いっしょに生きよう - 死にたいあなたへ 【匿名掲示板】ご意見お待ちしております。| こころの悩み相談なら。
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こころの悩み|悩み相談掲示板 > ご意見お待ちしております。

ご意見お待ちしております。

日時: 2013/04/20 15:49 (dion)
名前: なを

長文失礼します。

以前、心療内科でカウンセリングを受けた際に、
『あなたの思想や物事の捉え方・視点が、いわゆる社会の一般的な価値観と大きくかけ離れているために、他者から理解を得る事が難しい』
と言われました。

病院では、何らかの障害(当初は広汎性発達障害やパーソナリティー障害が疑われたので)の有無を調査するため、まず知能指数の検査を受けたのですが、結果は知能指数120で、平均値が90〜105の間らしいので、数値的に見れば異常無し…というより、平均よりはむしろ高めの知能を持っていると言われました。

それを受け、その後いろいろな検査を受けたのですが、結論は、
『私の思考というのが、正常な思考と異常な思考の境目のギリギリのラインにあり、何かの障害を持っているとは言えないが、少なくとも世間一般の考え方からは逸脱している為に、社会の中で孤立してしまう』
というものでした。
一言で言えば、『変人・奇人』の類いになるみたいです。

医師によると私のようなタイプの人は、他者に理解されにくい為にそれが強いストレスになって鬱病になりやすくなってしまうらしいのですが、私の場合はそういった『他者からの評価』や『認められる事』などに無関心である為に、そういった危険は低いみたいです。
が、逆に考えると、そういった鬱病になりやすいタイプの人は「自分が人と違う考え方をして理解されないのなら、考え方を少しずつでも変えてみよう」となる為に、まだ一般社会に適応していける可能性があるようなのですが、私の場合はそもそも自分の思考の何が問題なのかがわからない・他者からの理解や共感を求めようとする感覚(?)が無い為に、『考え方を変える』というような発想そのものに行き着かないので、適応する事が難しい…と言えるみたいです。
担当医は、「普通は、あなたと同じようなタイプの人は理解されない事が辛くて鬱病になりやすいんだけれど、あなたの場合は…うーん…そうなんだよねぇ…」と、困ったように苦笑していました。

結局、病院では、病気ではないから・必要なのは投薬やカウンセリングよりも、見識を広める事みたいな理由から、それ以上の何かはありませんでした。自分の状況だけ知らされて、そのまま放り出されたような形ですが、まぁこれは仕方ないでしょう。厄介すぎます、こんな患者は。

しかしまぁ、病院に行きいろいろ精神・性格検査を受けた結果、自分が社会的なマイノリティであり、社会不適合者であるという事は一応把握する事は出来ました。が、正直『だから…何だ?』としか思えないのが本音です。

もし、こちらに私と同じタイプの方がいらっしゃれば、お話を聞いてみたいと思っています。
そうでなくても、端から見てどう思われるか、率直で偽りのないご意見も伺いたいです。同意・疑問・反論・批判、いろいろな方の素のご意見を頂戴出来たらなと思っています。

イエローページ

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Re: ご意見お待ちしております。 ( No.1 )
日時: 2013/04/20 16:34 (ocn)
名前: 輪廻


初めまして

私は、小さいころからずっと

周りから「変人だ、変な子だ、変わっている」と言われてきました

幼稚園時代からずっと付き合ってきた友達にまで

地下鉄の駅のホームで「輪廻ちゃんって変だよ、ずっと思ってた」

なんて告白をされる始末

自分では全く自覚がない

普通にしてるつもりなのにどうしてなのか

悩みました

結果拒食症で不登校

小6の冬から行けなくなりました

そして、ストレスからなる転換性障害で入院したとき検査をしました

知能は132

ウィスクという学力検査で、出ました

私はアスペルガー症候群という発達障害との診断を受け

結果も、=で結ばる部分がすべて<という不等号

つまり発達障害を示す結果となりました

また、母親から話を聞くと

小さいころから、人形を並べては崩してという遊びや、ままごとやお姫様ごっこなど、「ごっこ遊び」を「一人」で

長い時間ずーっとやり続けていたという自閉的な一面が見られたという事です

寝返りも、ハイハイも一度もしなかったそうです

想像力の欠如や、人の気持ちをくみ取ることが困難だそうです

私には自覚はありませんが

以前、母と母の同僚が立ち話をしていた時に

スーパー内でしたのでBGMがかかっていました

そこで、私は母に「ねえこの曲ってブルーバードだよね」と問いました

後で母は、「お母さんたちが話しているのに割り込んでくるんじゃない


やっぱり暗黙の了解が分からないんだねぇ」と言われました

暗黙の了解とは、たとえばお世辞が一番の例だと思います

「これをこの場面で言ったらダメ」

「この人にこう言ったらダメ」

「今怒ってるだろうからそっとしておかないとダメ」

教えられるまでも無く、生きていくうえで普通に身についていくはずの

この部分が分からないそうです

確かに、「大勢」からは理解されにくいと思います

発達障害も養護学校へ行けますから

私はその他にも精神疾患が数個あるので養護学校に行っています

そこでは、授業中に好きな物と関連したキーワードを見つけて

騒いでも怒られません

変な事を言ったとしても、決して変な人とは言われません

大勢から見れば変人でも

私達変人側からみれば、大勢の方が変じゃないですか

普通の基準は人それぞれですから

自分の個性を大事にしてください

その個性が棘の鎧となってしまわぬよう

殻は作らないでください

ありのままのあけっぴろげの

変な自分を受け入れてくれる人は

沢山ではないでしょうが、必ずいます

諦めずに

辛いときは休みつつも人とのかかわりをなるべく持つようにしていれば

理解してくれる人は現れます
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.2 )
日時: 2013/04/20 17:03 (home)
名前: n

>なをさん


最初に心療内科を受診した理由というのは、どのような内容のものだったのでしょうか?

参考までにお聞かせ頂ければ幸いです。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.3 )
日時: 2013/04/20 19:37 (dion)
名前: なを

>>輪廻さん

ご意見ありがとうございます。

私は小さい頃から、いい意味でも悪い意味でも『変わり者扱い』されてきました。
いい意味では『クラスの優等生』『優しくて大人しい、先生の手がかからない子』などの、第三者から見た評価でした。中には、『不自然な程に年齢不相応に落ち着いていて優秀な子』と言われた事もあったみたいです。
しかし、やはり母親は私の中の『何か』の片鱗にうっすら気付いていたようです。

輪廻さんと同じく、私も小さい頃は『人形遊び』や『おままごと』をよくしていた記憶があるのですが、よくよく考えてみればそれらほぼ全て一人で遊んでいました。
また、私が通った小学校では、週に一度、放課後にクラスのみんなで集まって遊ぶ会のようなイベントがありました。それには塾や家の用事で参加出来ない子を除き、基本的にはなるべく参加するように、とのお達しがあったので、私も参加はした…してるはずなのですが、正直全く記憶がありません。少なくとも、楽しかったとか、みんなでわいわい遊んだという事は無かったように思います。
その傾向は、今でも全く変わっておりません。

私もやはり、病院で受けた検査結果では本来、=や≧になってなくてはいけない箇所が、軒並み>状態でした。グラフで表されたものを見ると一目瞭然でアンバランスな状態でした。

想像力の欠如、人の気持ちをくみ取る事が困難というのも、あてはまると思います。
私は自分に興味のある事以外に対しては全く関心を示さず、手を出す事もしないのですが、その無関心な事柄が多岐に渡り『他人との関係』もその一つである為、『人の気持ちがわからない』というよりも、『最初から人の気持ちをわかろうとする意思が無い』という状態みたいです。
「自分ならこうする」とか「その気持ち、わかるよ」とか、そういった事を今まで考えた事がありません。
…というより、『相手の立場になって物事を考える』というのがよくわかりません。何の意味があるのか、と。

暗黙の了解については、私は輪廻さんと少し違う捉え方をしているようです。
私は『暗黙の了解』そのものの概念は、なんとなく理解できるのですが、それの『意味』を追究してしまいます。
例えば、輪廻さんが例に出された
【今怒ってるだろうからそっとしておかないとダメ】
この事だけでも、
・そもそもなぜ怒っているのか
・怒っているのなら、なぜそっとしておかないとダメなのか
・そっとしておく事で、何か状況に進展があるのか
・その人に対して何か言うのは問題があるのか
など、今思い付くだけでもこれだけの疑問が浮かび、実際その状況になったら芋づる式にもっと疑問が出てきて、それぞれの意味を求めてしまいます。

私がもし、何らかの障害を持っているのなら、まだわかりやすかったのかなと思います。
もちろんそれが、いわゆる『免罪符』にはならないでしょうが、少なくとも理由がはっきりしている分だけ、自分の中で捉え方が変わったかも…しれません。
言うなれば、50点以下が補習対象のテストで51点で合格してしまったような状態。49点の人は、補習を受けて次はもしかしたら80点を取れるかもしれませんが、自分は永遠にギリギリのラインにいるばかり。

医者に言われました。
「あなたは、社会的には孤立してしまう少数派であるのは間違いない。けれど、それを治すとかは考えないで、個性として捉える事をしてほしい。もし、あなたを理解する人と出会えて、あなたの実力・能力を発揮できたら、将来的に大化けする成功をおさめるかもしれない。」
…医者として、患者に希望を持たせる為の発言だと思いますが、私にとってはこれが自分の『普通』なのだから、自分の性質を悲観もしていなければ劣等感を感じてもいないし、逆に優れているとも才能だとも思っていない…

というか、おそらく一番の問題は私自身が『自分の事を理解してほしいなんて考えてもいない』という事なんでしょうね。
人生に幸せも楽しみもいらない、人間なんてただ機械的に生きて機械的に死んでいけばいいと思っているのに、自分にとって『普通』にしているだけで生きる事そのものが難しくなってしまう。
人間って、なんでこんなに見えない複雑なルールに縛られてるんでしょうね。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.4 )
日時: 2013/04/20 19:57 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご意見ありがとうございます。

最初に心療内科を受診した元々のきっかけは、このままだと死ぬと思ったからです。
私には自分の興味のある事柄は徹底的に追究し、逆に興味の無い事柄は徹底的に無関心という性分がありまして、数年前から生きる事に興味を失っていました。別に何か辛い事があったとか、悲しい事があったとかではなく、単純に興味を無くしただけです。

それと反比例して、死について深い興味と関心がわいてきました。
言い方は変ですが、『死んでみたい』という気持ちがどんどんわいてきていました。
ですがもちろん、言うまでもなく『死』は不可逆、「死んでちょっとしたら興味無くなったからまた生きよう」なんて出来るわけがないので、一線だけは越えないようにしてきました。

私はどんなに興味のある事でも、ある日突然、何の前触れもなく興味を失うというのを繰り返してきた為、死への興味が無くなるのを待ちました。
ある程度時が経った後、やはりいきなり死への興味は無くなりました。

その後、何気なく母にその事を話したら、びっくりされて医者行ってこい、と。

また、そういう性分から仕事が長続きせず、単純に怠惰や、やる気がないというような事じゃないんじゃないか?というのも受診した理由の一つです。
それでカウンセリングと精神・性格検査をしたら、本文のような事実が判明した…というような感じです。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.5 )
日時: 2013/04/20 21:00 (ocn)
名前: 輪廻


理解してほしくないのなら

そのまま一人で生きていればいいと思います

私は一人でいることは全然苦痛じゃなく

むしろ楽です

貴女もそうですか?

ならば理解者なんていらない

と生きていくのも良いと思います

しかし忘れてはならないのは

「人とのかかわりを全く絶つことはできない」という事

食べる物や使う物、すべてが何らかの人の力を借りて

貴女の元に届いているのですし

一人で何もかもやるのは不可能です

そして

「傍から見たらどう思われているか」

何故他者の目を気にするのですか

何故自分の評価を気にするのですか

「理解してもらわなくていい」と

本当に心から思っているなら

そんな人間にどう思われていようとどうでも良いじゃないのでしょうか?


   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.6 )
日時: 2013/04/20 21:03 (home)
名前: n

ご返信ありがとうございます。

本当に頭脳明晰、と言った感じですね。

小さい頃からそのような独特な思考や行動の特徴が見られた、ということですね、

ちなみに、アルペルガー症候群や高機能自閉症の診断は出なかった、と考えて構いませんか?


&表立った掲示板ですので任意で結構なのですが、「死に対して興味がわいた時期」の様子とその時のご年齢、死への興味関心が無くなったご年齢などもご呈示頂ければ幸いです。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.7 )
日時: 2013/04/20 22:50 (dion)
名前: なを

>>輪廻さん

再度ご意見ありがとうございます。

ええと、まず最初に訂正をしておきたいのですが、私の文体が誤解を招いてしまったようで申し訳ないのですが、私は一応男性です。
とはいえ、今回の主題とは全く無関係の事なので触れなかったのですが、私はトランスジェンダーでもありまして、それ故に無意識のうちに男女どちらともとれるような文体で書いてしまうクセがありまして…申し訳ありません。

さて、本題ですが、私も一人でいる方が好きです。
幼少の頃から現在まで、友人は少ないながらも常に最低一人はいましたが、正直言えば一人が一番落ち着きます。
友人には、自分がそういうタイプの人間だとは言っていません。


>「人とのかかわりを全く絶つことはできない」という事
そうですね、まさにその通りだと思います。
無人島で暮らそうと、山の奥地に住もうと、必ず何らかの形で他者との関わりは出てきます。


>「傍から見たらどう思われているか」
>何故他者の目を気にするのですか
>何故自分の評価を気にするのですか
>「理解してもらわなくていい」と
>本当に心から思っているなら
>そんな人間にどう思われていようとどうでも良いじゃないのでしょうか?
その通りです。他人からどう思われようと、それは別にどうでもいい事です。

が、輪廻さん自身が仰っておられるように、
>人とのかかわりを全く絶つことはできない
>一人で何もかもやるのは不可能
である以上、だからこそ現実問題として、完全に他者を拒絶することは出来ないのではないでしょうか?

