No.0に対する返信 ( No.1 ) |
- 日時: 2012/12/06 13:46 (wind)
- 名前: かゆがも
- あなたは恐らく賢い方なのでしょう。
普通は死を考えることから逃避して生きるほうが多いんです。 或いは生活に手一杯で死について考えが及ばないか。 そしてそうこうしているうちに訳も分からずに死にます。
> 私は17歳の高校生なのですが、最近死ぬのが恐くてたまりません。 なぜ死を恐れるんでしょうね。 恐らく、死後どうなるか我々にはわからないからでしょう。 人は真っ暗闇を恐れます、暗闇になにが潜んでいるか分からないからです。
> ふと、自分の人生が、意識がいつか消えて無くなってしまうと思うと、恐くて何も手につきません。 哲学者のソクラテスをご存知ですか? 彼は「死後のことを知っている者など誰もいないのに、人々はそれを最大の悪であるかのように恐れる。それは自ら知らざることを知れりと信ずる無知であり、賢くないのに賢人を気取ることに他ならない。私は死後のことについては何も知らない代わりに、知っていると妄信もしない。」 と言っています。とても頭の良い方だったのでしょうね。
死後どうなるかは分かりません。 ですが死後の考え方をまとめると以下の三つになります。
キリスト教やイスラム教では死後、天国や地獄に行くと説いてます。 仏教やヒンズー教では死後、他の生命に輪廻転生すると説いてます。 一部の科学者・物質主義者は死後はない、虚無である、と説いてます。
死後、キリスト教・イスラム教が正しければ死後は天国か地獄になります。 死後、仏教・ヒンズー教が正しければ死後は他の生命に転生します。 死後、一部の科学者・物質主義者が正しければ、無・虚無になります。 しかし、科学者の言うと事は時代ごとに異なり、とても信用できません。 今ある科学理論は歴史上、二転三転もしていまあるんです。 科学は物質を扱うのには長けていますが、生死を扱うのは範囲外です。
私の立場はソクラテスと同じです、「死後のことは分からない。」です。 死後のことは分かりませんが、どのように生きたら良いかは分かります。
それは「悪いことをやめ、善いことをすること」です。
もし、そのように生きていくのであれば、 死後、天国・地獄であれば天国行きですばらしいことですし、 死後、輪廻転生であればより高次の生命に生まれてありがたいことですし、 死後がないのであれば生きている間、周囲の人から信頼されて生きれるでしょう。
死後どうなるかは分かりませんが、どのように生きるべきかは実は変わらないんですよ。
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Re: 死ぬのが恐い ( No.2 ) |
- 日時: 2012/12/06 15:58 (pcsitebrowser)
- 名前: 謙語
- 早々のご対応ありがとうございます。
貴方の言葉で気付けました。自分は「死ねば消える」という根拠のない思い込みに振り回されていた様です。 死ぬことへの恐れがいくらか薄れました。
しかし、ここからの話は自分の説明不足が招いたことですが、 自分の問題の本質は、不安定な心の方のようなのです。
死への恐怖そのものはマシになりましたが、ふとした瞬間に「この幸せがいつかは終わってしまうんだなぁ」と憂鬱な気分になってしまうんです。
精神的に調子が良い時は、そういう思考になることは無いのですが、最初に言いました様に、「波」が良くない時は、どんな為になる話を聞いてもネガティブな思考を覆す事ができないんです。
普段であれば「死ぬことなんて今から考えなくても…」と思える時も、調子が悪ければ「今じゃなくともいつかは終わるんだ…」と考えてしまい、何をしても集中出来ず、不安に押し潰されそうになります。
特に、1人になった時には、思考が後ろ向きになりがちで、入浴中や、就寝前には、考るほど思考が悪い方向に向かってしまいます。 なんとか物事を深く考えないようにはしているのですが、 授業中などは、考えない訳にも行かず、1人憂鬱な気分になってしまいます。
思春期には不安定になりやすいとは聞くのですが、あまり続くようであれば生活に支障を来しそうで不安です。
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No.2に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2012/12/06 16:14 (wind)
- 名前: かゆがも
- > 貴方の言葉で気付けました。自分は「死ねば消える」という根拠のない思い込みに振り回されていた様です。
> 死ぬことへの恐れがいくらか薄れました。 理性的な態度で何よりです。
> しかし、ここからの話は自分の説明不足が招いたことですが、 > 自分の問題の本質は、不安定な心の方のようなのです。 不安は人・心の本質なんですよ。 人は考えてみたら、2〜3日水を飲まなければ、数分息を止めれば簡単に死んでしまうはかない存在です。 人はもともと不安定なんですよ、個人差はありますが。
