Re: 生きることが虚しい ( No.1 ) |
- 日時: 2012/04/01 19:49 (softbank126011113001.bbtec.net)
- 名前: 悟空
- マイコーさんへ
お母様のご冥福心よりお祈り申しあげます。 身近な人が亡くなると虚しさを感じる気持ちなんとなくわかります。 今は、悲しい気持ちに暮れるのは仕方のないことのように思います。
人は必ず死んでしまいますが、だからと言って、生きることは無意味 なことではありません。どうぞ、気を持ち直し、また、残された時間を 大事にお過ごしください。
また、いつか、マイコーさんに笑える日が訪れることを祈っております。
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Re: 生きることが虚しい ( No.2 ) |
- 日時: 2012/04/01 20:34 (infoweb)
- 名前: K
- 生あるものはいつか必ず死を迎えます
明日かもしれないし、何十年先かもしれない
死にたいと思う心は罰当たりでもなんでもないと思います
世界では40秒に一人、自殺しています
死にたいと思う気持ちがありながら生きている人が多いです
私も死にたいと毎日思います
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Re: 生きることが虚しい ( No.3 ) |
- 日時: 2012/04/02 00:36 (catv-mic)
- 名前: R
- それが分かったのなら、次にどうするかだよね。
命の価値って、ただ過ぎる時間よりも、 自分で選んで過ごした時間のほうだから。
何にせよお母さんは、選んだからこそ貴方がいるわけで、それが無駄なのかどうかは、これから生きて自分で決めることかもね。
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皆さん有難う ( No.4 ) |
- 日時: 2012/04/03 14:21 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 悟空さん、Kさん、Rさん、返信有難うございます。
理屈では何もかも分かっているのに心が受け入れません。
そうですよね、死にたいと思いながら、それでも生きている人は沢山いるのですよね。
・・・それにしても辛いです。
一日中、母の苦しむ姿を思い出しては「お母さんごめんね」って、泣いたり叫んだりしています。
なにも満足にしてあげられなかった。寂しい思いをさせた。後悔しかない。
自分で播いた種を自分で刈っているだけなのも分かっています。
自業自得。因果応報。
前を向きたい、と切実に思います。
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Re: 生きることが虚しい ( No.5 ) |
- 日時: 2012/04/03 22:45 (dion)
- 名前: よしお
- はじめまして。よしお と申します。
お母様が亡くなられたことは本当に苦しかったですよね・・・。それだけこれまでにお互いに愛し、愛されたかけがえのない証なのだと思います。
今は理屈ではなく、マイコ―さんの心を抑圧することなしに、お母様とのかけがえのない思い出の数々を胸に、思う存分に哀しみの涙を流し尽くしてください・・・。温かな想い出に浸り、お母様から受けられたたくさんの愛情の数々を思い出してみてください・・・。
とにかく今はマイコ―さんの哀しみを抑えつけずに、すべて出し切ってしまうことが大切です。そうすることで少しずつ気持ちに整理がついて、再び前を向く意欲が湧いてくるはずです。哀しんではいけない決まりはありませんし、いつまでに前を向かなければならないという決まりもまた、ありません。あせらずに、ゆっくりと、少しずつマイコ―さんのペースで進んでいかれれば良いのです。
・・・お母様が苦しまれたお姿、お辛かったですよね・・・。ただ、マイコ―さんがおっしゃる「何も満足にしてあげられなかった」・「寂しい思いをさせた」ということはないように感じます。なぜならお母様が一番辛く・苦しい時に、愛する我が子であるマイコ―さんがそばにおられたことは、お母様にとってはどんなに心強かったか!どんなに安心されたことか!・・・と思います。
・・・今はマイコ―さんの大切なお母様を失くされた身を切られるような哀しみのあまり、他の感情が麻痺しておられるのだと思います・・・。だからこそ、前述のようにマイコ―さんの心の中の哀しみを出し尽くす作業は大切なことなのです。ゆっくり時間をかけて気持ちが整理されていけば、再び血が通うように他の感情も徐々に取り戻していかれると思います。今はどうぞ、何に気兼ねすることなくお母様との想い出に存分に浸る時間を、大切になさってくださいね。
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よしおさん、こんにちは ( No.6 ) |
- 日時: 2012/04/04 16:47 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- よしおさん。
とてもお優しいお言葉、本当に有難うございます。 涙ぐみながら拝読しました。
私がどうしても前を向けない大きな原因についてお話させて下さい。 私が、母に「寂しい思いをさせた」というのは、”文字通り”の事なのです。
病の激痛や、死への恐怖と闘う母は常に不安感が大きく情緒不安定で、いつも私に一緒にいて欲しいと望んでいるのに、私は、自分の辛さや感情を優先してしまいがちでした。 例えば、衰えて寝たきりになった母が病院で介護を受けながら、その屈辱や哀しさに耐えているのを分かっていながら、その姿を目の当たりにするのが死ぬほど苦しくて、毎日行ってあげる事が出来ませんでした。行かなければ行かないで、母が一人で泣いている姿が、一時も頭を離れず、母の所に行った時よりもかえって苦しむ事は分かっているのに、どうしても逃げてしまう自分がいました。 自分の弱さをどう制御したらいいのか、二十四時間苦しくて、「行くも地獄、行かぬも地獄」の思いで日々を過ごしました。
…こんなに母を愛しているのに。母がいなければとても生きていられないと思うのに、それでも逃げてしまった自分が、自分でよく理解出来ないし、今でも許せません。
とにかく今は母に「ごめんね」と言い続けずにいられないのです。 仏様になった母が、今は私が苦しむのを望んでいる訳はない、と頭では分かっていても、まだ、心がどうしても受け入れません。
今は、母のどの場面を思い出しても、心に激痛が走る状態です。 それでも、打撲の痕を強く押さずにいられない、どこか自虐的な気持で、一日中母の事を思っては泣いています。
思い出に浸る段階まで行くには、まだまだ時間がかかりそうです。 お読みいただいてありがとうございました。
こうして少しづつ吐き出す事も、少し自分の救いになる気がします。
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No.6に対する返信 ( No.7 ) |
- 日時: 2012/04/04 16:49 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- > よしおさん。
> とてもお優しいお言葉、本当に有難うございます。 > 涙ぐみながら拝読しました。 > > 私がどうしても前を向けない大きな原因についてお話させて下さい。 > 私が、母に「寂しい思いをさせた」というのは、”文字通り”の事なのです。 > > 病の激痛や、死への恐怖と闘う母は常に不安感が大きく情緒不安定で、いつも私に一緒にいて欲しいと望んでいるのに、私は、自分の辛さや感情を優先してしまいがちでした。 > 例えば、衰えて寝たきりになった母が病院で介護を受けながら、その屈辱や哀しさに耐えているのを分かっていながら、その姿を目の当たりにするのが死ぬほど苦しくて、毎日行ってあげる事が出来ませんでした。行かなければ行かないで、母が一人で泣いている姿が、一時も頭を離れず、母の所に行った時よりもかえって苦しむ事は分かっているのに、どうしても逃げてしまう自分がいました。 > 自分の弱さをどう制御したらいいのか、二十四時間苦しくて、「行くも地獄、行かぬも地獄」の思いで日々を過ごしました。 > > …こんなに母を愛しているのに。母がいなければとても生きていられないと思うのに、それでも逃げてしまった自分が、自分でよく理解出来ないし、今でも許せません。 > > とにかく今は母に「ごめんね」と言い続けずにいられないのです。 > 仏様になった母が、今は私が苦しむのを望んでいる訳はない、と頭では分かっていても、まだ、心がどうしても受け入れません。 > > 今は、母のどの場面を思い出しても、心に激痛が走る状態です。 > それでも、打撲の痕を強く押さずにいられない、どこか自虐的な気持で、一日中母の事を思っては泣いています。 > > 思い出に浸る段階まで行くには、まだまだ時間がかかりそうです。 > お読みいただいてありがとうございました。 > > こうして少しずつ吐き出す事も、少し自分の救いになる気がします。 >
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Re: 生きることが虚しい ( No.8 ) |
- 日時: 2012/04/04 17:51 (panda-world)
- 名前: 麻衣
- マイコーさんは、お母さんに謝りたいんですよね?
ならその前に、死ぬことばかり考えないでお母さんにつぐないとして苦しくても、虚しくても生きましょうよ 確かに、人には限りある命がありそして、思いがあります 私たちは、誰かの大切な人であり、マイコーさんは、お母さんの大切な人です 人は、大切な人の未来を過去からつないで来て私たちがいます そして、私たちもまた、大切な人の未来を今からつないでいくんです だから、死ぬことは無駄じゃなくて、自身の大切な人の未来を今や過去からつなげる素晴らしいことなんです
長文でごめんなさい
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Re: 生きることが虚しい ( No.9 ) |
- 日時: 2012/04/04 19:29 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。マイコ―さんがお母様に文字通り「寂しい思いをさせた」感覚がいつまでも「罪悪感」としてつきまとうがゆえに、前向きに考えることが難しく感じておられるのですね・・・。
お母様が闘病されておられた時、マイコ―さんはその苦しまれるお姿を直視することができずに、できるだけ向き合わぬようにされたことが、毎日病院に通わずにお母様のそばに居れずに逃避したように感じられ、自責の念に苛まれてしまうのですね?
病院に通えばお母様の苦しむお姿を見なければならないので辛く、反対に通わなくとも、お母様が苦しまれてマイコ―さんに助けを求める姿が、想像で脳裏に焼き付き、より以上に圧迫感を感じてしまっておられた・・・。「行くも行かぬも地獄」になって、それでも二進も三進も行かずに自分自身で考えを強要される憂き目に遭われたのですね・・・。
・・・けれども毎日ではなかったとはいえ、その葛藤に苛まれながらも病院に通われてお母様の看病をされていたのですよね?・・・マイコ―さんはお母様を愛されるあまり、まるでそのお母様の苦しみが「自分の苦しみと同化してしまい」、それを心の中で混同されたがゆえに、お母様のそばにいられなかったのだと思います・・・(それがマイコ―さんがおっしゃる、「自分が逃げてしまったことが理解できない」・・・につながるのではないでしょうか?)。つまり、それはマイコ―さんがお母様を想われるがあまりの、優しさからくる逃避・・・だったのだと思いますよ。
その苦しみを果たして誰が責めることができましょうか?・・・少なくとも周りの人間は誰も責められません!責めることができるのは・・・ほかならぬマイコ―さんご自身なのだと思いますよ。だから今なお、お母様に対しての「苦しみの罪悪感」でご自身を責め立てておられるのではないでしょうか?
お母様に対して「ごめんね」と心の中で謝られることで、少しでもマイコ―さんの罪悪感が薄れれば良いと思うと同時に、マイコ―さんご自身が「逃げてしまって弱かった・・・」と思われる気持ちに対しても、お母様の苦しみをご自分の痛み・・・と感じられたゆえのものとして受け入れて、「愛するが故の逃避」であったご自分の気持ちを認め、その優しさからの罪悪感を、ご自身のことをどうか労わって、認めてあげてください・・・。
お母様の本心も、部外者である自分(よしお)に確たることは言えませんが、もしかしたらマイコ―さんに「自分の苦しむ姿を見せたくない」との思いもあったのかもしれません・・・。その言ならば、「お互いが愛し合う親子として配慮し合った結果」と見る向きもあるのではないでしょうか?
