No.0に対する返信 ( No.1 ) |
- 日時: 2013/08/16 08:43 (plala)
- 名前: かゆがも
- > 自分が悪かったら怒られるのが当たり前じゃないんですか?それで虐待になるなら自分の家や他の家の人も虐待になってしまうと思うんです。。。
子供が何か悪い事をしたとき、それを正すために親が𠮟ることはあります。 言って分らなければ時に体罰を行うこともあるでしょう。 本当は親だって体罰なんかしたくないんです、でも我が子のためを思ってあえて𠮟るんです 。 長い目で見たらその方が子供のためになりますからね。 叩くときだっていろいろ注意・工夫が必要なんですよ、やり過ぎてはいけないし、叩くところや力加減をするんです。 子供を𠮟るとき、尻を叩くことがあるのは尻は脂肪が厚く、叩いても安全だからです。
> さすがに何もしてなくてもとか少しのことでなんくせをつけ殴る蹴るはやってはいけないことであり、虐待だと思います。 同感ですね。
しつけのための体罰と、虐待は別物だと、私は思います。
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No.1に対する返信 ( No.2 ) |
- 日時: 2013/08/16 09:08 (au-net)
- 名前: 雷兎
- > 子供が何か悪い事をしたとき、それを正すために親が𠮟ることはあります。
> 言って分らなければ時に体罰を行うこともあるでしょう。 > 本当は親だって体罰なんかしたくないんです、でも我が子のためを思ってあえて𠮟るんです > 。 > 長い目で見たらその方が子供のためになりますからね。 > 叩くときだっていろいろ注意・工夫が必要なんですよ、やり過ぎてはいけないし、叩くところや力加減をするんです。 > 子供を𠮟るとき、尻を叩くことがあるのは尻は脂肪が厚く、叩いても安全だからです。 >
はい、力加減や工夫は必要だと思います。たまに手が早い親もいますが、それは元からの性格上とかがありますから、
> しつけのための体罰と、虐待は別物だと、私は思います。 自分もそう思います!正すための体罰と虐待を同じにしたら、親が子供を叱らなくなったらその子供は何がだめで何が良いのか判断がつかない子になってしまうかと。。。
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Re: よく聞くと… ( No.3 ) |
- 日時: 2013/08/17 00:20 (ocn)
- 名前: 悠久の風
- 以前私は、子供の悪態にすぐに切れて手を出し、子供の気持ちを考えようとせずに げんこつやビンタをして、自分の感情の高ぶりを抑えられない時期がありました‥
そんな自分が嫌になり、ある時「もう絶対に暴力を使わない!」と誓うことができました。
≪「怒る」と「叱る」の違いを考える ≫
子供の教育は大変だ…。
私は、子供が悪いことをした時に「ちゃんと怒らないとダメだろっ」と、子供ではなく妻に叱ってしまうクセがある。それでも子供が言うことを聞かないと、私はすぐ感情的になって子供を叱ってしまうため、「それは正しい教育ではない」と、良く家族からも指摘される。私自身も「これではマズイ」と改めることにして、ある方法を思いついた。それは、TVアニメの「サザエさん」で良く見かける1シーンで、カツオ君が波平(父)に説教される時に必ず座敷(畳の部屋)に呼ばれるシーンである。この方法は、座敷でお互いに向かい合い正座をして、何で自分が怒られているのかをちゃんと説明して、子供に認識させて反省させる効果を得られる様だ。早速実践したところ、本人も最初は笑いながらも反省したようだった。その時、長男は意外と素直になり「もう、次からはしません」と反省の言葉を述べた。
子供にとっての父親とは、「良き友であり、良き先輩であれ」と聞いたことがある。子供が親に反抗する時は、「私も子供の頃はこんな風に親に迷惑をかけていたのか…」と、私も反省するとともに両親に感謝する気持ちも起きる様になった。そう思えるようになった頃、子供の反抗に対して私も感情的に叱らなくなり、家庭の中も少しずつ良い方向へ変わっていきました。 …ということで、私も子供の教育については苦悩しています(^^♪
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