> 死への恐怖そのものはマシになりましたが、ふとした瞬間に「この幸せがいつかは終わってしまうんだなぁ」と憂鬱な気分になってしまうんです。 その通りです。 しかし、裏を返せば不安や辛い気持ちもいつかは終わる、ということでもあります。
> 精神的に調子が良い時は、そういう思考になることは無いのですが、最初に言いました様に、「波」が良くない時は、どんな為になる話を聞いてもネガティブな思考を覆す事ができないんです。 気持ちの波は誰にでもあります。 その気持ちの並みの強弱が安定している人が、成熟した人格者なのでしょう。 あなたがまだ未熟なのはまだ若いのですからある程度仕方がないと思います。 > 普段であれば「死ぬことなんて今から考えなくても…」と思える時も、調子が悪ければ「今じゃなくともいつかは終わるんだ…」と考えてしまい、何をしても集中出来ず、不安に押し潰されそうになります。 死を考えると言うことは、何故生きるのか、どのように生きるのか考えることでもあります。 生と死はワンセットの生命現象です。 なぜなら、生まれれば必ず死ぬからです。
> 特に、1人になった時には、思考が後ろ向きになりがちで、入浴中や、就寝前には、考るほど思考が悪い方向に向かってしまいます。 > なんとか物事を深く考えないようにはしているのですが、 > 授業中などは、考えない訳にも行かず、1人憂鬱な気分になってしまいます。 死について謙虚に考えるのはあながち悪いことではありません。 しかし、今は授業の時は授業、寝る時は寝る、と割り切った方が良いでしょう。
> 思春期には不安定になりやすいとは聞くのですが、あまり続くようであれば生活に支障を来しそうで不安です。 社会生活・学校生活に支障をきたす場合は、病的な不安のこともあります。 その時は心療内科・精神科受診を。
私も人は何故生きるのか、いずれ死ぬくせに、そもそもなんで生きてるのか、などと30代になって考えるようになりました。それまでは生きるために精一杯で考える余裕がありませんでした。それらの疑問にいくら考えても良い回答が得られなかったので、私は過去の哲学者・賢者・聖人が答えを出していないか、本屋・図書館で調べるようになりました。ソクラテスの「無知の知」や、老子の「道」の考え方には大変感銘を受けました。禅宗のお話は何か大切なことを言ってるようなのですが、話が難解で分かりませんでした。そして私は最終的に仏教に行き着きました。仏教では生死の仕組みについて、生命現象について明確に説明されています。物質現象の専門は科学ですが、生命現象の専門は仏教であると言えるでしょう。謙語さんがいやでなければ知識の面から仏教の死生観を説明することが私はできます。しかし、謙語 さんが宗教とかに嫌悪感を覚えるのであれば辞めておきます。
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Re: 死ぬのが恐い ( No.4 ) |
- 日時: 2012/12/06 16:26 (pcsitebrowser)
- 名前: 謙語
- やはり、不安定さそのものは自分の若さが原因なのですね。
しばらく様子を見て、あまりこのような状態が続くなら、受診してみようとおもいます。
宗教については、自分は嫌悪感なども特に無いのでぜひお聞かせ下さい。 むしろ今までのお話を聞いて、興味が湧きました。
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No.4に対する返信 ( No.5 ) |
- 日時: 2012/12/06 16:50 (wind)
- 名前: かゆがも
- > やはり、不安定さそのものは自分の若さが原因なのですね。
人は様々な経験を重ね、忍耐を学び、成熟していくんですよ。 大人でも経験や忍耐不足で心が子供のままの人はいます。
> しばらく様子を見て、あまりこのような状態が続くなら、受診してみようとおもいます。 その時は是非そうしてください。
> 宗教については、自分は嫌悪感なども特に無いのでぜひお聞かせ下さい。 > むしろ今までのお話を聞いて、興味が湧きました。 それではお許しがでましたので。
まず生きることの定義をさせていただきます。 岩は見たり、聞いたり、しませんし、動きもしません。 人は見たり、聞いたり、考えたり、動いたりします。 この差が生きているということです、そしてこの生きる機能のことを心と呼びます。 即ち、生命-肉体=心、或いは生命=心+肉体、となります。 この世の全ては物質エネルギーか心(精神エネルギー)で出来ています。 肉体は物質ですね、そこに心があって生命になります。
心はさらに分けると六つの部門に分けられます。 目に外部の情報(光)が入ると眼識として認識します、 耳に外部の情報(音)が入ると耳識として認識します、 鼻に外部の情報(香り)が入ると鼻識として認識します、 舌に外部の情報(味)が入ると舌識として認識します、 身体に外部の情報(触感・熱さ・冷たさ・痛み・痒み)が入ると身識として認識します、 そしてそれぞれ情報を受けて感情や考えや妄想や意志が起こるのが意識です。 心は眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識で構成されています。
