいたサイトのQ&Åも参考にしてみたいと思います。


   メンテ
Re: 夫との価値観相違について ( No.27 )
日時: 2012/06/04 15:10 (wind)
名前: かゆがも

> 昨日、母のお墓をお参りしてから、父のところに行って、いつものように、アタフタとではありますが、家事を無事に済ますことが出来、その意味ではとても充実した一日でした。
お疲れ様です。

> でも昨日は、父から聞かされた、兄弟に関するあまりよくない情報によって、気持ちが一気にどんよりとし、今まで引きずっています。
> 具体的には言い辛いことですが…兄や姉が、親に対して、実は私の知らないところで、要領良く、うまく立ち回っていたかもしれない…。
> それなのに、兄弟が、いわゆる世間の物差しで言う「得」をしたかもしれないからといって、動揺する自分に辟易します。
父を一所懸命世話をしている自分が損をして、一方父を放置している兄弟が得をしている・・・、確かに悲しくなってしまいますね。
しかし、世間の物差しは間違っていることが多いもの、冷静になられたほうがよろしいでしょう。
もし、兄弟があなたを騙して、出し抜いて、得をしたのならそれは虚言になり、とんでも無い悪業です、放っておいても悪業の報いをうけるでしょう。
もし、兄弟があなたを騙してないにせよ、得をしたのなら兄弟の何らかの善業が消費されたわけですから、どんどん良いことをして善業を補充しなければいけません。
しかし、頃から父の世話にいそしむあなたは日頃から善業の補充をたっぷりしていることになります。
果たして、一番得しているのは誰でしょうか?

> 夫は、私のこの憂いを知らないけれど、もし、自分たちだけが、世間の物差しで言う「損」をしていたかもしれない、と私が打ち明けても、夫なら、必ずや、
> 『別にいいじゃん♪^^人のことは^^』
> と、笑って簡潔に言うのだろうな、と思いました。
> そして改めて「夫のように生きたい!!」と、強く思いました。
本当に、旦那さんはすごい方ですね。

私も旦那さんの(空想の)ご意見に賛成です。
人は他者と自分を比較して自分が優れていれば驕り、自分が劣っていれば妬みます。
比較して良いことってないんですよ。
   メンテ

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カテゴリ 家庭・借金
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