Re: 僕の生きる価値 ( No.1 ) |
- 日時: 2012/03/03 04:41 (ocn)
- 名前: ちわわ
- これまで、人間関係で大変な苦労されてきたと思います。
好みの女の子を追いかけていたとのことですが、 やはり、自分に置き換えて考えてみると、その女の子の気持ちも 分かるのではと思います。 「好きではない」人に追いかけられても迷惑なだけです。 今の自分を変えたいけど変えられない、ということをおっしゃって たのが気になります。 文章を読んでいて思ったのは「対人面でのコミュニケーション能力が 低いこと」、「相手の気持ちや行動がよく分からないこと」が あなたの問題の中心にあるように思います。 ショックかもしれませんが、「広汎性発達障害」の中の一つ、 「アスペルガー症候群」に症状がよく似ているように思います。 死ぬことを考えるくらい苦しんでおられるようなら、勇気を 出して、心療内科や精神科に受診することをお勧めします。 もしアスペルガーだと分かったとしたら、 これまでの疑問も解けるし、今後どのように人間関係を 築いていけば良いのかの指針も得られます。 アスペルガーは知能の高い優秀な人にも多く、社会でそれなりの 成功をおさめている人もたくさんいます。決して恥じる病気では ありません。ご参考までに・・・。 それから、決して自殺はしないでください。
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お礼 ( No.2 ) |
- 日時: 2012/03/03 09:24 (docomo)
- 名前: カス野郎
- ありがとうございます。
僕は皆にとって迷惑な存在だと分かると余計に死にたくなりました。 アスペルガーというと、強いこだわりがあるはずなのに、僕にはありません。 AQ診断でも26点しかありません。 これでも素人がアスペルガーではないと判断してはならないのでしょうか? なぜ死んではならないのでしょうか? こんな僕は生きても良いことありません。いつまでも嫌われて、いつまでも孤独なだけです。
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Re: 僕の生きる価値 ( No.3 ) |
- 日時: 2012/03/03 09:41 (wind)
- 名前: かゆがも
- >なぜ死んではならないのでしょうか?
死んで楽になる保障がありません。 死んで無になるならともかく、死んで地獄や餓鬼に落ちたら今より苦しくなってしまいます。
>これでも素人がアスペルガーではないと判断してはならないのでしょうか? 素人判断は危険ですね。 他の疾患の可能性だってあります。
私もちわわさん同様、心療内科や精神科に受診することをお勧めします。
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お礼 ( No.4 ) |
- 日時: 2012/03/03 10:40 (docomo)
- 名前: カス野郎
- ありがとうございます。
「地獄」や「餓鬼道」という宗教的概念を持ち出すのは間違いでしょう。 僕は宗教を信じていません。宗教を信じている方には失礼かもしれませんが、宗教は個人の生の苦しみから解放したいがために生み出された信仰ですが、主観的で根拠のない現実逃避にすぎないと考えています。 それとも、そのような、万人にとって客観的であるとは言えない宗教的概念を持ち出さないと、死んではならない理由を作ることができないほど僕はクズなのでしょうか。
うちの姉が母に「死にたい」と言ったことがあります。 母は「外で運動してきたら?」と言いました。 そういう家族です。精神科には強い抵抗があり、世間体を気にしています。 さらに父は歯医者で、それなりの医学知識はあるのですが、アスペルガー症候群という病気は無いという考えを持っています。 僕が精神科に行くことで家族をこじらせてしまいます。 しかも保険証は母が持っていて、どこにあるか僕は分かりません。 説得させるようなコミュニケーション能力はありません。 家庭の事情で精神科は諦めます。
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Re: 僕の生きる価値 ( No.5 ) |
- 日時: 2012/03/03 12:30 (wind)
- 名前: かゆがも
- >「地獄」や「餓鬼道」という宗教的概念を持ち出すのは間違いでしょう。
私も地獄や餓鬼があるとは思っていません。 私のスタンスは「死後がどうなるかはわからない。」です。 死後が無である、というのも宗教に負けないぐらいの妄信です。 だって生きている人は誰だって死んだ経験がないのだから。
>僕は宗教を信じていません。 私も信じてませんよ。宗教は個人の自由ですよね。
>宗教は個人の生の苦しみから解放したいがために生み出された信仰ですが、主観的で根拠のない現実逃避にすぎないと考えています。 一部の人は宗教が助けになっていいるようです、そういう人はそれでいいかなと私は思います。
