No.0に対する返信 ( No.1 ) |
- 日時: 2013/08/23 07:11 (plala)
- 名前: かゆがも
- > 私はその頃から親のため、あるいは周りにいる人のために生きていこうと考え
この考え方自体は悪いものではありません。 ただ重大な見落としが一つあります。 親を喜ばすのも、周囲の人を喜ばすのも結構ですが、 まず、自分の幸せありき、です。
> でも、高校にいき自分のなりたいものを本気で考えたいと思って大学進学を考えている矢先 > 叔父に席が空いたからと入社をすすめられました。 > そのため、学校は夜間に通えと言われました。 エライ自分勝手な叔父ですね。余程良い席が空いたのでないとなっとくできない勧めです。
> 最初はやはり進学を考えていたので渋っていましたが > 親戚一同に父親の体のことも考えて > 早く就職しろと説得され、良心の呵責から > 承諾してしまいました。 難しい判断でしたね。
> しかし、高校を卒業し待っていたのは > 安月給で最低賃金すらもらえずに働く職場でした。 > よく調べもしない私も馬鹿でしたが建築士なんて > まるで儲かるはずのない職業だったのです。 最低賃金が出ないのは違法ですよ。
> 夜間の学校でも、回りの生徒とのギャップに > ひどく悩まされました。 > 私は建築士にどうしてもなりたかったわけではないので > 意識の違いが苦しかったです。 夜間の生徒は個性的な人が多いですからね。
> そして在学中、家のローン滞納が発覚し > 退去命令が出され家を追い出されました。 > 滞納の原因はいまだに私には教えてくれません。 > 巧妙に隠されていた上に、問いただすと両親が喧嘩を始め > 片方が出ていって、片方が泣きながらごめんねといい続けるので > 聞こうにも聞けません。聞く体力すら残っていません。 > 話すだけで泣かれるので、精神が磨耗します。 > それはまだ親戚には知れていません。 > おそらく、親のギャンブルぐせ、浪費癖のせいだろうと思います。 家を退去することにより、ローンから開放されるのであればそれはそれでそれ程悪くないかと思いますよ。
> 守りかったものも守れず、 > 幸せにしたかったものも出来ず、 > 自分のしたかったことも見出だせず生きてきました。 > 何より自分の行動のせいでこうなってしまったのだと思うと > 消えてしまいたくなります。何度も死のうとしました。 やはり、自分が幸せになる、という意志が抜けてますね。
> 現在、二十歳で学校を卒業し > 叔父の会社で働いていますが > 週5.5日8時間労働で今なお月給9万です。 > これでは当然家計の支えになんてなれません。 やはり、違法ですね。あなたの叔父さんはあなたが身内であることをいいことに不当に安い給与であなたを使っているわけです。これは犯罪ですね。
> 叔父にはお金がないからと説得された上、 そんな説得意味をなしません。 採算性のあわない事業をしているのなら、従業員にまともな給与を払えない事業なら、止めてしまえばいい。
> 今までとてもお世話になっていたので文句なんて言えません。 ここで自分の意見を言わなければ何も変わりませんよ。
> 転職も言いづらい、転職したところで変わると思えない > 等の理由から行動出来ずにいます。 転職したって変わらない、それはあなたの思い込みです。 変わるための努力を怠るための言い訳のようです。
> また、親は私が好きで仕事をしてると思ってるので > 私の意思でないことを告げれば悲しむだろうと言うことも原因です。 これまで納得いかない選択を多くしてきたようですが、それでも最終的な判断を下したのは自分なんですよ。 まだお若い。本当に自分でやりたいと思える仕事、少なくともこれは自分が選んだ仕事、と言えるものを探してはどうでしょうか。 あなたの若さではまだ自分の知らない仕事がこの世に沢山あるのではないでしょうか。 図書館や本屋、ネットでいろいろ仕事を調べてみてはどうでしょうか。 興味のある仕事がみつかるかも知れませんよ。 http://www.ayay10.com/sigoto/ http://www.shigoto-ryokou.com/all.html http://www.v-fish.net/work/w1.html http://www.ayatoshi.net/syokugyou/ 或いはジョブカフェで相談してみてはどうでしょうか。 ハロワは仕事を紹介してはいお終い、という感じですが、ジョブカフェではその人がどんな仕事に向いているか、どんな仕事なら長く働き続けられるか、ということについてカウンセリングのようなことをします。 その分、仕事が決まるのは時間がかかりますが、私の弟もジョブカフェの紹介で正社員になりました。 http://hwiroha.s59.xrea.com/jobcafe_ichiran.html
> 親も金遣いの荒さから毒親といえますが > 普段は優しかっただけに恨もうにも恨めません。 なんと言っても親ですからね。
> 子どもでしかない親ですが、育ててくれたことを考えると > 悲しませたくない。と思ってしまうのです。 親って何を一番喜ぶのでしょうね。 私の両親いわく、「自分の子供が幸せであること。」なのだそうです。 あなたが幸せになることが、すなわち親の幸せになるんですよ。
> もう私は何を支えに生きればよいのでしょう。 自分の最大の救済者は自己です。 親とか、叔父とかを、頼りに入れないほうが良いでしょう。
> やはり死んでしまうべきでしょうか。 死んで楽になるんですか?、そんな保障が?、死後のことなんて分らないのに。
> 私は今まで親の言う通りに生きてきました。 これからは自分で考え、自分の意志で生きてください。
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Re: 今までの人生を考えるとこれから生きていたくない ( No.2 ) |
- 日時: 2013/08/24 11:18 (ocn)
- 名前: 悠久の風
- 私は今まで親の言う通りに生きてきました。
これからの人生、恩返しの時です! 心に秘めた思いを声に出して、転職して家族を助けてあげてください! ※消費税増税の前で建築ラッシュの今、建築士はどこでも重宝されているはず
親も金遣いの荒さから毒親といえますが 下記を参考に信念を持って、思いやりの心で接してみてください(^^♪ 時間はかかりますが、思いが通じればきっと、家族は一つになれるはずです!