私が書いた
>自分にとって『普通』にしているだけで生きる事そのものが難しくなってしまう。
というのは、私自身が『普通』にしているのに、過度に干渉してくる人があまりにも多すぎるというか、輪廻さんの仰るところで言う『そんな人間』が世の中の大勢を占めているという事を言いたかったのです。
『そんな人間』がマジョリティである以上、生きていく上で回避する事の出来ない最低限の人間関係の中にも、そういった人達と関わらざるを得なくなってしまう。

もっと希薄で冷淡、事務的な人間関係が私の理想であり、私は『人との関わり』とはそういったモノであると思っています。
にも関わらず、実際の社会はそれを良しとはしない。
結果、私の理想はあくまでもマイノリティ、もっと言ってしまえば『異常』の一言で片付けられてしまう。
でもそれは仕方のない事です。世の中はそうやって成り立っているのですから。

何だかややこしい事を言ってすみません。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.8 )
日時: 2013/04/20 23:26 (dion)
名前: なを

>nさん

再度ご意見ありがとうございます。

はい、アスペルガー症候群・高機能自閉症を含め、何らかの病名の診断はされませんでした。
当初は、解離性人格障害・境界性人格障害・反社会性人格障害あたりも疑われましたが、結構多くの人格障害の症状・傾向に引っかかってはいるものの、完全に「これ!」といったようにピッタリくるものが無い、というのが結論でした。

死に対して興味がわいたのは、厳密に言えば小さい頃…正確には覚えてはいませんが、たぶん10歳くらいからだったと思います。
当時から「死んだ後ってどうなるんだろう」と漠然と考えてはいました。
ご存知かどうかはわかりませんが、故・丹波哲郎氏の『死んだら驚いた!!』という映画作品がありまして、当時からそういう類いのものを観たり、死後の世界を空想したりしていました。(別にオカルト信仰がある訳ではありませんが…)

先ほど書いたような、生きる事への興味がなくなり、具体的に「じゃあ実際に…」となったのは、17、8歳頃だと思います。
様子…というのは、その頃の心境でよろしいのでしょうか?心境で言えば、まるで何か物理学や自然科学を研究しているかのように、事務的に淡々と知識を貪り、自分の中の理論を組み立てていきました。
しかし、死後云々に関しては、元々誰かが都合のいいように創り出した宗教的な事柄には全く興味が無いので、基本的には(生きている以上当然の話ですが)何もわからないまま時間だけが過ぎていきました。

その頃は、『死』自体もそうですが、その過程にも興味があったので、例えば自分がバラバラにされたらという想像、首を吊ったらどういう心境になるのか、など、あまりここに書くのは憚られるような事も考えてました。
とはいえ『じゃあ試してみよう、誰かで』とならなかったのは幸いだと思っています。これはずっとそうなのですが、私のこういった興味の対象は必ず自分自身なので、以前に『睡眠をとらなかったらどうなるのか』という事に関心があった時は、自分自身で人体実験めいた事をやっていました。
ですが、『死』に関しては先ほども書きましたが、試してみたでは済まされない結果になるので、実験はしませんでした。

死への関心・興味が無くなったのは、つい最近…23歳の時です。
もちろん、興味がわいてから四六時中ずっと『死』について考えていた訳ではなく、ふとした時に一気に徹夜で考えたりとかだったのですが、23歳のある日を境に、ぷっつりと興味を失いました。
私が物事に対する興味を失うきっかけは特に無く、昨日まで夢中になっていた事柄でも、次の日の朝起きたらもうどうでもいいと思っていたりというような事がしょっちゅうなので、『死』に対する興味も同じだったのでしょう。

そして24歳で病院に…という流れです。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.9 )
日時: 2013/04/21 18:06 (home)
名前: n

返信ありがとうございます。

文体だけ見ると、年齢は実年齢よりももう少し上に感じてしまいますね。

死に興味を感じ、その後心療内科を受診するに至った経緯まで詳しくお聞き出来たこと、感謝致します。


話の流れを無視してしまうことになるのですが、一つ、気になったことがあるので、先に質問させて頂いて構いませんか?
この質問を終えたら、話を本筋に戻そうと思います。

>当初は、解離性人格障害・境界性人格障害・反社会性人格障害あたりも疑われました
>が、結構多くの人格障害の症状・傾向に引っかかってはいるものの、完全に「これ!」
>といったようにピッタリくるものが無い、というのが結論でした。


とありますが、シゾイドパーソナリティとの相違については、なをさんはどのように理解していらっしゃいますか?また担当されていた医師らはどのように考えていたのでしょうか?

分かる範囲でお話し頂けたらと思います。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.10 )
日時: 2013/04/21 20:30 (dion)
名前: なを

>nさん

度々のご返信ありがとうございます。

お恥ずかしい話なのですが、当時の私はシゾイドパーソナリティー障害の事を知らずにいまして、受診時は自分では全く考えておりませんでした。
その後、たまたま何かでこの障害の事を知り、自分自身と照らし合わせてみた所、限りなく近い…という印象を受けました。
とはいえ、その後再度病院に行ってはいないので、私がそうなのかはわかりません。

担当医の診断の中で、シゾイドパーソナリティー障害の話は全く出ませんでした。
ただ、精神疾患としての『統合失調症』には当てはまらない、とははっきり言われました。

こういう回答しか出来ませんが、よろしいでしょうか?
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.11 )
日時: 2013/04/21 21:23 (home)
名前: n

うん、ばっちりです^^

私がふと疑問に思ったのは、当時なをさんを担当されていた医師や心理士の方が、かなり慎重にあなたの状態について精査されていた様子でしたので、シゾイドとの鑑別をどのようになさったのだろう?という点に関心を抱いてしまったからなのですが、理由がわかりました。
もしかすると、次回再受診した際にはシゾイドパーソナリティ障害の診断が付く可能性もあるのかもしれませんね。
(個人的には、この障害を「障害」と呼ぶのかも謎なのですが…。)

また私は医師ではありませんが、文章からあなたの状態を想像するに、私もあなたが統合失調症であるとは思いません。



それを踏まえた上で、なんとなく、個人的な感想をお伝えしても構いませんか?

インターネットという間接的な媒体を通しての私見ですのでかなり情報に制限がかかっていることを考慮に入れねばなりませんが…。
(それと、私はよく人から「ストレートにものを表現し過ぎる」と言われてしまうので、ちょっと注意しながら書いてみます。)


なをさん、現在は「特に何らかのお悩みはないのだけれど」という立ち位置でいらっしゃいますし、お困りの症状なども現段階ではない(…と考えて宜しいでしょうか?)ようですので、敢えて早急な対処や精神的危険性を考慮することは避けますが、
現実的な社会(仕事、対人関係、遊びなど、生きる上で関わっていく社会的なつながりや興味関心)との間に、大きな"距離感"を感じながら生き続けている感覚って、お心当たりありますか?
それでお困りなことも特にはないけれど、世界との間に分厚い膜やベールのようなものが隔ててあり、時に"自分"すらもその膜の向こう側の一住人であるかのように、客観的存在として感じていることも日常的なのではないでしょうか?


この点については、どのように感じていらっしゃいますか?
また、「世界と自分との距離感」を既に感じていらっしゃる場合には、それについての考察も入れて頂けると助かります。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.12 )
日時: 2013/04/21 23:39 (dion)
名前: なを

>nさん

ご返信ありがとうございます。
丁寧で論理的なご意見、感謝致しております。

確かに、シゾイド気質を"病気"と捉えるのは、些か乱暴というか、カテゴリにはめ過ぎという感じはします。現代社会の基準・社会的常識という枠からハミ出ているというだけで、それが直接秩序を乱す行動や犯罪行為に結びついたりするわけでもなければ、それを"障害"に分類するのはどうか…というのは私も疑問には思います。
まぁそれはひとまず置いておいて…


【世界・社会】と【自分】との距離・関係等についてですが…
長文になるかと思います。それと、少し哲学的な思考に踏み入ってしまうかもしれませんが、ご了承ください。

まず、今ある【世界(以降、特に断りを入れない限り、一般社会という意味で使っていきます)】と【私】という存在を同時に見た時、
『果たして自分はこの世界の一員であると言えるのか?』
という疑問は、昔から常に感じていました。

仕事や対人関係、その他全ての事柄に対して"人間"である以上はどうしても【世界】と関わらざるを得ません。
そういう意味では、間違いなく【私】は【世界】の一員です。

しかし、
『では【私】自身という存在が【世界】とうまく共存できているか』
といえば、そうは思いません。
理由は単純、【私】の思考・思想というものが、【世界】の基準と大きくかけ離れているからです。
どういう所が、というのは、私のこれまでの書き込みをご覧頂ければお分かりになられると思います。

この掲示板でも時折見られる、
『生きてる意味がわからない』
『自分の居場所がない』
こういった思考も、私の中には無いものです。

なぜ『生きていく意味』が必要なのか、なぜ『自分の居場所がなく』てはならないのか。
"生きる"だけなら、食事をし、睡眠を取り、事故や病気に気をつけていれば達成できます。

しかし【世界】の基準で言う"生きる"には、『人間として、充実した人生を送る』という意味があります。

私がわからないのがここです。
『生きていく意味』を見出す必要も、『自分の居場所』を作る必要も、【私】の考える"生きる"にはありません。

こういった、【世界】と自分との隔たり、感覚のズレ、そういったものが【世界】と【私】との距離を開かせていると思っています。
私は、この"距離"を縮めたいと、もっと【世界】に溶け込みたいとは思っていません。

結局の所、nさんが仰られた、
>世界との間に分厚い膜やベールのようなものが隔ててあり、時に"自分"すらもその膜の向こう側の一住人であるかのように、客観的存在として感じている
という事です。まさにその通りです。



…とりとめのない文章になってしまい、申し訳ありません。まとめます。

・【世界】と【私】との間には、大きな隔たりがある。
・その理由は、『価値観・思考・思想等の大きな違い』。
・この"ズレ"が、私が【私】を【世界】の一員としてではなく、その枠の外、一枚壁を隔てた所に置いているように感じさせている原因。
・私自身は、その事について悩んでいたり、「このままではいけない、どうにかしなくては」と考えていたりはしておらず、逆に、それが一体どういう事なのか、何を意味しているのかを探っている。
と、こんなところでしょうか…


あ、それと最初に書き忘れましたが、
>(それと、私はよく人から「ストレートにものを表現し過ぎる」と言われてしまうので、ちょっと注意しながら書いてみます。)
との事ですが、このスレッドの最初の書き込みにも書きましたが、ストレートに言って下さって構いませんよ。
むしろ、私はそういった忌憚なきご意見をお聞きしたいです。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.13 )
日時: 2013/04/23 12:52 (home)
名前: n

返信が遅れています。

精神疾患の説明を加え、私なりの解釈を試みている最中です。
…が、「小論文か」という程に、膨大な分量になっています。

まとめるまでにもうもう少しお時間を頂きたいので、お待ち頂けると助かります。
また、「簡単でいいよー」と言われる場合には、その旨お伝え下さい。ポイントのみ記します。
もうしばしお待ち下さいませ…。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.14 )
日時: 2013/04/23 13:22 (dion)
名前: なを

>nさん

ご返信ありがとうございます。

そこまでお時間取らせてしまって申し訳ないです。
私としては、どれだけの長さになっても構わない…というかむしろぜひ拝見させて頂きたいです。

ただ、nさんの貴重なお時間をその為に浪費させてしまうのは忍びないとも思っております。なので、nさんにお任せしたいと思います。

時間的な事はお気になさらないで、nさんのお時間がある時に…で構いません。
お待ちしております。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.15 )
日時: 2013/04/25 13:04 (home)
名前: n

お待たせしてすみません。

一応は書いてみたのですが、やはりこの場での情報開示は難しいと判断しました。
理由は他にもありますが、一番大きな問題としては、この場では心理的な安全が保証されないことです。もっと早く気付きお伝えすべきだったと反省しております。


ということで、考えるヒントのみ、提示したいと思います。
(ちなみに私は診断の出来る医師ではないので、あくまで一個人の考察であることを留意しておきます。)


・あなたは発達障害のどの分類にも属しません。(ただし誤診される場合は十分にあります。)
・あなたは精神病(統合失調症)のどの診断基準にも当てはまりません。(ただし誤診される場合はあります。)
・シゾイドパーソナリティ障害の診断基準には当てはまります。(が、お察しの通り、「だから何だ?」です。)
・離人症性障害に症状は類似していますが、相違点もあるため、区別する必要があります。(敢えていうならば、「離人症」ではなく「離人感」「離人的体験様式」と解釈することもできます。)
・【世界】と【私】との関係性を考えるには、【母】と【子】の関係性を考えてみて下さい。精神病も発達障害もないのであれば、この世界との最初の窓口となる【母親】との関係がそのまま【世界】を示す象徴となります。
母親がどんな人物であるかによって、また何らかの障害の有無によって、【世界】の捉え方にバリエーションが出て来ます。それは【母親】の人物像に沿って【私】の立ち位置を変えていくことで、子供は基本的な生き方を学ぶ(もしくは学ばない)からです。つまり、【母親】を見て来た視点がそのまま【世界】を見る視点や関わり方に反映されてくると考えてよいでしょう。



お母様との関係(もちろんその他の家族との関係、思い当たるエピソードなどあれば、そちらも考慮されて構いません)から導き出せる世界と私との距離感について、考察してみて下さい。情報公開が可能であれば、ここに書き込んで頂いても結構です。なをさんなりにその原因が特定出来るよう、必要があればその都度援助したいと思います。

またその他引っかかっていることなどあれば、私にお答え出来る範囲で回答致します。


こんな返信になってしまったこと、とても申し訳なく思います…。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.16 )
日時: 2013/04/25 18:23 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。
ここまで丁寧に深くご考察頂き、感謝致しております。

>この場では心理的な安全が保証されないことです。
との事ですが、お気遣いはありがたいですし、こういったネット上の世界では安易に書き込む事は出来ないというのは重々わかってはいるのですが、私としては、正直言えばぜひ聞いてみたいとは思います。
ですが、nさんがご判断された以上、それを無理やりに引き出そうとは考えていません。


今回は、私もいろいろ詳しく書いていこうと思います。

>離人症性障害に症状は類似していますが、相違点もあるため、区別する必要があります。
>(敢えていうならば、「離人症」ではなく「離人感」「離人的体験様式」と解釈することもできます。)
これに関して、一つ気付いた事があります。

以前、最初に心療内科を受診した経緯をお話したと思いますが、その際に書かなかったというか、何故か触れるのを忘れていた事がありました。
それは
『私が"死"に最大の興味を抱いていた時、【私】を死なそうとしていた【私】は、"誰か別人である"ような感覚があった』
という事です。

もう少し詳しく書くと、
・『死に対して興味を持つ』、『でも死は不可逆だから、一線を越えてはいけない』と思うのが【普段の私】(←仮にAとします。)
・『じゃあ実際に』、『【私】の死を空想、または【私】を想像上で拷問し、殺している』のは【もう一人の私】(←仮にBとします。)
というような感覚がありまして、【私】を死なす方向に持っていく時、私の"視点"は"B"の方にありました。

別の言い方をすれば、
『"死"への興味・関心に傾倒していた時、【私】は"B"の立場にあり、"A"を"別人の第三者"として感じていた。』
というような感じです。

これは何も今回の事に限らず、『食事・睡眠をとらない、徹底的に【私】自身を窮地に追い込ませる』等の時には、そういった感覚になっていました。

これらの事は医師にも話しましたが、その時には既にその感覚は無くなっていた(死への極端な興味を失った後の為、その感覚も同時に失くしていました)為、うまく説明はできませんでした。

