親も宗教してた ( No.1 ) |
- 日時: 2012/03/21 17:55 (jp-k)
- 名前: てっ
- 人の心に付け入る隙間産業
盲目なのが人 仕方ないんじゃなかろうか 日常会話が成り立たなくて大変だった
依存 中毒 そうさせるようにできてる
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Re: 宗教の勧誘 ( No.2 ) |
- 日時: 2012/03/21 20:02 (dip)
- 名前: らら
- 薬には、人によってあう、あわないがあります。
ある人には、特効薬であっても、あるひとにとっては、 体質に合わなくて、かえって逆効果になる事もあるでしょう。
私はプロテスタント系のクリスチャンです。^^ でも、クリスチャンといっても、いろいろですよ。 教会も色々ですし、クリスチャン個人も様々な方がいます。 会社の経営者や、医者や裁判官などでもいますし、普通のサラリーマンや 教職や、福祉に携わっている人、もちろん主婦もいます。
宗教やっている人=精神面で弱くてただ神様におすがりする人 と固定観念をもってほしくないのですよ。^^ 確かに、そういうきっかけで、神を求める場合もありますが、 それだけでは。。信仰は<長続き>しないものです。 あるいみ、恋愛と結婚が違うように、本物の信仰<神への信頼>と一時のただの 気休めの信仰<ご利益だけを望む一方的な信頼>は違うものなのですよ。
恋愛や、宗教への<依存>と、信頼<信仰>は違います。 すべてにおいて個人差があるのは仕方ないものです。 自信や、自分への愛や信頼ができて、さらに良い恋愛や信仰を 持てるものです。^^ でも、支えとしての恋愛や信仰が あっても、その人に害を与えなければよいとは思いますよ。
信仰、というのは、本来<生き方の軸>のようなものなのです。 あるいみ支えです。 本質的に信仰を持っている人にって、 信仰は たんなる一時的にすがる<わら>でなくて、<生き方の土台>です。
特に日本だと、宗教や信仰になじみがない人が多いので、 周りの特定の、宗教をやっているひとという目で見たり、少しでも問題があるように みえたら、だから宗教をしていると〜と偏見を持つようになると思います。 でも、それは一部の外国人を見て、その国全体を判断するような、 早急な、短絡的な判断だと思いますよ^^
私はドイツに住んでいますが。。 5千万人ほどのクリスチャン、300万人くらいのイスラム教徒、 その他2千万くらいの無神論、不可知論者などがいるのです。 それぞれが、自分の信念をもって、お互いをできるだけ尊重してくらしているのです。 私は教会は、月1〜2回、あとは個人的に聖書を読んだり、神様とお話しするというお祈りをする。。という感じです。 私にとっては教会での交わりは楽しいですよ。 クリスチャンでない友人も勿論いますけどね。。
信仰をもって、クリスチャンや仏教徒になることで、心が穏やかになるひともいれば、 よくない教会(組織)や、教会員にあたって、教え自体に反感を持つようになったり、信仰をやめてしまう人もいるでしょう。 もしくは、教会には失望しても、信仰はやめない人もいます。。人それぞれです。
あるいみ、仏教でも同じだと思いますよ^^ 教えはすきだけど、とくに組織には所属しない。。という人もいると思います。 私は、仏教を信じてませんが、教えは良いと思っていますよ。
基本的には、宗教は、政教分離。。といって、世の政治には 適切な距離をもったほうがいいと思います。 もちろん、選挙には参加したり、税金を払うのはごく当たり前の 市民の義務ですから。。しますけどね。 どうしても、選挙でも宗教的なものだけでなく 他の面でも、事業など利害関係などで公正でない選挙があるときもあるでしょう。
寄付(献金)も、基本的に、自主的なものであるべきですし、 信仰も。勧める事はあっても、信仰を決意するかどうかは、 個人の選択であって、強制ではいけないと思いますよ。^^ (もちろん、なかには、仏教系であろうと、キリスト教であろうと、 強制的な信仰を強要するカルトもあるので気をつけないといけませんが。。)
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Re: 宗教の勧誘 ( No.3 ) |
- 日時: 2012/03/22 20:37 (home)
- 名前: 飯田
- 私はかつてOMF信仰宣教団体 国際福音教会派の教会にいました。
そこではMという女性リダーを中心に少しでも聖書の意に反するものや異質と判断した人に対して、徹底的に排除を行い多くの人が教会を去っていき、私も発達障害の病気があったので孤立させられ辛い思いをしました。以前いた原宿の東京ユニオン教会でも無視され居場所を失いました。連中は人をいじめても「私は悪くない、悪魔のささやきなの」 「私たちはイエス様に守られている」と責任を他人に転嫁したり、 聖書の言葉でごまかし、絶対謝罪しませんでした。教会なんて結局サロン化して、他人の陰口をたたいたり、詮索しあったりと、都合が悪くなるとまた聖書のこばを取り出して、逃げようとします。 本来、幸せな人は人のせいにしたり、他人と比べたりしません。ヘレンケラーもたくさんの障害に苦しんでいても幸せな天寿を全うできたのも、マイナスの極限から幸福への利点をうまく見つけることができたからなのでないのでしょうか、だからどんな不遇な人でも幸せになるチャンスはあることでしょう。聖書とふれると最高に幸せに感じるだなんてうそです。それとキリスト教が一神教だということを強引にこの日本で押し付けるのと、葬儀の際、偶像とか悪魔崇拝という死者に対する冒涜、神社や仏閣に対して否定的な観念の押し付けはやめてもらえませんか。多神教でも仏教とうまく調和して素晴らしい文化を作り上げた日本をまもらねば。
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φ(.. ) ( No.4 ) |
- 日時: 2012/03/22 20:59 (jp-k)
- 名前: てっ
- 依存からの信頼
症状の悪化 感知するには解脱しかないね
宗教依存してないなら 宗教批判者を 短絡的だとレッテル貼りする必要もない
なるほど そういう問題は あるよな実際 だけで済む話
短絡的だとして短絡的の何が悪いのか
そして 短絡的解釈を 短絡的だとしか評価できない自分が 短絡的だと思わないのか 八百万 神は世界の全てに変化して顕現する
悪しきと 人が解釈するすべても神の 姿だ
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Re: 宗教の勧誘 ( No.5 ) |
