Re: 夫婦の宗教観 ( No.1 ) |
- 日時: 2013/10/07 19:16 (ocn)
- 名前: 心
- 初めまして。
宗教は個人の自由ですから言いと私は思います。
ただ私が思ってる宗教団体なら私なら何も言いませんがいい気分ではありません。
何故か、今は宗教ではないと思ってるからです。
でも私もあるトラブルから藁をも掴む思いで入会しましたが入会して汚い部分がよく解りました。
何回も言いますがあくまでも私が思ってる団体ですから。
無宗教ならなおさら理解は難しいと思います、
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Re: 夫婦の宗教観 ( No.2 ) |
- 日時: 2013/10/07 19:38 (ocn)
- 名前: 悠久の風
- 「何のために信仰をするのか?」をよく考えてみるといいですね(^^♪
≪ 信じて仰ぐ「信仰」の素晴らしさ ≫
(ネット検索して共感できた記事を抜粋、参考までに) 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 信じて仰ぐと書く「信仰」。どんな宗教であっても、「信じなさい」「疑ってはなりません」と説き、「信仰」の大切さを強調しています。「信仰」はその宗教が拠って立つ基盤です。「信仰」なくして宗教は成り立ちません。 しかしいったい何を「信じなさい」「疑ってはなりません」と言うのでしょうか? これは通常、その宗教のご本尊、つまり礼拝の対象とその教えということになりますね。しかしこの「信」は、「信」なるがゆえに、宗教が持つ本質的な問題を孕んでいると言えます。 それはどの宗教も、「我がご本尊、わが教えこそ正しい」と主張して止まないことです。そこに強い「信」が加われば、「自分たち以外は邪」として排斥するという思想になりかねません。実際それが、これまでの宗教の歴史です。 しかしそれは、宗教の本来の目的とは真反対であることは自明です。宗教の名のもとに戦争を行うくらいなら、宗教などない方がまだましです。いったいどうして、そんな馬鹿なことが起きてしまうのでしょうか。
今と違い、昔は文盲率も高く、知恵ある情報はごく限られていました。そうした中で、宗教が発する情報は群を抜いてレベルの高いものだったと思います。苦しい生活から救われるためには、限られたその情報を「信じる」、つまり「信仰」に身を捧げるしかなかったことは容易に想像できます。 しかし今は、いつでもどこでもインターネットを通じてあらゆる情報が瞬時に取得できる時代です。そうした環境下で、宗教が発する特定の情報だけを「信じなさい」と言ってももはや無理ですし、「信じる」ことを徹底しようとすれば、他の情報を遮断するしかなくなってきます。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
では、どうすれば相手に信仰をもってもらえるのか?を考える‥ 簡単ですね! あなた自身が信仰によって、どう変われたか?です(^^b
あなたの姿を見たご主人さんが「自分も変わりたい、自分も信仰をしたい!」と思ってもらえるかどうか?だと思います!
逆に「お前の姿を見ていたら、お前のやっている信仰をしたいと思わない!」と、思われていませんか?
相手を変えようとするのではなく、先ずは自分が変わることで、相手も取り巻く環境もすべて変わっていくものですよ(^^♪ 恨み(嫉妬や執着も同様)心からは幸せは決して生まれないため、恨み心を捨てて感謝の心を起こしてみてください! あと、結婚した当時の気持ちをどうか大切に(^^♪
≪ 家庭円満の秘訣 ≫
こんな言葉を知っていますか? 「善人の家に争いごと絶えず、悪人の家に争いごとなし」道元禅師
一見意味不明の文言ですよね(^^♪ 簡単に説明をします。
善人家族は、何かトラブルが起こると「私は間違っていない」「悪くない」とお互いに言い合い、自分は間違ったことをしていないと主張して言い張り合い、争いが絶えません。 でも、 悪人家族は、何かトラブルが起こると「私が間違っていた」「悪いのは私」とお互いに言い合い、自分が足りなかったから相手に迷惑を掛けてしまったと言い、争いは起きません。
もう家族円満の秘訣は、わかりましたか(^^♪ そう! 自分が謙虚になり、決して相手を責めないことなんですネ(^^/
思いやりの気持ちは、相手にとってもうれしいもの。 小さな事でも「私が至らないばかりにゴメンね」すると「いいよ。私も至らないこといっぱいあるから。お互いに気を付けましょうね!」 と言い合える仲になりたいですね!‥いきなりこうは無理ですけど(^^;
日常の生活に、気配り思いやりの心掛けはできてますか? 一日の始まり「おはようございます」の挨拶に込める本来の目的は「今日も一日宜しくお願いします」 また、 一日の終わり「おやすみなさい」の挨拶に込める本来の目的は「今日も一日ありがとうございました」 さらには、 食事で手を合わせ「いただきます」の挨拶に込める本来の目的は「命を頂き生かされているこに感謝します」※残さずに食べて、美味しく調理してくれた人への感謝も必要ですね といった様に、 日常生活に対しての家族への感謝の表れの挨拶なんですね(^^♪
逆を言えば、感謝がなく、謙虚じゃなく、相手を責めるから喧嘩が絶えないのですね!
「因」の字の下に「心」と書いて、「恩」⇒ 原因を知る心「おかげさま」の意味があります! 今の生活が送れるのは誰のおかげさま? 今、生を享けているのは両親だけでなく、祖父母またご先祖様のおかげさま!ですね(^^♪
お父さんお母さんを大切にすると、親の親である祖父母またご先祖様が喜び、あなたが困った時にはきっと力を貸してくれるはずです!
困った時に助け合い、思いやりのある家族円満な家庭を築けることを、お祈り致します(^人^)
※人の心につけ込んだ、悪徳商法や宗教的な詐欺には気をつけてください。「寄付や賽銭をしないと救われない」といった金銭で差別するような組織や「私が神だ!」と言い神や仏をも見下す教祖のいる団体には注意が必要ですよ!欲に溺れた人間の姿に他ありません。
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Re: 夫婦の宗教観 ( No.3 ) |
- 日時: 2013/10/07 21:55 (au-net)
- 名前: あ
- 熱心じゃないならやめてもいいのでは?旦那もその宗教団体のことを知って嫌だと思ったんでしょ?宗教の自由もあるけど嫌う自由もある。
旦那との仲が悪くなるのと宗教をやめることによるデメリット、どっちを避けたいかでしょう。その宗教団体に未練でもあるの?
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