何か関係しているのかはわかりませんが、一応この事を書いておきます。


>お母様との関係(もちろんその他の家族との関係、思い当たるエピソードなどあれば、そちらも考慮されて構いません)から導き出せる世界と私との距離感について、考察してみて下さい。
これに関しては、まったく思い当たる節がない…というのが正直な所です。

私は一人っ子なのですが、両親との関係は、小さい頃から今でも良好だと自分自身では思っています。
あえて一つ気になる点を挙げるとすれば、思春期における第二次反抗期が特に無かったという事でしょうか。
人が成長するにおいて、反抗期というのは重要な意味がありますが、母に聞いても「ほとんど無かったよ」との返答でした。
自分で思い当たるのは、"親と一緒に外出するのを嫌がった"くらいでしょうか…。それも、「必要であれば別に構わない」という程度でした。

母は、私を抑圧したり、何かを強制したりはしませんでした。
私の自主性というか、やりたい事をやらせてくれていました。父も、基本的には母と同じ方向性だったと思います。


参考になるかはわかりませんが、精神・性格検査の結果を書いた紙が出てきたので、箇条書きにしておきます。

・感情の起伏は乏しく、気分は安定している。
・自分の考えや判断を基にして行動していく傾向がある。
・自分から他者と関わる事を避ける為、人間関係でトラブルを起こす事は少ないと見られる。
・郡指数、言語性IQ、動作性IQにばらつきがあることから、得意な能力と苦手な能力の差が大きい事が伺える。
・知覚統合の郡指数は平均以下であり、身近な物の特徴を正確に捉えたり、視覚情報を基に物事を判断するのが苦手。
・一方、言語理解と処理速度の郡指数が非常に高く、記憶した事を言葉で正確に説明したり、言葉や文章から情報を分析する能力は高い。
・非難や敵意を周囲の人に向けて攻撃する傾向がやや高い。
・社会集団の中では、独特の物の捉え方や感じ方をする事が伺える。
・形の特徴から連想内容を説明する際は、明確に言語化して説明していたが、色彩などのように、直接情緒を刺激するものに対しては、言語化しきれずに混乱する傾向がある。(ロールシャッハテストにおいて)
・考えを整理して表現する事に時間を要する事が伺える。
・他者から求められる役割や、周囲の期待に応えられる力があった事が伺える。
・自発的に物事に興味を抱く事が少ない。
・やや強迫的な傾向が見られたり、自分で考えを深めていこうとする傾向が見られる事から、一度疑問に思った事があると、考えに囚われ別の視点で捉え直す事が困難である。
・具体的な事実に基づいて物事を理解したり、説明する事は得意な反面、観察した事を基に物事を推測したり、抽象的な事柄を理解することは苦手な事が伺える。
・その為、日常生活では、知識を伝達するのは得意な反面、人の感情のように曖昧で数値化できないものを理解する事が苦手である事が伺える。
・人と接するときのマナー等は理解しており、情緒も安定している事から、対人面でトラブルを起こす事は少ないが、刺激が多く、目的や作業内容が明確でない状況では、体験したことを言葉で整理する事が苦手な為に、状況を理解するのに時間がかかったり、体験した事を言葉で意味づけを行い、他者に伝える事に苦慮する傾向が伺える。

長文失礼致しました。
何かお気づきの事があれば、指摘して下さるとありがたく思います。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.17 )
日時: 2013/04/25 22:15 (home)
名前: n

ありがとう。
では、お話出来そうであればそちらについてはまた書き込みますね。


そうですね、私はあまり精神、性格検査については詳しくない事を先に白状しておきますが、思慮深くご自身で精神的に独立しながら世界を理解してきた在り方が検査に反映された結果なのではないかと感じています。(それと最後の見解(これは心理士の考察なのかな?)に関しては、何だか無理矢理な印象を個人的には受けます。)



>『私が"死"に最大の興味を抱いていた時、【私】を死なそうとしていた【私】は、"誰か別人である"ような感覚があった』
>『"死"への興味・関心に傾倒していた時、【私】は"B"の立場にあり、"A"を"別人の第三者"として感じていた。』


死に対する興味が強かった時には、現実の自分を第三者として観察しているもう一方の自分がいたのですね。その際、やはり"現実の私"はまるで非現実的な存在であるかのように感じていらっしゃいましたか?



ご両親に対しては、あまり気になる点はありませんでしたか。ありがとう。

では、もう少し詳しくお聞きしても構いませんか?
"あなたから見て"、お母様はどんな方ですか?どんな風に見えますか?
またお父様については、如何ですか?

それと宜しければ、お母様側から見てあなたはどんな風に映っているようかもお聞かせ頂ければと思います。

   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.18 )
日時: 2013/04/25 22:36 (home)
名前: n

それと…

先にこれだけ約束して頂きたいのですが、もし、今後「死に対しての興味」がまた強くなるようなこと、離人感や非現実感が強くなるようなことがあれば、精神科を再受診して頂きたいのです。もちろん、そこに何の期待もなくて構いません。
心配性な私からのお願いですが、どうぞ宜しくお願いします。

   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.19 )
日時: 2013/04/25 23:25 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。
はい、よろしくお願いします。

最後の見解に関しては、私自身は判断出来ずにいます。『そうである』とも、『いや違う』とも言い切れません。
まぁこれは自分自身では気が付かない・気が付けない事なのかもしれませんが…

>その際、やはり"現実の私"はまるで非現実的な存在であるかのように感じていらっしゃいましたか?
はい、その通りでした。非現実的であり、また同時に"他人"の感覚でもありました。
ヴィジョンとしては、【現実の私】を【もう一人の私】が見ているという感覚で、その時の私の視点が【もう一人の私】でした。
…んー…うまく説明出来ないですね…ごめんなさい。


母について。
母は、基本的に温和でまじめな人ですが、かなりの心配性であり、悲観的ではないものの、私から見て精神的には弱い方の人だと思います。しかし、それ故に、精神的な病(うつ病など)や、周囲と違うという事に対して、柔軟な考え方ができ、理解もあります。

「赤の他人がどうこう口出ししてきたって、痛くもかゆくもないじゃない。人に迷惑をかけたり、犯罪じゃなければ、やりたい事をやればいいんだよ。」
というようなタイプです。

父について。
父は、基本的には陽気で冗談好きな人ですが、考え方が頑固で、ワンマンな所があります。学生時代に「今、これこれこういう事で困ってる」という話をしても「そんなの簡単だよ、こうすればいいじゃないか」と、考え方や自分のやり方を(無意識の内に)押し付けるような感じです。

私が今回の事を話した時は、頭ごなしに否定したりはしませんでしたが、内容を理解しようとはしませんでした。自分がそういう経験が無いので全くわからないらしく、『ゆっくり休養すれば治るだろ』と考えている節があります。(そもそも"治る"とかそういう事では無く、これが私の性質だ、という事がわかっていないようです。)


母から見た私について。
母は、私を【人に嫌われないタイプ】と思っているようです。
実際、幼少の頃から今までずっと、誰かと敵対したり、先輩や先生に目をつけられたり等はありませんでした。
それは『優しくて余計な事を言わないから』という風に考えているようで、子供の頃は確かにその傾向がありましたが、思春期を過ぎる頃からは、今現在のように『他人に興味がないから余計な事を言わない』、『自分に有利になるように、(無意識下で)人を誘導するような話し方をするから』が要因のように思います。
これらが理由で、一見すれば『優しくて余計な事を言わない人』と周囲の目にも映るようです。

ただ、さすがに母は、私の裏の顔…じゃないですが、実は冷たくて結構残酷な考え方をするという事に、なんとなく気付いているようです。

また、『あんたが小さい頃から、「なんかこいつ(私の事です)、普通と違うなぁ」って何となく思ってたよ』とは言われました。


nさんが求められる回答とは違うかもしれませんが、こういう回答でよろしいでしょうか…?
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.20 )
日時: 2013/04/25 23:31 (dion)
名前: なを

>>nさん

すいません、No.18の書き込みを見落としてしまっていました。

ご心配下さり、ありがとうございます。
ただ…よろしければ、その理由をお聞かせ願えませんでしょうか?

死への傾倒も、非現実感・離人感も、特別な事では無いように思います。日常茶飯事とは言いませんが、病院に行き診察を受ける程の事でも無いような…と感じています。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.21 )
日時: 2013/04/26 02:16 (au-net)
名前: アジテイター

 なをさんとnさんとのやりとりに横から入ることをお許し下さい、失礼ながら実に興味深く拝見しました、私の子供時代にそっくりです。

 私は既に50歳過ぎで普通に社会生活を営み、早期退職している身ですが、子供時代は独りで遊び(兄弟・姉妹もいません)異常に知能指数の高い子供でありました、周囲はそんな私を高評価しましたが、本人はなぜ評価されるのか理解できませんでした、他人と比較されても意味など無く、徒党を組んで遊ぶことの楽しさなども知らなくて良い事だと思っていました。

 小さい頃に独り遊びをした記憶は鮮明に残っていますが、団体で遊んだ記憶は思い出すのに苦労します、遊んだ友達の顔もなかなか思い出せないところも貴方と同じです。

 現在でも野球やサッカーの試合など観ていても面白くありません、なぜあのようなルールで勝敗を決める必要があるのか今ひとつ実感できないのです、目の前の敵を倒す格闘技なら理解できるのですが団体競技、球技には関心ありません。

 独りで行動することが多く、物事を哲学的に考えすぎて反対に悩みになってしまうことも多かったです、ただし思春期以降に変わりました、何故変わったのかそのニュアンスを伝えるのは難しいのですが、絵画や造形、写真、文学などのおよそ合理的な答えが出ない芸術分野に興味を持ったのがきっかけだったかも知れません、また生物学的に性欲が出てきたことが大きな要因だったかも知れません、総合的には人生の一番大事な人間形成が出来る年頃に良い影響?が備わったためでしょうか?(申し訳ない、説明するのが難しく伝えられないかも知れません)

 親や親戚ともに当時は医学的なもの(特に精神的な)が発達していなかったのと、私の性格形成が自然に治ってしまったので問題にしなかったみたいですが、ひとつ間違えば私も同じような悩みを抱えていたかも知れません、他人から見れば人付き合いの悪い変人と思われていたかも知れません、社会に出る前に治ったのは幸運でした。

 社会に出てから良い人達の中で仕事が出来たのも幸運だったと思います、また雑学やジョークに興味をもつ事が出来て、人を笑わせたり感動させることの面白さも知りました、普通の人なら自然に備わっている物ですが、私の場合最初は学習でした。

 私見ですが潜在的に貴方と同じような人格を持って誤解されている人は多いのではないかと思いますよ。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.22 )
日時: 2013/04/26 18:59 (dion)
名前: なを

>>アジテイターさん

ご意見ありがとうございます。
私としては、様々な考え・境遇・性格の方からご意見を頂戴したいと思っておりますので、ご意見を頂けた事をありがたく思います。

>周囲はそんな私を高評価しましたが、本人はなぜ評価されるのか理解できませんでした
まさに私もそうでした。優等生、よく出来た子等、いろいろなプラスの評価をされていましたが、その評価を受けて『嬉しい』とも『これからも頑張ろう』とも、何とも思いませんでした。
アジテイターさんと同じく、『何がそんなにいいの?』としか思っていませんでした。


>現在でも野球やサッカーの試合など観ていても面白くありません、なぜあのようなルールで勝敗を決める必要があるのか今ひとつ実感できないのです、目の前の敵を倒す格闘技なら理解できるのですが団体競技、球技には関心ありません。
これに関しては、私は真逆の考えを持っています。
野球・サッカーなどは、
『定められた一定のルール内で、ある条件(相手チームより点をたくさん取る)を満たせば勝ち』
というシンプルに明文化できる競技なので、互いにそのルールの中でどう試合を進めていくか、という点で理解は出来ます。とはいえ、団体競技の良さ・必要性というのは私もわかりませんし、熱中はしません。

一方、格闘技の目的は『相手を倒す事』。それなのにどうして"ルール"が必要なのか、と思います。
もちろん、スポーツ…というか興行である以上、"ルール"という縛りが無ければ死傷者を出す結果になり、単なる暴力・暴行になるから……という理由はわかります。けれど、目的が"相手を倒す事"であるのだから、本来そういう原始的な行動にルールなど必要無い、と感じます。
当然それでは、古代ローマの剣闘士の時代じゃないのですから、現代では娯楽としては成り立たない為、実現できないのもわかっています。ただ、だからこそ現代の『格闘技』は意味がわからない、と私は感じます。(格闘技経験者の方を見下す、貶めるつもりはありません。)


>独りで行動することが多く、物事を哲学的に考えすぎて反対に悩みになってしまうことも多かったです
私も哲学的に、または物事を掘り下げて深く深く考える事が多いです。というより、ほぼ全てにおいてそういう傾向があります。
ただ、私の場合はそれで悩む事は少なくとも今までにはありませんでした。
理由は、
『徹底的に考える事・調べる事によって、自分が納得できる"答え"に辿り着く、または近付く事が出来る』
からです。私には、一度興味を抱いたものは徹底的に追求するという性質があるので、苦にはならなかったのかな、と思います。


>絵画や造形、写真、文学などのおよそ合理的な答えが出ない芸術分野に興味を持ったのがきっかけだったかも知れません
絵画や文学は私もどちらかと言えば好む方ですが、それは"美しいから"、"感動したから"では無く、例えば絵画であれば、
『この絵が人を惹きつける理由は何か?この絵の技法・表現・演出等の中にきっと答えがある。それを考えてみる。』
という、"分析"しか考えません。
自分の中で"答え"が出れば、もうその作品には何の興味も持たなくなります。

アジテイターさんが仰るように、それらの芸術分野には理屈では測れない"感性に働きかける魅力"があるという事自体はわかるのですが、その肝心の"感性"が理解出来ません。


>また生物学的に性欲が出てきたこと
こちらに関しても、(以前にこのスレッド内でも書きましたが)私がトランスジェンダーであるからなのかはわかりませんが、性的な欲求が皆無に近いのに加えて、性嫌悪の感覚も持っているので、まるで無縁という状態です。


アジテイターさんのご年齢を考えると、同じようなタイプの方々の当時のご心労をお察しします。
うつ病などの支援や理解が少しづつですが確実に進んできている現代でさえ、我々のようなタイプは中々…というか一般的にはほぼまるで理解されないと思います。私は、それは別にどうでもいいというか興味無いのですが、それで悩んでらっしゃる方々がいるというのは事実でしょうし、これは難しい話ですね。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.23 )
日時: 2013/04/26 20:08 (home)
名前: n

ありがとう。とてもよい回答です。

>【現実の私】を【もう一人の私】が見ているという感覚で、その時の私の視点が【もう一人の私】でした。

とても的確な表現だったと思います。まさにその通りの感覚なのだろうと思います。
その時の感覚がこちらまで伝わって来ました。

それと前回の
>あえて一つ気になる点を挙げるとすれば、思春期における第二次反抗期が特に無かったという事でしょうか。

私も見落としていたようです、すみません。



ご両親についてのご回答、有り難うございます。
お父様についてはあの数行でどのような方か、よくわかりました。

お母様についてもう少し質問を重ねたいのですが、構いませんか?

