Re: エホバの証人の家庭で生まれてしまった ( No.1 ) |
- 日時: 2013/07/06 19:18 (dip0)
- 名前: Largo
- ちょこうさぎさん
エホバの証人の方は、誠実で真面目な方が多いですよね。 親戚、そして近所の方でエホバの証人の方が いたので、ある程度の事は御察しします。
私は、プロテスタント系のクリスチャンです。 教会は、月2回くらいだけ参加してます。 (人によって、仕事や家庭の事情で毎回来れない人もいますが それをとやかくいう教会ではありません^^ 礼拝やほかの集まりに、 全部参加しないと不信仰といわれる訳ではありません。)
エホバの証人の方のおおくは、教会に行った事がないひとや 聖書知識がなく、エホバの証人にはじめて聖書を学んで (知らずのうちに)かたよった考えを教えられてしまいます。
そして、エホバの証人が、正しいクリスチャンだと。。思い込んでしまいます。 (たしかに、名ばかりのクリスチャンは特に欧米に沢山いますが^^)
聖書の教えに寄り添っているように 信じている人もおおいのですが、 伝道が、半強制であったりすこし律法主義的な 部分が多いとおもわれます。
エホバの証人をキリストへというサイトがあります。 jwtc.info/modules/about/index.php?content_id=6
中澤牧師というかたが、エホバの証人のかたと 御話し合いをしています。
よかったら、お父様、お母様とご覧になってください。 非難しているのではないです。客観的なみかたをして 一度。。すこしエホバの証人の組織を見た方が良いです。
聖書の教えや預言を信じているのは、エホバの証人だけではないです。 福音的な教会や、他の<一部の>良心的なキリスト教会も かなり聖書を詳しく知ろうと努めています。
聖書預言のことも、教会では(あえて)あまり取り上げないだけで 実際は、いろいろしっておられる牧師さんや、クリスチャンの 一般信徒さんもいます。 (エホバの証人のように、専門の教科書をつくって、 勉強できるカリキュラムをつくってないだけで、実際は 預言の事を調べている人もいます。)
エホバの証人の人がいう、終末というのは 教会では、<キリストの再臨>といわれています。 その前の艱難7年間(前半3年半、後半3年半)のことは 知っている人は知ってますよ^^
参考までに。。 キリスト教読み物サイト www2.biglobe.ne.jp/remnant/yomu.htm
主とともに生きる 高原剛一郎 牧師 blog.livedoor.jp/gt516/
聖書に関する質問のこたえ www.gotquestions.org/Japanese/index.html
エホバの証人の組織からの、キリスト教会の 情報ではなくて、実際のキリスト教会が 信じていること(発信している事)も みて、比べた方がいいですよ。^^
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Re: エホバの証人の家庭で生まれてしまった ( No.2 ) |
- 日時: 2013/07/07 09:55 (so-net)
- 名前: ちょこうさぎ
- Largoさん
お返事ありがとうございます。
宗教に行ってるんですね。 あたしはもうエホバの証人に懲りたので宗教なんか大嫌いです。 なんかもう全般的に嫌いです。 なんか一般の宗教は寄付を強要されるとしかエホバの方では聞いたことありません。 あと、神の名前を聞いてもちゃんと答えてくれないとか、質問しても納得のいく答えが得られない。。とか
あとですね、やっぱり牧師さんとかは、エホバから離れさせるようなことしか言わない気がするし、、、 まあいわれなくても元から嫌いだし問題はないんですが
なんかあんまり信頼できません、、、 あと、活動は、確かに半強制的です。 でもするかしないかは自由だ、といわれます。 律法って、絶対信じなくてはいけないものなのでは?
なんかですね、他宗教は、信者同士が仲良くない。本当の愛はない。とか、偶像崇拝している、とか、真面目にみんな心の底から信仰してないとか。 いろいろ経験談でもいわれてます。 あと、もとは別の宗教だったひとも、エホバのほうが納得のいく話だからっていうことで入る人もいるんです。 というか宗教ってすべてマイコンな気がします。
そもそも、本気で信仰するようになることがマイコンされてるっていえるんですかね?