・・・いろいろと渦巻く思いもおありかと存じますが、どうかマイコ―さんのお気持ちが少しでも楽になりますように、この場で何でも思いつくままに気持ちの辛さを吐き出してしまってくださいね。お話を伺い、マイコ―さんが少しずつでも前に進めるよう、こちらも努力を惜しみませんので。
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Re: 生きることが虚しい ( No.10 ) |
- 日時: 2012/04/04 21:37 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- ❀麻衣さん、有難う。
・・・ホント、そうですよね。母が命懸けで産んでくれて、その命を引き継いだのですから、無駄にしては、母にこれ以上の親不幸は無いです。 私に子供はいませんので、直接的な意味では遺伝子としての命は引き継げませんが、もっと有意義にこの命を使う事で、少しでも未来に対して貢献出来たら理想です。そのためにも少しづつ、前に進めるようにしたいです。少し時間がかかっても。
❀よしおさん、拙い私の文章から、とても細かい所まで私の思いを汲みとって下さり、感謝、感激しています。読みながら涙がどんどん出て来ました。
後悔することが分かっていたのに、母の元から逃げずにいられなかったたくさんの場面。 「側にいて」、と泣く母を、人に任せて背を向けた、あの時の絶望感を昨日の事のように思い出します。母の元を後にする道すがら、「私は絶対に、この日の事を激しく悔いながら苦しみ続けて生きるんだ」と。 本当に、母の闘病期間は、今と形が違うだけで、やはり地獄のような苦しみの毎日でした。
もっと、考える暇の無いほど、自分を忙しくしてしまえば良いのかも知れませんが、それもまた逃げているように思えて、今はとにかく、何度でも痣を押して、痛みの在りかを一々確かめずにいられません。 そんな私の姿勢を、母が喜ばないと分かっていても。
母としてはやはり、私にもっと、建設的に、前に進んで欲しい、と思っているでしょうから。
母を失った悲しみ、喪失感だけでも耐えられそうになかったのに、その上、罪悪感や後悔の苦しみを積み上げてしまったのですから、辛いのは当たり前ですね。 純粋に悲しみや寂しさだけなら、時間が癒やしてくれるのでしょう、きっと。
何だか取りとめなくてごめんなさい。
こんな私に真摯にお付き合い頂ける事を本当に光栄に思います。 このサイトを知る事が出来て良かったです。
また宜しくお願いします。
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Re: 生きることが虚しい ( No.11 ) |
- 日時: 2012/04/05 21:04 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。こちらこそ、マイコ―さんのとても素直な感性をお持ちの方とお話をさせていただいて、心が洗われる思いです。どうもありがとうございます!
・・・ご自分の過去の選択を後悔してしまうのは、本当に辛く、苦しいことだと思います・・・。その当時の気持ちにおいては、後ろ髪を引かれる思いながらも、マイコ―さんにとって考え抜いた末の、断腸の思いでの選択だったのではないでしょうか?・・・ですので、「正しい」も「間違い」もないのではないでしょうか?
ご自分の痛みの在りかを探されるのも、ご自分に「罰」を与えるお気持ちがあることもさることながら、少しでも愛するお母様の苦しみを共有したい!・・・とのお気持ちも含まれているのではないでしょうか?・・・であるならば、マイコ―さんのお体に重篤な症状を残さぬ限りにおいては、気持ちに折り合いをつけるためにも必要なことなのかもしれませんね・・・。そしていつかマイコ―さんの心に折り合いがついた時に、別の形でのお母様への気持ちの上での「償い」を果たしていかれてはいかがでしょうか?
・・・ありとあらゆる思いが、マイコ―さんの心の中で渦を巻いて、今の段階ではその気持ちに整理をつけようと、必死に努力なされているのだと思います。あせらずに、マイコ―さんのお気持ちのままに、思いつくところをお書きいただいて、心の整理をつけていっていただきたいと思います。
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有難うございます。 ( No.12 ) |
- 日時: 2012/04/06 17:03 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 寄せては返す波のように、”行ったり来たり”の心です。
例えばついさっき、何もかも解決出来る心の在りかを探し当てた気がしていたのに、次の瞬間にはもう、その場所をすっかり見失っているのです。
とにかく昔から、打たれ弱い私は、心理学、仏教、キリスト教などの様々な書物を物色しては、何とかその時の自分の心を救う考え方を、あれこれ探しながら生きて来ました。
書物から学んだ沢山のノウハウを頭では分かっていても、肝心の心が受け入れなければ、絵に書いた餅でしかないです。
心、って何なのかと、いつも考えます。 全く形が無く、目に見えないものなのに、人間の全てを支配する”心”とは、なんて厄介なものなんでしょう。
禅問答のように、「心は取り出せないから、心など存在しない、だから悩みも無い」と考えると一瞬楽になる事があります。
でも、この私のど真ん中に、厳然と心は存在する訳で、結局禅問答も、何の解決にもなりません。 簡単にマインドコントロールされるような人が、羨ましい気がします。
先に、よしおさんがおっしゃられた、「同化」という言葉は、凄くピンときました。 母の闘病中、行くも地獄、行かぬも地獄の、余りの辛さに、肉親に少し泣きごとを言うと、よく言われたのは、「お前は考え過ぎる」「自分で自分を苦しめてる」「変わってあげる事は出来ないんだから」「自分が潰れては何もならない」などと言われました。 私を助けようと、良かれと思って言ってくれるのは分かるのですが、それらは、申し訳ないけれど、私には何の気休めにもならない言葉でした。 だって母は、まぎれもなく、死の恐怖、激痛、激しい屈辱、強い寂しさ、情けなさと、24時間闘っているのに。 そして、近い将来、母は逝ってしまうと分かっているのに。
母が亡くなる恐怖。日に日に衰弱する母の姿に直面する、日々の恐怖。母が居なくなったこの世界に絶望しながら、なお生きねばならない 未来への恐怖。 そんな様々な形の恐怖が常に私を取り巻いて、本当に、「こんなに苦しいなら生まれたくなかった!!」・・・「母より先に逝ってしまおう!」などと、罰当たりなことが一瞬脳裏をよぎり、それが一番の解決法だと思えてしまう事が何度もありました。
『今は、すべて病院に任せているのだから、もう少し楽に構えて、自分の身も大事にしなさい・・・・・。』・・・・そう出来たらどんなにいいか。そう考える事が出来たらどんなに救われるか・・・・。
母が亡くなるその日まで、こんな葛藤に身を切られる一瞬一瞬を積み重ねました。 そしてあれから何カ月も経つ今も尚、日々、形を変える苦しみと24時間向き合っています。
人の前では、平気な顔を装っているので、肉親は、私がこんなに母の事を思い、日夜嘆いているなんて、夢にも思っていないでしょう。
・・・・・・今回も、思いつくままに、とりとめない事を書かせて頂きました。
失礼いたします。
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Re: 生きることが虚しい ( No.13 ) |
- 日時: 2012/04/07 03:37 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。そうですよね・・・。「気持ちとは移ろいやすいもの」で、その時は完全なる回答を得たつもりで実践してみるも、次第に気持ちが変遷していって、元通りの場所・あるいはそれ以上に心が受け入れ難い状態へと向かってしまうのですよね・・・。
そうしてまた別の解決策を見つけて、けれども再び受け入れ難くなって・・・の繰り返しなのかもしれませんね。そうして補強に補強を重ねて、ある時自分なりに「悟って」腑に落ちるような感覚を手に入れる。・・・それなりに長い年月はかかるかもしれませんが、人の心は不思議なもので、苦しみながらも何とか折り合いをつけようと、自らに必死に働きかけるのですよね。
・・・確かに自分(よしお)も心が受け入れやすくなるようにと、あらゆる書物等に目を通して、心を楽にしようと奔走した時期もありました。・・・けれども上滑りというか、「言っていることは確かに正論なんだけれども・・・」と、無理に自分の心の状態に当てはめようとしてみても苦しくなるだけのように感じていました。マイコ―さんのおっしゃる「絵に描いた餅」はまさに言い得て妙だと思います。
ですので、あくまで書物等は「一つの参考文献」としての役割しか担わず、最終的には「それを踏まえて自分自身の心がどう捉えるか?」だと思うのです。もちろん、仕入れた知識は知識として役に立つと思うのです。
しかし、すぐさまその枠に当てはめて考えてみても、冒頭のように人の心は移ろいやすいものなので、その時・その瞬間においての感じ方が違います。乖離してくると途端にその枠よりはみ出して、受け入れ難くなってジレンマに陥ると思うのです・・・。
・・・ですから、「一つの知識として、(参考文献の)そういう考え方もある」ぐらいの捉え方で、いろいろと「自分の心の引き出しを多くしておいて対処しやすくしておき」、最終的にはご自分の見解をその時々の、移ろいやすい心に合わせた折り合いの付けやすい方法を模索していく心積もりで良いのかな?・・・と自分は考えております。
心とは本当に不思議なものですよね・・・。傷つきやすく、壊れやすいものであるのに目に見えるものではないから、そのバロメーターがはかれるものでもない・・・。けれども「限界」は感じるものであるから、カタチとしては漠然としていても、そこに在るもの・・・なのですよね。そして目に見えるカタチはないのだけれども、自らが花に水をやるように育て、生き易いように解釈の幅を広げていくもの・・・なんだかとりとめのないもので、けれども「自分らしく生きるために欠かせないもの」・・・で相反する矛盾した中にも、自分の中に確固たるものとして存在する・・・。であるならば、やはり自分自身でうまく折り合いをつけながら、生き易くなる方法を模索していくほかないのでしょうね。
マイコ―さんはお母様の感じられていたであろう苦痛・恐怖感・・・ありとあらゆる感覚を鋭敏に感じ取られ、まるで「我が事」のように捉えられていたのだと思います・・・。これもマイコ―さんのお母様への愛の深さに起因するもので、周りも確かに別個の人格的な諭し方(マイコ―さんが傷つかぬように)をされたのでしょうけど、それは受け入れられなかったのでしょうね・・・。どちらが・・・という問題ではなく、その時・その瞬間におけるマイコ―さんの「正直な気持ち」としての偽りのない選択だったのだと思います。・・・その分、お母様への愛情の深さゆえに、亡くなられた今において入れ込んだ気持ちの「反動」によっての「欠落感」が大きいのだと思います・・・。
マイコ―さんのおっしゃる「未来への恐怖」は、そうした欠落感による部分が大きいようにも見受けられます・・・。けれどもそれは決して悪いとかではなく、それだけお母様のことを思われたひとつの「愛の形」なのだと思います。それが奪い去られてしまった現状において、「燃え尽き症候群」のようになられて、これからにおける虚無感に苛まれてしまうのではないでしょうか?
・・・今においてなお、身を切られるような形を変える苦しみにマイコ―さんは真摯に向き合っておられると思うのですが、それも今もお母様を忘れずに愛される思いからくるものだと思うのです。ですのでその感情すらも一緒くたにして「悪いもの・苦しいもの」としてしまうと、考え方も苦しくなってしまいますので、「今は向き合って、心に整理をつけていくために必要な、大切な時間」と捉えることで、自責感からいくらかでも解放されると良いのですが・・・。
それはいつまでもいつまでもマイコ―さんが大切なお母様を思い、闘病生活だけではなく、マイコ―さんがこの世に生を受けてこれまでの時間をお互いに愛し合って過ごした、「かけがえのない永遠の時間(想い出)」に思いを馳せて、これからにおいて少しずつ心に折り合いをつけていくのも、大切な作業となっていくのではないでしょうか?