>母は、基本的に温和でまじめな人ですが、かなりの心配性であり、悲観的ではないものの、私から見て精神的には弱い方の人だと思います。

もう少しこの辺りを詳しくお話頂けるといいな、と思います。
そうだな…「かなりの心配性」って、具体的にどんなことで悩んだり心配したりするのでしょうか?
また、「心配性だけど悲観的でない」という表現についてももう少し説明を加えて頂けたらいいなあと思います。

前回と同様、あなたらしい言葉で自由に表現して頂けると嬉しいです。



No.18の理由についてはそうですね…
「あなたのこと、少し大切に感じているから」と、現時点ではお伝えしておこうかと思います。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.24 )
日時: 2013/04/26 23:53 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。
私のあの書き方(表現)で、一応でも伝えられたようで良かったです。

母については確かに単語の羅列だけで言葉足らずでした、すみません。

>「かなりの心配性」って、具体的にどんなことで悩んだり心配したりするのでしょうか?
小さい頃、といっても…小学5、6年生の頃でしょうか。私が例えばどこかに一人で出掛けたとします。季節や地域によっても異なりますが、夕方のチャイムってありますよね?あの『良い子の皆さん、そろそろお家に帰りましょう』みたいなやつです。
あのチャイムが例えば17時に鳴ったとして、帰るのが18時だととても怒られました。「どこ行ってたの!!」と。
例えまだ陽が沈んでいなくとも、事前に家に電話で「どこどこに行ってくる。ちょっと遅くなるかも」と言っていても、です。
特に決められた門限などは無かったのですが、どうやらその夕方のチャイムが一種の門限的扱いだったようです。家に入れてくれない・夕食抜き等は一度もありませんでしたが、遅くなるとまず必ず怒られました。

さすがに高校くらいになると、夜8時くらいまでならOKにはなりましたが、7時過ぎくらいになる場合は連絡する事を耳にタコが出来るくらいに言われました。

高校卒業後、私は専門学校に行ったのですが、その頃からはもう時間的な制約は無くなりましたが、電話連絡を入れる事は絶対に言われました。これは今でもです。また、例えば私が車でどこかに出掛ける時も、「着いたら電話ちょうだい。あと向こう出る時も。」とは必ず言われます。

父に対してもそうで、例えば父が飲み会で遅くなった時、終電で寝過ごさないか気が気でないらしく、父が携帯に出なかったりすると帰ってくるまでソワソワ、イライラしてたりします。
また、ウチはペットで犬を飼っているのですが、事あるごとに病院に連れていっています。少し下痢気味、鼻がずるずるしているとか、本人(本犬?)が特に苦しがっていたり、気にしていたりしていなくても…というかむしろ元気一杯でエサや犬用おやつを食べて走り回っていても、です。


>「心配性だけど悲観的でない」という表現についてももう少し説明を
これは、簡単に言えば
『コトが起きるまではやたら心配性なのに、いざ何かトラブルが起きると吹っ切れて何とかしてしまう・なってしまう』
という感じです。

私が小中学生の頃、母はパートに出ていました。
確かチェーン店の回転寿司屋だったと思いますが、ある日、朝に母が出勤すると手違いで、ネタのマグロが無かった事があったらしいのです。寿司屋でマグロが無いなんて致命的です。
母は主任代理のような立場で、パートさんの中では一番最初に出勤していた為、その後すぐに出勤してきた副店長に事情を話した所、仕入れ担当の社員さんのミスだった事がわかったらしいのですが、それがわかった所で開店までもう時間がない。そこで母は副店長にすぐ許可を得て、一番近くの同じ系列のチェーン店に連絡を取り、幸運にも冷凍の在庫があったので、すぐに取りに行ってその日は乗り切ったらしいです。

この例は、どちらかと言うと母の行動力が発揮されたエピソードではありますが、いわゆる"ヤバい"状況になっても、『もうだめだ』となる事はあまり無いようです。

ただし、これはあくまでも"怪我"や"命"、"安全"に関わる事ではないからなのかもしれません。
というのも、つい2ヶ月程前なのですが、ペットの犬が首の後ろ側に腫瘍のようなコブが出来て手術をしました。腫瘍と思われていたのは、取ってみたら膿の塊で、散歩の際に葉っぱで首に小さい傷が出来てそこが化膿して膿んでしまったようで、これは切除すればそれっきりで、別にどうこうという訳ではなかったのですが、手術した翌日、急に母が泣き叫んでいるので何事かと思って行ってみると、犬が泡を吹いて痙攣を起こしていました。

その時は母はもうパニックになっており、その後数秒で犬の痙攣は治まったのですが、母はただオロオロするばかりでした。
すぐに手術したかかりつけの病院に連れて行った所、どうやら癲癇の発作だったらしく、ウチの犬は潜在的に癲癇を持っていたようで、手術の際の全身麻酔が引き金になり、それが表面に出てきたとの事でした。

癲癇そのものでは死なない、という事を説明しても、その後、数回発作が起きた時は、最初と比べればまだマシですが、やはりオロオロしていました。今は癲癇を抑える薬を飲ませているのでずっと発作は起きていないです。


この出来事を考えると、私や父が病気になったり事故にあったり、事件に巻き込まれたり、何らかの"アクシデント"があった場合、母は恐らくパニックになる可能性があります。
私も犬の一件まで、あそこまで取り乱した母を見た事はありませんでした。

となると、
『"ネガティブ"という訳ではないけれど、"怪我"や"命"、"安全"に関わる突発的な出来事には冷静でいられない』
と言った方が正しいかと思います。というか、前回こう書くべきでしたね…すみません。


>No.18の理由についてはそうですね…
>「あなたのこと、少し大切に感じているから」と、現時点ではお伝えしておこうかと思います。
わかりました、今は私もそれで納得しておきます。
今は確かに、"死"についての興味は無くなりました。ただ、完全に消え去った訳でも、"あの感覚"を忘れた訳でもありません。現に今、私の中で何かはわかりませんが、くすぶっている感じはあります。
とはいえ、前回のように自分の性質を知らない状態では無いので、例えまたそれが出てきても、前回とは違う経過を辿りそうではありますので、問題無いかとは自分自身では思います。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.25 )
日時: 2013/04/27 04:13 (home)
名前: n

おはようございます。


>例えまだ陽が沈んでいなくとも、事前に家に電話で「どこどこに行ってくる。ちょっと遅くなるかも」と言っていても、です。

例えあなたが事前に心配させないよう説明したとしても、いきなり怒られてしまう感じですね、

>特に決められた門限などは無かったのですが、どうやらその夕方のチャイムが一種の門限的扱いだったようです。

これに関してですが、お母様の方から具体的な説明(例えば「心配するから夕方のチャイムが鳴るまでに帰って来なさい」)など、親子の基本的なやり取りってありませんでしたか?
なをさんが常に状況を推測しながら、お母様に行動を沿わせていたように感じられますが…、如何ですか?



「とても心配性なお母様だったのですね」と言いたいところですが、そうでもなさそうですね。反応の仕方にばらつきがあるようにも見えます…。

ちなみに、そこまでお母様が
>"怪我"や"命"、"安全"に関わる突発的な出来事には冷静でいられない
理由や原因って、どのようなものに思われますか?



P.S. 今日から数日程、返信が途切れるかもしれません。ご迷惑お掛けしますが、宜しくお願いします。

   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.26 )
日時: 2013/04/27 07:26 (dion)
名前: なを

>>nさん

おはようございます。ご返信ありがとうございます。

>お母様の方から具体的な説明(例えば「心配するから夕方のチャイムが鳴るまでに帰って来なさい」)など、親子の基本的なやり取りってありませんでしたか?
あったような…気はします。ただ、正直覚えてはいません。
私は、小さい頃は"決められたルールには従う"、"大人の言う事には反論せずに、盲目的に言う事を聞く"という子供でした。
『なぜそれに従わなければならないのか』を考えられるようになる年齢になる前、幼稚園の頃から「大人の(親や先生)言うことは聞くんだよ」みたいな事を刷り込まれていました。

以前に私が書き込んだ、
>幼少の頃から今までずっと、誰かと敵対したり、先輩や先生に目をつけられたり等はありませんでした。
という、この事は、まさにこの刷り込みによって成されたと考えてもいいかもしれません。

私が何か悪さをすると、母は頭ごなしに叱ったり、怒鳴ったりではなく、"なぜそれがダメなのか"を理由をつけて説明していました。
私は一回そういう風に説明されて納得すると、それ以降は二度と同じような事はしなかったそうです。


>ちなみに、そこまでお母様が
>"怪我"や"命"、"安全"に関わる突発的な出来事には冷静でいられない
>理由や原因って、どのようなものに思われますか?
私自身の事に限って言えば、恐らく私が遅く生まれた子供だったからなのでしょう。

父と母は再婚同士で、両親とも前の配偶者との間に子供がいます。
父の、前妻との間の2人の子は今でも交流があり、度々ウチに遊びに来ます。と言っても、私とそれぞれ9歳と10歳離れており、既に二人とも結婚し子供もいますが…
二人とは、私が小さい頃からしょっちゅう会っていました。

母にも、前夫との間に2人の子供がいたそうです。これは父の例とは違い、私が中学生の頃初めて母が教えてくれました。
ただ、母の場合は前夫が酒浸り・家にお金を入れない・暴力を振るうといった、絵に描いたようなダメ人間だったらしいです。
結果的に母は精神的に追い詰められ、経緯は詳しく教えてはくれませんでしたが、泣く泣く子供と離れ離れになるような形で前夫と離婚したそうです。

それぞれもう30年以上前の話ですが、結果的に母が父と出会い、結婚して私が生まれたのが、母が38歳の時でした。
そういった過去がある故に、残してきた2人の子供への罪悪感・罪滅ぼしの念から今度の子(←私の事です)は絶対に手放さない、という思いが強いのだと思います。
ついでに言えば高齢出産だった為、通常分娩ではなく帝王切開だった上に、私は仮死状態で産まれたらしく、母子手帳の出産時の備考欄には欄外にハミ出す程にいろいろなスタンプが押されていました。

もうここまで書けば一目瞭然ですが、母は極端なまでの過保護であり、父や親類にもその事を指摘されていました。


そして、今思うに、私は母からネグレクトや暴力ではない、"可愛がりすぎる"という、ある種の虐待を受けていたのかな、とも思います。
もちろん自分では意識していませんでしたし、その事に関して、今更母に対してどうこうという思いは特にありません。

小さい頃の私は、母のみならず、周囲の大人達から"完璧な子供"扱いされてきました。けれど、それで私自身が得た物は何一つありません。
与えられたロール、周囲に求められるものを持った子として育った私が無意識下で欲しかったのは、青臭い言葉で恐縮ですが"自由"だったのかもしれません。今となってはわからない事ですが…。


追伸、了解致しました。
お時間のある時にご返信頂ければ幸いです。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.27 )
日時: 2013/04/28 00:25 (au-net)
名前: アジテイター

 再び横から書き込みすることをお許し下さい、なをさんが真剣に悩みを相談しているのに誠に不謹慎ではありますが、返事が実に興味深いというか面白いのです、私自身の幼少時代とリンクする方がいるのかと思うと気になって書き込みしたいという欲望を抑えきれません。

 御返事の中でスポーツについて真逆の解釈でありましたが、これは私の説明不足、自分が探求してみたい格闘技は独りで観戦、プロレスや柔道、空手などは会場に行き、当時は高価であったビデオデッキを買い込み、何度も再生して技のかけ方を観察するのに対して、野球やサッカーなどは周りの人達が夢中になり楽しんで騒ぎながら観戦するのが理解できなかったと書いた方が良かったでしょうか?
 もちろん野球・サッカー選手を否定はしません、鍛え上げられた肉体と集中力は尊敬すべきであると思います、また古代ローマの殺伐とした競技が現代では成り立たないことも理解しております。

 ただし幼少の時は残虐性・残酷性が強い子供であったかも知れません、そのような事をしてはいけないという理性が働いて犯罪に走らなかったのは幸運でした。

 また絵画のことですが、感性なる説明しがたいものはさておき、職業絵描きでもないのに追求してから画く癖は治りません、主題が花ならその花のことを徹底的に調べてから画きます、画いている時間より調べている時間の方が長くて呆れられたこともあります、そして描き上がった作品には執着しません、欲しいという人にプレゼントするか、捨ててしまうかです。

 御母様のことですが、私の母親も心配性でした(八年前に死亡)そして早めに帰宅する良い子?でもありました、旧家の一人息子として生まれたためか、当時としてはかなりな過保護だったと思います。

 また潔癖症でもありました、当時の子供なら(今でも)どろんこ遊びや潮干狩り、田植え経験授業など当たり前なのに私は拒否しました、御菓子にハエが止まったら即座に捨ててしまうような子供でありました、大人達には奇異に見えたかも知れません。

 なをさんにアドバイスらしいことも出来ずに申し訳なく、また医学的根拠も無いのに大変に失礼な事ではありますが、先にも書いたようにこのような人格形成を持つ人は確実に存在すると思います、加齢と共に治る人も居れば、残念ながら治らない人も居る(本人が残念と思っているかどうかは今の私には理解不能です)と思っています。

 何かの参考になれば幸いです、もし文章中に貴方のプライドを傷つけたような部分がありましたらどうか御容赦下さい。 

   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.28 )
日時: 2013/04/29 05:49 (dion)
名前: なを

>>アジテイターさん

再度のご意見ありがとうございます。
返信が遅くなり、申し訳ありません。

>私自身の幼少時代とリンクする方がいるのかと思うと気になって書き込みしたいという欲望を抑えきれません。
全く構いません。私としては、むしろありがたいです。


>御返事の中でスポーツについて真逆の解釈でありましたが〜〜〜
なるほど、私もその考え方には同意です。
私も、大勢で騒ぐというのはスポーツ観戦に限らず好きではないので、家で一人でじっくり見るタイプです。
私は、野球とサッカーでいえば野球の方が好きなのですが、それはやはりそこに"心理戦"があるからです。(サッカーに心理戦が無いとは言いません。)