(ネット検索して共感できた記事を抜粋、参考までに) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 いっぱい食料品を買って、大きな買い物袋を抱えて歩いているところに突然人がぶつかってきて、卵や豆腐を全部メチャクチャにされたら、ものすごく怒るでしょう。そこで何か言ってやるぞと思って相手を見ると、相手は目が見えない人だったとします。そうすると、それがわかったとたん、「だいじょうぶですか」と逆に相手を心配するようになってしまうのです。
なぜそのような話をするかというと、人は皆、目が見えていない存在だからです。真理に目覚めてないのです。だから、やっていることは間違いなのですが、本人は知らないんですね。目が見えない人は好んでぶつかったわけではありません。ただ目が見えなかっただけです。 我々を攻撃したり意地悪したりする人も、やりたくてたまらずにやっているわけではないのです。やりたくてたまらなくていじめる場合は、からかっているだけで楽しいのです。仲のいい友達にからかわれても恨みにはならないでしょう? 「子供の時にいじめられた」と親を恨んだりする人もいますが、親も子供をいじめたくていじめたわけではないんですよ。本当にどうしようもなくやってしまったんですね。子供を捨てる親もいますが、捨てられても親を恨む必要はないのです。恨んでしまうと、永久に自分が苦しむだけです。
どんなことにも何かわけがあるのです。たとえば「母が再婚して親にいじめられた、とんでもない母親だ」…そういう風に思うこともよくないのです。 子供の時はしょうがないとしても、大人になったら「母もた大変だったでしょう。私が邪魔だったのでしょう。しょうがない。許します」と心を清らかにした方が、恨みを持って生きるよりは自分が楽なのです。 他の道は全くありません。相手を恨むこと、相手をいじめること、相手に仕返しすることで、決して幸福は得られません。大人になってもずっと自分の母親を憎んでやると決めたところで、誰が幸せになるのか。皆が苦しいだけでしょう。それなら何のために生きているのでしょう。
人は幸せになるべきなんです。苦しんで悲しく生活するべきではないのです。そのためには慈しみの道しかありません。敵を倒す道では幸せになれません。だから、慈しみで物事を見るようにして下さい。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
親も自分も人間だから不完全な生き物なわけです。 親が偉いだとか、年上を敬えとか言うのは、儒教の教えによるもので、仏教では、真理(正しい物事の筋道。真実の道理。)に目覚めていない人間を、親であれ子供であれ皆「凡夫(愚かな人。仏教の教えを理解していない人。)」と呼びます。 人生経験の上では、親の方が先輩であり知識も豊富な分 偉く見えますが、人間の多くは煩悩(苦の根元で「貪り」「怒り」「愚か」の三毒)に苛まれ、真理に暗く正しい判断ができずに苦しむのです‥
でも、よく聞いてくださいね。
「煩悩の苦しさがあるからこそ、悟りがあり。煩悩の苦しさがない世界には、悟りもありえない。」 というわけなのです!
まだ理解するには難しすぎると思いますが、 仏教は、お釈迦様が「未来の世の諸々の生命のあるものすべての為に平等な救済と成仏を説いた」この上ない教えです。
『 恨み心を感謝に変えて 』
仏教の素晴らしさは、魂の成仏です。人は誰もが仏様の様になれる心を持っており、善悪は区別するものではなく、人は悪を観て善の道に入ることができるのです!
どうか精進なされて、得難く頂いた人生を全うされ幸せになれますよう、心よりお祈りいたします(-人-)
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