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息苦しい

日時: 2017/09/25 13:37 (ap)
名前: すいそ

2年前にたったひとりの肉親である父が亡くなりました。
父が亡くなる時誰もそばにいなかったこと、最期を看取れなかったことが辛く、最期までの半年間父を施設に入れ、週一回ほどしか会わずにいた自分が2年経っても許せないし、
これまで男手一つで育ててきた娘にもろくに会えず孤独の中、小さな病院のベットで、ただ寝ながら死んでいったの気持ちになると息苦しくて息苦しくて朝ふとそのことを思った日には仕事にもいかずただたまりません。死んでしまいたい。

父とは50歳程歳が離れていてとても不仲でした。
父は私が小学生の頃と中学生の頃に脳梗塞で二度倒れ、高校の頃には足が不自由で家にこもりがちになり、自営業でしたが退職し生活保護となりました。

子供の頃は厳しくもありましたが、とても甘やかされたり、母とは離婚したことで家族は父しかおらず父にべったりでした。
成長するにつれて、自我も強くなり周囲の子よりも門限が早かったり遠出の外出もだめだしお小遣いも貰えず、父は私のことを嫌いなんじゃないかと思うようになり常に私は反抗期でした。
そんな私に父も憎まれ口しかきかなくなり、体の不自由もあってかストレスがたまり、すぐに怒鳴ったり物を投げてきたり、全く私の言う言葉を認めようとせず否定ばかりで、きっと父は衝動で言ったのしょうが死ねとまで言ったりと、父から愛情が感じられず、毎日が喧嘩で毎晩のように孤独で泣いていました。

そして、高校3年の頃には溝は埋まらないほど広がり進路も特に相談せずに自分で短大入学を決め、
父は精神病にかかり、被害妄想で天井裏に人がいると言って殺虫剤を毎日天井にふりかけていました。そんな私が知っている友達のお父さんとは全く違う父が大嫌いでたまりませんでした。

そして、ケースワーカーさんが被害妄想の治療として別のところは越した方がいいといい、短大の春父と引っ越しました。
その頃の父は認知症でタクシーに乗ると帰り道がわからなくなったりと、介護なしでは生活ができず、私は短大と介護とバイトで必死でした。

その頃ケースワーカーさんには父を施設に預けた方がいいと言われていましたが、たった一人の肉親と離れるなんてお互い孤独で潰れると思い断り続けていました。

そして就職を意識して、夏休みに2週間ほど職場体験してやっと終わった日の帰りにケースワーカーさんから電話があり、出てみると父が家で倒れていたとの連絡でした。

父は誤嚥性肺炎でした。
その2週間の間、父がご飯を食べてくれず父に怒鳴ったことがありました。
その日は朝父にご飯を作ってあげられず、
自分で父はご飯を炊いて水の分量も少なく硬いご飯を炊いて食べたようでした。
罪悪感でいっぱいで死にたくなりました。
これまで精一杯育ててもらったのに、自分は恩を仇で返すようで、自分なんか生まれて来なければよかったのだと思いました。

それから一週間たちは入院し、毎日お見舞いに行きました。
そのことで泣きながら父を施設にいれることをケースワーカーさんと決めました。

父のいない生活は自分が思った以上に寂しくありませんでした。
週に一度父に会いに行く程度で、また学校とバイトの間などで1時間ほどしか会いませんでした。
そんな生活が続き、大学一年生の秋頃、父は施設で高熱が続いているとのことで病院に行くことになりました。
肺炎で入院となり、点滴の日々でした。
すぐに退院できるとのことで次の施設も決めていました。

その頃、私は今でも付き合っている恋人となる人と出会い、私の中で孤独はまったくありませんでした。
父には以前の入院のように毎日ではなく、一週間に一度会う程度です。

父は入れ歯を入れずに何を話しているのか分かりませんでしたが、元気がなかったのかとても穏やかで優しく静かでした。

そして、2月のバレンタインとなり、
チョコレートを父に作りました。
でも、その頃はバイトも楽しく学校も楽しく、恋人とも仲が良く、
一週間も、二週間も父に会いに行かず渡さずにいました。