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Re: 生きることが虚しい ( No.14 ) |
- 日時: 2012/04/07 16:42 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- こんにちは。
色々、丁寧なお話、有難うございます。
水を飲もうとすれば、終末期には、誤嚥を防ぐために鼻からチューブを入れられ、水すら飲ませて貰えなかった母を思い、嗚咽がこみ上げる。
お風呂に入ろうと思えば、最後の数か月、まともにお風呂にも入れて上げられずに、垢だらけで亡くなってしまった母への憐憫を強く感じ、泣き叫んでしまう。
目に入る何もかもが、怖いくらい母への思い出と結び付いてしまう毎日です。
やはり、今、母がどうしているのか、死後の世界の母が、どのように過ごしているのか、切実に、知りたくて知りたくて、それを知るには母の所に行くしかないんだ、と気付いハッとする、・・・・・そんな事を一日中繰り返します。
・・・・私の心は、半ば壊れているのかもしれません。
・・・今年も桜が咲き始め、花冷えの今日は、うちの近くでも人が集まり、華やかに桜祭りをやっています。
花が何よりも大好きだった母を思うと、華やかな今日は、特にもの寂しく、何だか、生爪を剥ぐような、たまらない辛さです。
自転車で買い物ついでに、五分咲きの桜を見上げて、「お母さん、一緒に見てるよね、綺麗だね」と、話しかけては、表現しようのない苦しみを覚え、込み上げる嗚咽を堪えます。本当に、消えてしまいたいと強く思う。・・・桜を見上げていると、そのまま吸い込まれて、消えてしまえるような気さえします。苦しい。
こんな自分の状態を、マイナスには考えず、今は、悲しみから逃げず正面から向き合い、それを癒やす為の作業をしているのだ、と考えるべきなのかもしれません。
でも、母に対して、「出来るのに、して上げなかったこと」や、「するべきではなかったこと」に対する罪の意識を消すことは、決して出来ないのでしょう。
一生、詫びながら生きるしかない何かを抱えて生きている人は、恐らく沢山いるでしょう。
いくら詫びても、もう決して清算が叶わない、だから私は、その代償のように自分の傷を強く押さずにはいられないのでしょう。
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Re: 生きることが虚しい ( No.15 ) |
- 日時: 2012/04/08 00:50 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。・・・まだお母様がお亡くなりになって日も浅く、マイコ―さんご自身のお気持ちも、お母様の闘病生活における苦しみが鮮明にフラッシュバックされて、それを責める比重の方が大きいのかもしれませんね・・・。今現在においては無理もないことかと存じます。
マイコ―さんがご自分の傷を強く押されてしまうのも、何とか気持ちに折り合いをつけようと必死に葛藤されておられる行動なのかもしれませんね・・・。お母様の苦しまれた気持ちを汲み取れなかった(と解釈されている)罪悪・心から分かち合いたいとする思いからの、現段階でのマイコ―さんなりの取りうる対処法であるのではないでしょうか?
・・・今においてはいろいろとマイコ―さんの心に一番にのしかかってくるのがお母様の苦しみと、そのことに対する罪悪感なのだと思います・・・。お母様が好きであったことにも、それと結びつけてマイコ―さんに哀しみが襲いかかってしまうのも、あまりの喪失感の大きさに心が悲鳴を上げてしまうからなのかもしれませんね・・・。マイコ―さんご自身の存在の消失が念頭に浮かんでしまわれるのも、かけがえのない大切な存在であったお母様が、今においてマイコ―さんのそばに存在されていない虚無からくるものなのでしょう・・・。
こうしてマイコ―さんの抱える思いをただ想像して、知ったふうな言葉を並べ立てるしか能のない自分(よしお)に、無力感を感じる次第です・・・。本当に今においてはマイコ―さんに襲いかかるのは辛さや苦しさや罪悪感など、とりとめのない感情の数々であると思います・・・。
ご自分の存在すら大切に思えなくなってしまうかもしれませんが、せめてここでマイコ―さんの思いの丈をお話いただくことで、いずれご自分なりに整理をつけていかれることを願うばかりです。無力ではありますが、自分(よしお)もその一助になれるよう、今後ともお話を伺うなどして努力したいと思っております。何でもおっしゃってくださいね。(・・・軽い言葉のようにしかならず、申し訳ないです・・・)
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Re: 生きることが虚しい ( No.16 ) |
- 日時: 2012/04/08 11:28 (mesh)
- 名前: ルル
大好きな大切な母親からもらった 大切な命です。
無駄にしちゃいけない。
死ぬ勇気があるなら 生きてください。
生きてることは素晴らしい事・・・
今、お母様のもとへ行っても お母様が悲しむだけです。
人間というものは いつか死がやってきます。
生きてる事に感謝してください
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息が苦しい ( No.17 ) |
- 日時: 2012/04/09 13:32 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 実家に残された、膨大な、母の遺品。
母が四十年住んだ家の、すみずみに積もり積もった、母の存在の証の整理。 手近に在る物を、勇気をもって恐る恐る直視する。 嘔吐感と涙がこみ上げ、激しい嗚咽。
母がまだ若い頃や、普通に生活していた頃の物を見るより、病に倒れて壮絶な闘病をしていた時の思い出に繋がる物を見る時、特に激しい苦しみを覚える。
・・・・・こんな事を考えるのは人間として最低だと思うけれど、母の闘病中の思い出がこんなに苦しいなら、いっそ母が、事故などである日突然消えてしまったほうが良かった、・・・もしくは、苦しむ母から完全に逃げ続け、なるべく関わらないようにすれば良かった、・・・そうすればこんなにも苦しい姿の場面の記憶を量産して、それを思い出して苦しむ事も無かっただろうに・・・・と考てしまう。
しかし、事故やで突然母を失ったり、介護から冷たく背を向けたりしていたなら、そのことに苦しむに決まっている。 先の震災で、家族を一瞬にして失った多くの人達の苦しみは計り知れないし、その痛みを考えるだけで、身を切られる思いがするから。 自分だったらとても生きていられないだろう。
・・・超人的な気力で、極限まで、激痛、苦しみに耐えて頑張った母の姿を思い出すのがこんなにも苦しいのに、敢えてそれを記憶から引っ張り出す作業を自分に課すのは、自分への罰なのだ。 法に触れる罪を犯したなら、司法に裁いて貰えるのに。 私が犯したのは、法に触れる罪よりもずっと深い罪。 取り返しがつかない。 誰も裁いてくれないから自分で裁くしかない。 量刑の答えはどこにも無いから、こうして永久に自分に罰を課し続けるのだろう。 法で裁かれて、一定の懲役の刑に服して、それで無罪放免、・・という罪だったらどんなに良いだろう。
あんなに、家で頑張っていた母を、結局、寝たきりにさせてしまったのは、私たち家族が、病院に任せてしまったせいだ。 皆が、病院に入れると言っても、私だけでも命がけで反対するべきだった。・・・絶対に出来なかったくせに、そんな事を今更・・・。偽善はやめろ。自分が一番かわいいくせに。自分のエゴを優先したくせに。 やれなかったのは、”やらなかった”からでしかないじゃないか。
私が何もかも捨てて、例え自分を壊してでも、母を看取る事が出来ていたら、・・・と、自分の弱さでは絶対に出来る訳の無かった事に、こうして縛られ続ける。
他の家族のように、医療に任せるしかなかったんだ、と片付ける事がどうしても出来ない。 初めから匙を投げていたじゃないか、自信が無いからって、逃げていたじゃないか。 最後まで家に帰りたいと言い続けた母の希望を叶えなかった、その事実は消えない。
ごめんね本当にお母さん、本当にごめんねごめんねごめんね。
悲しみ、苦しみ、後悔、・・・巨大な鉄の塊のように重い荷物を引き摺りながら、今日も何とか生きている。
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Re: 生きることが虚しい ( No.18 ) |
- 日時: 2012/04/09 20:22 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。マイコ―さんはお母様の遺品整理をなされたのですね。生前の、それも闘病生活に直結するものを見ると、記憶がありありとよみがえってきて、苦しさも増してしまいますよね・・・。
けれどもそれをおして、その辛さに向き合うことをマイコ―さんなりのご自身への「罰」として捉えておられるのですね・・・。目に見える「処遇」は存在しないゆえに、「一生の罪の十字架」として背負い、向き合う覚悟でおられる・・・。正直、死ぬよりも辛い試練かもしれませんが、生を全うし、天命尽きるまではそのことに向き合って「答え」を探していかれるのも、一つの生き方として大切なのかもしれませんね・・・。
・・・「考えずに生きる」ことができれば、ある意味幸せなのでしょうが、それこそ「目を背けて生きる」ことにつながってしまいますからね・・・。それはマイコ―さんの望む「答え」ではないと思います。「今日も何とか生きておられる」のも、その答え探しとしての長い道のりであり、その道道でご自分なりに何かしらを発見して、重荷の一つ一つを下ろしながら、身を軽くしていっていただけることを願っています。
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Re: 生きることが虚しい ( No.19 ) |
- 日時: 2012/04/11 15:47 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 有難うございます・・・・・。
母の、遺品の整理については、まだ全く手を付けていません。
母が亡くなった病院から引き揚げてきた荷物の封印を、数か月経った今ようやく、恐る恐る解いただけです。実家の中に在る膨大な母の物は、未だそのままです。
病院での母の最期に、病室に在った物は、私にとって、どれもが鋭利な刃物です。それが分かっていたから、ずっと、引き揚げてきた時のまま、袋の口を固く閉ざして視、界から遠ざけていました。 でも先週、どうしても母の持っていたお守りを探したくて、その封印を恐る恐る解きました。 今は、直視してしまったその後遺症で、流れ出した血が止らない状態です。
何もかも分からなくなってしまう母は、大事なものが入ったバッグの中身を、入れたり出したり、次第にめちゃくちゃにしていきました。あんなに整理好きだったのに。麻薬の為に手が震え、意識も朦朧となった状態で、母が必死に書いた、沢山の文字。誰かの電話番号らしきものや、全く意味の分からない文字、自分の名前らしきもの・・・・。
あんなに頭脳明晰で、プライドの人一倍高かった母が、どんどん判断力を失って行くのを傍で見ているのは、本当に、辛く、苦しく、母にとってはこれ以上無いくらい残酷なことでした。 その、母の、かろうじて判読できるような拙い文字の数々をを見るだけで、哀しくて、愛おしくて、余りの苦しさに、本当に死んでしまいたくなるのです。母の傍に行きたい!