>それとも、そのような、万人にとって客観的であるとは言えない宗教的概念を持ち出さないと、死んではならない理由を作ることができないほど僕はクズなのでしょうか。 自分を卑下してもいいことありませんよ。
>うちの姉が母に「死にたい」と言ったことがあります。 >母は「外で運動してきたら?」と言いました。 落ち込んでるとき、思いっきり運動してすっきりさせるのは私もやっています。
>そういう家族です。精神科には強い抵抗があり、世間体を気にしています。 お父さんが歯科医でも精神科に抵抗がありますか。 精神病は特別な、珍しい病気ではありませんよ。
>さらに父は歯医者で、それなりの医学知識はあるのですが、アスペルガー症候群という病気は無いという考えを持っています。 アスペルガーは最近広まった疾患概念ですからね、信用してない人がいてもおかしくありませんね。
>僕が精神科に行くことで家族をこじらせてしまいます。 しかし、このままでも苦しいでしょう。
>しかも保険証は母が持っていて、どこにあるか僕は分かりません。 >説得させるようなコミュニケーション能力はありません。 >家庭の事情で精神科は諦めます。 それでは精神科ではなく、内科、神経内科、脳外科などはどうでしょう。 まずは頭部に器質的疾患がないかを見ていただき、必要であれば精神科へ紹介していただく。 ご家族も医師の勧めであれば聞くのではないか、と思いました。
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お礼 ( No.6 ) |
- 日時: 2012/03/03 12:59 (docomo)
- 名前: カス野郎
- ありがとうございます。
どうなんでしょうかね。意識が無くなれば無であるという考えは科学的知見では普通だと思うのですが。 キリスト教の、自殺は罪だという考えは6世紀の奴隷の自殺防止のために加えられたとされてます。 仏教にはそもそも自殺は罪だという考えはありませんし。 さらに地獄に落ちるかもしれないから死んでも逃避にならないという考えは、いづれ死ぬ我々にとって不毛でしょう。 問題はこの苦痛にまみれた生を全うするかどうかですから、僕自身は質問文の通り、生きる価値があるかどうかを考えたいのです。
精神科に抵抗のある人間に、「俺頭おかしいと思うから脳外科に連れていってくれ」と言ったら同様に抵抗すると考えるのはおかしいでしょうかね。 精神科に連れていかせてもらうことができないくらいヘタレだし、もう死んでしまおうと思ってしまいますね。
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Re: 僕の生きる価値 ( No.7 ) |
- 日時: 2012/03/03 13:48 (wind)
- 名前: かゆがも
- >どうなんでしょうかね。意識が無くなれば無であるという考えは科学的知見では普通だと思うのですが。
科学では意識そのものを捉えることも、評価することもできてませんよ。 それに科学的知見は絶対でもありません。 世の科学者達が長い間間違った理論に支配されていたり、なんども理論が変わったりするのはご存知ですよね。 例えば生命の性質を伝えるのは昔はたんぱく質だと考えられていました、しかし現在はDNA・RNAだと分かっています。
>キリスト教の、自殺は罪だという考えは6世紀の奴隷の自殺防止のために加えられたとされてます。 そうでしたか、私は知りませんでした。博識ですね。
>仏教にはそもそも自殺は罪だという考えはありませんし。 その通りです。仏教では自殺は大罪ではありません。 ただ、自分の生命を無駄にする残念な、意気地のない行為だとされています。
>さらに地獄に落ちるかもしれないから死んでも逃避にならないという考えは、いづれ死ぬ我々にとって不毛でしょう。 死後に地獄があるかどうかは私は(言っといてなんですが)知りません。 ですから、私はもし死後があるなら地獄には落ちたくない、そのように生きたいと思ってます。
>問題はこの苦痛にまみれた生を全うするかどうかですから、僕自身は質問文の通り、生きる価値があるかどうかを考えたいのです。 自分の生き方を考えるのはとてもいいことだと思います。 さらに死について考えることも有意義だと思います。
>精神科に抵抗のある人間に、「俺頭おかしいと思うから脳外科に連れていってくれ」と言ったら同様に抵抗すると考えるのはおかしいでしょうかね。 キチンと受診させてもらえる可能性があるなら言ってみよう、と考えるわけにはいかないでしょうか。
>精神科に連れていかせてもらうことができないくらいヘタレだし、もう死んでしまおうと思ってしまいますね。 死ぬときの苦しみそのものは怖くないんですか? 私は窒息で死ぬ苦しみも、どこかを切られて死ぬ苦しみも、いろいろと怖いですが。
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お礼 ( No.8 ) |
- 日時: 2012/03/03 14:17 (docomo)
- 名前: カス野郎
- 若く死んだ方が天国に行けるとしたらどうしますか?