バイトへいつものように向かおうとしたバレンタインから2週間ごろたった日、
病院から父が亡くなったとの電話がありました。
あまりにも突然で、退院できるものだと回復しているものだと思っていたのに。
真冬、夜で、雨が降る中、自転車で泣きながら病院へ向かいました。
父は細くて白くて冷たくなっていました。
きっと私が会いに行かなかったから、孤独で生きることを諦めたんだと思います。
私は父を殺したも当然なんです。
ずっと泣いていました。
父はどんなことを思いながら死んでいったのか、考えるだけでも罪悪感に苛まれて、死んだ方が楽なんじゃないかと思います。
あれから2年近く経ちました。
短大も恋人の実家に居候させてもらいバイトもしながらなんとか卒業し、就職も無事できました。
就職から半年経った今、雨が降ったりお風呂に入ったりとふとした時父の寂しさを想像してしまい、死にたくなり、職場に行かなくなります。
職場は明るい人が多くて好きです。
仕事自体も慣れてきて順調なのに、
度々、仮病で休んで迷惑をかけてしまいます。

寝てる時が一番幸せで、死ぬのもきっとずつと寝ていて楽なんだと思います。
こんな重い話は、恋人にも友達にもきっと話せないです。
精神科に行って良く眠れるお薬は貰えても、父は戻ってこないです。孤独はうまらないです。
父に会いたくてたまらない。
許して欲しくてたまらない。
孤独の中父を置いてきてしまって、生きていくのがしんどいです。苦しいです。
なにもお父さんに返せてない。
これを誰にも話せないのが辛い。

イエローページ

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Re: 息苦しい ( No.1 )
日時: 2017/09/25 14:37 (spmode)
名前: とある父

お父上の最後を看取れず辛い
それは拭っても拭いきれないのだろうね
もうやり直しができない過去だからね

さて
お話のなかから考えて

お父上は脳梗塞を患われた頃から
大変お辛かったことは確かだろうね
思うに任せない毎日
家族に対しても
素直に接することができない苛立ち
不摂生からの自業自得だけに
悔やんでも悔やみきれない気持ち

当時のお父上には
成長過程のスレ主さんを柔らかく
受け止める余裕が無かったのだろうね

やがて認知を患う頃には
正常な思考が難しくなってしまった
勿論
本人はその時の思考で正しいと
思ったことをしていたのだろうけど

その頃からスレ主は大変心を痛めていたのだね

しかし
良く考えてみては?
スレ主が今後悔しているように
お父上は思っていただろうか?
本当の気持ちであろうと
スレ主が考えている事だよね

今スレ主が辛いのは
お父上の辛さではなく
スレ主自身の後悔なんだと思えないかな?
腹をわって話せなくなった日から
それは始まっている
相手はこのように思っているだろう
そう考えて自分の思考をする事がね

スレ主が幼かった頃
お父上や家族が順調だった頃
お父上は良い方であったのだったね
そんな人物が最終的に望むのは
「我が子が幸せになってくれること」
これにまず間違いない
まっとうな親なら自分が食べられなくても
子供には食べさせたい
自分はどうなっても良いから子供を助けたい
それは本能のひとつでもある

今もスレ主は親孝行が不充分であったと
後悔から大変辛いのだが
今のスレ主の状態を父上が
草葉の陰から御覧になっているとしたら
どの様に思われるだろうか?

生前お元気であった頃の
お父上の笑顔を思い出してみては?
   メンテ

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この度、テーマを『生きること、そうでなければ、死ぬことについて』としまして、皆様の死生観や現実の生活における知恵など、自由な視点からの寄稿をお願い申し上げております。


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