寝たきりになった最期の頃は、垢だらけでした。鼻からチューブを入れられ、点滴をつなげ、オムツをし、誤嚥による肺炎を避けるため、食事も、水一滴すら、口にさせて貰えなかった。行くたびにいつも、朦朧としながら、「お水ちょうだい」と訴える母の切実な願いを、医療ゆえに拒否せねばならなかった、地獄の苦しみ。 いいえ、地獄だったのはであり、私にそんな風に思う資格は無い。
母の使っていたコップや歯ブラシ、ヘアブラシを見れば、それを使う事が出来なくなってからの母の哀れさがこみ上げる。 結局は、医療という名の、ただ、母を苦しませるだけの選択をした、という後悔がばかりが膨らむ。
思い出さなければ苦しくないのに。 思い出さないと居られない。 何度でも何度でも。
・・・小池龍之介さんの本にある、 「考えない」「目の前に在る事のみに集中する」 …あの方のノウハウを実行すれば、表面上は、確かに心はいくらか救われます。 でも、これって、ただの逃げじゃないか、それでいいのか、と否定する自分が居ます。
その一方、何でもいいから縋ってしまえばいい、と思える瞬間もあります。
いっそ、狂ってしまえたらどんなに良いだろう。 せめて記憶喪失に。逃げる事が出来る性格だったら。 気持はただただ、現実感無く、漂い続けます。
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Re: 生きることが虚しい ( No.20 ) |
- 日時: 2012/04/11 19:28 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。・・・そうでしたか。お母様の闘病時における荷物整理をされたのですね。お守りのことがあったとはいえ、今のマイコ―さんの弱られた心には、受け止めきれないほどの辛さであったと思われます・・・。
お母様が「苦しんだ証」である品物の数々を目にするだに、マイコ―さんの心が責め立てられるように感じられてしまうのですね・・・。その中にあったお母様の走り書きのメモは、医療の上で判断力が低下していかれる中で、必死にその時の思いを残そうとして書かれたものなのではないでしょうか?・・・目にするのもお辛いとは思われるのですが、それはお母様の様々な思いが込められた、大切な大切なものなのだと思います・・・。どうかマイコ―さんもその品物を大切になさってあげてください。そうすればほんの少しではあっても、お母様の辛かった想いに寄り添うことができ、ご自分への罪悪も多少なりとも薄まるのではないでしょうか?
・・・闘病時においては「心を鬼にしてでも」お母様の要求を突っぱねねばならなかったのですね・・・。マイコ―さんが今においてなお、心の中で歯がみしていらした状況が、ありありと浮かんでまいります・・・。どうにもしてやることができなかったとはいえ、それをそのまま容れることもできない葛藤・・・。それが様々な「後悔」と化して、マイコ―さんの心を苦しめるのだと思います・・・。
・・・今はまだ、あらゆる情念が一緒くたになってマイコ―さんに襲いかかり、整理がつけづらい状況なだけに、考え方が絶えず負のスパイラルにはまっておられるのだと思うのです・・・。「逃げ」に走るのではなしに、「個別化していく」ことで一つ一つの問題と向き合い、一つ一つを浄化していく方向で考えていけると良いのですが・・・。そのための書き出し場所としてこのスレを存分に利用されていかれれば・・・と思います。(愚痴のように吐き出していかれることで、明確化していって、より整理もつけやすくなるのかもしれません)
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Re: 生きることが虚しい ( No.21 ) |
- 日時: 2012/04/11 21:33 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- よしおさん、ご丁寧なお言葉、痛み入ります。
ここまで具体的、建設的なアドバイスをなさって頂けることに、心から感謝致します。 よしおさんは、カウンセラーさんのご経験でもおありなのでしょうか。
私は昨年、母の闘病中、次々に積み重なる苦しさに耐えきれず、何度も心療内科や、精神科にお世話になりましたが、内科医や精神科医と話していても何一つ良くなりませんでした。ただ抗精神薬を処方される為だけに行っていたようなものでした。 いくら薬を飲み続けても、一向に気持は改善せず、それどころか、薬が身体に悪い変化をもたらした事もあり、精神科に行くのはやめました。
これからも耐えられない時、書きこませて頂きます。 このサイトに感謝します。
おやすみなさい。
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Re: 生きることが虚しい ( No.22 ) |
- 日時: 2012/04/12 20:52 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。マイコ―さんのご気分もいくらか落ち着かれましたでしょうか?・・・どうか無理はなさらないでくださいね。
自分(よしお)は、カウンセラーについての勉強はしたことがありますが、実務経験は皆無です。・・・恥ずかしながら、自分の意見ばかり述べてしまい、マイコ―さんのお気持ちに沿えていないところも多々あるかと思います・・・。お気に障りましたらご指摘いただけますと、自分もより気を引き締めてお話を伺っていきたいと思います。遠慮なくおっしゃってくださいね。
お母様のことで、マイコ―さんへの精神的プレッシャーは計り知れないものであったと思われます・・・。それゆえの向精神薬の処方だったのでしょうが、マイコ―さんのようにご自分のことをしっかり見つめておられる方にとっては、服薬は「百害あって一利なし」の状態であったのでしょうね・・・。(聞いた話ですと、医者によっては話もおざなりに聞いて、薬を出すだけのところもあるようですので・・・)
マイコ―さんはご自分の思いつくままにお話しされたほうが、早く気持ちの整理に向けて進んでいかれると思います。・・・今においてはいろいろと責め立てられて「地獄の苦しみ」に感じてしまわれるでしょうが、それをいくらかでも和らげるためにも、思いのまま・ありのままに気持ちを書き連ねていただければ・・・と思います。自分もできるだけお話を伺って、マイコ―さんのお気持ちが少しでも楽になっていただけるよう、尽力してまいりたいと思います。
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どうもです。 ( No.23 ) |
- 日時: 2012/04/13 16:43 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 私は、昔から、悩み体質で打たれ弱い自分を救おうとして、様々な本を読み漁ったせいで、耳年増になってしまった。
苦しいがゆえに、心についてのにわか勉強をした結果、人の言葉や行動の裏ばかり読んでしまう、という、悪い癖が付きました。
その結果、精神科医と話していても、頭が計算ばかりするのです。 あぁ、ここでは、こう言ったほうが良いな、とか、こう言って欲しいかな、とか、・・・余計な雑念が入り、純粋に先生とコミュニケーションが取れない感じです。挙げ句、本当に自分が分からなくなる。
精神科に初めて行った時から、何か、台本通りに喋ろうとするような自分がいて、あぁ、これは自分には無理だな…とすぐに感じましたが、それでも、藁にも縋りたいので、暫らくは通いました。
でも、あの時はあの時で、誰かに自分の思いを吐き出すという事は、とても重要なことでしたから、通った事は全く無駄だったとは思っていません。
私がいつも疑問に思うのは、精神科医や、カウンセラーの方達は、ご自分に苦難が降りかかった時、それを抱えたまま他人に優しくアドバイスができるのか、ということです。それが出来る人にしかなれない職業なのかもしれませんが。
私の場合、自分に余裕が無ければ、なかなか人の相談にはのれません。
自分に余裕がある時は、苦しむ人さまの心配をして、何とか力になりたい、と思います。 なぜ、人を救いたいと思うのに、いざ、自分の事になると全くダメなのか。 ノウハウが、絵に描いた餅になってしまうのか。 素直さが足りないのかもしれません。頑固。聴く耳を持たない。結局エゴが強いのでしょう。
そのエゴのせいで、母に対して大きな後悔を残すことになった。
この、地獄のような辛さを招くとちゃんと分かっていても、あの時点では、自分の利益を優先した。母を丸ごと受け止められなかった。
今のこの苦しみは、紛れもなく自分が選択したもの。
それなのに、助けてくれだの苦しいだの、虫が良すぎます。
やはり何もかも虚しいです。 生きて苦しまなければ母に罪を償えない、という気持ちがあるので、積極的に命を断とうとはしませんが、眠る前に「明日目覚めなければどんなにいいか」、と、どうしても思います。 自分の中に光が見えるのは、その瞬間だけです。
現実を生きていません。浮遊感ばかりです。
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Re: 生きることが虚しい ( No.24 ) |
- 日時: 2012/04/13 21:03 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。「耳年増」のお話、とてもよくわかります。・・・自分も苦境に立たされた時に縋るように、あらゆる書物などに触れて何とか前向きな気持ちを手に入れようと躍起になります。・・・けれども心の奥底に響かずに、現実において適用できずに打ちひしがれてしまうことが多々あるのですよね・・・。
精神科医とのやり取りにおける「頭の計算」も、知恵がつくことで素直に自分をさらけ出せずにどうしても「作って」しまうのでしょうね・・・。ただ、それを見切れないようであれば、その精神科医の「資質を疑う」だけであって、マイコ―さんに責任はないと思いますよ。様々なアプローチをとって「マイコ―さんの本心を引き出す技量」が精神科医には求められているのでしょうから。
たとえ計算が加わろうとも、どんどん解きほぐすように話を重ねていって、次第に本心がポツポツと湧きあがっていって、そのうえで整理をつけていってマイコ―さんご自身が腑に落ちる感覚が大切なのだと思います。・・・残念ながら以前においてはそこまで行き着かなかったようでしたが、少しでも実感として「吐き出せて良かった」と思えたなら、この場においてでも、リアルにおいてでも整理化はされずとも思いのままに書きつくすことで「点から線へ」変貌していって、これまでとは結果も違ったものになるのではないでしょうか?
・・・あくまでも自分の考えなので恐縮ですが(また自分(よしお)のことでもありませんが・・・)、「カウンセラーたる者は自分自身がありとあらゆる苦難を経験しているからこそ、似たような経験をしている他者に寄り添う能力がある」と思います。自分自身の経験に照らし合わせて「相手はこういう思いなのではないか?」ということを想像し、それに当てはまるような言葉がけをする・・・。それは必ずしもそのカウンセラー自身が確固たる強固な意志を持って、何でも乗り越えて心の余裕があるから対応する・・・ということではなく、たとえ心に余裕はなくとも「相手に共感できる」との動機で相談に乗る・・・といった姿勢でも十分なのだと思います。そのことで自分自身にも解決策が見出せていくような、「相互作用」が生み出されることもあるのではないでしょうか?(自分が辛いのに、無理することは禁物ですが・・・)
ただ相手に共感するだけならまだしも、アドバイスなどのように技術面におけるアプローチに関しましては「専門知識」が必要になってくると思います。(・・・やはり相手の捉え方如何によっては、解決があさっての方向に向かってしまうなどの危険も介在しますので・・・)
マイコ―さんの「人を救いたい!」とするお気持ちは大変立派であると思います。・・・ですが現状においてはご自身の心のことで手いっぱいであるだけに、全エネルギーを自らの心に向けられているのだと思います。いかにご自身の問題とは言えど、そう簡単に解決策が見つかれば苦労はしませんよね・・・。それだけの時間が必要であることだと思います。
また、そのようにマイコ―さんの心の容積はすでにいっぱいいっぱいになってしまわれているにもかかわらず、お母様への「罪悪感」などで心の容積が今にも溢れんばかりになってしまわれた・・・(極論すれば、死すら厭わない気持ちになられるほどの・・・)。その苦しみを和らげるための「助け」だと思いますので、ご自身の心が納得のいくように「罰」として受け入れつつも、気持ちに整理をつけていかれて「罰とは全く別の答え」を見つけ出していくものなのかもしれません・・・。
いずれにせよ、思いつくままに書き出されることが建設的な考えを生み出し、生きて「光」を探し出されるためのひとつの手段なのだと思います。・・・ただ、今はまだまだ現実感が希薄であると存じますが・・・。
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Re: 生きることが虚しい ( No.25 ) |
- 日時: 2012/04/14 18:15 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 共感。
そうです。 共感が欲しい気持ちが強いです。
私と同じような経験をした人がいたら、その人と思う存分話してみたい。 そして共感を得たい。
親を亡くした悲しみを乗り越えた人の経験談を探してみる事もあります。 辛いのは私だけじゃないという当たり前の事を知るだけでいい。 人の辛さを見てホッとするなんて、これは人間として卑しい感覚なのか、と思う事もあるけれど、「同病相哀れむ」、という言葉もあるくらいなので、辛い時に同じ経験をしている人を求めるのは、人間に共通した感覚なのでしょう。
今のこの経験が私に与えたものがあるとすれば、それは本当の意味での『慈悲』の気持ちが作られつつあることかも知れません。
母の死以後、事故や事件で死亡ニュースを見ると、即座にその亡くなった方の”家族”に思いが行くようになりました。以前も、亡くなった方や家族に同情はすれど、今と違って本当の意味での痛みなど、全く分かっていなかったのだ、と実感しています。 今はまるで、自分の事のように受け止めてしまい、涙が出ます。
「人は悲しみが多いほど人には優しく出来る」 ……という歌詞がありますが…。
共感したくて、介護のサイトなどを覗いても、私と全く同じ経験の人は勿論いないし、親を失う辛さは同じでも、たいがいの人は、自分の全てを捨てて、一定期間、親身に親を介護して看取った方が多く、あぁ、やっぱり私は最低だ、…と、余計に自己嫌悪に苛まれることが多いです。
今日は、図書館で五木寛之さんの『悲しみの効用』を借りて来ました。
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Re: 生きることが虚しい ( No.26 ) |
- 日時: 2012/04/15 00:50 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。「共感」を得るのであれば、やはり似たような境遇を経験された方々の集いで、グリーフケア(悲嘆回復)を目指していかれると、辛さや哀しみが和らいでいくのかもしれませんね。
全く同じ境遇・・・ということはあり得ないかもしれませんが、それぞれにそれぞれの苦悩や哀しみがあり、自らの気持ちを「癒していきたい・・・」との想いは、誰しも共通にお持ちであると思います。
もしかしたらすでにご存知かもしれませんが、下記に死別体験の分かち合いに関してのURLを貼り付けておきます。(金銭も絡むところですので決して推奨するわけではありません)あと、死別における心の持ちように関してのURLも貼り付けておきます。(読んで上滑りするようでしたら、スル―していただいて結構です)
http://www.seitosi.org/index.html 生と死を考える会
http://www.asahi-net.or.jp/~kx5n-kgym/frame.htm 愛する人を亡くした人の為の100の言葉
・・・身を切るようなお辛い体験をされたマイコ―さんのレス文章にも、言葉の端々からご自分なりに咀嚼されて「慈悲」や「我が事のように受け止める気持ち・痛みを知る」・・・などなどが徐々に芽生えていらっしゃるのだと思います。それらは果たしてマイコ―さんにとって無意味なものでしょうか?また、他人の境遇とご自分の境遇を比較してみても、何か得られるものはあるのでしょうか?