このような道徳に縛られない死後の世界だって考えられます。 確かに常識だと考えられたことが嘘だったこともあります。 しかし、そうやっていろいろ考えてしまうと、死に対して考えることなんて無意味になるんですよ。 もし、僕が上記のような非道徳的世界を信じていたとしたら、あなたはそれを否定することができますか? 今、死後について何も分かっていないのだから、生きる価値があるかどうかを考えることが有意義だと思います。 言ってみようとか思えないですね。 そもそもそうやって生きていくことをまだ決めた訳でもないですし。 何しろヘタレですし。 死への恐怖は不思議と無いんですよ。 むしろ興味があります。
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Re: 僕の生きる価値 ( No.9 ) |
- 日時: 2012/03/03 14:31 (ocn)
- 名前: イルカ
- こんにちは。
長い文章を読むのは苦痛ではありませんか? 私はどうしても文章が長くなってしまう傾向があります。 長い文章を読むのが苦痛、もしくは読みたくないとお考えであればスルーしてくださいね。
気に入った異性に声をかけて逃げられたら私も頭の上に大きな「?」が浮かびます。 声のかけ方にもよると思いますが、「こんにちは^^」「おはよう^^」という挨拶程度の声かけに対して逃げられたら、私の場合落ち込みより呆れますね。 その後、何故逃げられたかわからないままであり、でもその人と話してみたいと思ったなら、あなたと同じようにその人に近寄ったりします。
私も学生時代、女性が男性に話しかけられると「キャー」と言って逃げるような風景を見たことがあります。 私も女性なのですが、そのような逃げる女性の考えていること、意味などがさっぱりわかりませんでした。 相手が凶器を持っているわけでもないですし、妖怪や怪物なんかでもありません。 私たちと同じ姿をしている同じ人間なのに何故、逃げる必要があるのか、まったくもって理解不能です。
「我が強い」「自分の意見を押し付けるな」「幼稚だ」 このような事は私も幾度となく言われてきました。 もちろん、当時はかなり悩みました。 「自分の意見を言うことがそんなに悪いのか?」 「私はただ意見交換したいだけなのにそれが押し付けになるのか?」 「幼稚というけど、じゃぁ何を基準に子供と大人を区別しているのだ?」 などなどです。 結局は、相手が不快に感じるか、快に感じるか、基準は個人が勝手に決めるものであるということだったんですね。 その表現方法が個人によって異なるので、その表現の異なりに惑わされていただけだったのだということに行き着きました。
世界中には私たちより辛い人、苦しい人は山のようにいます。 しかし、辛い、苦しいという感情に順位をつけることはできません。 辛い苦しいという感情は、その人にとっての現在の最大の苦しみなのですから。
「生きる価値」 国語辞書によると「価値」とは3個の意味があるようです。 @その事物がどのくらい役に立つかの度合い。値打ち。 A商品が持つ交換価値の本質とされるもの。 B哲学で、あらゆる個人・社会を通じて常に承認されるべき絶対性を持った性質。真・善・美。
生きる価値・・・に意味をあてはめるとすれば@とBがあてはまりそうですね。 @「自分はどのくらい役に立っているのか?」 A「人間社会を通じて自分は常に承認されるべき人間であるのか?」
これらを考えたいということでよろしいでしょうか?