野球はチームのスポーツですが、打者が打席に入ったら、もう打者vs捕手の闘いだと思っています。捕手側はデータ・打者の癖・心理状態・現在の状況等から配球を決定し、打者は捕手と投手の癖・投手の調子・投球の特徴等からコースを読む。
そういったものに興味を惹かれ、アジテイターさんが仰る所の
>自分が探求してみたい格闘技は独りで観戦、プロレスや柔道、空手などは会場に行き、当時は高価であったビデオデッキを買い込み、何度も再生して技のかけ方を観察する
という事に近い見方をしているのだと思います。


>ただし幼少の時は残虐性・残酷性が強い子供であったかも知れません、そのような事をしてはいけないという理性が働いて犯罪に走らなかったのは幸運でした。
正直に言えば、私は今でもそうです。この掲示板で具体的に書くのは問題があるので、どういう思考かはあえて書きませんが、自分では気付いていなかったのですが、いわゆる反社会性パーソナリティ障害の思考にかなり近いベクトルの思考・行動をしているようです。(診断はされていないので違うとは思いますが。)


>また絵画のことですが〜〜〜
私もほぼ同じ感じです。特に共感したのが、
>描き上がった作品には執着しません、欲しいという人にプレゼントするか、捨ててしまうかです。
この部分です。私は絵は描きませんが、自分で何かを創った時に、どんなに時間を掛けて創っても、どんなに上手くできても、一度"完成"してしまえばもうどうでもいいのです。
最も、私の場合はこのスレッド内でも何度か書いているように、一度興味を持ち没頭した事でも、ある時を境に一瞬で興味を失くす為、それまでどんなに緻密に丁寧に創ってきたものも、一瞬でゴミと同類に思って破棄する事も多いのですが。


>また潔癖症でもありました〜〜〜
確かに私も泥んこ遊びや、そういう類いのものはした事がありませんね…。別に潔癖症とまではいきませんが、ハエが止まったお菓子は止まった部分と周囲をえぐり取ってはいました。というか、それは今もです。


>先にも書いたようにこのような人格形成を持つ人は確実に存在すると思います、加齢と共に治る人も居れば、残念ながら治らない人も居る(本人が残念と思っているかどうかは今の私には理解不能です)と思っています。
どこかで見たのですが、例えばパーソナリティ障害の場合、種類にもよりますが、加齢や環境によってその性質が無くなっていく場合も多いらしいです。
私としては、"治る"という表現も変な感じはします。本人が苦痛に感じているなら、確かに"治る"でいいのでしょうけれど、私のようにそうでない場合は…これはどうなんでしょうね…ちょっとわからないです。


>何かの参考になれば幸いです、もし文章中に貴方のプライドを傷つけたような部分がありましたらどうか御容赦下さい。
ご丁寧にありがとうございます。私のプライドなど有って無いようなものですし、何かを言われてショックを受けるような事も無いので、お気になさらずに忌憚無きご意見をお聞かせ願えれば、と思います。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.29 )
日時: 2013/05/01 23:08 (home)
名前: n

最後のレスから随分日付けが空いてしまいましたね。返信遅くなってしまってごめんなさい。


幼少期の記憶、ご両親のこと、丁寧に記述して下さったこと感謝致します。


> そして、今思うに、私は母からネグレクトや暴力ではない、"可愛がりすぎる"という、ある種の虐待を受けていたのかな、とも思います。
> もちろん自分では意識していませんでしたし、その事に関して、今更母に対してどうこうという思いは特にありません。
>
> 小さい頃の私は、母のみならず、周囲の大人達から"完璧な子供"扱いされてきました。けれど、それで私自身が得た物は何一つありません。
> 与えられたロール、周囲に求められるものを持った子として育った私が無意識下で欲しかったのは、青臭い言葉で恐縮ですが"自由"だったのかもしれません。今となってはわからない事ですが…。


とても言葉に重みを感じます。
どれも単調な表現になってしまいそうで、私の方も「返す言葉を選ぶのが難しいな…」と感じています。



普通はね、「過保護な親」と偏に言っても、"子供"と"親"の関係がしっかりと出来ていれば、子は現実との距離感で悩んだり(あなたは"悩んで"はいないけれどね)、「自分って何だ?」「生きるってなんぞや?」って根本的な存在の問題を直接意識することはまずないんだよ(…と、いきなり語調変わりますが…)。
もちろんその場合でも子は親の完全な支配下に置かれてしまうから、子は反発して親と対立したり、自分を理解してもらおうとぶつかったり、「親も苦労してきてるから…」って自分の欲求を必死に抑えて親に合わせようとするんだけど、それが上手くいかなくて別の所で嗜癖問題や万引きや自傷行為なんかの問題が出て来たり…と、苦労はするんだけどね…。これは逆に言うと、「親と子」の図式がきちんと出来上がっているから成立する関係や問題の表出の仕方でもあるんです。
「ベールの向こうに世界を感じて」いたり、「自分を見ているもう一人の自分がいたり」っていう感覚へは、親の過保護を持ってしても直接は至らないの。

でもあなたの場合、お母さんに対して何の(と言っていいのかな…)反発や悲しみの感情もないでしょう?
これは、ちょっと一般的な親子関係とは異なる図式で家族としての機能を果たして来た…というか、あなたが上手く家族としての機能がまかり通るように、場の調整をして来たって言うのかな、そんな風に解釈してもいいと私は思っているんだよね。

ちなみに、あなたはお母さんに対しても、"どこか遠い人"だったり、遥か彼方の距離で("お母さん")と感じているくらいにしか、母親のことを知覚していなかったりしませんか?実際には過保護だったのにも拘らず…です。

(ちょっと断定的な言い方をしてしまっていますね、不快に感じられたら謝ります。)
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.30 )
日時: 2013/05/02 03:02 (dion)
名前: なを

>>nさん

お久しぶりです(…というほど日にちも経っていませんが)、ご返信ありがとうございます。
ご意見、興味深く拝見させて頂きました。


少なくとも私自身は、"普通の家庭・家族"の中で育ってきた…と今まで考えてきました。
しかし考えてみれば、他の家庭・家族の中に入って生活した事が無いのだから、結局"主観"でしか捉えられない以上、自分の家庭・家族の関係がいわゆる"普通"なのかは誰にもわからないんですよね。
小さい頃、特に家庭環境に問題があったり、家族が不仲という印象は私にはありません。自分の家庭・家族の在り方が"異常"だとも思った事はありません。

となると、"今の私を形作ったもの"は何なんでしょう?

その一つの説として、nさんが仰られた
>ちょっと一般的な親子関係とは異なる図式で家族としての機能を果たして来た…というか、あなたが上手く家族としての機能がまかり通るように、場の調整をして来たって言うのかな、そんな風に解釈してもいいと私は思っているんだよね。
という事を主軸に考えてみました。

私が小さい頃は、両親は私の前で喧嘩をした事がありませんでした。
これはお互いに『子供の前で喧嘩はしない』と約束していたそうです。確かに、小さい頃は両親が喧嘩しているのを見た記憶はほぼありません。(ほぼ、というのは、言い争いは何度かあったと思うので、それが果たして喧嘩なのか微妙な所なので、一応ここではこう書いておきます。)

しかし私が成長し、両親が歳を取ってきてから、少しずつ変わり始めたような気はします。
ひどい喧嘩はありませんが、言い争いは割りと多くなってきました。父と母では、父の方が口が達者で、母は最初は言い争っていても、最後には黙り込むのがほとんどなので、父がいない時によく愚痴を聞かされます。
父は、以前にも書きましたがワンマンな所がある上に、場の空気をあまり感じない人なので、父から母への愚痴を聞かされる事もしばしばあります。
その結果、高校くらいからは、私が間に入ったり、言い争いにならないように動く事が多くなりました。

例えば、
1.父が帰宅する
2.(台所にいる母に対して)父「ビールとおつまみくれる?」
3.(母は今忙しい状況。忙しい時の母はイライラしやすい)母「ちょっと待ってて」
4.(それからちょっとして)父「まだ?何ビール出すだけでそんな時間掛かってるの?」
5.(母がイライラして)母「ちょっと待ってよ、今こっちやってるんだから!」
6.父「何でそういう言い方するかな!お母さんと話すとすーぐ喧嘩になっちゃうよ、全く…」
7.(小声で)母「いちいちうるさいんだから、もう…!」
と、このような流れから言い争いになるケースが結構あるのですが、ここで私が3と4の間くらいで全部準備すると丸く収まります。
なので、こういう時は私が動く事が多いのですが、私がいろいろやってると、母が私に、
「いいんだよ、そんな気遣わないで」
と言う事も多いです。

まぁ私としては気を遣うとかの話ではなく、
・母が父に小言を言われる
・それに母がイライラして口喧嘩になる
・後日、私がその愚痴を聞かされる
というような感じで、結局私にしわ寄せがくるのでそれが面倒臭いので動いているだけなので、父の機嫌を取るとかは別に考えてはいません。
ただまぁ結局、後日愚痴を聞かされるのは変わらなかったりしますが…。

この例だけ見るとアレですが、普段から父は母に一言余計に言ったりする事が多く、母はそんな父にイライラするという構図は結構あったりします。
そんな時、私が"緩衝材"として動くと、とりあえずその場は丸く収まります。

そう考えると、
>あなたが上手く家族としての機能がまかり通るように、場の調整をして来た
というのは、あながち間違ってはいないかもしれません。
ただ、そこまで大げさなものでは無く、もし私が居なかったら『家族が崩壊していた』とか『両親が離婚していた』という事は無いかな、とは思います。
なんだかんだ言って、互いに完全に愛想を尽かしたり、相手を見捨てるというような事は無いように思うので…。というか、世の中の夫婦の関係って、こんな感じの関係が多いのではないでしょうかね…わかりませんが…。
そういう意味では、"家族"としては特に"異常"では無いと思っています。(結局主観になってしまいますね…)


>ちなみに、あなたはお母さんに対しても、"どこか遠い人"だったり、遥か彼方の距離で("お母さん")と感じているくらいにしか、母親のことを知覚していなかったりしませんか?
これは…うーん…どうなんでしょうね…。そう感じた事というか、考えた事が無かったりします。

そもそも私は、肉親も友人も、あくまで"他人である"と認識しています。当然ながら友人と肉親では感覚は違いますが、"他人"の定義を"自分以外の人間"と考えれば(私はそう思っています)、自分以外は誰であろうと"他人"です。

私が、
>「ベールの向こうに世界を感じて」いたり、「自分を見ているもう一人の自分がいたり」っていう感覚
を感じるのは、あくまでも【私】という"個人"のみです。"他人"にそれは感じません。

なので、
>ちなみに、あなたはお母さんに対しても、"どこか遠い人"だったり、遥か彼方の距離で("お母さん")と感じているくらいにしか、母親のことを知覚していなかったりしませんか?
こちらに対する回答は、
『そうでもあり、違うとも言える』
という曖昧な感じになってしまいます。


うーん…言葉で説明するのが難しいですね…
自分でも何を言っているのかちょっと混乱気味で、支離滅裂な文章になってしまった事をお詫びします。
矛盾点や訳のわからない事を書いていたら、無視してください。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.31 )
日時: 2013/05/02 12:22 (home)
名前: n

大丈夫です、なをさんの仰りたい事はちゃんと理解出来ましたよ。

普通ね(と言ってもあなたのご家族やあなたが"普通でない"と言っている訳じゃないんだけどね…)、家族を見る時にはそこに色んな感情を感じたり、特に両親のちょっとした言い合いやいざこざであっても、なをさん自身仰っているようにそこに子供なりの理想や願いや不安を感じて、助けたり助けなかったりしているんですね。もちろん、ご両親から精神的に自立して「まあ仕方ねえか…」と諦めたあとは、あまり干渉もしなくなるけどね。

でもなんていうのかな、あなたの場合、家族を(自分も含めて)丸ごと外側から見ている時があるでしょう、一般の人達の考えている"家族"という表現と、あなたの考えている"家族"の表現って、随分温度差や距離感があるように感じているのね、個人的には。文章だけだと、言葉のニュアンスだったり、それを話す時、考えている時のあなたの様子が直接観れないから、少し感度は堕ちてしまうのだけど…。

そういう意味で、少し"ご家族を見つめる自分の視点にも距離がある"という言葉の使い方をしてみたのだけどね。表現を欠いていたようで、謝ります。


もちろん。ご家族だけが問題の中心なのではないと思っています。あなたの場合は性に対しても中立の(と言っていいのかな、)立場であるから、客観的に物事が見える"癖"には拍車をかけていたとも思います。でも、それだけでも理由にするには不十分だなとも、感じています。


(それとくどいようですが、お話を聞いていると「やっぱり発達障害ではないな…」と感じます。完璧なまでに家族の構図、ご両親の構図をなをさんはご理解なさっていて、適応されていますから。これはちょっと今の話題とは関係ないですけどね…)


異常か普通かと言ったら、あなたのご家庭は「普通」に属していると思いますよ。実に普通ですし、なをさんが例え口論の仲介に入らなかったとしても、このご夫婦はそれなりに関係を築いていける方々だろうなと感じます。
なので、これはなをさんが混乱されてしまう表現を用いてしまった私側のミスですね、ごめんなさい。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.32 )
日時: 2013/05/02 19:50 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。
私の言いたい事、言おうとしている事を察して頂き感謝致します。


>あなたの場合、家族を(自分も含めて)丸ごと外側から見ている時があるでしょう
>そういう意味で、少し"ご家族を見つめる自分の視点にも距離がある"という言葉の使い方をしてみたのだけどね。
なるほど、そういう意味合いだったのですね。私の読解力が足りずに、曖昧な理解をしておりました。申し訳ありません。

これは確かに、nさんの仰る通りだと思います。
今までそんな事を意識した事がありませんでした。…というより、それが"普通"だと思っていました。

改めて思い起こすと、『"外"から物事を見る(観る・視る)』というのは、小さい頃から、それこそ物心ついた頃からずっと続けてきた事です。それは別に家族というコミュニティだけに関わらず、ありとあらゆるモノ全てに対してです。

そう考えると、『今の"私"を形作ったモノ』の正体は、環境や育てられ方では無く(もちろんそれも重要な要因ではありますが)、元々持って産まれた思考回路そのものなのでしょうかね…。
そういう【資質】が土台として先にあり、そこに"育った環境"や"状況"という名の【建築材】が積み重なっていき、より強固になっていった…という事も充分に考えられそうです。

まぁ原因がわかったとして、それを取り除く事は出来ないでしょうし、そもそも原因に辿り着くのが難しそうなので、ある程度の所で自分が納得するしかない気もしますね。


純粋な疑問なのですが、いわゆる"一般的"(と言っていいかはわかりませんが)な"視点"というのは、【自分】という存在をどう捉えているのでしょうか?
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.33 )
日時: 2013/05/02 22:36 (home)
名前: n

>純粋な疑問なのですが、いわゆる"一般的"(と言っていいかはわかりませんが)な"視点"というのは、【自分】という存在をどう捉えているのでしょうか?