五木寛之さんの『悲しみの効用』は自分もまだ目にしたことはありませんので、今度機会があれば読んでみたいと思います!そうした書物の数々は、劇的な効果を与えてくれるのではないけれども、弱りきった心に活力を与えてくれるのだと思います。自分も共感できる文章はメモに取るなどして色褪せないように何度も読み返しています。
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Re: 生きることが虚しい ( No.27 ) |
- 日時: 2012/04/15 13:20 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- よしおさん、取り急ぎ、お礼申し上げます。
よしおさんがお教え下さったサイトの、中沢憬さんという方の「100の言葉」、とても胸に沁みます。
これからの自分の救いになってくれそうな言葉が溢れています。
「生と死を考える会」については何度かサイトを覗きましたが、余り積極的になれませんでした。
・・・・・これから実家に行ってきます。
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Re: 生きることが虚しい ( No.28 ) |
- 日時: 2012/04/15 18:40 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。少しでもマイコ―さんのお役に立てたのならば幸いです!中原さんの言葉には、そこまでの経験がない自分においても、とてもためになる言葉の数々が掲載されておりましたので、大変勉強になりました。
他の会合に関しては、感覚的に「合う・合わない」もありますので、無理にどうにかしようとされずとも大丈夫だと思います。マイコ―さんご自身がしっくりくるものが何よりも大切なのだと思いますし。
本日はご実家の方に行かれるのですね・・・。お母様のことでいろいろと思い出されて苦しい思いをされるかもしれませんが、現状においてはまず真っ先にお母様の闘病時のことがフラッシュバックされると思うのですが、想い出の品々に触れることで少しずつ、お母様が生きていた時の、幸せな場面回想へとつながっていかれると良いですね(中原さんの文章にもありましたが)。客観的に、これだけ実の我が子のマイコ―さんに愛されていたお母様は、とても幸せでいらしたのだとひしひしと伝わってまいります。
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Re: 生きることが虚しい ( No.29 ) |
- 日時: 2012/04/16 22:31 (asahi-net)
- 名前: マイコー
私が、毎週末実家に行くのは、一人で暮らしている老父の様子を見に行くのが主な目的です。 父は、割とマメで、綺麗好きでもあるので、平日は何とか一人で家事をこなしてはいますが、そうは言ってももう、歳も歳だし、健康体でもないので、本当は、一人にしておくべきではないと思います。
でも、何人も子供が居ても、皆、自分の家庭と仕事が優先で、母の闘病時もそうだったくらいですから、ましてや母が居なくなった今、父一人の生活を気にかけてくれる者は、情けないけれど、誰も居ない状態です。
うちの親は、何故こんなに冷たい子供ばかり持ったのかと、母が倒れてからは、そのことも、折にふれ私の心の大きな苦しみでした。 子供を否定すれば、親を貶めるのとイコールだと思うので、それはなるべく考えないようにしたかったのですが・・・。
兄弟皆で分担して親を見守っていれば、私も母もこんなに苦しくないのに…。 他の兄弟と、母の衰えゆく姿を見守る辛さや哀しさを共有出来たらどんなにいいか…。 思いっきり、愛しい母への愛や、悲しみを吐き出し合えたら・・・・。
・・・・・でも、叶わない。価値観が違う。
今更兄弟を責める気持ちは全くありませんが、私が母に会いに行けない時も、せめて順番にでも誰かが母の所に行っていてくれたなら、あんなに苦しまなかったのも事実です。
でも、誰にも無理強い出来ないし。
私が泣き言を言えば、兄弟の負担になるから、一人で悶々と心の中で、みんな冷たくてごめんね…、と、母と父に詫びては泣いていました。 みんな忙しいんだ・・・・。 私が余りにウェットなだけなんだ。ドライでいけない訳じゃない。 それに、ほかの兄弟だって、忙しいだけで、別に薄情な訳じゃない、それぞれがそれぞれなりに、心の中では渦巻くものがある筈だ…後悔もある筈だ…。
本当に、母が倒れてからは、取りとめなく、自分を取り巻く色々なことを考えてきました。
母が亡くなってからは、純粋に、母への罪悪感や喪失感に辛さが集約しがちですが、それ以前には、こうした家族をめぐる様々な葛藤も自分を苦しめる材料でした。
こんな葛藤をするくらいなら、いっそ、一人っ子の方が良かったのかも、・・・・・とか感じる瞬間も。
でも、兄弟を否定するのはとても嫌です。親を否定することに繋がるから。
だから、いつも、自分は基本的には一人っ子だ、というような感覚でいました。
今、父が一人になり、母への事と同時に、その離れて暮らす父についても毎日思います。
本当は、母の事でいつまでも悲しんでメソメソしている場合ではないのです。
でも父の今後については、兄弟皆で考えることでもあり、父が何とかやってくれている今の所は、私の出来る範囲で父の心配をするくらいしか出来ていません。
みんな、よく放っておけるなぁ・・・・。 そんな気持ちが湧く時が嫌です。自分から兄弟にアプローチする自信も勇気も無いです。私は兄弟の中でそういう立ち位置にいます。
私だけが、人一倍マザコンであり、またファザコンでもあるので、自分がやらずにいられないから勝手にやっているのであり、自分だけが何故?・・・・という気持ちになる事は不思議なくらい無いです。
こんなに苦しんでいるのに、放っておかれる親が不憫に感じた時だけ、(本当はこんな風に思う事は傲慢で、親に対して失礼な話なのでしょうが)、もう少し気にかけてくれたらいのに、…と思ってしまう感じ。
今は勿論、父への心配より母への苦しい思いが勝りますが、日に何度かは、父が流しで茶碗を洗う寂しげな後ろ姿を想像しては、胸が締め付けられます。 これも、想像しすぎなのはよく解かっています。 私は常に、自分の物差しで人の気持ちを勝手に推し量っては、過剰に心配する性質です。
こんなに心配なのに、実家の父の元へ、何もかも捨てて、思い切って移る勇気も無い私。 また自己嫌悪。 父もまた、いつか母のように居なくなる、と思うと、苦しくて怖くて、もう、自分がおかしくなりそう。
・・・恥ずかしながら、私の背景には、問題、課題が山積です。
ダメすぎます。
マーブル模様のように入り組み、渦巻き、次々に押し寄せる痛みの波を何とか乗り越え乗り越え、刻一刻を生きています。
今回もまた摂りとめなく吐き出してしまいました・・・。
p.s 昨日は、母の遺品には特に新たには触れませんでした。 ただ、父の為に掃除や洗濯や炊事をし、その後、ゆっくり、母の仏壇のお世話を心静かに行いました。 母は、確かにあの家の父の傍に居ると思えます。
苦しいけれど、明日もまた、なんとか乗り越えてみます。
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Re: 生きることが虚しい ( No.30 ) |
- 日時: 2012/04/16 23:45 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。マイコ―さんが様々な状況に葛藤されておられる様子が、ありありと伝わってまいりました・・・。そして自分が素直に感じました気持ちとして、マイコ―さんはとても親思いな方である・・・という認識をより一層深めました。
・・・ほかのご兄弟の方に対してもただつらつらと恨み事を述べるわけでなく、忙しさなどに関しても慮っておられ、けれどもどこかドライに感じてしまわれるお気持ちも湧きあがってこられ、葛藤されてしまう・・・。心情的にとてもよくわかります・・・。マイコ―さんは必死で理性を利かせて、ご兄弟を貶める=親御さんを否定する・・・ことから考え方を遠ざけておられる。・・・とても苦しい心境だと思います・・・。
マイコ―さんの気質がそうであり、より以上に親御さんのことで抱えるお気持ちが大きくなってしまわれているのだと思います。・・・そういった部分はなかなか自分の意思で変えようがありませんよね・・・。ただ、それだけ親御さんのことを気にかけておられる証であるとも思いますので、「見ないフリをする」というよりはよほどご自分らしく在れるのではないでしょうか?(のしかかる重みも大きくなってしまうかもしれませんが・・・)
・・・お母様のことでの心の苦しみも大きく大変だとは思うのですが、どうかマイコ―さんにとって無理のない範囲で、マイコ―さんらしくこれからもお父様のことも気にかけてあげてください。お母様を亡くされた身を切るような痛みを実感しておられる分、ご存命のお父様に対して無償の愛情を注いであげてください。・・・先々、確かにお辛い思いをされる日がやってくるでしょうが、「今この時」においてはお二人にとって「永遠の時間」なのだと思います。そしてお父様の傍におられると感じられるお母様の存在も・・・。マイコ―さんが抱えるお母様に対する後悔を、今を生きているお父様に向けた愛情に変えていくことで、少しずつでも癒されることにはならないでしょうか?