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No.2に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2013/07/07 18:20 (dip0)
- 名前: Largo
- > 宗教に行ってるんですね。
クリスチャンの方は、宗教をしているとは考えていません^^
基本は、神様との信頼関係(信仰)と考えています。
> なんか一般の宗教は寄付を強要されるとしかエホバの方では聞いたことありません。
教会といっても色々ありますからね。^^ 批判しやすいケースだけを取り上げる事もあるでしょう。 献金は、強要(強制)ではないです。
教会によっては、月々決まった額があるところもあるようですが (維持費のようなもの) 自由献金のところもあると思います。
海外だと大きな教会は、教会税として自動的にとられますね。 でも自由福音派や、バプテスト派、長老派などは 教会税という方法でなくて、<自由献金>です。
> あと、神の名前を聞いてもちゃんと答えてくれないとか、質問しても納得のいく答えが得られない。。とか
エホバとエホバの証人はいっていますが、ヤーウェ、ヤハウェなど といういいかたもあります。 (私はなる。といういみですよね?) そして、創世記には、神<エロヒーム>という言い方もあります。
クリスチャンが祈るときは、天にいる<お父さん>(アバ)と 親しみを込めて祈ります。 一般的に話すときは、天の父、神といいます。
例えば 総理大臣を(エロヒーム=神)と呼ぶとして。 総理大臣の役割である、国務大臣の任命、罷免する役割 が行使する権威がある(エホバ、エーウェ=私はなるというもの)とよぶとします。
総理大臣の個人的な友人や自分の親兄弟などには、 きみとか、あなたと呼ばれるかもしれません。 そして、子供には、お父さん(アバ)と呼ばれるでしょう。
どれが正しい呼び方か? エホバの証人は、エホバ<わたしはなる> 行使するもの。。という役職名だけが 天の父の唯一の呼び方だと、こだわっている。 そういう事だと思いますよ。^^
神は、行使されるかた(ヤーウェ)でもありますが 愛と、公正であり、聖なるお方、忠実な方でもあります。 呼び名が色々あるのは、当たり前ですよ。^^
> あとですね、やっぱり牧師さんとかは、エホバから離れさせるようなことしか言わない気がするし、、、
エホバの証人の<組織>から離れるか、離れないは、最終的には 本人の決定ですからね。
牧師さんは、<神様への信仰>をやめさせるのではなくて、 <組織の教えの矛盾点>を、理論正しくおはなしするとおもいます。
> あと、活動は、確かに半強制的です。 > でもするかしないかは自由だ、といわれます。
基本的に、ほかのキリスト教会でも自由参加です。 (教会によっては、礼拝参加が絶対というところもあるようですが、 全てのところがそうではないです。^^ これも各教会によりけりです。)
> 律法って、絶対信じなくてはいけないものなのでは?
律法というのは、法律と同じです。律法を守るため、信じるために人間がいるのではなくて、 人間を守るために、律法(法律)があります。
律法というのは、教育係です。^^全ての人が、おなじような良心の強さを もっていないですし、人は親や誰かに教わらないと、良い事と悪い事の 区別がつかない事もあります。(教えられるというのが、すべて 単なる悪い意味での刷り込みとは違うと思いますよ。)
正しい事<信じる事>は大事ですが、義にすぎて他の人を裁いてはいけないという事です。 ただ、注意をしたり、調整をうながすなどの、アドバイスは必要です。
> なんかですね、他宗教は、信者同士が仲良くない。本当の愛はない。とか、偶像崇拝している、とか、真面目にみんな心の底から信仰してないとか。
宗教、教会といいますか、全ての教会、学校や会社でもそうですが、 <みんな仲良く、同じように愛し合う>というの理想ではありますが、 強制はできないことです。。 愛は、自主的なものであって、強制であってはいけないからです。
愛や思いやりが育つには、時間がかかるという事をまず。。認めないといけません。^^
偶像崇拝というのは、いわゆる、カトリックなどのイコン崇拝の事ですよね? プロテスタント系の教会では、十字架がシンボルとして あるだけで、偶像はありません。そして、十字架は祈る対象ではなくて 救い、復活の象徴です。^^