- 日時: 2012/03/22 23:44 (ppp)
- 名前: st
- 宗教自体が悪い訳ではなく、間違った使い方をしている人間が迷惑なだけだと私は思いますよ。
この手の話題は収拾がつかない方向に発展することが多いので 程々に願います。
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Re: 宗教の勧誘 ( No.6 ) |
- 日時: 2012/03/23 01:52 (dip)
- 名前: らら
- 飯田さん
教会、牧師や、信徒たちとのあいだで、本来であれば、オアシスのように 穏やかに過ごされたいと思っている所に、いじめにあわれ傷ついてしまわれた事は 本当に悲しく思います。
私も、決して出来た人間ではありません、舌(言葉)による 過ちを犯した事ない人間はいないと聖書にもありますが、 気をつけようと思いつつ、知らずのうちに。。過ちを犯してしまう事があると思います。 あなたに、十分な配慮と優しさを示せる、心の余裕がなく、かえって悲しみとつまずきを与えてしまったクリスチャンにかわってお詫び申し上げます。 発達障害についても、色々なものがありますし、人によってケースや症状は違いますので、専門家でも、完全に理解、判断、対処するのは難しいと理解しています。 しかし、無知な部分を素直に認めたうえで、できる範囲できちんと向き合いたいとおもっています。
というのは、私の甥っ子も、自閉症という障害を抱えているからです。 最初は、彼の親にとってもショックだったようです。 しかし自分の子、孫、親戚ですから誰よりも大切で彼の幸せと、周りとの調和ある関係を願っています。 (私の家族は、親も兄弟もクリスチャンではないです) 軽度、重度の障害を抱えている人が、教会や、また家族や良い友人たちによって、 いくばくかでも理解され、少しでも心を通わせられる事、あたたかい関係を結べる事を願っているのです。
私の通う教会は、幸い心地よい場所でありますが、牧師や信徒たちを、 完全なひととは思っていませんし、そういう期待はしていません。 カトリックのシスターがおっしゃいましたが、<どんなに愛していても 98%までの信頼にする事、あと2%は、赦すという事の為に とっておくように。。> という言葉をいつも心にとめています。 完全な愛があり、正しく、信頼できる方は神だけと信じています。
>本来、幸せな人は人のせいにしたり、他人と比べたりしません。
そうですね。そして、人が幸せになるには、かならず、誰かの愛と手助け、協力が必要ですよね。^^ ヘレンケラーもクリスチャンであったと思いますが、サリバン先生(彼女もクリスチャンです)という、愛のある 厳しい指導を先生から受ける事で、そしてヘレン自体が希望をもって、努力する事で、 幸せを見いだしていったのだと思います。 親の愛や、かわいそうだから。。というあまやかしだけでは、大人になって 本当の幸せを感じる事はできなかったでしょう。
クリスチャンも様々です 誰しもが、その時々のその人の状況によって、心の器(許容量)の大きさは違うのです。。 もちろん、いじめはゆるされるものではありませんよね。 彼らが、深く心から反省されている事も、願います。 ただ、当然ですが、ヘレンケラーも、サリバン先生も 素晴らしい方ですが。 完全な人ではなかったと思いますよ。 だれにも、愛され、不満を持たれない人はいませんからね。^^ 人を、神聖視するのは、良くないですよ。
>聖書とふれると最高に幸せに感じるだなんてうそです。
聖書やその教え(教理)にただふれて、幸せになると、 どなたからか、教わったのでしょうか。 そのような誤解をうむような、教え方をした人がいた事は、残念です。
聖書をただ読むだけで、救われるとはかかえていません。 まずは、<神との関係を持つ事>、<赦しを受ける事>、そして <教えを尊重すること>です。 実践は、義務ではありませんが、(行い主義ではないです) 神への感謝と愛の大きさとともに、自然に神に従う行いができるようになるのが望ましいとかんがえられています。
そのために、神の教えとクリスチャンの行いに、矛盾をときに感じてしまうのは 仕方ないのです。神様が強制的に、良い行いをできるように、支配はされないからです。 信仰を持った際に、個人に与えられた、内なる神である聖霊の働きに従うかにまかせられます。 ある意味、聖霊は、<新しい良心>です。 それを働かせるのも 聞くのも、無視するのも、個人個人の意志に任されているのです。
聖霊は、正しい道を教える、<ナビゲーター>です。 だから、<聖霊>よりも、肉の思い<罪の思い>を重視してしまえば、愛のない言動になってしまうのですよ。。 言い訳というよりも、それは聖霊をしっかりと用いる事や、従順な心の準備ができてないのだと思います。 という私も、常に、聖霊に従っていない事もあると 思います。。 でも、すべてを悪魔や悪霊のせいにするというのは、問題があります。 そういう勘違いは、クリスチャンの中でも残念ながらあるのです。
>それとキリスト教が一神教だということを強引にこの日本で押し付けるのと、葬儀の際、偶像とか悪魔崇拝という死者に対する冒涜、神社や仏閣に対して否定的な観念の押し付けはやめてもらえませんか。
個々の教会や信徒はどうかは、私には把握はできませんが。。 神様は人間に、無理矢理に信仰を押し付けてないですよ。^^ それは確かです。 福音をきいて、<神と和解するか、しないかの意思>は、個人の自由なのですよ^^ それに本人が信仰をやめるのも自由です。
私は、神社仏閣は、<観光>ではいくことがありますよ^^ でも、お参りはしません。 なぜなら私は仏教徒でも、神道の信者ではないからです。 別に仏教徒を批判はしません。 彼らが祈るのは彼らの自由ですからね。^^ それは、日本人が教会を、観光などで見学しにいくときに、信徒でもないのに、教会で形だけ神様に祈る必要もないのとおなじことです。 もし形だけすれば、かえって <不敬>にあたると思いますよ。 クリスチャンも、仏式のお葬式で、死者に敬意をしめしつつも、仏(神として)拝む、義務もないはずです。 クリスチャンには、神以外のもの、人間を神として拝むのが、神に対する冒涜です。 それを知っていて強要するのは、いかがなものでしょう? 押し付けているのは、葬式仏教支持者の方ですよ?
死者の霊は、黄泉<地獄でなくて黄泉です>にせよ天国にせよ。。神様の管理下にあるという、聖書の考えがありますから、死者を<拝む>のでなく、神に霊の取り扱いを、<お願いする>というクリスチャンの意思を、尊重してくださいませんか?