そうね、とりあえず、(仮に)"普通の人"は、自分を外側から観るような体験をすることは度々しかないです。
「度々」というのは、例えばその人が長く生きて来た今までの生き方の一つを"諦める"前兆として、それを感じることがあります。自分が精神的に成長し始める頃、今までの生き方の枠に自分自身が収まり切らなくなって、枠からはみ出してしまうことがあるのね。そういう時には、"はみ出した部分の自分"が、"今までの自分"を見つめるようにして枠の外から眺めていることがあります。
また、PTSDになるような体験をされた方も、その体験後にこの離人感を感じることはよく知られています。それまで"普通に"生きて来た人でも、自分の在り方や人生の根底を一気に崩されるような体験(衝撃)をすると、"今までの自分"が遠い過去の人のように見えてしまうことがあります。そんな時に、自分との距離が遠く感じられて、現実世界から遊離することはよくあります。

ただしそういうことが無い限りは、"普通の人"は『普通に』生きています。


『普通』とは…。
自分の日々の体験が『普通だ』なんて意識はありません。
そもそも、「【自分】という存在をどう捉える」という視点にはまず至りません。
今体験している出来事や感情が自分の"全て"で、自分"そのもの"で、それ故に痛いものは痛い、悲しいものは悲しい、嬉しいものは嬉しいと、ある意味で"思い込んで"います。

「自分の体験が真実であるのだから、他人も同じことを感じ考えるはず」と、同時に(そんな思考が意識に浮上することもなく)盲目的に理解しています。
だから極端な言い方をしてしまえば、人が苦しんでいれば助けなければいけないと"信じて"いるし、人が怒っていればこちらも苛々するのが当然と"私は知って"いるのだし、人生は頑張り良いことをし人のためにあって当然なのだし、もちろん私も幸せになる権利があって当然…というニュアンスを含んだ、比較的人生との距離の無い見方をして生きています。
「生きる」という文字に対する感じ方や想い、重みなどは、あなたの考えるそれとは比較にならない程「自分勝手な」解釈になってしまっています。(というか、それこそ"普通の"理解なので、このように説明する私こそおかしいのですが…。)


でも、そういうことです。一言でいうなら、【今自分が体験していることが全て】という感覚を、"普通の人"は持っているのだと思います。だから皆さん、色んなことを体験した直後の反応が早いでしょう?(なをさんが以前記載して下さった精神・性格検査の結果を思い出します。)あれは世界で起こっている出来事と自分の体験が完全に連携して起こっているからです。(と言っても、加齢や精神的な成熟と共にその様式もなをさんと類似した体験に徐々に変容していきます。普通に成長を遂げればですが…)

*こんな事ここに書くと反論されそうですので、"なをさんとの二人だけの会話"として書き記しますね。




ちなみに…

なをさんのような"観方"は、完全に先天的な素質によって作られるわけでもありません。もちろん、物事の理解力の高低は多少そこに影響します。

"普通の人"の持っている【今自分が体験していることが全て】という妄信は、実は後天的に作られます。


ご関心があれば、またお話したいと思います。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.34 )
日時: 2013/05/02 23:13 (au-net)
名前: アジテイター

なをさんへ
 nさんとのやり取りを拝見していて何か私の体験と似ている部分があるので再度レスします。

 一般的な視点の【自分】
 ベールの向こうの自分
 他人にはそれを感じない

 これは私が思春期までに感じていた物と似ているかも知れません、文章で表現するのは難しいのですが、視覚に入る物が確かに現実であることを理解しながらも現実感が薄く、柔らかいクリスタル?のようなもの(とても分厚いように感じました)に包まれた自分が傍観している視点という表現で御理解頂けるでしょうか? 矛盾した言葉ですが【寂しいとは感じない孤独感での視点】と表現した方が分かりやすいでしょうか?。

 誤解を恐れずに申し上げるなら、水族館の魚をガラス越しに見ているような、プラモデルのジオラマを見ているような視点でもあったと思います、妙な浮遊感もあったかも知れませんが今となってははっきりとは思い出せません。

 何かの参考になればと思いレスしましたが、医学的・科学的な証明や根拠が無いにもかかわらず書き込み、失礼いたしました。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.35 )
日時: 2013/05/03 00:07 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。
丁寧にご説明下さり感謝致します。

確かに、"普通"に生きてきて、『"普通"ってなんだろう?』と考える事って中々無さそうですね。実際、私もそうやって生きてきたからこそずっと気付かずにいて、今、"普通"についてこうして考えている訳ですし…。

アインシュタインの有名な言葉に
『常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう。』
いうものがありますが、これは"常識"を"普通"という単語に換えても適用される気がします。

『それが当たり前だから』
『そう決まっているから』
『それが常識だから』etc...
そういった事に対して、『それは、なぜ?』という疑問が浮かんでこないのが

"思い込み"であり、"無意識のうちにある、社会・世界からの洗脳"(と、言ってしまうと語弊があるかもしれませんが)なのかな、と思います。


>一言でいうなら、【今自分が体験していることが全て】という感覚を、"普通の人"は持っているのだと思います。
>だから皆さん、色んなことを体験した直後の反応が早いでしょう?(なをさんが以前記載して下さった精神・性格検査の結果を思い出します。)
>あれは世界で起こっている出来事と自分の体験が完全に連携して起こっているからです。(と言っても、加齢や精神的な成熟と共にその様式もなをさんと類似した体験に徐々に変容していきます。普通に成長を遂げればですが…)

"加齢や精神的な成熟と共にその様式もなをさんと類似した体験に徐々に変容していきます。"
これは、いわゆる『大人になって(歳をとって)、物事を客観的に見れるようになった』というやつでしょうか?

"世界で起こっている出来事と自分の体験が完全に連携して起こっている"というのは、私には理解が難しい感覚です…
どう捉えたらいいのか、自分に無いものを考えるのは難しいのですが、逆説的に言えば、
【体験した事ならば、疑問を持たずに受け入れる】
という風に捉えてもいいのでしょうか?


>なをさんのような"観方"は、完全に先天的な素質によって作られるわけでもありません。
それは、私も思います。先ほどの私の返信で、
>元々持って産まれた思考回路そのものなのでしょうかね…。
と書いてしまったので、"もう最初からその【枠】が出来ている"というようなニュアンスになってしまった事に今気付きました。申し訳ありません。
基本的には、"人格形成には、成長過程の影響が大きい"という事は把握しております。


>ご関心があれば、またお話したいと思います。
よろしければ、お聞かせ願えるとありがたいです。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.36 )
日時: 2013/05/03 00:09 (dion)
名前: なを

>>アジテイターさん

再度のご意見ありがとうございます。


>寂しいとは感じない孤独感での視点
これに近い感覚はあります。アジテイターさんは、
>柔らかいクリスタル?のようなもの(とても分厚いように感じました)に包まれた自分が傍観している視点
>水族館の魚をガラス越しに見ているような、プラモデルのジオラマを見ているような視点でもあったと思います
という例を出されていますが、私の感覚を言葉で説明すると、
【"舞台上での演劇"と"観客"】
という感じでしょうか…

舞台=世界・社会
演劇(のシナリオ)=世界・社会で起こっている事全て
役者=その"演劇"の登場人物(【世界】の中にいる【私】を含みます)
観客=客席から全てを見ている【私の視点】
と、このような感覚が一番近いかもしれません。

"舞台上"で何が起きているか。
"役者達"はどういった行動をしているか、また、"役者"同士はどんな関係なのか。
そういった事が、"観客"である【私の視点】では全てわかります。全体像を把握する事も出来ます。

けれど、"観客"は"舞台"に干渉できません。あくまでも"観ているだけ"です。
"舞台上"には様々な"役者"が大勢います。賑やかです。
しかし、【私の視点】が在る"観客席"に、他に"観客"はいません。

そのため、
>>寂しいとは感じない孤独感での視点
というのは、その通りになるのかもしれません。
(私は"孤独感"はよくわからない感覚なので感じてはいませんが、【視点】が"孤独である"という意味で捉えると当てはまっていると思います。)


>何かの参考になればと思いレスしましたが、医学的・科学的な証明や根拠が無いにもかかわらず書き込み、失礼いたしました。
いえいえ、貴重なご意見感謝致しております。
また、何か気になる事・気付いた事がありましたらいつでもご返信お待ちしております。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.39 )
日時: 2013/05/04 00:53 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。
非常に丁寧で細かなご説明、感謝致します。


>これが私の言っていた、"加齢や精神的な成熟と共にその様式もなをさんと類似した体験に徐々に変容していきます"ということの意味です。
よく、『あの人は達観している』とか、『人生を悟っている』とか聞きますが、nさんのご説明を拝見してこれが最初に思い浮かびました。

本来、長い人生を生き、様々な体験や挫折、喜びや哀しみを経験して、晩年に感じる"モノ"を、何故か私は子供の頃から感じていた…という事に近いのかもしれませんね。(というか、この"何故"はNo.38のnさんのご説明で示されていますね…)

>『なをさんと類似した体験』というのは、自分の信じていたある事柄や思考、想いなどを、手放していくことにより体験されます。
自分が今まで積み上げてきたもの、育ててきたもの、想いや思考というものを大切にする…というのは、私は
"人をがんじがらめに縛りつけ、成長を止める事"
だと思っています。

『大切な"モノ"を捨てて生きていく』とかでは無く(私は捨てていますが)、『それ(自分の信じていたある事柄や思考、想いなど)に縛られたり、囚われたりしてはいけない』という考えが強いです。
…と、これは少し話が違いますね。すみません。


No.38のご説明に対しての返信に移ります。

私は小学生の頃〜中学生くらいにかけて、"人間の心理(特に犯罪心理)"について深い興味を抱いていました。同級生達が少年少女向けの心理テストの本で盛り上がってる横で、私は犯罪心理学の本を読んでいるような子供でした。(もちろん大学の専門書とかではなく、入門書といった感じのものでしたが。)
家に帰れば、そういう類いの番組やビデオをよく観ていた記憶があります。

ただ、散々書いてきたような私の性質上の問題で、興味は次第に薄れ、全く別の事に興味を持っていき、中学卒業くらいには知識を貪る事はなくなりました。
そういった中で、nさんのご説明にあるような話を読んだ記憶がかすかにあります。今となっては曖昧な記憶ですが、ご説明を拝見して、それを思い出しました。


>話は少し逸れますが〜〜〜
これは非常に興味深いです。ある意味では"回帰"になるのでしょうか。
『"生存の実感"や"所属の実感"が体験的に困難であった』というのは、"親"と"子"の関係の、ひとつの"終着点"な感じがします。

"親"と"子"の関係の先に、いくつかの"レール"が敷かれていて、どのレールに乗っても最終的にはある程度の誤差はあれど"終着点"(nさんが仰る所の『身体的満足と感情的安心の実感が一先ず得られ、それらが地上世界の言語と結び付けられると、肉体と精神が地上世界に完全に根を下ろしたことになります。』になるのでしょうか。)に収束するが、どこかで(または最初から?)乗り継ぐレールを誤ると、『地上生活において"生存の実感"や"所属の実感"が体験的に困難であった』という、別の"終着点"に着いてしまう。

そうなると、"レール"に乗る以前の【存在としての実感】に回帰し、"レール"に乗った事実そのものをリセットしてしまう…と、こんな思考が組みあがりました。


>"感覚"を持ったまま生きておられる方は、実は相当数いらっしゃいます。
私もそれは感じていました。私の思考は何も特殊じゃない、というか私自身、医者に行くまで疑問にすら感じていなかった訳ですから、気付かずに、または私のように何かのきっかけで気付いた方々は大勢いらっしゃると思います。

問題は"気付いた後にどうするか"という事ですが、本人が"生存の実感"や"所属の実感"を再取得したいかどうかに関わらず、基本はどうにもならないのでしょうね。
アジテイターさんのように、何らかのきっかけで変わる(変われる)方もいらっしゃれば、私のように、"別に再取得を望まない"と考える方も多いと思います。
まぁ再取得した方が、世界では生きやすいには違いないと思いますが、こればかりは本人次第というか…うーん、、難しいですね。


一つ、疑問に思ったのですが、
>【存在としての実感】は何事にも左右されない純粋な意識そのものなので、喜びや安心感、全身から満たされる感覚は、地上生活で得られるどんな体験よりも非常に高周波なものとなるようです。
この、"高周波"というのは、どういった捉え方をすればいいのでしょうか?
地上生活での体験とは別ベクトルでの"感覚"…という事でしょうか。(ほとんど言い方を変えただけの、非常に抽象的な表現ではありますが…)
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.41 )
日時: 2013/05/04 20:26 (dion)
名前: なを

>>nさん

こんばんは、ご返信ありがとうございます。
この時期は観光地以外は静かでいいですね。私の住む所もそうです。

nさんのご説明はとても興味を惹かれるもので、理解しやすかったです。ありがとうございます。


>これに関しては、なをさんのような方々は、実際は『レールにそもそも乗れていない』という表現の方が概念的には近いように感じます〜〜〜新しい生き方を始めていく人も少なくないようですね。

なるほど、確かにそうかもしれません。"そのつもりになっていた"という事にすら、今の今まで気付かずに、不気味な・不思議な違和感をずっと感じていたのですから。
少なくとも、私自身は"レール"に乗ったという感覚は全く無かったですし、今でもありません。
また、nさんが仰られたように、"レールの上に戻りたい(というか、別に最初から乗っていないのですが)"という感覚もありません。その無意味さ…というか、何と言えばいいのかはわかりませんが、"レール"の概念への望みや期待、そういったものを"理解"するという感覚が最初から無いからなのかもしれません。……うーん、これもなんか違う表現ですね…言葉では説明しにくいです。

完全に余談ですが、このお話を拝見した時、
『n次元に存在するものが認識できるのはn−1次元である』
という話を思い出しました。
本来ならば、意識・認識出来ない(する必要も無い)事を、知らなければ何も問題無く、それが"普通"であるのに、なまじ知ってしまった為に苦しんだり、自分の"存在"に疑問を持ってしまう。…どこか"レール"の比喩と被ります。

>しかし人生の人よりも早い段階でこれを求めるというのは〜〜〜統合したことになります。)
不思議ですね…。本来ならば年月を経て感じるはずのその"感覚"を、丸ごとスキップして感じてしまうというのは、精神の奥深さや、不気味さ、不思議さ…そういったものを感じます。

>なをさんの「自分は自由を求めていたのかもしれない…」という文を拝読した時、その"自由"という言葉に強い重圧感を感じた事を覚えています。
>あなたの感じてこられた"自由"は、深い意味での人生というレールそのものからの解放であったと思います。
もしかしたら、私は昔からこの事を無意識のうちに、本能というか精神で理解していたのかもしれませんね。言葉では上手く説明出来ないし、そもそも発達心理学の知識も無い為に、人に伝えたり訴えたりする事は出来なくても、どこかでこの概念を把握していたのかな…と今、こうしてお話を聞いているとそう思います。