そして、クリスチャンが考える偶像礼拝は、必ずしも 像にたいしてではなくて、神以外のものを、絶対視するという 事です。 <組織の教えを神の教えよりも上におく事>も、偶像礼拝にもなります。
もちろん、通常の教会でも、<組織>を重んじすぎる傾向が あるところもあります。牧師を絶対的に見る人もいます。 私はそういうところは苦手なので、比較てき、自由な 教会を選びます。
真面目に信仰している、してない?というのは、どこをさして いう事かによりますが。。信仰に個人差、温度差があるのは あたりまえです。^^
<組織>だけで、比較してしまうと。。木を見て森を見ずになるので、 あまりよくないですよ。^^ 信仰というのは、最終的には。。個人的な神様との信頼関係、愛情関係です。
> というか宗教ってすべてマイコンな気がします。
世の中には、聖書の教え(人がつくった神や教え=宗教ではなくて 真理と考えていますが。^^)だけでなく、色々な 教え、思想があります。
思想の、道徳的な部分というのは受け入れられやすく、小さい頃から 親や社会で教えられてきます。 人に親切にする事、盗まない事、いじめない事、年配者を敬う事など。。 しかし、常識というのは、国や地域、年代や場所によって違います。 常識というのもあるいみ、つくられるものです。 常識と、刷り込まれているといういみでは、 マインドコントロール(一定の考えに縛られている)されている、 とも言えるでしょう。 (様々な差別、競争社会の、勝ち組、負け組などの考えなど 一部の地域だけで通用する、倫理や人道からみて、問題のある 常識もあります。)
真理は、人を自由にするといいます。 世の中の常識といわれているものですら、誰かに都合のいい 刷り込みである事もあります。
> そもそも、本気で信仰するようになることがマイコンされてるっていえるんですかね?
本気で信仰する事がマインドコントロールではなくて、 <組織>を絶対視するというのが、問題な点です。
私は、教会や組織じたいを絶対しはしません^^ 100%信頼できるのは、神のみです。
家族や友人を信頼しても、100%の信頼や、期待をするのが 不適切であると同様に、人間の組織(教会でも何でも) に、過度に期待や、依存するのは。。良くないと思います。
神との仲介者は、イエス様であり、 そして、信仰を持ったときにいただく<聖霊>の 導きです。
エホバの証人の方は、聖霊<内在する神>の 働きの大きさを、あまり知らない方が多いです。 (聖霊を神とみとめてないですよね。。) 聖霊という助け主に導かれる事で、霊的な成長(神による 霊の面での再創造)が助けられます。^^
もちろん聖書を読んだり祈ったりもします。 良い行動をするのは、筋肉を鍛えるようなものです。
聖霊は、内から支えてくださる方です、いわば 土の中の根っこのぶぶんで、神様の愛や教えへの 渇望、愛着、ほんとうの愛である神という<水源>へとつながる 部分です。 <霊的な命綱です。> 肉の努力でなくて、霊によって信仰が増すというのは、 この目に見えない<つながり>である根が強化されるという事です。
肉の努力で律法を守るのではなくて、霊に満ちていく事で 愛がますことにしたがって、律法が 守りやすくなるのですよ。^^
教会や組織などは、あくまでも補助的な役割です。
人を見すぎないで、神を見るように。。それが教会で よくいわれている事ですよ。^^ 自分や人を見れば、失望する、神を見れば希望があるともいいます。
もちろん、信仰は自由ですし、強制ではないので、 あなたとお父さんで話し合って、 集会に行くのをやめるというのも、 一つの方法でしょう。
教会の牧師さんや、教会のサイトを見る事をお勧めしたのは、 聖書知識のない人や、信仰のない人に エホバの証人の組織のやりかたの問題点を説明されるより、 聖書をよく知っている人と話した方が <調整>が可能だという事です。^^
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Re: エホバの証人の家庭で生まれてしまった ( No.4 ) |
- 日時: 2013/07/08 00:46 (au-net)
- 名前: アジテイター
- ちょこうさぎさんへ