ドイツでも、死者の弔いは、個人の希望に添って行われます。 キリスト教式、イスラム教式、ユダヤ式、海に灰をながすにせよ。 希望をきけば、死者の生前の意向を大事にします。
日本では、本人がクリスチャンでも、家族が仏教徒だと 個人の信条など、尊重もされず、仏式になりますよね。 私の祖母はクリスチャンでしたが、とくに生前に、 キリスト教式のお葬式をしたいと強い希望を いわなかったので、結局仏式のお葬式となりました。 日本のクリスチャンの多くが、そういう理不尽な対応を されているとききます。それは<死者への冒涜>になりませんか。 (もちろん、仏式でされても、仏教の仏にならずに、魂は神の元。 天国に行くと信じてますが。。) 聖書は、栄光は人間でなく、神に帰するという考えがあります。 自分に栄光を帰する、自分を神とするのは、不遜なこと、 高慢としています。 だから、仏を拝めないのは、 死者個人への冒涜ではなくて、神への忠誠心の問題ですよ? そこを、はき違えないでください。 感情でなく、理論的に考えて頂ければわかるはずです。
個人の信仰より、家族の世間体や形だけを優先するのは、 葬式仏教が多数派であるという、慣例だけを尊重した、個人の 信仰や、特定の宗教への否定だとおもいませんか? クリスチャンが、仏教を批判しているというよりも、 (形式)葬式仏教徒の家族から、差別されている、 仏式を押し付けられているのは、クリスチャンの方です。 少数派だから。。その主張が、まともな<正当なもの>に取り上げられてないだけだと思いますよ。
ながいものには、まかれろ。。神の目よりも、人の目という のが、人様に迷惑をかけないというのが日本の文化です。 礼儀ただしさというよい面もありますが、個人の意思や、 変な平等主義、皆と同じが良いという考えで、少数派の意見が尊重されにくいのが、難点です。 そして、陰湿な陰でのいじめがおおいのも、日本の特徴です。 弱いものいじめ、少数はいじめが多い日本です。
私も日本は大好きです。 文化も好きですよ。 でも、どの国の文化にも、長所と短所はありますよ。^^ あと。。愛国者と、国粋主義者は違います。 愛国者は、欠点も認めたうえで、国を愛します。 国粋主義者は、欠点を無視して、美化しすぎて、 他国にまちがった優越感を感じたりします。 私は、日本が大好きですよ。 国の為に知恵と、能力と 命をかけた幕末の志士たちも大好きです。尊敬してます。 でも、私はクリスチャンですので、崇拝するのは 神のみであって、人間ではありません。亡くなった偉人を 尊敬はしても、崇拝はしません。
新渡戸稲造(彼もクリスチャンです)もすきですよ。 著書、武士道にもありますが、(本来の)武士道にキリスト教を接ぎ木した考え、すきですよ^^ キリスト教読物サイトにも、新渡戸稲造さんについて かいてあるので、面白いです。 牧師さんも、相当...日本を愛する方です。愛国者であることと クリスチャンである事は、矛盾しませんよ。
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Re: 宗教の勧誘 ( No.7 ) |
- 日時: 2012/03/23 02:31 (dip)
- 名前: らら
- てつさん
>短絡的だとして短絡的の何が悪いのか
短絡的な事が、良い事だとあなたが確信しているのでしたら、それは てつさんの考えですから、かえる必要はありません。^^ ただ、人というのは、ときに。。他の人の意見をきいて、自分の考えを少し軌道修正したり、改めたりすることもあります。 もちろん、意に返さないという事もあるでしょう。
しかし、あなたの意見に、異論がある人間がいる事を、<知る機会> があっても良いのではないですか。 人はそれぞれの意見を持つ事はゆるされていますが、違いを確認し、 ある程度尊重し合うという事が必要です。 この世で、一人で生きているのではないのですからね。^^
>短絡的解釈を 短絡的だとしか評価できない自分が 短絡的だと思わないのか
短絡的な解釈と、あなたが自覚されているのであれば、短絡的と事実を 言われても、なにも不都合な事はないのではないですか?
私もあなたと同様、何を言われても平気な、解脱した人間ではありません。^^ 感情がありますから、異論があれば、少しは不快に思ったりします。 短絡的な<解釈>だと、実際に思った事をいったまでですし、 冷静な解釈とは、言う事は出来ませんでした。 ただ、あなたの人格を否定したのでなく、解釈に異論を唱えたまでです。
私は、聖人でもありません。 ですから、自分の罪と知識と能力の限界、 多くの事への無力さを感じて、神から罪の赦しを願う必要を感じたのです。 自力、自分の能力だけに頼って、罪のない聖人になったり、解脱などができるものでしたら、私は神様の赦しや憐れみなど必要もない、立派な人間という事になります。
八百万の神。。神道ですね。^^ 私は別に神道に反感はないのですよ。ただ、神道にも色々謎があるのです。 神道は、本来は一神教であったという話もあります。 日本のオリジナルとおもっている神道にも、もっと古いオリジナルがあると 考えるのが妥当ではないですか。 多神教は、バビロニアからほとんど由来しているものがおおいのです。
日本人も昔。大陸からわたってきたのですよ? 神道の神殿は、古代のイスラエルの民(旧約聖書の民)の神殿のつくりと、そっくり というの、ご存知ですか? 神輿も、契約のはこにそっくりです。 日本の神道や、神道の風習には、聖書の民のものと、バビロニアなど 異教起源のミックス。。とも言われています。 日本人の祖先も、古代ユダヤ教、異教の教えの影響があったと考えるのが 妥当だとおもいませんか?
キリスト教読物サイトには 古代日本とユダヤ キリスト教という興味深い記事もあります。 神道の。。起源が、聖書の民(イスラエル)に関係しているという 記事をかいていて、とっても面白いものですよ。
疑うのも、批判するのもいいですが、色々な事を、多方面から 調べてからでもいいのではないですか?
stさん
ご心配おかけいたしまして、申し訳ありません。
宗教(教え)じたいでなく、間違った使い方をしているひとが、悪いというのは 本当にその通りですね。^^
確かに、基本的に、信条のことは、いろいろな方向にいってしまいますね。 でも、人間はだれしも、宗教がないつもりでも、生き方の信条、信念を持っているので 致し方ないかな。。とも思います。
あるいみ、そういう生き方の信念をもつのも、生き物の中で、 最大の知能をもった。。人間だけですからね。^^
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ららさん ( No.8 ) |
- 日時: 2012/03/23 04:33 (jp-k)
- 名前: てっ
- 異論への異論に異論を唱えたまでですよ
神道なんて くくりにこだわりはありません
宗教の起源にも 今は興味がありません
今 語る神は 自分が腑に落ちる神の姿形です
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Re: 宗教の勧誘 ( No.9 ) |
- 日時: 2012/03/23 05:11 (dip)
- 名前: らら
- てつさん
そうですか。 自分が腑に落ちる神の姿形を さがされているのですね。
宗教で言う神道の くくりにこだわりはない、 でも、森羅万象をなんとなく信じているという事ですか。
納得いく答えがみつかるといいですね。
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φ(.. ) ( No.10 ) |
- 日時: 2012/03/23 05:48 (jp-k)
- 名前: てっ
- 探しているでなく知ってます
神は人がわが中に育てるもの
人は神の子でなく神の親 神を自分の中に立派に育てる気のない親は人が人であるということの自覚もたりないのでしょう
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φ(.. ) ( No.11 ) |
- 日時: 2012/03/23 05:59 (jp-k)
- 名前: てっ
- 異論も良い
とおっしゃるので もう1つ
神を信頼したなら なにを人に説く必要もなくなります
イエスは言いました 自由に動き回り姿を消したイエスを心配する親に向かい
神の家にいるのに何を案じる必要があるのですか
信頼とは こんなもんでしょう
イエスだけが神の家にいるんではないですよ
異教徒も 神など知らないものも 全て神の家のなかなんでしょ
人は勝手に 自分たちは神の家の中にいるが あいつらは外だ と 簡単に追い出しますがね
自分の観点で勝手に人を神の家から追い出しておいて 神の家に入りましょうなどと人を勧誘するは かなりの自演自作です
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Re: 宗教の勧誘 ( No.12 ) |
- 日時: 2012/03/23 16:05 (dip)
- 名前: らら
- てつさん
>神は人がわが中に育てるもの 人は神の子でなく神の親 神を自分の中に立派に育てる気のない親は人が人であるということの自覚もたりないのでしょう
キリスト教には、父なる神、子なる神、聖霊の神と 三位一体である事をご存知ですか?