「明日」に向けて乗り越えていかれること同様、「今現在」を大切に、やるべきことをこなしていかれることで未来に関する不安も薄まって、「今が永遠の時」として、刻まれていくのではないでしょうか?どうかお父様を大切になさってあげてください。
問題・課題に感じておられることは一つずつ書き出していって一つずつ整理していき、不安解消につなげていかれれば・・・と思います。漠然と心の中にとどめておき続けると、先の見えない闇となって、いつまでもいつまでも苦しめられてしまいますが、個別に明確化させていければ対策も立てられると思いますので。どんどん吐き出してしまってくださいね。
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Re: 生きることが虚しい ( No.31 ) |
- 日時: 2012/04/17 22:45 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- よしおさんのお言葉通りです。
五木寛之さんの『悲しみの効用』の中に、心の中に渦巻く悩みを、敢えて”客体化”させる事で乗り越えていきやすくなる、というようなくだりがあり、私もその発想は腑に落ちる感じがしていました。
本当は私も、辛いから、心に蓋をしてなるべく現実を見ないようにした方がラクかも、と思う部分がありましたが、そうしていると、急に大きなフラッシュバックが訪れた時に、衝撃が余りに大きいのです。
その事を本能的に学んだようで、近頃は、辛さから逃げるのではなく、敢えてそれを直視し、泣いても叫んでもいいから、向き合い続けてきたような気がします。
常に準備運動をしている、という感じに近いですね。
僧侶の小池龍之介さん流になると、その逆で、今この瞬間だけに思いを集中し、それ以外は考えない、…となるのですが。 一時期、母が闘病中に、余りに苦しくて逃げずにいられなくて、その方法を取った事もありました。
これから、もしかすると、またその方法のお世話になる日が来るかもしれませんが、今は、母が必ず私の問いかけを聞いていてくれると信じているので、辛くても、母をずっと、意識に留め置きたいです。
それから私は、自分を優しいと思ったことはないです。 ただ、よ
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Re: 生きることが虚しい ( No.32 ) |
- 日時: 2012/04/17 22:58 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- ↑からの続きです。
ただ、弱虫で、エゴイストなだけです。 親の心配をするのも、親の寂しい姿を想像すると自分が辛いからです。 とにかく、常に、母が辛い思いをしているのを見るのが嫌でした。 昔から、親と「同化しやすい」性質でした。 自分が辛いから、愛する親には幸せでいて欲しい。それだけです。 結局自分が可愛いのです。
兄弟は、皆、個性は全く違えど、基本的には優しい人間なのです。 ただ、兄弟同士、お互いのコミュニケーションが取れづらい関係なだけです。
母と父が、ちゃんと子供達を愛してくれたから、それぞれ一人立ちして自分の子供達と幸せな家庭を作る力が育まれたのだと思います。
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Re: 生きることが虚しい ( No.33 ) |
- 日時: 2012/04/17 23:50 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。五木さんの文章にも、マイコ―さんにとって腑に落ちるくだりがあったのですね?・・・自分(よしお)自身も矮小な悩みがありますが、辛く、苦しい世の中を生きていくにあたって様々な文献などを通じて、必死に「生き易さ」を探し、当てはめてみます。・・・その時々の気持ちの変遷でなかなか見解が統一化しませんが、ありとあらゆる情報を仕入れて、自分の心の中で折り合いがつくような方法を、これからにおいて日々模索していくほか術がないのかもしれませんね・・・。
・・・確かに蓋をしておいたものがある時突然!・・・ということはままあり、かえってその都度「フラッシュバック」という、激しい荒波にもまれるような実感を受けるかもしれませんね・・・。それを本能的に悟られ、向き合うことで、どちらにしても傷つくことではあっても「予め痛みに慣れる」観点においてマイコ―さんは実践されておられるのだと思います。
・・・とはいえ、その痛みもあまりに激しいと慣れるどころか悲鳴を上げてしまいます・・・。ですので、決してお一人だけで無理をなさらずに、そんな時こそこうした場を利用して吐き出してしまい、痛みを最小限度に抑えていっていただければ・・・と思います。
小池さんの方法も、マイコ―さんの心に無理のない範囲でその時々において心の中で実践していかれ、「合わないな・・・」と感じられましたら別の方法を模索されていかれてはいかがでしょう?・・・一つのやり方に固執されても、うまくいかなかったときに湧きあがってくるのはひたすら「絶望感」だけになってしまうと思うのです・・・。マイコ―さんの気分の変遷によって「その時々に合致する」考え方を適用させていけば良いように思います。
・・・何よりも悲しいのはお母様が苦痛に苛まれた時ばかりではなく、お母様とマイコ―さんが共に歩んでこられた幸せな日々すらも忘却の彼方へと追いやってしまうことだと思います・・・。今においては日も浅く、苦痛に満ちたお母様ばかりがまず浮かびあがってこられるでしょうが、いつの日かその比重が逆転し、なおかつお母様のこともいつでも思い出せるように覚えておかれることで、「心の中での対話」もいつでも好きな時に可能になるのではないでしょうか?
・・・どんなにマイコ―さんが「自分が可愛いから・・・」と思いになろうと、お父様やお母様を愛し・愛されるがゆえの深い情愛であることに変わりはないと思いますよ。その事実は決して褪せることはないと思います。ほかのご兄弟の方々もそれぞれの思いをご両親に対して抱いておられると思います。気持ちの変遷により、その都度抱く感情も変わってくるとは思われますが、それでもやはりマイコ―さんご自身がご兄弟に対して理解されておられる根本は、同じように褪せることはないのではないでしょうか?
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Re: 生きることが虚しい ( No.34 ) |
- 日時: 2012/04/18 19:23 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 毎回、明晰に、私の取り散らかした心理を整理して、キチンと文章で明確化して下さるよしおさんには、本当に感謝しています。
我がことながら、「そうそう」、「あぁ、そういう言葉で表現するのがピッタリだ…」と、いつも感動しています。
余りの素晴らしさに、よしおさんは何かしらの文筆業をなさっておられるのではないかな、と感じています。
このサイトに思い切って投稿するまでは、毎日、外出時に精神科と心療内科の診察券を持ち歩き、その医院の前を通るたびに、今日こそ入ろうか、どうしようか、・・・・と、悩む毎日でした。 日々、寝る前に、「明日こそ受診しよう」と、まるで、受診すればこの苦しみが消えて無くなるかのごとく、それを救いのようにして布団に入る日々でした。 とにかく、誰かに思い切り自分の心を話したくて仕方がなかった…。 身近な人に泣き付けば心に負担をかけるだろうから、自分と全く利害関係の無い人がいい…。
例えば、また以前のように精神科に通っていたとしても、よしおさんほどには親身になって貰えなかったと思います。 これほど、隅々まで、痒い所に手が届くようなアプローチをして頂けるなんて、まさしく地獄に仏、と感じています。
私は何故か、自分の心の形をちゃんと把握しておきたい性質みたいです。 いつでも、自分の胸に生じた思いを、なんとなく受け流す事が出来ないから、些細なことでも大ごとになり、「お前は考え過ぎ」と、よく兄にも言われてきました。
面倒な性格だな、と思います。
・・・・今日もまた、買い物途中に目にするあらゆるものは、不思議なくらい全て母へと結びつき、自転車で春の風を切りながら「おかあさん!ごめんね」と泣きました。
自分の身体の母にそっくりな部分を見れば辛い。 母の好きな草木を見れば辛い。 母の好きな食べ物を見れば辛い。 水を欲しながら逝った母を思うと、自分だけが食べるのも飲むのも罪悪感。 お風呂に入るのも肩身が狭い思い。
それでも、こんな気持ちを受け入れながら、その度、軽い吐き気を飲み込みながら何とか生きています。
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Re: 生きることが虚しい ( No.35 ) |
- 日時: 2012/04/18 23:31 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。いえいえ、自分なんかは何も・・・。マイコ―さんがうまく汲み取ってくださって、ご自分で考えを咀嚼されながら懸命に前を向かれようとなさっている賜物だと思います。
お褒めいただき光栄です!どうもありがとうございます。文筆業・・・目指したいところではありますがなかなか・・・。 苦笑
悩みや苦しみはもちろん人それぞれであり、重いも軽いも比べようもありませんが、それでも気持ちが沈み込んで生きる気力を失っていく・・・という根源的な部分では誰しも似たようなもの(経験)があると思うのです。その自分自身が感じたものを、必ずしも同一ではありませんが「こうなのかな?」ということを相手に問いかけることで、「共感・共有できるのかな?」・・・と思った次第です。
マイコ―さんの文章は自分(よしお)にとって「似たような感覚」を感じさせていただくところがありましたので、レスさせていただきました。そして、こうしてレスを重ねていくことで、自分自身にとっても多方面における考え方の肉付けをしていって、強化されていることが実感できる、良い影響を与えていただいています!・・・悩みの中身の大小は人それぞれなれど、その悩みにおける考え方の変換としての相互作用は、自分(よしお)にとってとても良い方向に向かっています!本当にありがとうございます。
身近であるとなかなか悩みを言いづらい部分がありますよね・・・。言ってしまうことで、相手にだんだん重たく感じられて引かれていってしまうなど・・・。だからこそお互いに面識もなく利害関係のない、こうした掲示板で思いを吐き出してしまうことも、気持ちを楽にしていくために求められているツールなのでしょうね。今後もどんどん利用していかれて、マイコ―さんのお気持ちを少しずつでも楽にしていってくださいね!
マイコ―さんは確固たるご自分(の考え)をお持ちの方で、ご自身の心の在り様を有耶無耶にせずに、きちんと明確化される方なのだと思います。それによって「個」の確立が進む反面、確かにある部分で考えに縛られて「行き止まり」で立ち止まってしまう感覚もあるかと思います・・・。それを「面倒な性格」と評されておられるようですが、考えをやめることで、かえって「何も得られない(学べない)」ことのほうが苦しくなってしまわれるのではないでしょうか?
ありとあらゆる書籍に目を通されて、考え方を吸収して生き易くなるようにしていきたい!・・・と思われるのも、そうしたことが根本にあるのだと思います。・・・人間として生きる以上、絶えず考えを強要されるのはある意味「宿命」なのかもしれませんね・・・。個人差はありますが、けれども「考えることは無駄」などということは絶対にないと思います。苦しみ抜けば抜くほど、人間としてより磨かれていくのではないでしょうか?
マイコ―さんのお母様への気持ち、申し訳ない気持ちが大きいかもしれませんが、それだけ懸命に向き合っておられるのだと思います。苦しみつつも日々少しずつ受け入れながら、吐き気がする思いを抱えながらも着実に一歩ずつ進んでおられるのだと思います。それだけ今なおお母様を愛されておられる証なのだと思います。
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Re: 生きることが虚しい ( No.36 ) |
- 日時: 2012/04/20 18:19 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 何かを見ると、なんでも母につなげる。
母が倒れてからの、ここ2〜3年の事故や事件を振り返る映像などを観るのは、凄く辛い。 その時に母はどう過ごしていたか、という記憶が瞬時に脳裏に浮かび、息苦しくなる。 実家のベッドで横になる母と一緒に、このニュースを見たな、…と…。 その時の、母と二人で居る部屋の雰囲気までもが生々しく脳裏に再現され、同時に、芋蔓式に、それに付随する母の様々な記憶が私を包み、しばらくは身を固くしてしまう。 病と必死に闘っている母と、倒れる前の母とは、私の中でまるで別の人のよう。 どちらも同じ母であるのに。 元気な頃の母を今思い出しても、闘病中の母を思い出す時ほどには苦しくない。 母が必死に闘った場面の一つ一つがいとおしくて これは、『不憫『憐憫』という感覚なのか。 『かわいそう』という気持ちを持つのは相手に対して失礼で傲慢だと何かで読んだ。 そうかもしれない。私は確かに傲慢だから。
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Re: 生きることが虚しい ( No.37 ) |
- 日時: 2012/04/20 18:43 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 病魔と闘い痩せ衰えてゆくッはを可哀想と思うのは、野良猫が不憫だから餌をやる、というのと基本は同じじゃないか…?