Largoさんが丁寧にアドバイスされているので大丈夫だとは思いますが、あなたの疑問や変だな?という気持ちは当たり前の事です。
なぜなら人間はある程度の年齢に達すれば自我という物が目覚めてきます、どんな宗教でも自分が信じられない、この教えは違うんでは無いかなと疑問に思うことは当然と言えば当然です。
日本は宗教の自由が憲法で保障されています、貴方が何を信じ、宗教活動をやる、やらないは個人の自由です、現在は中学生で親の庇護の元で暮らし、同じ宗教を信仰しなくてはならなくとも、大人になれば(ならなくとも出来ますが)自分の意見を堂々と主張して、どんな宗教活動でも自分がやりたくなければ拒否出来ます。
正直なところ、宗教の名を借りたカルト集団めいた団体も存在します、ここではそんな団体名は書けませんが、そのような団体をよく見極められるようになって下さい。
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Re: エホバの証人の家庭で生まれてしまった ( No.5 ) |
- 日時: 2013/07/09 22:42 (so-net)
- 名前: ちょこうさぎ
- お返事ありがとうございます。
あ、おもってたのと違いますね。 ただ…一般のキリスト教は戦争したり推奨したりして大いなるバビロンらしいです。 それは駄目だと思いました
信仰は自由…だからやめたいんですけど、やめにくいし、やめたら悲しまれるし… カルト教団を撲滅させる手助けを国も取ってほしいもんですよほんと。
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No.5に対する返信 ( No.6 ) |
- 日時: 2013/07/10 17:18 (dip0)
- 名前: Largo
- <組織>として、教会として、戦争や、独裁者に反対したり、抵抗しなかったという問題があっても、<個々人のクリスチャンや牧師さん>で戦争や問題に反対して、聖霊に導かれて、良心的な行動をとった人もいる事は忘れてはいけないと思います。^^
クリスチャンが守るべき律法は マルコ12章23〜34節にあります。
一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この二つより大事な命令は、ほかにありません。 <中略>
そのた、律法にかんしては旧約聖書に沢山ありますが。。^^ その中でも<十戒>がよくしられています。 ただ、十戒ですら、かつてのイスラエルの民、クリスチャンといわれる人 そして。。、エホバの証人であろうと、100%守れる人はいません。^^ 守りたいと願っていても、かならず、どれかを破ってしまいます。
戦争に参加しなかったとしても、もし誰かに対して憎しみやいらだちを 抱いていれば、そこで罪を犯しているといえます。 または他の人やクリスチャンを誤解して裁いていれば、それも罪です。
自力で律法を守れて、神の民として立派であることが本当に 可能であったら。。神の憐れみや、十字架の赦しは 必要はないですよね?。
罪故に、律法をすべて守れない人間のために、 神様は愛と憐れみによって、イエス様の十字架を通して<赦す>ことを きめられ、<悔い改める事>を勧められているんです。^^
自分が罪をおかす事は(どんなに努力しても)生涯さけられなくても、 それでも神が自分を見捨てずに 愛してくださっているという事を信じるとき。。自分に絶望しても、 神の愛の深さ高さを知る事が出来ます。
エペソ人への手紙3章18〜19節(主に新改訳聖書を私は使っています。)
・・・また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。こうして、神ご自身の満ち満ちたさまにまで、あなたがたが満たされますように。
コリントの信徒への手紙U 12章1〜10節 9節 わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
自分の信仰の立派(律法を一つ二つ多く守れる事)さを誇るのではなくて、 神の愛の大きさをしるのがキリスト者の歩みだとおもいますよ。^^
> 信仰は自由…だからやめたいんですけど、やめにくいし、やめたら悲しまれるし… > カルト教団を撲滅させる手助けを国も取ってほしいもんですよほんと。
まだ洗礼はうけていないのですよね?