追加のご説明ありがとうございます。

>これは私も独自的な表現をしてしまったな、と考えていました。
>けれど
>地上生活での体験とは別ベクトルでの"感覚"
>と正確な返答を頂けているので、有難い気持ちでいます。
>その通りです。
的外れな解釈でなくて良かったです。

>もっと平たく、別の表現をするならば〜〜〜それ一点の在り方、となります。
よく、オリンピック選手などで、金メダル最有力候補と大会前から騒がれている選手が、重圧と責任で結果が残せないのに対し、全くマークされていなかった無名の選手が、のびのびと自分の本来のパフォーマンスを出せてメダルを獲る…というような事がありますが、なんとなくそんな印象を受けました。

"レール"に乗れたら、【世界】と繋がる事は出来るけれど、それに縛られて、転落する危険と恐怖がずっと付きまとう。
"レール"に乗れなかったら、【世界】とは違う所に"居る"けれど、"レール"に乗っている人に有る"マイナスの要素"はほとんど無い。

まぁ、"レール"に乗るも乗らないも、進路や将来設計の比喩に使われる時の"レール"とは違って、自分で自由に決められる事では無いと思うので選ぶ事はできないですし、また、一度"レール"に乗ってしまえば、普通は降りる事は出来ない…もちろん逆も然りですが、そんな感覚を抱きました。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.42 )
日時: 2013/05/05 11:21 (home)
名前: n

おはようございます。


そうですね、素晴らしい理解力です。

n次元で例えたお話、オリンピック選手のお話、ともにその感覚ですね。その通りです。



>不思議ですね…。本来ならば年月を経て感じるはずのその"感覚"を、丸ごとスキップして感じてしまうというのは精神の奥深さや、不気味さ、不思議さ…そういったものを感じます。

その通りです、スキップしてしまっています。
「レールを与えられない」というのは、丸ごと死や絶望を見つめているという事でもあります。



>もしかしたら、私は昔からこの事を無意識のうちに、本能というか精神で理解していたのかもしれませんね。言葉では上手く説明出来ないし、そもそも発達心理学の知識も無い為に、人に伝えたり訴えたりする事は出来なくても、どこかでこの概念を把握していたのかな…と今、こうしてお話を聞いているとそう思います。

そういうことです。
あなたは幼い頃からこの感覚を心の深い部分でご理解されていたと思います。

それと関連して
>また、nさんが仰られたように、"レールの上に戻りたい(というか、別に最初から乗っていないのですが)"という感覚もありません。その無意味さ…というか、何と言えばいいのかはわかりませんが、"レール"の概念への望みや期待、そういったものを"理解"するという感覚が最初から無いからなのかもしれません。……うーん、これもなんか違う表現ですね…言葉では説明しにくいです。

これに関してですが、なをさんのような(と何度も例えとして使ってしまってすみません)方々にとっては、"生きるためのレール"というのはただ単に退屈で窮屈で時に苦痛を感じるようなものでしかなく、例えるなら幼い頃から監獄に閉じ込められていたかのような閉塞感を人生に対しお持ちであったのではないかと思います。
そこから考えると、『自由になりたい』という言葉がとても奥深い意味を持った言葉に見えて来るのですね。

ですので"レールに戻りたい"という感覚はないのだと思います。先程は表現を欠いていたようですね、申し訳ないです。


なをさん自身は、人生に対しどのようなイメージをお持ちでいらっしゃいますか?
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.43 )
日時: 2013/05/05 17:44 (dion)
名前: なを

>>nさん

こんにちは、ご返信ありがとうございます。

>n次元で例えたお話、オリンピック選手のお話、ともにその感覚ですね。その通りです。
ちゃんと理解出来ていて良かったです。

>「レールを与えられない」というのは、丸ごと死や絶望を見つめているという事でもあります。
言葉にしてこう見てみると、中々過酷そうに見えますね。実際はそんな事もないのですが。それが当たり前になっているからでしょうかね。


>"生きるためのレール"というのはただ単に退屈で窮屈で時に苦痛を感じるようなものでしかなく、例えるなら幼い頃から監獄に閉じ込められていたかのような閉塞感を人生に対しお持ちであったのではないかと思います。
閉塞感…という感じよりも、私の場合はなんと言うか…"虚無"でした。もちろん、今でもそのままです。

ですから、nさんの
>なをさん自身は、人生に対しどのようなイメージをお持ちでいらっしゃいますか?
というご質問にも繋がりますが、『人生を楽しむ』とか、『幸せな人生を送る』とか、そういったよく聞く言葉の意味がわからないです。

私は"人生"に対し、何の"希望"も"絶望"も持っていません。
『楽しく生きたい、幸せになりたい』というのもわからないし、逆に『世の中が嫌い、生きていくのが辛い』というのも感じた事は無いです。
すごく乱暴な言い方になってしまいますが、
『"人間"なんて勝手に産まれて、勝手に死んでいくだけの存在』
と思っています。

というかそもそも…これは言うべき事ではないのかもしれませんが、私は"人間"に産まれてきた事自体が嫌でした。今でもそうです。
"産まれてきた事"そのものは、選びようがありませんから仕方ありません。たまに聞くような、『自分なんて生まれてこなければ良かった』というような悲観的な感覚とはまた違います。(これはnさんならば理解して下さると思います。)
もし、映画や小説、漫画・アニメ等によくあるように"人間"から"何か別の知的生命体"に転生できるとしたら、今すぐにでもしたいくらいです。

これはもしかしたら、以前お話しした
"この世界とは別の所にある、もう一人としての私としての【視点】から世界を見ている"
という事に何か関係しているのかな、とも思っています。
よくはわかりませんし、こういった事を言葉で説明するのも難しい上に、私が苦手な事ですので、うまく伝わらないかもしれません。
すみません。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.44 )
日時: 2013/05/05 18:46 (home)
名前: n

>閉塞感…という感じよりも、私の場合はなんと言うか…"虚無"でした。もちろん、今でもそのままです。

そうですね…。
"虚無"という感覚の方がなをさんは強かったと思います。今でもですね…。


>『"人間"なんて勝手に産まれて、勝手に死んでいくだけの存在』

あなたにとっては生きるって本当にそういう感覚ですよね。そうだと思います。


>というかそもそも…これは言うべき事ではないのかもしれませんが、私は"人間"に産まれてきた事自体が嫌でした。今でもそうです。
>"産まれてきた事"そのものは、選びようがありませんから仕方ありません。たまに聞くような、『自分なんて生まれてこなければ良かった』というような悲観的な感覚とはまた違います。(これはnさんならば理解して下さると思います。)


そうですね、なをさんは普通の人がいう『自分なんて生まれてこなければ良かった』という意味とは全然違う感覚を感じていると思います。

大抵の人の言っている『自分なんて生まれてこなければ…』というのは、しっかりと"自分"がこの世と繋がっていて、入り込んでいるからこそ言えるニュアンスの言葉なんですね。その枠の中での自分の存在を否定する言葉。
なをさんの仰っている感覚は、そもそも世間とのつながりは断ち切られていて、恐らく枠の外側から見ているご自身が感じているお気持ちなのかもしれません。
それを感じておられるご自分に感情は通っておられませんよね?


>これはもしかしたら、以前お話しした
>"この世界とは別の所にある、もう一人としての私としての【視点】から世界を見ている"
>という事に何か関係しているのかな、とも思っています。


と…私も先に言ってしまいましたが、そうです、↑この視点と非常に密接に関連していると思います。



>もし、映画や小説、漫画・アニメ等によくあるように"人間"から"何か別の知的生命体"に転生できるとしたら、今すぐにでもしたいくらいです。


あら…。
一つ、伺ってもいいですか?

もし、"何か別の知的生命体"に転生出来たとして、それでも
>"この世界とは別の所にある、もう一人としての私としての【視点】から世界を見ている"
この感覚が変化のないままだったら、どうなっちゃうの?(笑)
(失言でしたら即撤回します)


*************


ちょっとここまでで…。
これまでの全体のやり取りを通していて思うのですが、私はちょくちょくなをさんの話を微妙に感覚を違うまま捉えていることがあるようです。
なんだかなをさんに余計な修正の手間を取らせてしまって申し訳ない気持ちです。
ごめんね。

こんな私でも宜しければ、もう少しお付き合い頂けると私も嬉しい気持ちです。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.45 )
日時: 2013/05/05 21:29 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。


>大抵の人の言っている『自分なんて生まれてこなければ…』というのは、しっかりと"自分"がこの世と繋がっていて、入り込んでいるからこそ言えるニュアンスの言葉なんですね。
>その枠の中での自分の存在を否定する言葉。
>なをさんの仰っている感覚は、そもそも世間とのつながりは断ち切られていて、恐らく枠の外側から見ているご自身が感じているお気持ちなのかもしれません。
>それを感じておられるご自分に感情は通っておられませんよね?
そうですね。その感覚に対して全く何の感情もありません。



>もし、"何か別の知的生命体"に転生出来たとして、それでも
>"この世界とは別の所にある、もう一人としての私としての【視点】から世界を見ている"
>この感覚が変化のないままだったら、どうなっちゃうの?(笑)

すみません、言葉足らずでした。
これも説明が難しいですが、"もう一人としての【私(の視点)】"は、"世界にいる【(人間としての)私】"を殺したいのだと思います。

その感覚に変化が無いままで構わないのです。むしろ、それは変化させるつもりはありません。
現実問題として、【世界】の中で生きていなくてはいけない以上、"人間"としての思考・行動・モラルetc...そういったものを、周囲から、世界から求められます。

別の言い方をすれば、"普通"の"人間"なら、"レール"に乗ってきた人達なら誰しもが持っている感覚…それを"当然のもの・大前提"として求められます……"人間"である以上は。

もちろん、『じゃあ人間から何か別の生命体に転生したら、そういった"しがらみ"は無くなるのか』なんて事はわかりません。
転生してみたら、その生命体の社会でも"しがらみ"があるかもしれません。しかしまぁ、そんなSFやファンタジーめいた事を真面目に考えても無意味ですけれど…。


>これまでの全体のやり取りを通していて思うのですが、私はちょくちょくなをさんの話を微妙に感覚を違うまま捉えていることがあるようです。
>なんだかなをさんに余計な修正の手間を取らせてしまって申し訳ない気持ちです。
>ごめんね。
いえいえ、こちらこそ理解力に乏しくて申し訳ないです。

私は、以前にも別の掲示板で少しご意見をお聞きした事があるのですが、その時は残念ながらお互いの話が全く噛み合いませんでした。

互いの認識・感覚が最初から違うので、そもそもの大前提から話が噛み合わず、こういう言い方はその時ご意見を下さった方々には失礼になってしまうのですが、私からすれば全く理解が出来ず、恐らくあちらの方々も『この人(←私です)の言ってる事の意味がわからない。』と思われた事でしょう。
ある意味、お互いに"的外れ"な意見の応酬でした。

ですが、こちらの掲示板で、nさんからのご意見・ご考察を頂き、初めて"自分の精神の在り方が深く掘り下げられている"と感じています。
とてもありがたいです。

>こんな私でも宜しければ、もう少しお付き合い頂けると私も嬉しい気持ちです。
むしろ、こちらからお願いしたいくらいです。いろいろなお話、とても興味深く拝見させて頂いております。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.46 )
日時: 2013/05/05 23:08 (spmode)
名前: ayaka

はじめましてayakaです。

なをさんの気持ちを一言で表現すると、生きることに対して興味を失ってしまっていてどうすればいいかわからないという感じだと思いました。

それに対する答えは、好きに生きればいい。その一言で済んでしまうのですが・・・。

人は皆、自分は何者なのか、それを知るために生きているのではないでしょうか。究極に自分が何者なのか悟った人物は釈迦です。

通常の人は、自分が興味あることや向いていることを体験することで自身を知るのですが彼は、修行と瞑想により自我を無くし、宇宙を悟ることで自分が何者なのかはっきりと理解しました。

悟りについて理論的に解説している人物は苫米地英人氏です。

私は自我をまだまだ楽しみたい未熟な、ごくありきたりな人間なので楽しい家庭を作って人生楽しみたいと思います。

なをさんが生きる意味を見いだせるといいですね!それでは。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.47 )
日時: 2013/05/06 18:44 (dion)
名前: なを

>>ayakaさん

ご意見ありがとうございます。

>なをさんの気持ちを一言で表現すると、生きることに対して興味を失ってしまっていてどうすればいいかわからないという感じだと思いました。
うーん…というよりは、昔から生きる事への興味が無かったので、むしろ『最初から"生きる"という概念を理解していない』という方が近いかもしれません。

>人は皆、自分は何者なのか、それを知るために生きているのではないでしょうか。
こちらの掲示板でも、"生きる意味"を探している方は多いですね。
私はこのスレにも書いているように、"生きる意味"や"自分の価値"や"人生の価値"などについては、No.43の書き込みのように、
>"人間"なんて勝手に産まれて、勝手に死んでいくだけの存在
と思っているので、それが思考の根幹・大前提としてある為に"生きる意味"を探すという思考に辿りつく事は無さそうです。

"悟り"という事については…うーん…知識としては知ってますが、宗教的思想に興味が無いので何とも言えませんね…ごめんなさい。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.48 )
日時: 2013/05/06 21:06 (home)
名前: n

なをさん


>"もう一人としての【私(の視点)】"は、"世界にいる【(人間としての)私】"を殺したいのだと思います。〜…"人間"である以上は。

そういうことだったのですね、理解出来ました^^; ありがとう。
世界の住人として生きている「あなた」を、遠巻きに世界そのものの様子を見つめている住人でない"あなた"は、殺してしまいたい、そういう想い…ですね。

"人間"である以上、その世界の中で同じ人間として振舞わねばならない『義務』、枠にはまらなければならない義務も当然生じてきますものね…。

"人間"として存在していない"あなた"からしたら、自分も同じ"人間"としてこの世界に存在していなければならないことや、"普通の人間"なら誰しもが持っている感覚を"当然のもの"として求めらてしまう感覚って、一体どのような感じのするものなのでしょうか?