例えばですが、ゴキブリをみて「気持悪い!」と思ったとしましょう。 このときの心の流れですが、 まず、ゴキブリの映像が目に入ります(感受)、 次に、映像をゴキブリだと認識します(認識)、 そして、気持悪い、殺してやろうと思います(感情・思考・意志) とこのような流れになります。 感受→認識→感情・思考・意志、まとめるとこんな感じです。 外部の情報にふれ、感受が起こり、感受が消え、認識が起こり、認識が消え、感情・思考・意志が起こります。 即ち、心は生まれたり、消えたりしているんです、連続してないんです、生滅を繰り返しているんです。 ただし、とても早い!すさまじく早いんです、そのため心はずっとあるような錯覚を受けます。 川がありますよね。しかし、本当にあるんでしょうか? 川も細かく見れば実際には水分子が絶えずその場所を流れているわけで、ずっと同じ水分子が留まっているわけではありません。 川は無数の、全く異なる別の水分子が流れているんですが、遠くから見ればまるで川は存在するように見えます。 心も川もポイントは細かく、厳密に見ることです。 生命を生命たらしめているのは心です。 でもその心は一時も休むことなく生滅しているんです。 「心の消滅=心の死」は実は常日頃起こっているんです。 ただ、皆さんが一般的に言う肉体の死とは異なりますよね。
それでは肉体の死ですが、コレは単純に体の故障です。 どんなものでも必ず壊れるんです、肉体も例外ではないだけです。 肉体が生命を維持できなくなると、心は肉体から離れます、コレが死です。 肉体から離れた心は次の肉体とくっつき、また生命として活動します、コレが輪廻です。 物質エネルギーは絶えず流転しています。 例えばマッチをすって火をつけたとしましょう、火はやがて消えます。 それではマッチや火は何の存在もなくなってしまったのでしょうか? 実際には光や熱エネルギーに変換されたり、二酸化炭素や煤になっただけで物質エネルギーが消滅したわけではありません。 精神エネルギー(心)もこの辺は同じです。 また別の生命に変換して、生死を繰り返すんです、無限にです。 この無限の生死(輪廻)から抜け出す(解脱)ことを教えるのが仏教です。
すなわち、仏教では生と死は表裏一体なんですよ。 仏典ではより善く生きている人たちはそんなに肉体の死を気にする必要がない、と説いています。 より善く生きている人たちは死んでもより高次の生命に生まれ変わるだけだからです。 これらの話は輪廻が前提になっています、しかし、輪廻が分かるようになるのは修業を積んだ聖者だけです。 我々、凡夫は知識として知るのみです。
そこでNo.1のコメント
『それは「悪いことをやめ、善いことをすること」です。
もし、そのように生きていくのであれば、 死後、天国・地獄であれば天国行きですばらしいことですし、 死後、輪廻転生であればより高次の生命に生まれてありがたいことですし、 死後がないのであれば生きている間、周囲の人から信頼されて生きれるでしょう。
死後どうなるかは分かりませんが、どのように生きるべきかは実は変わらないんですよ。 』
が出てくるんです。実はこのコメント自体も仏典から引用したものです。 この教えなら輪廻が分からない、我々凡夫にも実行できるからです。
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Re: 死ぬのが恐い ( No.6 ) |
- 日時: 2012/12/06 18:09 (pcsitebrowser)
- 名前: 謙語
- とても分かりやすい説明をありがとうございます。
生滅を繰り返しているという話は自分も一度同じようなことを考えたことがありました。「今と全く同じ意識を持つことは永遠に無いんだ。つまり、それは死と何ら違いは無いんじゃないか」と。 その話を聞いて、宗教というものに少し親近感を覚えました。 また、調べて見ようと思います。
今後は悔いの残らないように生きていくことにします。
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No.6に対する返信 ( No.7 ) |
- 日時: 2012/12/06 21:49 (plala)
- 名前: かゆがも
- > 生滅を繰り返しているという話は自分も一度同じようなことを考えたことがありました。「今と全く同じ意識を持つことは永遠に無いんだ。つまり、それは死と何ら違いは無いんじゃないか」と。
それは真理ですね。
> その話を聞いて、宗教というものに少し親近感を覚えました。 > また、調べて見ようと思います。 > > 今後は悔いの残らないように生きていくことにします。 がんばってください。 以下は私が感銘を受けた本です。 ソクラテスの弁明・クリトン (岩波文庫) プラトン (著), 久保 勉 (翻訳) 老子 (講談社学術文庫)金谷 治 (著) 仏教は心の科学 (宝島社文庫) アルボムッレ・スマナサーラ (著) 参考まで・・・
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