やめたら悲しまれる。。 人は、誰しも家族や、友人など、身近な人の自分へのマイナスの感情を恐れるものです。
人への恐れを、完全に克服できる人は<少ない>でしょう。 他人はまだしも、家族などの承認をうしなうことは 子供であるあなたにとってももちろん、大人にとっても 辛い事ですし、寂しい事です。
しかし、中学〜大人になるうちに、少しずつ人への恐れを克服する事が、自律です。^^ ひとを思いやりつつも、自分をしっかりもつということも 大切です。
あなたじしんの、今の素直な意見をいってみてはいかがですか? 創造主である神の存在は認めるのか、それも信じられないのか。 聖書の教えの良い部分は認めるのか、 でもエホバの証人の組織の教えに問題点を感じるのか?
カルトの撲滅だけをしても、私はあまり意味がないと思いますよ^^ それは、あるいみガンを取り除くより、自覚症状にたいして ただ押さえつけるのと同じような事です。
罪というのは、神からはなれる事です。 的外れの行動、的外れの依存をする事です。 神から独立して、人(自分や他人)に依存して生きている事 それが、罪やあらゆる悲しみ、くるしみの元凶です。
その事は、エホバの証人もよくしっているはずなのですが、 その部分をわすれて、<組織>とその教えに依存しすぎています。 クリスチャンはこうあるべき、とマニュアル通りにする事ではなくて、 神様との信頼関係を個々人が育てるのが、信仰(信頼)を深めるという事です。
クリスチャンは、自分の人生において<神に依存する必要を認めた人>と私は思います。 それは、けして自分では何もしないとか、考えないというのではなくて、 人(自分や他人)の知恵が、神の恵みと教えと周りの人の助けによって成長していく事を 信じつつも。。人の知恵や人への依存だけに。。より頼みすぎないという事です。^^
宗教組織への依存、宗教への依存と。。神への依存、信頼(信仰)というのは 違います。^^ 組織や人を中心におくと、かならず。。ぶれてきます。
真理は人を自由にする。。 人への過度の依存、宗教組織への過度の依存から解放されて、神への依存にかわる事で 神様との本当の信頼関係<信仰>を育てる事が出来ると、おもいますよ。^^
追記 わたしは一応、自由福音系<福音派といわれる、保守の教会> にかよっていますが、キリスト教の中で自由福音派が 正しいと思っているのではなくて、まだ聖書の教えに 近いほうかな?とおもっている程度です。
伝統的な教会では、礼拝に参加したり、教会にきちんと所属してないと クリスチャンではないと。。誤解している人もいます。 教会は、あくまでも<神様と人をつなぐための場所の ひとつ>聖書を学ぶ場所、<ともに神を賛美をする場所>です。
良い教会や仲間に巡り会えれば、それは恵みだと思います。^^
教会にいかなくても、クリスチャンに勧められたり、自分で 聖書を読んだり。。いまはネットの教会のページをみて、信仰を持つ人もいますからね^^
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Re: エホバの証人の家庭で生まれてしまった ( No.7 ) |
- 日時: 2013/07/26 17:32 (au-net)
- 名前: さくら
- はじめまして。
ちょこうさぎさんと似た立場だったものです。 私も両親に行きたくもない集会に無理やり連れていかれていました。 俗に言う元2世で、神権宣教学校まで進歩していました。 7歳から高校生まで学んでいました。 私はこらしめのムチ世代ですので、集会に行きたくないとでも言おうものなら、ベルトの金具の部分で撲られる私刑が後で待っているという暗黒の時代を過ごしていました。。
辞めたいと思っているのなら、一刻も早く辞めることをお勧めします。 今あなたはやりたいことが沢山あると思いますが、それをことごとく諦めざるをえない環境なのではないですか? クリスマス、初詣、誕生日、普通のお友達との交流等多くのことを理不尽な理由により諦めさせられてきたと思います。 若い時代や、青春の時代は短いものです。2度と戻りませんし、手に入りません。 また、大人になって祝われる誕生日に感じる心と、思春期のそれではやはり違います。 思春期には思春期なりの感じ方があり、後からでは経験出来ない貴重な時間なのです。 自分の大切な人生の時間を、確かではないのにあたかも確かであるようにみせる宗教に費やしてはいけません。 私も2度と戻れない失った子供時代を取り戻したくてたまりませんが、どうしようないのです。