@自分が「何に」どのくらい役に立ちたいと考えるか、役立つためにはどのような方法があるのか、その方法を実行するための環境は整っているか、そういった事を考え、実行していくことが道の開きになるのではないかと私は思います。
A世界中の人に聞いてまわることは、ほぼ不可能だと思われますので、あなたが承認されるべき人間であるかどうかは「誰にも」わかりません。 しかしながら、自分の身近な社会(学校、家、友達など)と限定するのであれば、他者から認められることで「承認されるべき人間であった!」と感じることは可能かもしれません。 他者から認められるということは、他者からの評価を受けるということです。 評価を受けるためには、自分から他者に働きかけねばなりません。 今までの働きかけでは、あなたの経験上でどうなるかはご承知のはずです。 でも、あなたの周り、もしくはテレビの世界、本の世界などでは周囲から認められている人が多くいますね。 あなたの周りも、テレビも本も、「自分が出会う出来事と同じ、もしくは同じような出来事」があるはずです。 そのとき、周囲から認められている存在の人は「どのような対応をしているのか」を観察することで何か得られるのではないかと私は思います。
以上、ながくなってしまいましたが私からのコメントとなります。 参考になれば幸いに思います。
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Re: 僕の生きる価値 ( No.10 ) |
- 日時: 2012/03/03 14:39 (wind)
- 名前: かゆがも
- >若く死んだ方が天国に行けるとしたらどうしますか?
もし、それが本当なら、人類はたった今全員、自殺するべきですね。
>このような道徳に縛られない死後の世界だって考えられます。 考えるだけならいろいろできますよ。 人間はありえないものも妄想したりできますからね。 羽の生えた馬も妄想できますし、若く死んだらいける天国も妄想できます、 ただ、妄想なので真実ではないです。
>しかし、そうやっていろいろ考えてしまうと、死に対して考えることなんて無意味になるんですよ。 参考までに、私の死に対する考え方を書きます。ほんと、参考までにです。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 死後どうなるかは分かりません。 ですが死後の考え方をまとめると以下の三つになります。
キリスト教やイスラム教では死後、天国や地獄に行くと説いてます。 仏教やヒンズー教では死後、他の生命に輪廻転生すると説いてます。 一部の科学者・物質主義者は死後はない、虚無である、と説いてます。
自殺後、キリスト教・イスラム教が正しければ死後は地獄になります。 自殺後、仏教・ヒンズー教が正しければ死後は餓鬼(幽霊)などに転生します。 自殺後、一部の科学者・物質主義者が正しければ、確かに生きる苦しみからは解放されます。 しかし、科学者の言うと事は時代ごとに異なり、とても信用できません。 今ある科学理論は歴史上、二転三転もしていまあるんです。 科学は物質を扱うのには長けていますが、生死を扱うのは範囲外です。
そして知恵ある人は「死後、どうなるかはわからない。」と正直に言います。 だって死んだことないんですから。
自殺後、楽になる、無であることを期待するのは分の悪い賭けなんですよ。 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
>もし、僕が上記のような非道徳的世界を信じていたとしたら、あなたはそれを否定することができますか? できませんよ。妄想を打ち破るのは自分の力に頼るしかないんです。
>今、死後について何も分かっていないのだから、生きる価値があるかどうかを考えることが有意義だと思います。 どのように生きるかならよく私も考えますね。
>言ってみようとか思えないですね。 それは残念です。
>そもそもそうやって生きていくことをまだ決めた訳でもないですし。 >何しろヘタレですし。 言いにくいのなら手紙にして書くのはどうでしょう。
>死への恐怖は不思議と無いんですよ。 >むしろ興味があります。 死に対する興味はありまね、まだ死んだことありませんから。 ですが私は同時に死に対する恐怖もあります、まだ死んだことありませんから。
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お礼 ( No.11 ) |
- 日時: 2012/03/03 16:58 (docomo)
- 名前: カス野郎
- イルカさん