まず、全宇宙と生き物をつくられた、父なる神を私たちは、崇拝してます 子なる神(イエスキリスト)を神の子とみとめ、私たちを原罪から救ってくださった救い主として信仰してます そして。。<聖霊> これは、信仰をもつと、神からおくられる、<うちなる神です>^^
クリスチャンは、天の神への信仰、キリストの十字架の血の救いへの信仰 それと、自分のうちなる聖霊(内なる神)への信仰が必要なのですよ。
自分が内なる神 聖霊様の働きを、うけいれて、 自我(肉の思い、利己的な思い)を聖霊に受け渡していくという事です。 わかりやすくいうなら、良い意味で、自分が聖霊さまに、 浸されていく。。 という事です。
あるいみ、内なる聖霊をそだてる、親のようであり、 実際は、自分が聖霊によって、育てられているので、 子育てによって、親が教えられることに、にているのです。^^
まず、処女マリアが、聖霊によってみごもりましたよね? 神の子を身ごもった。。これはあるいみ、 クリスチャンが、信仰によって、聖霊をいただく事の、ひな形(預言)なのですよ^^ しかし、マリアよりも、神の子イエスのほうが、完全な人であって、 神であったように、私たちよりも、聖霊のほうが、完全なのですよ。^^
なぜなら。。人間は罪を受け継いでいて、完全な愛、や正義、という事からは離れて しまっているのです。 聖霊は、聖書のみ言葉ともに、私たちの身近な<助けて>として、おくられているのです。 神への信仰(祈り)、聖書を読む事(黙想)、内在する聖霊との 信頼関係を育てて、内なる声に従うという従順。。どれも大事なのです。
そういうことは、多くの日本人の方が知らない事です。 実は、多くのクリスチャンと言われている人も、適切な 聖書の解説者(牧師)に恵まれずに、知らないでいます。 いまは、ネットでも沢山調べられますので。。 キリスト教読物サイトは、キリスト教への基本と、 さらなる応用を抑えているのでおすすめですよ^^
キリスト教を、ただ神を信じて、キリストを救い主として信じているとしっていても、聖霊の働き<内在の神>の事を知らない人がおおいのですよ^^ 聖書をよくよみ、きちんと教育をうけた牧師による、聖書解釈をきく事、ただ祈っているだけ、信じるだけ。。がクリスチャンではありません。 本当に切羽詰まっている時には信じるだけというときもありますが、日常の時や、落ち着いている時は、聖書を読み、黙想し、しっかりと聖書を調べるというのも クリスチャンの務めでもあるのですよ^^
何事も時がある、と伝道の書(ソロモン王の書)にもあります。
>神を信頼したなら なにを人に説く必要もなくなります
それは、あなたの考えですよね? そういう考えもある事は尊重しますよ。
聖書の教えは、仏教の自分の解脱や、あなたの意見とはちがいます。 聖書の神が真実の神である事、キリストが私たちの罪の為に死んでくださった事、 復活された事、そして、キリストを信じるものは、神の国<天国>に いくこと、この福音をしらせなさい。。という<キリストの命令>があるのですよ^^
福音をなくしたら、キリスト教でなくなります。 もちろん、日本人の感覚でいったら、迷惑とおもうかもしれませんが、 福音をきいても、それを信じるか、信じないかの自由はあるのですよ^^ 強制はないのです。
>イエスは言いました 自由に動き回り姿を消したイエスを心配する親に向かい 神の家にいるのに何を案じる必要があるのですか
聖書を断片的にとりあげるのでなく、<前後>と聖書全体をきちんとよまないと 意味はわかりませんよ^^ パズルのいっぺんだけでなく、全部をみないと 状況はみえません。 聖書全体を、よまれたことありますか?
私も、一信徒にすぎませんので、まだ旧約は、一部の律法書は、1回しかよんでいませんが。旧約聖書の創世記、出エジプト、詩編、箴言、イザヤ書は。8回くらい、新約聖書は 20回以上繰り返して読んでいますよ。 読むたびに、発見があります。 何度よんでも全てを知り尽くす事はできません。 もっと読んでいるクリスチャン、(聖職者は当然ですが)もいると思いますけどね。^^ (他の本も読みますよ。歴史小説もすきです、小説や、エッセイも読みます)
イエスは、当時子どもでした (12歳くらい) ヨセフとマリアは、イエスがいなくなったと心配してイエスを探しました そして、<3日後>にみつけました。 <神の家にいる>これは、ただの信頼関係でなく、<神の約束への信頼>なのです。 あるいみ、預言の一種なのですよ。
イエスが十字架にかかり、3日後によみがえる事。 神の家にいる。。というのは、主イエスが、死なれても<復活>されるので、 絶望する事はない。 父なる神の元、天にもどられるので、心配をする必要はない。。 そういう意味ですよ。^^ クリスチャンの祖国は、天にあるという意味です。
旧約聖書は、律法やイスラエルの民の歴史だけでなく、 <イエスを預言している書物>です。 それが聖書を読むにあたってしっておくべき基本の事です。 イスラエルの民、ユダヤ人は、救世主が生まれる事をしっていたのです。 旧約聖書に、預言されていたからです。^^
旧約聖書には、イエスの誕生と、生涯と、復活への預言や、 いわゆる、ひな形のような例がたくさんあります。 ヨナが魚にのみこまれて、3日後にでてきた話。 これも3日後に キリストが復活するということの、ひな形です
イスラエルの息子、ヨセフが、異母兄弟にエジプトの奴隷として売られること、 そして、最終的には奴隷から、エジプトの大臣になって イスラエルの民をエジプトに迎える事。。つまりイスラエルの<救い主>になる訳です。 キリストも、兄弟であるユダヤ人(使徒であるユダやパリサイ人、 律法)に裏切られました。 しかし、救世主として、復活されたのです。
モーセの後に、指導者となった ヨシュア(イエシュア、イエス) 彼もイエスのひな形です。 モーセのかわりに、カナンの地。 約束の地に入るということ、その時、聖絶がありましたが。。 それも。。今後おこるキリストの再臨(2度目の再来)によって、この世の悪が全て裁かれて、神の国が到来する事の預言です。^^
聖書とは、ただの律法、良い教えや信仰の書ではなくて、 はじめから、終わりまでをしるした。。<預言の書>です。 それも、日本人に知られてないですが、ユダヤ教徒、クリスチャンの多くの人にには、常識のうちの一つなのですよ。 罪のはじめ、罪の結果、苦しみ、罪からの解放(キリストの最初の救い)、そして罪の影響からの完全な救い(キリストの再臨と新天新地) 何千年前から、そう預言されているのです。
>イエスだけが神の家にいるんではないですよ 異教徒も 神など知らないものも 全て神の家のなかなんでしょ
それは、多元主義ですよね。^^ どのみちをいっても、同じ頂上に登るという話ですよね?
