17年間の人生 |
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- 日時: 2013/09/04 00:52 (spmode)
- 名前: みずきち
- 私の本当の父親は薬物て捕まったので母親と離婚しました。
でも、再婚した相手が最悪でした。生きてるのに地獄にいるような感じです。 再婚相手=父親は私が小4の時までは普通でした、、、
小4の春休み頃。母親は妊娠したので病院に入院していました。でも、家には私と小1の弟と父親です。ここから私の地獄の日々は続きました。 私の父親の虐待はいきなり酷いものでした。入院している母親のお見舞いに行くときも私だけ置いて行き、あげくの果てに「帰ってくるまで死んどけ」と言って、ベットと勉強机を壊されたのを覚えてます。 どーする事も出来ずに、担任の先生に電話したら、直ぐに来てくれました。 でも、それが裏目となり余計にエスカレートしました。 屋根裏部屋で寝た記憶もあります。私が覚えてても父親は覚えてないのは当たり前だろうと考えると、自分はいらない人間にしか思えないし、居てても父親の機嫌を悪くするだけだと思う。 そんな事を考える日が多かった、でも母親が退院してきた時はとても嬉しかった。
母親が帰って来ても、暴力、虐待が無くなる事はありませんでした 小6になるまでも沢山あり、全部忘れたいけど忘れない状態です。思い出すと最近あったかのようた感じで死にたくなります。 でも、虐待や暴力で警察に逮捕されているのに、父親は母親を追ってきます。だから、小6になったと同時に引っ越しをし、転校したのですが、なぜか家の近くに居たり、会いたいと連絡したり、私は正直イヤでした。嫌いでした。どーせなら関わって欲しくなかったです。 でも、そんな事は言えず、母親と父親は結婚はしなかったけど、父親が家に居候的な感じでやってきました。
私は怖いけど、警察に逮捕されてるし大丈夫だろ、と安心していました。でも捕まっても反省してなかったら意味ありません。 むしろ、ひどかったように思えます。 ここからは母親が知らない事です。むしろコレを見せたいです。 中学1年の夏休み母親は夜仕事に出かけ父親が家の事をしていました。 家に居たく無いことが多かったのを覚えてます。
夕飯の準備の時はいつキレるかビビる日が多かったし、母親には仕事に行って欲しくなかったです。この時私は円形脱毛症で髪の毛が全然ありませんでした。精神科に行きましたが異常は有りませんでした。当たり前です、、、嘘を言ったので、異常が無いに決まってる、円形脱毛症は不安や悩み事の過剰なストレスで起きる病気です。ストレス、、、悩み事、、、あるに決まってる。母親の前で言えるわけがない。だから黙っていた。 でも、病気があるからって、虐待や暴力は無くならなかった。 夏休みは母親以外みんな居てた。だからイライラするのは分かるけど、私にあたらないでほしい。ペンチが出で来たときは死ぬと思ったし、夕飯は焼きたてのお好み焼きを素手で食べさせられたときは死にたかった、、、 ノリに乗らないとキレる、調子に乗って無いのに殴られ蹴られ、すみません。ごめんなさいのれ。
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