いろいろ考えてくれてるようですが、変われない、努力できない僕には無意味のようです。 かゆがもさん 妄想、つまり非常識的な考えが現実であったことがあると言ったばかりではないですか? DNAの4つの塩基だけで、人間の構造を作れるなんて非常識的だけど、現実だったんですよね。 それとどう異なるのでしょうか。 そもそも科学は二転三転するから信憑性があるのです。反証可能性(falsifibility)があるかどうかが科学と似非科学との境目であるというポッパーの理論があります。 ポッパーの理論はまだ不十分だと考える人も多いですが、少なくとも二転三転する理論の方がまだ信憑性が高いのは逆説的な真実だと思います。 まあ言うなら、都合の悪いことがあれば「これは神の試練だ」と言い逃れできる宗教こそ信頼できないということです。 これは本筋の話にあまり関係ないことですけどね。 確かに意識についてはまだまだ科学は疎いかもしれません。 認知科学(cognitive science)って奴でしょうか。 まだ発展のし甲斐がある学問なのでしょうね。 ともかく、死後は無だと決めつけることは止めることにします。 それでは妄想と妄想ではないものの境目は何でしょうか? 僕にとって妄想と宗教なんぞ客観性が少ない以上信憑性は同等のものだと思うのです。
家族にお手紙ですか……後で問い詰められて言葉に窮するだけでしょう。 手紙では本気で受け取ってくれませんよ。 手紙出してみようとも思わないほどヘタレです。 精神科に行くための必要条件は自分の生きる価値を見つけることです。又は行動できないヘタレの自分が価値の創造を行える方法を見つけることです。 それが無ければ何も始まらないと思います。
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Re: 僕の生きる価値 ( No.12 ) |
- 日時: 2012/03/03 17:30 (ocn)
- 名前: イルカ
- お返事をありがとうございます。
努力と変化を望み、行動のできる自分になれると良いですね。
失礼いたします。
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お礼 ( No.13 ) |
- 日時: 2012/03/03 22:01 (docomo)
- 名前: カス野郎
- そんな素晴らしい人間になれたらいいのですが、僕には無理なようです。
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Re: 僕の生きる価値 ( No.14 ) |
- 日時: 2012/03/04 07:39 (plala)
- 名前: かゆがも
- >ともかく、死後は無だと決めつけることは止めることにします。
それが理性的な態度だと思います。 哲学者ソクラテスの死刑裁判のときの弁明である、 「死後のことを知っている者など誰もいないのに、人々はそれを最大の悪であるかのように恐れる。それは自ら知らざることを知れりと信ずる無知であり、賢くないのに賢人を気取ることに他ならない。私は死後のことについては何も知らない代わりに、知っていると妄信もしない。」 という立場が、一番理性的だと思います。
>それでは妄想と妄想ではないものの境目は何でしょうか? 客観的か、主観的か、だと思います。 例えばゴキブリですが、黒っぽい、飛ぶことも出来る、昆虫であることは客観的事実です。 しかし、「うわ、ゴキブリだ、気持悪い!」というのは主観的な妄想です。 客観的事実であれば全ての人・生命にとっても同様のはずです、事実なんですから。 「お、ゴキブリだ、ご馳走だ。」と考える生命もいるわけです、ニワトリとかです。
>僕にとって妄想と宗教なんぞ客観性が少ない以上信憑性は同等のものだと思うのです。 いやあ、同感ですね。
>家族にお手紙ですか……後で問い詰められて言葉に窮するだけでしょう。 >手紙では本気で受け取ってくれませんよ。 やってみなければ分からないことですね。
>手紙出してみようとも思わないほどヘタレです。 それは残念です。
>精神科に行くための必要条件は自分の生きる価値を見つけることです。又は行動できないヘタレの自分が価値の創造を行える方法を見つけることです。 まあ、世間一般の人は生きる価値なんか気にしていないか、生きる価値を自分で決めて生きてるんでしょうけどね。 アメリカのオバマ大統領はアメリカを良くすることを生きがいにしているかもしれませんが、自分で選んだことです。 野球のイチロウは野球を極めることを生きがいにしているかもしれませんが、自分で選んだことです。 例えば私は今の仕事と年老いた両親をキチンと最後まで看取ることにとりあえず生きる価値を置いてますが、自分で選んだことです。
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