キリストご自身が、<私が道です、私を通って以外は、神の元に いけません。>。といってます。 キリストが神の子と信じて、この言葉を、真実だと信じるのが、クリスチャンです。 それが、大嘘だとおもうのであれば、それもその人の選択です。 批判はしません。。キリストへの信頼、信仰は、自由なんですよ^^
異教徒をしめだしているのはないですよ? 神はいつも手をさしのべています、福音は全世界にのべられています。 聖書は、ほとんどの言語に訳されています。。 福音を受け取るのも、聖書を本気で調べるのも、 その手をつかむのも 拒むのも、それぞれの選択です。
ちなみに、世界中に福音が知らされて、時が満ちたら。。 終末、かん難がくると、預言されています。 7年間のかん難、キリストの再臨、新天新地が。。何千年も 前から聖書で預言されています。
でもカルト教団みたいに、自作自演のテロとか、 集団自決や、戦争は、問題外ですが^^
>自分の観点で勝手に人を神の家から追い出しておいて 神の家に入りましょうなどと人を勧誘するは かなりの自演自作です
追い出していません。 異教徒、他の宗教を信じている人は、 キリストを、救い主と、受け入れません 各自が自分の観点で、拒否しているだけですよ?
天の父の家に入る、唯一の道を、信じないで拒んでいる限り、 聖書の神の家には入れませんよ? 呼ばれているのです。でも信じるのも、入るのは自由です。
異教徒のかたは、閉め出されているのではなく、 それぞれの信じる、<異教の神の家>に入る事を選択しているのではないですか?その神と教えを信じているのなら、それで満足するでしょうし、聖書の神に閉め出されているなどと思わないと思いますよ。^^
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φ(.. ) ( No.13 ) |
- 日時: 2012/03/23 16:23 (jp-k)
- 名前: てっ
- 聖書=フィクション
を完全だとする
ならば 現実 事実、ノンフィクションが不完全 となるのは 理解しやすいです 神を分断しようが 大きかろうが なんだろうが 神は 神
なんにでも神を見いだせるのが人=神
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Re: 宗教の勧誘 ( No.14 ) |
- 日時: 2012/03/23 17:03 (ppp)
- 名前: st
- コメントを書き込む際、題名の右側の□スレッドをトップへソートという所をクリックして
チェックマークを付ける 外すとスレッドが上に上がらず他のスレの迷惑になりません。 よかったらご利用ください。
*ごめんなさい。間違えました。
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Re: 宗教の勧誘 ( No.15 ) |
- 日時: 2012/03/23 17:13 (dip)
- 名前: らら
- てつさん
>神を分断しようが 大きかろうが なんだろうが 神は 神 なんにでも神を見いだせるのが人=神
全てのものをとおして、神を見いだせるというのは クリスチャンであっても、同意してますよ^^
ローマ 1章 20、21節 神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。 1なぜなら、彼らは神を知っていながら、神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからである。
創造物、宇宙、地球、生物の作り、あらゆる科学などの基礎になっている 法則など、非常に秩序だっていて、人間の見地をこえる はかりしえない、知恵が働いていると考えます。 科学者の中にも、多くの、学識のある方でも、神の存在を認める人がいます。 あまりにも秩序だっているから、謙虚にならざるを得ないのです。
ただ、クリスチャン、聖書の神を信じるものは、 キリストを神の姿とも信じています。 予備知識とだけ、どうか知っていてください。
ヨハネ1:1−3 御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。 万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。 これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。
>聖書=フィクション を完全だとする
聖書をフィクションとあなたが捉えられるのであれば、 他の異教徒が、そのフィクションの真実でない神の家の中に はいれなくても、文句はいわないでしょう? それぞれが、真実だときめた神とその教えについていく。。それが信仰です。
でも私は、聖書は、フィクション、真実と信じていますがね。^^ 聖書が完全というより、神が愛と正義において、完全と信じています。 押し付けはしませんが、意見は言いますし、ほかの宗教を信じている方にも 知識として。。知っておいて頂けると嬉しいです。
>現実、ノンフィクションが不完全
あるいみ、科学もまだ完全ではありえないですよね。 科学は常に発展していっています。 科学を信じてないわけではないですよ。 素晴らしい部分や恩恵は たくさんあると実感しています。^^ 多くの事を、明らかにはしていますが、まだ完全に宇宙や、生命の 誕生を。。科学的に証明できないでいます。 そして、科学が発展しても、人間のあらゆる問題は解決はしません。。 推論、進化論説もありますが。。それが100%正しいという証明は できていません。 あくまでも、推論、推測です。^^
あと、わたしも、多くのクリスチャンも神のおもいを、<すべて>理解できるなどとはおもっていません。 牧師の解説、そして、内在する聖霊のたすけによって、気づきがあったりしますが。。 (信じられないかもしれませんが、聖霊からの気づきというのが、あるのです^^ 気のせいと言う人もいるかもしれませんけどね。。別に幻覚はないですが。。)
神の、聖書を調べても、預言についても、<一部の事>は、神にしか、正確な時期に ついてはわからない事もあるので。。完全に理解はできません。 預言についても、大まかな預言はあっても、何年何月、何日とはかかれていません。 あるいみ、抜き打ちテストのようなものです。 イエスが生まれる場所、ベツレヘム、。。などという事はわかっていても、何年ということまでは預言されてませんでした。 (でも当然ですよね。詳しくわかっていたら、その人の本当の実力や本質を 知る事ができないですからね。 ) でも、まずは全部理解できないから、理解しようとしないのではなくて、 <理解できる範囲の事だけでも、理解する>のも私は大事だとおもいますよ。^^
あくまで、私の考えですけどね。^^
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φ(.. ) ( No.16 ) |
- 日時: 2012/03/23 17:39 (jp-k)
- 名前: てっ
- いいそびれましたが
自分も普遍的に 神を信じています
一神教の神は多神教の神をまとめた 神の画き方
多神教の神は一神教の神の姿を部分的に分けて画いたもの
自分の中では イエスは人 時の権力者に 都合よく扱われるのが宗教
宗教は 多数の人間をまとめてくくりあげるための道具
