 独り言・・・ |
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- 日時: 2012/09/15 12:53 (ocn)
- 名前: shakti
- どんなに健康に恵まれた人でも
流石に年老いてくれば病気にもなるだろう。
一生ひとつも病気をしない人なんていないだろう。
病気の意味について色々考える。
答えは完全には出ないけど
少しだけ、これかな?と思う事があった。
病気にでもならなければ
人は弱いものに対して慈しみ
自分の健康や命や、
傍に愛するものが居てくれる事に感謝できない。
愛するものがずっと居てくれるのが当たり前、
健康なのが当たり前、
皆がピンピンして頑張れるのが当たり前、
色んな事が「当たり前」であればあるほど、
人はどんどん心のオアシスが無くなっていくと思う。
愛する人が居てくれるのが当たり前になって
感謝をする事を忘れれば愛する人は空気のようになり、
色褪せていく
人がもし病気にならない体であったならば、
皆が限界まで頑張れることをいいことに
雇う側は人を本当に機械や歯車のように扱うようになり
もっと休む時間も自由もなくなっていくのでしょう。
愛するものと共有する時間もなくなり
何の為に生きたのか分からずに生命力が尽きて死んでしまうだろう。
そんな拝金主義がもっと酷くなるに違いない。
自然のリズムやキャパシティを超えた時
これ以上は無理だよってストップをかけてくれるのが
病気の一つの役割だとしたら?
病気があるから慈悲が生まれて
弱いものを庇おう助けよう
そして自分自身が恵まれていることに感謝しよう
となるのが
本来の人間の心の機能なのでは。
病気になった人を助ける側も
病気になった側も、
健康の有り難味、支えてくれる人のありがたみ、
人を思い遣ることの大切さ、
解る事が出来る一つの切欠、チャンスなのではないかな。
人は学びというキーワードに対して学校の成績しか
思い浮かべない場合も多いけど
本当の人生の学びってもっと深くて身近なところにあると思う。
昨今は金が影響力を持ちすぎて
病人は早く死ねとかいう人も増えてきたけど、
そういう人だって病人にいつかなるでしょうし
病気は体からの自然からのメッセージなので
恥ずかしい事ではない筈なのだ。
人間が何故、社会を形成して集団行動するかといえば
弱いからだ。
鰯みたいに弱いから寄り集まって支えあう必要がある。
自分ひとりで生きているわけではない。
人を迷惑がる人もまた、どこかで誰かに支えられているし
自分は迷惑な存在なんだと思っている人だって
どこかで誰かの心の支えになっているのかもしれない。
人は支えあうものなので、
自分が病気したときに誰かから支えてもらった事を忘れて
寄りかかってくる人を迷惑呼ばわりするのだとしたら
その人は金よりも何よりも
人として最も大事な何かを
どこかに置いて来てしまった人なんだろうね。
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