私が辞めたときは、これ以上進歩しないからほっといてくれ、もうJWを辞めたいと親に言いました。 そうしましたら、親が長老に話して神権宣教学校も辞める手続きをとってくれたみたいです。 はっきりとお母様に辞めたい意志を表示してはどうでしょうか? 私の人生は私自身が責任負い、私自身が背負うものたから、自分の信じた道を行かせて欲しいと頼んでみてはいかがでしょうか? このままではあなたはお母様の信じた道と教団が敷いた道に進むことになります。 あなたの人生を生きるのはあなた自身でしかないのに、無責任にも他人が決めてしまうのです。
会衆のひとや、お母様は悲しがられると思いますが、あなたの生きる道なのだからあなたが生きたい道を自分で決めるべきなのです。 他人があなたの人生を生きるわけではないし 、責任も負ってくれる訳でもないのです。
辞めるときにはハルマゲドンの教えから恐怖があるかもしれません。 エホバの証人は子供を滅びへの恐怖でもって、その心を縛り、支配します。 これが本当に愛ある神の宗教でしょうか? 自分を崇拝しないからといって、虐殺する神に愛なんてあるのでしょうか? 普通の世の人だってそんなことしませんよね。 遠い未来地球や宇宙は寿命がありますので、やがて宇宙自体なくなり、全ての生命は死滅します。 ですが、ハルマゲドンなんてものがきてJW以外は滅ぼされるなんてことはないので、安心して脱退して下さい
しばらくは、エホバの証人を辞めた恐怖と罪悪感に苦しむかもしれませんが、やがてなくなります。 はやくなくしたいなら、ネットや書籍で証人のことを調べて下さい。
恐怖や罪悪感がなくなると、次は激しい怒りがこみ上げてくると思います。 今までの苦労や悲しみは、本当ならしなくてもよかったものなんだと分かるようになるからです。
これと同時くらいにアイデンティティーの確立に悩むかもしれません。 まだ中学生なので大丈夫かもしれませんが。 これは今まで教団や親の言うことだけきいて、自分で考えるということをしていなかった為です。ですが大丈夫です。なんとかなります。 私は心理学の本を沢山読んで、どんどん心が軽くなりました。
いろいろ書きましたが、私はエホバの証人から脱退して本当によかったです。 後悔したことは一度もありません。 一番よかったことは、身体的な自由もそうなんですが、それよりも心の自由ですね。 今では心までエホバに監視され、自分の心なのにそれさえも自由にできませんでしたから。
うまく脱退できることを心より応援しています。 一人でも私たちのような2世を生み出さない世の中にしていきたいですね。
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Re: エホバの証人の家庭で生まれてしまった ( No.8 ) |
- 日時: 2013/08/03 11:27 (ocn)
- 名前: 悠久の風
- ≪ 信じて仰ぐ「信仰」の素晴らしさ ≫
(ネット検索して共感できた記事を抜粋、参考までに) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 信じて仰ぐと書く「信仰」。どんな宗教であっても、「信じなさい」「疑ってはなりません」と説き、「信仰」の大切さを強調しています。「信仰」はその宗教が拠って立つ基盤です。「信仰」なくして宗教は成り立ちません。 しかしいったい何を「信じなさい」「疑ってはなりません」と言うのでしょうか? これは通常、その宗教のご本尊、つまり礼拝の対象とその教えということになりますね。しかしこの「信」は、「信」なるがゆえに、宗教が持つ本質的な問題を孕んでいると言えます。 それはどの宗教も、「我がご本尊、わが教えこそ正しい」と主張して止まないことです。そこに強い「信」が加われば、「自分たち以外は邪」として排斥するという思想になりかねません。実際それが、これまでの宗教の歴史です。 しかしそれは、宗教の本来の目的とは真反対であることは自明です。宗教の名のもとに戦争を行うくらいなら、宗教などない方がまだましです。いったいどうして、そんな馬鹿なことが起きてしまうのでしょうか。