救いなどという甘い餌で 人をたぶらかし 麻薬漬けにするに等しい
神は信じるが 宗教は認めない 自分はそんな感じです
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Re: 宗教の勧誘 ( No.17 ) |
- 日時: 2012/03/23 18:41 (home)
- 名前: 飯田
- 人はなるべく過去のことを忘れてPositiveに生きたいと思いますが
人間の脳はnegativeの方を記憶してしまいがちです。 私がシドニーの教会でお世話になっていた時、そんな卑屈な人はいませんでした。確かに礼拝の時、後ろから物を投げられたり、蹴られたり、 礼拝前のあいさつの時、あきらかに私を避けて、握手してくれなかったり、睨めれたり、屈辱的なことは消えることはないけど、彼らの言う クリスチャンなら悔い改めれば何でも許されるというのは間違えだとおもうし、仏教と同様、彼らにもすでに因果応報をうけていると思います。苦しみのなかではじめて人の心の痛みを感じて、心から悔いて救われるのだと思う、洗礼を受けているからと言って狭い視野のまま何も感じることもできないのはクリスチャンではない。 友人や恋人 仕事や経済的に恵まれていて、外面的にうまくいっていても、いろいろな問題をかかえているかもしれないし、幸せでもないかもしれない、多分、本当に幸せな人なんかごくわずかだろう。私の人生のテーマの苦しみのなかでいろいろ体験して、 どんな小さなことでも感謝する気持ちをもつことができました。 今、こうやって生かされていることにも感謝を感じるのが幸せなのでしょうか。
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STさん ( No.18 ) |
- 日時: 2012/03/23 20:20 (jp-k)
- 名前: てっ
- 一個人の“迷惑”との見解では どうこうなりませんね
悩みに対して 誰が何を参考にするか
その可能性を 自分では推し量れない 一個人の見解だけでも説得力がたりない ゆえに 遠慮 配慮する動機になりません
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飯田さん ( No.19 ) |
- 日時: 2012/03/23 20:27 (jp-k)
- 名前: てっ
- ネガティブを拒否したポジティブと
ネガティブを引き受けたポジティブとでは
自分のなかでも後のほうが 真実味あります
しかし 政治利用されやすいのが安直な現世利益人集め金稼ぎ教
しかし 人の闇は深い
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Re: 宗教の勧誘 ( No.20 ) |
- 日時: 2012/03/24 00:07 (dip)
- 名前: らら
- 飯田さん
長いレスをしてしまいましたが、 誠実なコメントをありがとうございます。 たくさんスペースをつかってしまって申し訳ありません。 できるだけ、率直に答えたいと思います。
>彼らの言うクリスチャンなら悔い改めれば何でも許されるというのは間違えだとおもうし、仏教と同様、彼らにもすでに因果応報をうけていると思います。
因果応報ににてますが、聖書にも、蒔いたものは刈り取るとありますよね。^^ クリスチャンでも、なんでも悔いあらためればゆるされるというのは 違うと私も思いますよ。 原罪や、過去の変えられない罪に関しては神に悔い改める事で、ゆるされはします。 でも、ご存知の通り、律法主義や行い主義は良くないといっても。。。 神への愛と、感謝ゆえに、<神の教えに従う>ということも、望まれていますよね。 神は、愛と救いと憐れみだけでなく、公正と義を愛する方ですからね。
私たちは自分で出来るだけ、相手と和解する事、謝る事、ゆるす事も勧められています 自分でできる範囲の事は、自分でするようにと神も望まれているのです。 とくに。クリスチャン同士であれば和解をできる限りするようにと、勧められています。 どうにもならない状況のとき、自分が和解したくても、それが不可能であったり、相手が拒む場合には。。。 やむおえないので、神に自分の罪を悔い改めて、赦しを受け、いつか和解できたり相手側の心がいやされ、落ち着く事をねがう。。というのが、神に対する 罪の悔い改めの意味する所。。だとおもいますよ^^
主人からそれぞれの奴隷に預けられたお金。。タラント(賜物、タレントの語源)の例えがありますよね^^ それぞれのタラントによって、<自分の行いによって報いを受ける>部分があるのです。 クリスチャンでも、その行状によって、。。裁かれる場合もあるのです。 <聖霊の良い実>を結ばないひと、結ぼうとしたいと願わない人には。。報いが少なくなるのです。 神は、愛ある親と同様に。。寛大なかたですが、神の愛とゆるしに感謝もしないで、当然のようにふるまって、行状をあらためないような、勝手などら息子のようなクリスチャンには、それなりの叱責をされるし、それなりの。。報い、しっぺ返しがあると 思いますよ。^^ その点は、神は公正ですので、ご心配されないでください。 教会は、人間の組織ですから、不完全で、理不尽な事もあるとおもいますが。。神は、人間がきちんと裁けない部分もすべて、みとおされ。。裁かれます。 神への愛と信頼、尊敬もありますが、畏怖、正しい恐れも必要ですからね。^^
マタイ 7章 20、21節 こういうわけで、あなたがたは、実によって彼らを見分けることができるのです。 わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行なう者がはいるのです。
だから、牧師など指導者などは、信徒以上に責任が重いのです。 もし、かれらが、信徒につま付きをあたえるならば、その罪は大きいのですよ。。 彼らが、きちんと反省されて、こんご飯野さんのように、信徒さんを悲しませる事がないように願います。
マルコ 9章41説 <だれでも、キリストについている者だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはないであろう。また、わたしを信じるこれらの小さい者のひとりをつまづかせる者は、大きなひきうすを首にかけられて海に投げ込まれた方が、はるかによい>
クリスチャンの家族、また友人でも。。もし、主イエスへの信仰がなくても、救いのチャンスが全くないという事はないのです。 主に信仰を持つ人に、親切な人は。。かならず主は覚えてくださるからです。^^ ですから、クリスチャンが、異教徒や、無神論の人であっても、同調はしなくても。よい関係にあるのは。大事な事なのです。
死後すぐに、天国への道に行くには、<原則的>には。。個人個人が、主イエスを信じないと行けません。 でも、他の人。。良い人々が、すぐに死後に地獄にいくのではありません。 たぶん、ここでキリスト教につまずく人が多いと思うのです。 自分たちだけ、天国にいくなんて、勝手。。自分たちさえよければいいのかと。。