確かに私は、のら犬や野良猫を見かけると、不憫で仕方なく、見かけるだけでどうしようもなく胸が苦しくなる。 子供のころから飼っていた猫が死んだ時は立ち直れず、20年経った今も、他の動物を飼う気にはとてもなれない。20年経った今も思い出して泣く事がある。
僧侶曰く、生老病死は世のならい。 人の衰え行く姿も、ただの一つの現象としてだけ捉えれば、悲しみ溺れずに済む。 「あぁ、この人は世のならいとして、いま、死にゆこうとしているんだな」
悟りを開いた訳でもなく、そんな、理屈どおりにいかない。 感情を無視して蓋をする、という感覚に違和感をどうしても感じてしまった。ごまかしじゃないか、と。
感情を無視してしまう、という所に違和感があるのかもしれない。
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Re: 生きることが虚しい ( No.38 ) |
- 日時: 2012/04/21 01:41 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。マイコ―さんには、お母様が必死に闘病された姿が脳裏に焼きつき、苦しさばかりではなく愛おしさや慈しみにもつながっておられるのですね?
お母様のお姿に対して「かわいそう」という感情を持たれるのを否定されても、根源的な純粋なる感情であるのでかえって苦しくなってしまわれるのではないでしょうか?・・・理屈ではないと思うのです・・・。浮かび上がるありのままの感情に対して何がしかの意味を持たせよう(傲慢など)としても、頭の上では理解はできても心がそれに追いつかないのではないでしょうか?
また、お母様と野良犬・野良猫との比較論を持ち出されていますが、それも根源的な部分での「かわいそう」の感情の湧出はあろうと、一緒くた(同じレベルで論じる)にして意味づけを求められても、全て一律化された結論しか出なくなってしまうのではないでしょうか?(極端な話、お母様と野良犬を同列に扱ってしまう・・・。けれどもそれぞれに思い出や関係性の重みがあり、それぞれに対しての哀しみが湧きあがってくるのだと思います。それは全く別個のものであるはずです)
ですので「かわいそう」とマイコ―さんが相手を思われる気持ちは、ご自身が相手の苦しみを自ら体感できないことからくるもどかしさであって、相手の「死」・「存在消失」という事象に対しての極度の恐れからなのだと思います・・・。それは決して悪いことではありませんし、否定すべきことでもありません。そのありのままの感情を無理に意味づけなさろうとする(同じように不憫だからなのでは?・・・と)のではなく、今はまだお辛いかもしれませんが、その根源的な個別に抱く感情に触れて時間をかけて少しずつ受け入れていくことが、個別の相手に対して持つ感情としてくっきり浮かび上がるのではないでしょうか?
・・・現象の話も、あくまで「頭での理解」であって、「心・感情」においてはそう簡単に割り切ることはできないと思います・・・。ですのでマイコ―さんの抱かれた感覚は、ご自身の正直なお気持ちとして正しいのだと思いますよ。・・・ただ、ありのままに感じようとしても、事実が事実として重く・大きいものなので、おいそれと受け入れる心構えがまだ確立していない・・・ということはあるかと思います。それを「逃げ」と断じてしまうとやはり苦しくなってしまいますので、時間はかかろうと、少しずつ受け止めていくお気持ちさえあれば十分なのだと思います。
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Re: 生きることが虚しい ( No.39 ) |
- 日時: 2012/04/25 19:43 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 何かしたいけれど一歩が踏み出せません。
まだまだ、行ったり来たりですが、お陰さまで、母への思いを胸の真ん中に抱えて生きる自信は、少しずつ出てきたように思います。 でも、心が果てしなく虚しく苦しく、息苦しい日々です。
何か、少し外に出て見よう、と思うのですが、元々の資質が出不精なので、一歩がどうしても踏み出せません。
地元のボランティアのような活動でも、と思うのですが、私は人と親しく交流するのが苦手です。
情けない事に、新たな人間関係を築くのが、怖い、というか、人との距離が縮まるのが面倒なのです。
元来、一人で居るのが好きなのです。 学生時代の親友数人以外、連絡を取り合う知り合いは居ない人生です。 その連絡さえも、この数年殆どしていません。
元気な頃、電話をし合ったり、買い物に行ったり、・・・・母だけがいつも私を構ってくれていたんだ、と、改めて実感しています。
この、私の、「何もかも面倒」というのは、母の事とは別に、もう、ここ数年、自分の悪しき特徴です。
ノンベンダラリと家事だけをして、食事の買い物以外は家に引きこもって、読書だけして過ごしてきました。
よって、母の闘病期間は、私にとって、降って涌いたような生活の変化でした。
母を亡くした苦しみの中で、私はまた、完全なる引きこもりに戻ろうとしています。
心の中には父の事があるので、何か始めるにしても、他人様のボランティアをする余裕があるなら、自分の父親の方が先だろう、と思うのも事実です。
とにかく何を考えようとしても頭がまとまらず、もうどうでもいいや、明日、目覚めなければいい、・・・・と、それだけを一縷の望みとするような投げやりな気持ちになります。
やはり、私は心の病気なのかな…と考えてしまいます。
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Re: 生きることが虚しい ( No.40 ) |
- 日時: 2012/04/25 21:08 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。「何かしたいけれども一歩が踏み出せない」・・・お母様のことはまだ気持ちにブレはあっても、マイコ―さんの心の中に整理をつけられつつあるのですね?着実に前に進まれておられると思いますよ。・・・ただ、「何かをする」にあたっての心構え・やりたいことが漠然とされておられるゆえに、心が虚しく・息苦しい感覚に縛られてしまう・・・。
「出無精である」・「人との交流が苦手」・「一人でいることが好き」などなど、本当に他人事には思えませんでした・・・。まるで自分自身(よしお)が書き込んだかのような錯覚すら覚えました。・・・お母様のことがあってなお、心が外に向けられることを拒んでいるところも少なからずあるのかもしれませんよね・・・。
自分自身(よしお)もそうですが、「(無理に)何かをしよう!」としても、心身ともついていかず、かえって苦しくなってしまう経験がありました・・・。「今のままではマズイ!」とのあせりもあるのですが、そこから付焼刃的に新たな事柄を導き出そうとしても、現実と理想の乖離より「何もかも投げ出してしまいたい!」とする衝動に駆られました・・・。自ら心を追い詰めてしまうのですよね・・・。
「何もかも面倒」というのをマイコ―さんの悪しき特徴と捉えておられるようですが、だからといって急激にその特徴を180°転換させようとしても、無理がたたってそうあれない自分自身に余計にダメ出しをしてしまい、苦しくなってしまいます・・・。今のままで問題無く生活が成り立つようであれば、無理にすぐさま何かを変えようとする必要はないように思います。
・・・かといって、今のままで「何もしない」でいるのも、それはそれで虚無感に襲われてしまうのですよね?であれば、マイコ―さんの「自分の気質」を認めつつ、その上で何か「やりたいこと探し」を進められてはいかがでしょうか? つまり、「出無精である」のならば、無理に外に出て何かをするのではなく、家の中で取り組めることをする(一例としまして・・・すでにされておられると思いますが、読書で見識を深められたり、ちょっとした仕事である在宅ワークに取り組んでみられるなど)。
「人と交流するのが苦手」・「一人でいるのが好き」であるなら、無理にそうした機会を設けようとするのではなしに、お一人でも落ち着けるような、何かしらの取り組みを探してみることも一つの手かと。(人と接しなければ見栄えが悪い・・・などのお気持ちがあるようですと、そのことありきの考え方に縛られてしまいますので、ますますやりたい方向性を見失って自分らしくなく感じ、苦しくなってしまうように思います・・・)
幸せにのんびり穏やかに過ごされていた中での、お母様のことはマイコ―さんにとって青天の霹靂であり、それだけに急激に様々な問題が噴出して受け入れるキャパを超えてしまわれたのだと思います・・・。このこともとても他人事ではありません・・・。(いつかは誰しも避けられない経験・・・という意味において)
ただ、どうか「マイコ―さんらしさ」を失われずに、これからにおいて生き易い・人生に張りが出る方向に向かっていただくことを願うばかりです・・・。家族を大切に思うマイコ―さんにはまだまだお父様もご健在でおられます。お母様への分の愛情も、これからはお父様に惜しみなく注いでいただき、そのうえでマイコ―さんのやりたいこと探しを目指していかれれば、少しずつ道は拓けていかれるのでは?・・・と思います。自分自身(よしお)、微力ながらも建設的に考えていける方向でお力添えできれば・・・と思いますので。心が病んでいらっしゃるのではなく、やはりまだまだお母様のことが大きすぎるゆえの心の苦しみなのだと思いますよ・・・。
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Re: 生きることが虚しい ( No.41 ) |
- 日時: 2012/04/25 22:02 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 本当にいつも有難うございます。
今のままで問題無く生活が成り立つようであれば、無理にすぐさま何かを変えようとする必要はない…。
…このお言葉、少し救いです。 …生活は、細々と平凡にですが、成り立ちます。でも、毎日、ウダウダしていることに自己嫌悪です。 子育ても仕事もせず、狭い世間だけで一生を終る。 何のために生まれたのか、…と。 5〜6年前までは、こういう人生で充分だ、と納得していました。 結婚するまでが苦しみの連続だったので、平凡なこの生活にどっぷりと浸かって、すっかり怠惰をむさぼってしまいました。
母が倒れる少し前から、何も建設的なことをしないで、…何一つ創造しないでこのまま死んでいく事に、人間としての虚しさを感じ始めていました。母にもそんな話を時々しましたが、夫婦で平和に暮らしているのは充分幸せなことだよ、とか、励ます事を言ってくれたりました。
今は、…子供も居ずに、世間が狭いまま、老後は孤独に死ぬのだとしか思えず、せめて少しでも知り合いを作っておかないと、…などという焦りもかなり生じているのも事実です。
いつまでもゆっくりしている余裕はない・・みたいな焦り。
父の介護が近くまで来ているかもしれない・・という焦りと虚しさ。 こんなに心配している癖に、兄弟を代表して、父を、正面から受け止めてあげる事が出来ない自分への嫌気。逃げてる。
どうしたらいいか。
心があっちこっちに飛んで、全く纏まりません。そして、「もうどうでもいいや」・・・・・。「どうせいつか父の介護をするんだし」・・・。
こんな考え方はダメです。
やはり、変化を極端に怖がる性格を根本から矯正しないと、どうにもならない気がします…。
取りとめのない話で済みません・・・・・。
何が何だかわからないです。 少し冷静に頭を冷やしたい・・・。
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No.0に対する返信 ( No.42 ) |
- 日時: 2012/04/26 02:21 (home)
- 名前: puwarinco
- > 最近母が亡くなり、今は何もかもが虚しい。
> > どうせみんないつか亡くなるじゃないか。 > > 今、元気な人もみんな、死に向かってカウントダウンしながら生きてる…平気な顔して。 > > どの命もいつか衰え消えてゆく。そんな当たり前の事実を、平常時には何も考えずに生きてる。 > > 今は、どんな行動も、何もかも虚しいとしか思えない。 > > 楽しそうに赤ちゃんを抱く夫婦とか、微笑ましく思っていた筈の現象を見ても、「そんなに能天気に笑って…」と、どうしようもない虚しさしか感じない今の自分。 > > 感動も無い、つまらない人間になってしまった。 > > 母に会いたい。母に会いたい。 > 罰当たりだと分かっていても、一刻も早く母の所に行きたい。行って謝りたい。 > 仕方なく生きてる今は、それだけが望み、希望の光。 > > > > > > > >
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Re: 生きることが虚しい ( No.43 ) |
- 日時: 2012/04/26 21:23 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。これから先の将来における、様々な心配事がマイコ―さんの中で湧出されて、整理がつかずに漠然としたモヤモヤ感を抱えておられるように感じられました・・・。ただ、それは反面、お母様のことに関してある部分で一区切りされて、ご自身の先々に目を向けられておられるから・・・の前向きな見方であるとも言えるのではないでしょうか?