今と違い、昔は文盲率も高く、知恵ある情報はごく限られていました。そうした中で、宗教が発する情報は群を抜いてレベルの高いものだったと思います。苦しい生活から救われるためには、限られたその情報を「信じる」、つまり「信仰」に身を捧げるしかなかったことは容易に想像できます。 しかし今は、いつでもどこでもインターネットを通じてあらゆる情報が瞬時に取得できる時代です。そうした環境下で、宗教が発する特定の情報だけを「信じなさい」と言ってももはや無理ですし、「信じる」ことを徹底しようとすれば、他の情報を遮断するしかなくなってきます。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
他の方がコメントを下さっている様に、日本は信仰の自由の国で憲法で守られています。あなたが信じたことを進めば良いと思います! そうすれば、もし後悔をしたとしても他人を責めずに自分を反省できるからです(^^♪
★学生さんにも分かりやすい動画を貼り付けます ≪ 銀河鉄道の夜「本当の幸いってなんだろう‥」≫
(ネット検索して共感できた記事を抜粋、参考までに) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ●自己犠牲を実践した3人づれ 汽車はどんどん進んで行きます。銀河鉄道を上っていきます。そして美しい河原へ行くんですね。そこにはいろんな素晴らしい音楽も響いてきます。向こうから、真白な着物を着て十字架を持った神々しい方が迎えに来ます。ここが「サウザンクロス・ステーション」、南十字駅なんです。 ここで列車は止まりました。みんなが降りて行きます。さっきの青年と少女と弟の3人連れも降りてゆきます。ここは、天上の入り口です。天上へ行くための入口の駅だといわれています。ですからキリストのような人が十字架を持ったりしていて、ハレルヤハレルヤというコーラスの中で降りてゆくんですね。なぜあの3人づれは、サソリよりももっと上の南十字駅で降りることが出来たのでしょうか。 それはこうなんです。サソリはたしかに、「この次生まれたらみんなの幸福の役に立つように体を使って下さい」とお祈りをしました。しかしまだ犠牲になって体をささげたわけではありません。お祈りだけでした。願いだけでした。しかしこの3人の青年達は、難船しても自分たちは助かりそうだったのに、小さい子供達にボートを譲って犠牲になって死んじゃったんですね。自己犠牲の献身と言いますか、愛を実践してるんです。お祈りだけじゃなくて実践をしているんです。お祈りをするだけよりも実践をすることがもっと高い美徳なんですね。ですから3人は南十字ステーションで降りて行くんです。
●天上に入る条件 さて列車はさらに進んで行きます。ジョバンニとカムパネルラだけを乗せてどんどん上へ上へと進んでいきます。ふたりになるとジョバンニが言います。「僕もあのサソリのように、皆の幸せのためなら百ぺん体を焼かれてもかまわない」と。カムパネルラも「うん、僕もそうだ」って言うんです。しかし、ジョバンニが「でも本当のさいわいって何だろう」と言うと、カムパネルラが急に「僕わからない」とつぶやくんです。 これ分かりますか? カムパネルラは友達を救うために自分を犠牲にして死んだんです。今この銀河鉄道に乗って、天国の、お母さんのいる所へと行ってるんです。でも、お母さんはきっとお悲しみになるだろう。自分を犠牲にして友達を助けるという非常にいいことをしたんだけども、お母さんはやっぱり悲しむんじゃないかな、と思ったんで、「本当の幸せって何だろう」とジョバンニが言った時、自信をもって答えられなくて、「僕わからない」と言った。ですから、この時のカムパネルラはまだ天上の世界へ入る資格がないんです。自己犠牲の愛に確信を持ってないんです。 すると、空の向こうに大きな黒い穴みたいなものが見えてくるんです。今でいうプラックホールでしょうか。吸い込まれたら二度と出てこれない恐ろしい穴が見えてくるんですね。
ジョバンニが、「僕もうあんな大きな暗の中だってこわくない。皆の本当の幸せを探しに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に行こうね」と言います。カムパネルラは今度はキッパリと、「あゝきっと行くよ」と答えるんです。するとカムパネルラの目に急に美しい野原が見えてきます。「あ、あそこにいるのお母さんだ。あそこが本当の天上だよ」。そう言うと同時にカムパネルラの姿は銀河鉄道から消えました。カムパネルラは天上界に入ったんです。自己犠牲の愛を本当に確信できたからです。ジョバンニも同じ思いで、それから銀河鉄道は無限の空へと走るんですね。