地獄と黄泉は違います。 地獄は最後の審判の後の、最後の最後の場所です。 黄泉には、慰めの場所と苦しみの場所があります。 おそらく、良い行いをしていた、非信者は。。慰めの場所にいくと思われます。 (金持ちと、貧乏人のラザロの話がありますね。) 悪い人は。。黄泉の苦しみの場所にいるといわれています。(地獄ではないです) キリストの十字架による血の救い。。も完全ですが。 もう一つ、最後の審判があります。。これは、最初の救いにもれてしまった人。。 黄泉にいる人の為のものです。 いわゆる、セカンドチャンス論というものが、あるのですが。 黄泉にいるものが天国にいくか、最終的な場所である地獄にいくかの裁判でもあると言われているのです。 (この論は、キリスト教会でもいろいろ論議されています)
これも、キリスト教読物サイトに詳しくかいてあります。^^ 神は、できるだけ多くの誠実で謙遜な人を天国に招きたいと願っています。 ただ、天国に招待される<時期>が。。違うのかもしれません。
>苦しみのなかではじめて人の心の痛みを感じて、心から悔いて救われるのだと思う、洗礼を受けているからと言って狭い視野のまま何も感じることもできないのはクリスチャンではない。
その通りだと思いますよ。 もちろん、多くのクリスチャンも、洗礼を受ける前、後にいろいろな苦しみを 通っているとは。。おもいます。 ただそれでも、苦しみの種類も違いますし 経験してない事や、知識がない事に対しては、理解には。。限界があるのだと 思うのです。 どうか、彼らが悔い改める事を願って、ゆるしてあげてください。。 障害についても、やはり当事者でないと、わかり得ない苦しみも多々あると思います。
>私の人生のテーマの苦しみのなかでいろいろ体験して、 どんな小さなことでも感謝する気持ちをもつことができました。 今、こうやって生かされていることにも感謝を感じるのが幸せなのでしょうか。
小さな事で感謝できるというのは、ほんとうに。。大切な事ですよね。 自分を愛すると同時に、悲しみも、弱さも受け入れていくのは、大変な作業ですよね。
自分にないものでなく、自分に残されている小さな幸せ、恵みを再確認すること。 自分という、小さな土の器に、受けている小さな幸せを。ありがたく受け入れていくという事。 しかしそれを、受け入れるまでには、理想や期待がかなわないという、 悲しみや失望、ときには孤独、受け入れたくないという葛藤があると思います。
飯野さんも海外で過ごされた事があるのですね。 実は私は日本の教会は、あまり知らないのです。。。 子どもの頃は、小さな信仰はあったものの、家族も未信者で。。教会にいく勇気がなかったのです。 でも結婚してから、やっぱり教会に行こうとおもって、 こちらの教会に通い始めました。 ネットで日本語の聖書の解説も沢山読みましたよ。
おすすめは、久保牧師の キリスト教読物サイト キリスト教について 預言について、死後の天国、黄泉のことについて、充実した内容です^^ あとは、聖書と福音 高原剛一郎牧師などの メッセージなどは 簡潔明瞭で、元気がでてきますよ^^
日本にも、完全ではなくても。。良心的な、あたたかい教会もあるのは友人からきいています。 シドニーと日本の教会。。雰囲気がかなり違ったのではないでしょうか? もちろん、海外の教会も色々ありますが、かなり開放的な部分が多いと思います。 人間自体が、オープンといいますか、率直なかたが 多いですからね。 よくも悪くも。率直に話す分、陰でこそこそ悪口を言わない というのは、なれてしまうと、楽ですよね。^^ ときにはそこまで言わなくても。。とは思いますがね。。 日本だったら、ケンカになりそうなくらい、はっきり言いますので。。 あるいみ、本当に気が合う人合わない人の、区別がつきやすくて良いかもしれませんね。
私のまわりにも、障害をかかえたかたが、結構見られます。 車いす、電動車いすのひともよく見ますし、幼稚園でも ダウン症、軽い脳性麻痺、発達障害の一種なのか、言葉や知能の発達の 遅れがある子ども。。言語療法士のもとに通う子ども、沢山見受けます。 こちらでは、それぞれのペースというものを、大事にします。 言語障害や、精神的にまだ幼いと思われる子は、両親が、 小学校に進学させるのを、1年おくらせる事を申請できるようになっています。
日本は、残念ながら、みんな一緒。。という変な平等主義が良いとされていますよね。 差をつけてはだめだ。。 そういってしまうと、差がある事が悪い事や 恥ずかしい事になってしまいますよね。。 小学校でも、1年飛び級する子も入れば、留年する子もいます。 学習障害や、発達障害などの影響や、そうでなくても集中力が少ない子は、親と先生とが相談して、柔軟性をもって、対応ができるのです。。 あるいみ、障害をもったひとにとって、ドイツなど、欧米諸国の方が。。 日本よりは、過ごしやすいと思いますよ。 人の目でなくて、そのこの成長、個人の特性が尊重されるのが、ヨーロッパです。 まだまだ、少数派にはすみにくいのが、日本ですよね。でも 少しずつでも改善されていって、違いや、個人個人の能力の差、を 認められる社会になってほしいですよね。
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Re: 宗教の勧誘 ( No.21 ) |
- 日時: 2012/03/24 02:13 (dip)
- 名前: らら
- てつさん
>自分の中では イエスは人 時の権力者に 都合よく扱われるのが宗教
てつさんの、受け止め方はそれはそれで、尊重します。
時の権力者というものは、<宗教>でも、<お金>でも、なんでも 利用できるものは、利用しますよね。 実際の所 宗教戦争というよりも、金、油田、安い労働力など、 結局は。。<お金>の為の権力争いだとおもいますね。。
そして、宗教者 キリスト教の聖職者、信徒のなかにも、権力やお金に目がくらんで、神の教えを踏み外す人も沢山いましたよね。 キリスト教会の黒歴史もよくしっています、でも私は キリスト教会<組織>を信じているのなく、聖書の神と、聖書の教えを、信じてますから。^^
政治家や、権力者は時に。。わかりやすい違いや、争いの格好の 種である<宗教>のせいにしておいて、本質的な問題の隠れ蓑にしていればすむという所もありますよね。 もちろん、どの宗教でもちょっと、狂信的な信者がいるというのも、事実ですが。。私は、戦争や争いは。。嫌いです。
テモテ 1 6章7〜10 私たちは何一つこの世に持って来なかったし、また何一つ持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです。 金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。 金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました。
>救いなどという甘い餌で 人をたぶらかし 麻薬漬けにするに等しい >ネガティブを拒否したポジティブと ネガティブを引き受けたポジティブとでは 自分のなかでも後のほうが 真実味あります
宗教を、麻薬やアヘンとしょうする方もよくいますね。 でも、人間をだめにするのは、宗教<人としての道の教えや信仰>よりも、 人の道を外れた考え、つまり。。個人的などん欲、利己主義、人間不信、人への基本的な愛や尊重の無さだと思いますよ。^^
人間関係での苦労、経済的、家族、親戚のつきあい、病気、障害。。 将来への不安。。 クリスチャンも他の人同様に、 ネガティブな面の中で生きているのです。 バラ色、人生順風満々という人でクリスチャンになっている人は。 あまりいないでしょう。 (一見いまは地位が高くて、成功している人もいますし、 それなりに、今は大きな問題がなくうまくいっているように見える人でも。。 過去、幼少時代、学生時代、現在でも様々な面で苦労している人が多いものです)