そして「何かを始めなければ・・・」とお考えであることも、言い換えればマイコ―さんご自身の人生を有意義なものにしたい!・・・という欲求からなのだとも思います。それは「生きる意味」を求めることにもつながり、あせりは禁物ですが、その思いは先々プラスに作用すると思います。
・・・人生は絶えず「山あり谷あり」で、誰しもいつまでも永劫同じように平穏無事・・・ということはありませんよね・・・。いずれは乗り越えなければならない「試練」が、誰にも等しく平等に訪れるものです。そして辛く苦しい思いはしつつも、ご自分なりに考え・決断して乗り越えていければ、再び穏やかな心持になれると思います。建設的にしていくのは、これからにおいてでも十分に間に合うはずです!
・・・ただ、あまり先々のことを考えすぎても不安感ばかりが先立ってしまい、「今現在」を建設的に生きられなくなってしまいます・・・。老後のこと・その時の人間関係のこと・お父様の介護のこと・・・確かに将来に備えて意識をしっかりお持ちになって、事前想定して現実にそうなった時の心構えとして、仮に実際そうなったとしてもすぐさまそれに向けて気持ちは切り替えられるでしょうが、そのために「今現在」を犠牲にしても、その時になって虚しさは増すばかりだと思います・・・。
お母様のことで、考え尽くして「今現在」を過ごし、少しずつ気持ちに整理をつけていく心構えであるならば、それは将来にわたって活きるとは思うのです。・・・しかし起こってもいない事実に対して、常に不安の目を向けて過ごされても、それは建設的とは程遠く、「今現在」を棒に振ってしまうようなものだと思います・・・。ある程度の心構えとして備えはしつつも、必要以上に将来を恐れて今ある幸せをフイにされてしまうのは勿体ないことではないでしょうか?
ですのでマイコ―さんには「今現在の幸せ」を求めることを強くお勧めします。そしてそれが将来の幸せにつながるように取り組んでいくことも。それは例えば、マイコ―さんが何かしらご興味のある取り組みをされて、その取り組みより人間関係の幅を広げる・・・などです。それであれば無理なく、その興味のあることを通じて話も広げられますし、何より好きな取り組みであるから、先々にわたって自分に無理なく取り組んでいくこともできます。つまりは「今現在を充実させつつ、将来的にも幅が広がる」ということです。・・・今すぐ「何かを」とは考えずに、これからゆっくりと探していきませんか?
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Re: 生きることが虚しい ( No.44 ) |
- 日時: 2012/04/27 15:07 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- 私の無秩序な心の動きを、キチンと整理して下さって、本当に有難うございます。
なにか、一歩踏み出してみなきゃ、…という気持ちが、かすかにでも芽生え始めているのは確かですが、読書以外は全く無趣味で、惰眠を貪って生きて来たので、何も、興味ある分野が無いのが悩みです。 世間が狭い、ある意味苦労知らず、社会の波にのまれた事が無く、ただただ自分の中に閉じこもって、狭い世界の中で苦しみながら、その都度頭の中だけで自己完結したような気になっていた…。
すっかり好奇心の薄い人間になってしまいました。
今は、楽しみを探すというより、地域で何か、自分の負担にならない範囲で出来る事を、少しずつ探してみようかな…と思っています。
一歩を踏み出すのに莫大なエネルギーが必要です。何事も怖がり過ぎて、石橋を、叩いて叩いて、叩き壊して、しまいには渡れなくしてしまうのが私です。・・・・そして引きこもり・・・。
・変えられない事を受け入れる心の広さ。 ・変えられる事を変える勇気。
…昔から、この二つがいつも私の課題です。
母の遺品の整理も、逃げられない現実として、眼の前にあります。 考えるだけで眼を背けたくなりますが、何とか乗り越えなくてはなりません。受け止めるしかない現実です。
余談ですが、よしおさんの、人の気持ちをくみ取って的確な言葉に置き換え整理し、アドバイスなどを加えて、文章になさるその才能に、いつも感動します。 私は、言葉にしきれない気持ちが多過ぎて、いつももどかしい思いをしています。
有難うございます。
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Re: 生きることが虚しい ( No.45 ) |
- 日時: 2012/04/27 21:04 (dion)
- 名前: よしお
- こんばんは。マイコ―さんにお褒めいただき光栄です!ですが、そのように自ら整理をつけようと必死に努力なさっているのは、ほかならぬマイコ―さんご自身です。自分(よしお)はただ、感じたままに書きつくろっているだけですので、ご自身の底に眠る感覚を呼び覚まされておられるのは、すべてマイコ―さんの前向きなるお気持ちによるものです!
・・・惰眠をむさぼる・・・と感じるのは、誰しも持ち得るものだと思います。そこに気付けずに、無為に一生を終える方も少なからずいると思います。しかしマイコ―さんは内容はまだ不確定かもしれませんが、その「使命(やるべきこと)」に自らお気付きになり、今覚醒されつつある状態なのだと思います。そうであれば後は流れに沿って、探し出していく心積もりでおられるだけで、着々と方向性が見定められていくと思います。
この世には未だご自身で気付かない、様々な未知なる事柄がゴロゴロ存在していると思います。「自己完結の狭い世界」で終えているとお気づきになられた暁には、その世界の扉を自ら開き、新たな世界に勇気をふるって飛び込んでいけばいいだけの話です。気力や年齢的なことなども、それは狭い世界における言い訳であり、その思いを先立たせてしまうと何もかもが億劫と化してしまうのだと思います・・・。事前に下調べをするなどして自分にとって合う・合わないを見定めながら、恐る恐るでも一歩を踏み出していかれれば、自然と流れに身を任せる心持になれると思うのです。
マイコ―さんご自身のご決断であれば、地域でご負担にならない範囲でできることを探していかれるのも、それは心持として大きな第一歩です!もちろん、慎重に石橋をたたいて渡る姿勢は大切です。その上で、過去のご自身の性質を顧みながら、そこからも一歩踏み出して、石橋を叩き壊さずに(壊した経験を糧にしながら)渡ろうとする、その当時から漸進性ある姿勢を貫いていくことが大切ではないかと。
ご自身の大きな二つの課題としてしっかり挙げられておられるのであれば、あとはその課題を克服していくことに試行錯誤するエネルギーを注いでいくだけです。・・・そこが非常に難しいところだと思うのですが、課題として明確に浮かび上がっておられるだけに、「どうすれば良いのか?」を考えることに心血が注げます。(・・・課題すらも漠然としていたならば、そもそも何にエネルギーを注げば良いのかすらも浮かばずに、絶えず虚無感に占められてしまうと思いますので・・・)
お母様の遺品整理も、目を背けることのできない大切な事柄でしょうが、それでも真にマイコ―さんが心の底から向き合える時期が来るまでは「逃げ」という解釈には当たらないと思います。なぜならすでに「いつかは向き合おう!」とする心構えが形成されておられるわけですから。あとはご自身の課題同様、気持ちに整理をつけていくことに心血を注ぐ気構えでおられれば良いのではないでしょうか?
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No.0に対する返信 ( No.46 ) |
- 日時: 2012/04/28 20:29 (home)
- 名前: puwarinco
- 先日操作ミスで引用だけの書き込みになってしまいました。ごめんなさい。
お願いがあります。 お母さんの事大切だったと思うように・・・・周りにもマイコーさんのこと考えて大切に思っている人がいるという事を忘れないで欲しいです。 私達もそう願ってマイコーさんに書き込みしてます。 でも今はそう思っても・・・みんな理解してます。皆それぞれ頑張ってます。でも人って誰しも頑張らなくてもいい時もあると思うんです。 その合間にでも応援してる人がいること思い出してもらえたら嬉しいです。何よりも、お母さんが天国でマイコーさんのこと応援してると感じるのは私だけでしょうか。
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Re: 生きることが虚しい ( No.47 ) |
- 日時: 2012/04/28 22:35 (asahi-net)
- 名前: マイコー
- puwarincoさん、心からのお言葉、本当に感謝します。
胸にとても響きました。
このサイトにお世話になっているお陰で、次第に自分の心が整理されつつあると思います。勿論、まだまだではありますが・・・。
激しい苦しみの最中にいると、どうしても「自分」しか見えなくて、誰かに生かされている、心配してくれる人がいる、という事を忘れてしまいます。
苦しみもがきながら、ある瞬間、ポカンと、この広い世界に自分一人が佇んでいる感覚になって、退廃感が強くなって何もかもどうでもよくなる…。
そんな状態に危険を感じた事もあって、このサイトに吐き出させて頂きました。
母を失った悲しみや苦しみと、自分が出来なかった事への母への罪悪感から目を背けず、心に蓋をせず、何もかも吐き出す事で、次第に心が整理されて来たように思います。
本当に、見守って下さった皆さんには感謝しています。 まだまだ自分への課題が山積ですが、気持をしっかり持ちたいと思います。 少しずつ顔を上げ、ゆっくりゆっくり歩き始めたいです。
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No.47に対する返信 ( No.48 ) |
- 日時: 2012/04/29 20:30 (home)
- 名前: puwarinco
- > puwarincoさん、心からのお言葉、本当に感謝します。
> 胸にとても響きました。 > > このサイトにお世話になっているお陰で、次第に自分の心が整理されつつあると思います。勿論、まだまだではありますが・・・。 > > 激しい苦しみの最中にいると、どうしても「自分」しか見えなくて、誰かに生かされている、心配してくれる人がいる、という事を忘れてしまいます。 > > 苦しみもがきながら、ある瞬間、ポカンと、この広い世界に自分一人が佇んでいる感覚になって、退廃感が強くなって何もかもどうでもよくなる…。 > > そんな状態に危険を感じた事もあって、このサイトに吐き出させて頂きました。 > > 母を失った悲しみや苦しみと、自分が出来なかった事への母への罪悪感から目を背けず、心に蓋をせず、何もかも吐き出す事で、次第に心が整理されて来たように思います。 > > 本当に、見守って下さった皆さんには感謝しています。 > まだまだ自分への課題が山積ですが、気持をしっかり持ちたいと思います。 > 少しずつ顔を上げ、ゆっくりゆっくり歩き始めたいです。 > うん。 (^^)
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