宮沢賢治の「本当の幸福」とはこれです。《無私の献身に生きる愛》なんですね。賢治はこの宇宙法則を銀河鉄道という上り一本の列車に託しながら画いてみせたのです。 ●あの世は愛の階層世界 賢治がなぜこういうものを書いたかというと、賢治にはあの世の姿が見えていたんです。あの世の世界とは階層世界なんですね。悪い世界から良い世界への階段をこうやって描いて、どんな人が良い世界に入るか、その資格条件までちゃんと書いています。 天上の世界に入る条件は「自己犠牲の献身」。これ「愛」という言葉で表現しますね。お釈迦様は「慈悲」と言われました。イエス・キリストは「隣人愛」という言葉で言いました。孔子様は「仁」という言葉を使いました。 これはまた「奉仕」とも言いますね。「布施」とも言います。いろんな言葉で言いますけども、要するに「自分を犠牲にしても人のためにつくす」ということがこの世の最高の美徳である、それが本当の幸いなんだ、と賢治は見つけたんです。考えたんじゃなくて見つけたんです。あの世の世界、四次元の根源の世界の中から、はっきり見つけたんです。 『銀河鉄道の夜』の素晴らしさはここにあります。一人の人間の思想や思いつきじゃなくて、実際に存在する宇宙の法を、その世界が見える目を持った人が実際に見て来て、そのとおり描いて見せてくれたことです。賢治の作品の美しさや新鮮さは、あの世の姿の描写そのままだったからです。 だから『銀河鉄道の夜』は素靖らしい。これ真理の文学なんですね。お伽噺や童話なんかじゃないんですよ。お伽噺や童話のように見えるこの『銀河鉄道の夜』が、日本で最高といわれて最も人気のある童話です。外国でも「素晴らしい」と賛美されていますが、それはその中に、我々の気がつかなかった宇宙の根源の法則が描かれているからなんです。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
※人の心につけ込んだ、悪徳商法や宗教的な詐欺には気をつけてください。「寄付や賽銭をしないと救われない」といった金銭で差別するような組織や「私が神だ!」と言い神や仏をも見下す教祖のいる団体には注意が必要ですよ!欲に溺れた人間の姿に他ありません。
正しい教えが世に広まり、善悪の道理を理解した人が増え、神や仏を尊び、祖国を愛し、先祖を敬い、他人を責めずに苦しみの原因はすべて自分にあることを悟り、己の悪い癖を直し自らが変わり、世のため人のために行動できる人が増えたのなら、明るい家庭が増え、地域が良くなり、政治も良くなり、国家の安泰、世界平和に一歩づつ近づくはずですね(^^♪
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Re: エホバの証人の家庭で生まれてしまった ( No.9 ) |
- 日時: 2013/08/05 15:12 (dion)
- 名前: ?
- 金儲けのための宗教団体を淘汰するのには
宗教法人に 法人税を課税する 日本国の財政が 少しらくになりますね。 純粋に 国や、人々の幸せのために活動する団体だけが残ってほしいものです。
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Re: エホバの証人の家庭で生まれてしまった ( No.10 ) |
- 日時: 2013/08/05 22:45 (mesh)
- 名前: りか
- 私もクリスチャンですけど、どこの団体にも属していません。
党派心みたいなものを起こしたくないので、 どこの教派が正しいとか正直どうでもいいです。
それよりも心正しく生きること。他人に施しをすること。 いつも希望をもって生きること、などの本質を実践するようにしています。
私の信仰心はとてもシンプルです。キリストが好きなんです。
こんな荒らい世界にも、弱いものにたいする慈悲の心 希望を持つ心を残してくださったキリスト。 心を清らかにする術を口伝してくださった方。
私はその尊い心が好きです。
キリスト教の世間定や表層の部分に左右されず、 キリストがいいたかったことを 子供のように素直に実践する人でありたいなと思います。
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