その苦しみの中で、喜びや希望を見いだせる。。それが 麻薬的な信仰でなくて 命のパン、命の水によって、リフレッシュされるという信仰が 本来の信仰だとおもいます。。 ただ、ネガティブを否定しているのではありません 麻薬で麻痺状態にしているのではありません、悲しみを 受け止めて、そのなかで小さな希望をもって歩むように 勇気付けられるのです。 まあ。、マラソンのナチュラルハイくらいかもしれませんけどね。^^
もちろん、クリスチャンでなくても。。絶望の中に希望を見いだす人も いるでしょう。 それも素晴らしい事です。 そういうかたは、周りの愛情や、思いやり、協力に恵まれているかたや、 小さな幸せに気がついた、幸せな方だとおもいます。 中には、複雑な環境で家族や友人の助けが、難しい状況のかたもいると思います。
そういう場合に、いぜんでいえば、駆け込み寺といいますか。。 お寺、教会など。。 <信仰>による、平安が助けになる事もあれば、 害になる事もあるのだと思います。 幸い神や、信徒の愛や優しさにふれて、良くなる人も入れば、失望してしまう事もあるでしょう。。 それはとっても悲しい事だと思います。
>神は信じるが 宗教は認めない 自分はそんな感じです
そういう方もいますよね、 宗教<組織と信徒>の悪い面をみて、失望する人もいますし、 既存の宗教は、信頼できないという人いると思います。
でも、あなたは、真実の神を捜しているかたですから。。 あなたの幸せと、納得のいく答えがでることを願っています。^^
stさん スレッドを トップにしないようにしてみました。^^ アドバイスありがとうございました。
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Re: 宗教の勧誘 ( No.22 ) |
- 日時: 2012/03/31 17:34 (home)
- 名前: 飯田
- 知的障害者のボランティアに参加している友人が
同じ大学の女子からばかにされるて無視されるようになったと こぼしています。一流企業のホワイトカラーで働くことが そんなにかっこいいのでしょうか。本人は客室乗務員を熱望しているといいますが。
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Re: 宗教の勧誘 ( No.23 ) |
- 日時: 2012/03/31 18:41 (dip)
- 名前: らら
- 飯田さん
おひさしぶりです。^^
ボランティアに参加していることを、バカにしたり、無視するというのは その女子の友人は、きっと弱者やどうにもならない、病気を抱えているひとに 対する思いやりがないのだと思いますよ。 きっと、ご自身やまわりに、病気になったひとをみたことがなかったり、 病気や介護を受けるかもしれないという、将来の可能性も。。予測できない (人ごととおもうくらい)人生をおくられてきたのだと思います。
一流企業のホワイトカラー、いわゆるお給料の良い職業に就くことや 客室乗務員などの、一見華やかな職業につくことが、よいと 思う人もいますよね。 もちろん、悪いとは言いません。。それぞれの持ち味を活かして働くことは 良いことだと思います。 ただ医療や福祉関係、カウンセラーなど、、直接、病人や老人、体や心が 傷ついた人とかかわる仕事も貴重な仕事ですし、 調理師や、技術者など、職人のような専門職も、それぞれ大切な仕事ですよね。^^ 自分の希望の職業があるのは、いいですが、他の職業を軽んじるのは、 あまり好ましいことではありませんね。
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Re: 宗教の勧誘 ( No.24 ) |
- 日時: 2012/04/01 14:56 (ocn)
- 名前: 激辛
- この世はある意味多かれ少なかれ、勘違いと・洗脳で成り立っていたりするからね。
自分が信じる道をぶれないように生きるしかないんだと思うな。
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Re: 宗教の勧誘 ( No.25 ) |
- 日時: 2012/04/09 22:30 (home)
- 名前: 飯田
- 若者がよく言う
友人の少ない人はランクの低い人ってどこからそんな基準が来るのでしょうか?障害のある私は友人はごくわずかですが、少数ながらの理解者や支えてくれる人たちかこまれて、幸せに感じることがあります。 教会で女性の信徒が友人の少ない人と関わるのが嫌だ言っていました。 「じゃ、仲間に裏切られたイエス様はランクが低いのか」と言ったら黙ってしまいました。そのご彼女は大学で外しにあい中退を余儀なくされ ました。友人や経済的に恵まれていても絶えず周りの目を気にした 紙一重の幸せなんて錯覚にすぎないし、ホリエモンなんかべつに 幸せとは思いません。
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Re: 宗教の勧誘 ( No.26 ) |
- 日時: 2012/04/11 07:00 (dip)
- 名前: らら
- 飯田さん
>若者がよく言う 友人の少ない人はランクの低い人ってどこからそんな基準が来るのでしょうか?障害のある私は友人はごくわずかですが、少数ながらの理解者や支えてくれる人たちかこまれて、幸せに感じることがあります。
一部の若者、ときには30代、40代でも、そういう人もいますよね。 成果や地位や収入ということが、かれらの価値基準の中心なのだと思います。 もちろん、若い方でもそういうことを空しいことだと思う方もいると思います。
少数でも理解をしてくれる人に囲まれているというのは、幸せなことですよね。 そういう小さな幸せを大切に、感謝していきていけるのは、ステキだと思います。
>教会で女性の信徒が友人の少ない人と関わるのが嫌だ言っていました。 「じゃ、仲間に裏切られたイエス様はランクが低いのか」と言ったら黙ってしまいました。
神の愛や憐れみを十分に知らずに、教会に来たり、クリスチャンになって しまっている方もいるのでしょうね。 罪をゆるされて、弱い自分を愛してくださった主イエスを愛し、感謝するということを 忘れてしまったのか、そういう基本すらも教わらずにいたのか。。 嘆かわしいですね。。 その方が、また自分の過ちを反省されて、思い直してくださると良いですね。
気をつけていないと、この世の一部の(もしくは多数派の)、空しい考え方 や、高慢(自分を愛するのでなく、利己的な愛という罪)の罠にはまってしまうという事への。。危機感も。。自戒をこめて忘れないようにしたいと思います。
>友人や経済的に恵まれていても絶えず周りの目を気にした 紙一重の幸せなんて錯覚にすぎないし、ホリエモンなんかべつに 幸せとは思いません。
基本的な衣食住や、最低限の健康は大切ですが、 あまりにも、見栄や虚勢をはったりするのは、疲れるでしょうね。 多くの人が、豊かさを求めるつもりが、心の穏やかさや満足を得ずに 失望してしまうのは、残念ですよね。 満足することを、学ぶ。。普通のことを当たり前とおもわないで感謝できる 心を持てるのは、とても貴重なことですよね。
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