>以前にも別の掲示板で少しご意見をお聞きした事があるのですが、その時は残念ながらお互いの話が全く噛み合いませんでした。互いの認識・感覚が最初から違うので、そもそもの大前提から話が噛み合わず、こういう言い方はその時ご意見を下さった方々には失礼になってしまうのですが、私からすれば全く理解が出来ず、恐らくあちらの方々も『この人(←私です)の言ってる事の意味がわからない。』と思われた事でしょう。


これはね、失礼ではないと思います。
『世界の住人』の方々には、そこから離れた位置に存在しているあなたは見えていませんから、なをさんも自分たちと同じ"人間"だというフィルターを通して意見してしまうのだと思います。「あなたも私たちと『同じ』世界の住人でしょ?なをさん」と…。
もうこの時点でなをさんは彼らの言葉に違和感を感じていただろうと想像します。



************

>ですが、こちらの掲示板で、nさんからのご意見・ご考察を頂き、初めて"自分の精神の在り方が深く掘り下げられている"と感じています。

いや〜、そう言って頂けて光栄です。
掲示板ですので色々と制限もありますが…少ない文章の交わし合いくらいしか出来ませんが、ご自身を"知る"足がかりに少しでも繋がればいいなあと僭越ながら感じております。
まあ、これも私の"幻想"から出る想いなのかもしれないですね(笑)

では、お互いぼちぼち続けていきましょう。
ご意見伺えてよかったです。ありがとう。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.49 )
日時: 2013/05/06 21:20 (spmode)
名前: ayaka

釈迦が悟ったのは事実ですが、仏教を作ったのは釈迦の弟子達によるものです。悟る(自我がなくなること)と宗教とは全く関係がないと思いますし、私は全く仏教という言葉を使っていません。

そのような思い込みを、ストコーマ(盲点)といいます。

なをさんが、ご意見おまちしておりますといいながら、その意見に対して意見することの意欲がどこから出てきているのかとても興味がありますね。

私にはなをさんがとても人間臭くて好きですよ。

言い方きついと感じられたらごめんなさい。



   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.50 )
日時: 2013/05/06 23:04 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。

>世界の住人として生きている「あなた」を、遠巻きに世界そのものの様子を見つめている住人でない"あなた"は、殺してしまいたい、そういう想いなのですね。
そうですね。否が応にも、この【世界】でしか生きられない"人間"である【私】は、【別視点の私】にとっては消す対象であるという認識です。


>"人間"として存在していない"あなた"からしたら、自分も同じ"人間"としてこの世界に存在していなければならないことや、"普通の人間"なら誰しもが持っている感覚を"当然のもの"として求めらてしまう感覚って、一体どのような感じのするものなのでしょうか?
これは説明が難しいですが、日常的な感覚に例えれば、
『職場や学校が嫌で嫌でたまらないのに、自分はそこに所属せざるを得ず、そこの社員・学生ならば当然として求められるスキルをどうやっても習得できない』
というのが一番近いかもしれません。

『こんな仕事、出来て当然でしょ』とか『こんな勉強も君はわからないの?』とか、常日頃からそういう事を言われているけれど、自分には何故それが出来ないか、また、そもそも相手の言っている意味が最初から理解出来ない…という状態でしょうか。

職場や学校なら、転職なり転校なりで(簡単ではありませんが)対処出来て、自分の身の丈・理解・能力にあったコミュニティに所属出来る可能性はありますが…。


>『世界の住人』の方々には、そこから離れた位置に存在しているあなたは見えていませんから、なをさんも自分たちと同じ"人間"だというフィルターを通して意見してしまうのだと思います。「あなたも私たちと『同じ』世界の住人でしょ?なをさん」と…。
>もうこの時点でなをさんは彼らの言葉に違和感を感じていただろうと想像します。
そうなんですよね。簡単に言えば、おそらくお互いに
『言いたい事や聞きたい事、そして論点はそこじゃないんだ』
というような、もやもやした"謎の違和感"があったんでしょうね。


>いや〜、そう言って頂けて光栄です。〜〜〜ご意見伺えてよかったです。ありがとう。
こちらこそありがとうございます。というか、毎回丁寧で細かく、文章量の多いご返信をさせてしまって申し訳ないです。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.51 )
日時: 2013/05/06 23:06 (dion)
名前: なを

>>ayakaさん

ご返信ありがとうございます。

まず最初にお詫びしておきたいのですが、先ほどの私の返信が最初から否定的なニュアンスを出していた事に、今読み返してみて気付きました。
申し訳ありませんでした。


>釈迦が悟ったのは事実ですが、仏教を作ったのは釈迦の弟子達によるものです。
>悟る(自我がなくなること)と宗教とは全く関係がないと思いますし、私は全く仏教という言葉を使っていません。
"悟る"という単語自体には、確かに"知らなかった事を理解する事。気付く事"という意味がありますが、日常的には宗教用語として使うケースが多々であり、その後に続く文で釈迦のお話が出てきたので、宗教的意味合いを絡めたお話だと判断し、先ほどの私の返信ではあのような文面にしました。
しかし、それはayakaさんの真意では無いという事なのでそれについてはお詫び致します。


>なをさんが、ご意見おまちしておりますといいながら、その意見に対して意見することの意欲がどこから出てきているのかとても興味がありますね。
これは単純に、
『これこれこう思うよ。こうした方がいいよ。』
というご意見を頂戴したとして、それに対して、
『そうですね、わかりました。ありがとうございます。』
で終わってしまうのは、ご意見を頂いた意味が無いからです。

頂いたご意見に対し、『この部分は自分もそう思うけれど、この部分に関しては納得出来ない。そうは思わない。』という、(言い方はアレですが)ある種の"反論"が、意見の交換には必要なものだと思っています。
頂いたご意見を鵜呑みというか、全て肯定して終わらすというのであれば、単に『何か言葉を掛けてもらいたいだけ』になってしまいます。

私は取り繕ったような優しい言葉も、盲目的に互いの意見に同調するだけの仲良しごっこなやりとりも求めてはいません。
私の最初の投稿に、
>同意・疑問・反論・批判、いろいろな方の素のご意見を頂戴出来たらなと思っています。
と書いたのはその為です。

ですので、
>言い方きついと感じられたらごめんなさい。
というような事は、どうかお気になさらないでください。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.52 )
日時: 2013/05/07 23:44 (home)
名前: n

こんばんは。


>そうですね。否が応にも、この【世界】でしか生きられない"人間"である【私】は、【別視点の私】にとっては消す対象であるという認識です。

そうですね、"人間としての自分"、消してしまいたかっただろうと思います…



>これは説明が難しいですが、日常的な感覚に例えれば、
>『職場や学校が嫌で嫌でたまらないのに、自分はそこに所属せざるを得ず、そこの社員・学生ならば当然として求められるスキルをどうやっても習得できない』
>というのが一番近いかもしれません。
>『こんな仕事、出来て当然でしょ』とか『こんな勉強も君はわからないの?』とか、常日頃からそういう事を言われているけれど、自分には何故それが出来ないか、また、そもそも相手の言っている意味が最初から理解出来ない…という状態でしょうか。
>職場や学校なら、転職なり転校なりで(簡単ではありませんが)対処出来て、自分の身の丈・理解・能力にあったコミュニティに所属出来る可能性はありますが…。


そうですね。
『どうやっても』埋まらない"絶対的な溝"が、【世界】や【現代社会】【人間】との間に出来てしまっているんですよね。

自分だけが人間社会から異物として浮き上がっている…決して交わることのない"溝"なのだと思います。

であるならやはり、人間としての自分は、抹消してしまいたい。そうするべきであろう。
それが妥当というものだろう。


そんな風に、ずっと感じていたのかもしれないね。本当になをさんの仰っている通りだと感じます。



幼い頃からなをさんはずうーっと"そこ"で社会全体を見つめていて、自分はそこに絶対に所属出来ない感覚を知覚されていて、それでも尚"人間"としての義務を果たさなければならないことに、うんざり…というのかな、していたんだね…。


なをさんにはそれが「大変」という感覚も最初からなかったかもしれないけれど、やはりあなたは大変な中、人とは違う大変さの中を、生きてこられたのだと思います。

あなたは誰にも知覚されない領域にいらっしゃるから、人間社会で生きていく苦労もひとしおだったと思います。"共感"の意味も、知らなかっただろうと思います。
たったお一人でそこに"在る"というのは、なをさんが体験しておられるまさにその感覚なんです。"無"、絶対的な"無"です。

よく、これまで生きてこられましたね…。



************


今までのまとめとして何か一つのレスポンスをあなたに差し上げるとしたら、
私には上記のような文章が頭に浮かびました。


今日は、ゆっくりと眠れるといいですね。


おやすみなさい。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.53 )
日時: 2013/05/08 03:20 (dion)
名前: なを

>>nさん

こんばんは、ご返信ありがとうございます。


>『どうやっても』埋まらない"絶対的な溝"が、【世界】や【現代社会】【人間】との間に出来てしまっているんですよね。
>自分だけが人間社会から異物として浮き上がっている…決して交わることのない"溝"なのだと思います。
私が小さい頃から感じていた【世界】と【私】の関係における"違和感"の正体は、まさにこれだと思います。

>幼い頃からなをさんはずうーっと"そこ"で社会全体を見つめていて、自分はそこに絶対に所属出来ない感覚を知覚されていて、それでも尚"人間"としての義務を果たさなければならないことに、うんざり…というのかな、していたんだね…。
もちろん【私】という"生物"自体は、外見や身体構造、食生活、生活様式などは"人間"ですが、"精神、それに伴う思考"は、きっと最初から"人間"では無かったのでしょうね。

もし、【私】が"人間"に生まれなければ、こういった状況(というか思考)にはなっていなかったのだと思います。(じゃあ何に生まれたら良かったのか、という事は、ここではひとまず置いておきます。)

そういった事をひっくるめて、結局は私が先述した、
>私は"人間"に産まれてきた事自体が嫌でした。
という事に集約されます。


>なをさんにはそれが「大変」という感覚も最初からなかったかもしれないけれど、やはりあなたは大変な中、人とは違う大変さの中を、生きてこられたのだと思います。
仰る通り、"大変"という感覚は全くありません。
【世界】の中で【"レール"に乗ってきた人】が、ある日何かのきっかけで私のような"感覚"になったら"大変"かもしれませんが、私にとってはそれが"当たり前"で、それ以外を知らないで生きてきました。

>あなたは誰にも知覚されない領域にいらっしゃるから、人間社会で生きていく苦労もひとしおだったと思います。"共感"の意味も、知らなかっただろうと思います。
"共感"や"同情"、『あなたの気持ちはわかるよ』というような感覚の経験は今までありません。
言葉の意味はわかっても、実感としてわからないです。

>たったお一人でそこに"在る"というのは、なをさんが体験しておられるまさにその感覚なんです。"無"、絶対的な"無"です。
ある意味、私のような状況の事を、正真正銘の"孤独"というのかもしれませんね。
今更言うまでも無い事ですが、別にそれを"寂しい"とか思った事は全く無いですけれども。


>よく、これまで生きてこられましたね…。
きっと、私がずっと"虚無"と共に生きてきたのと、
>"人生"に対し、何の"希望"も"絶望"も持って
いなかったからでしょうね。

"レール"に乗った、【世界】で生きる方々からすれば、【私】という"存在"の在り方はもしかしたら"過酷"だと感じられるのかもしれませんが、当の【私という"精神"】は、先述したように特に何とも思っていなかったりします。
それは"楽しい"とか"辛い"とか、そういう概念では無く、文字通り"何も感じて"いません。【世界】から求められる【"人間"である"私"】は不要な存在ですけれども。

というか単純に、【"死"への傾斜"】が【"生"への興味】を上回った時、私は自ら命を絶つと思います。
なんというか、"予感"がするのです。
病気・事故・事件…"死"は予測出来ない時に訪れますが、そういった事が無かったら、『たぶん自分は自殺するのだろうな』って。

一度このボーダーライン上に立ったのは、以前お話した"死への興味が湧いた"時だと思います。
あの時は、【"死"への傾斜】がメーターを振り切らなかったのと、【"生"への興味】が完全に失われていなかった為に、【"死"の不可逆性】というブレーキが働きましたが、次はどうなるかは全くわかりません。
少なくとも、今現在はそういう気配は無さそうではありますが。


>今日は、ゆっくりと眠れるといいですね。
お気遣いありがとうございます。
おやすみなさい。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.54 )
日時: 2013/05/09 21:43 (home)
名前: n

この間はあまり眠れなかったみたいだね。
"眠る"って感覚や意味も、知らないか…^^;


>というか単純に、【"死"への傾斜"】が【"生"への興味】を上回った時、私は自ら命を絶つと思います。
>なんというか、"予感"がするのです。
>病気・事故・事件…"死"は予測出来ない時に訪れますが、そういった事が無かったら、『たぶん自分は自殺するのだろうな』って。


そうだね、"予感"、してると思う。
前回はまだ完全に生への興味、失っていなかったからね。
でも次回は、わからないものね。
完全に悟ってしまったら、そうなるかもしれないものね。



(何度も同じ質問をしているようだけど…)
『自分はこの世に不要な生命体である。』って感覚、いつ頃からあった?
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.55 )
日時: 2013/05/09 22:33 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。

>この間はあまり眠れなかったみたいだね。
>"眠る"って感覚や意味も、知らないか…^^;
そうですね。"ぐっすり寝られた"という経験を最後にしたのが10年近く前の事なので、もうその感覚も意味もわかりません。
今は、眠い→ベッドに入る→だんだんとまどろんで…という過程ではなく、意識が飛ぶように身体が睡眠状態に入るのをひたすら待つだけというような状態です。


>そうだね、"予感"、してると思う。
>前回はまだ完全に生への興味、失っていなかったからね。
>でも次回は、わからないものね。
>完全に悟ってしまったら、そうなるかもしれないものね。
まぁ実際、そうなったらそうなったで、別にだからどうという事もないと思います。
ただ、"前回到達しなかった所に到達した"というだけで、それで納得するのでしょうね、私は。もちろんその時には既に死んでいるので、その事について何も考える事は出来ないでしょうけれど、それはそれでいい…というか仕方ないと思います。


>『自分はこの世に不要な生命体である。』って感覚、いつ頃からあった?
これは、おそらく自分の頭の中である程度思考を組み立てて考えられるようになった頃からです。ですから…小学校低学年頃からだと思います。

というか、そもそも『自分がこの世に必要とされている』という発想が今まで無いので、最初から『自分はこの世に不要な生命体である』という考えからスタートしました。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.56 )
日時: 2013/05/09 22:47 (home)
名前: n

>意識が飛ぶように身体が睡眠状態に入るのをひたすら待つだけというような状態です。

そうだと思います。


>まぁ実際、そうなったらそうなったで、別にだからどうという事もないと思います。
>ただ、"前回到達しなかった所に到達した"というだけで、それで納得するのでしょうね、私は。もちろんその時には既に死んでいるので、その事について何も考える事は出来ないでしょうけれど、それはそれでいい…というか仕方ないと思います。

そうね…。



>というか、そもそも『自分がこの世に必要とされている』という発想が今まで無いので、最初から『自分はこの世に不要な生命体である』という考えからスタートしました。


この、"最初から『自分はこの世に不要な生命体である』という考えからスタートした"というところについて、もう少し説明お願い出来ますか?
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.57 )
日時: 2013/05/09 23:45 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。

>この、"最初から『自分はこの世に不要な生命体である』という考えからスタートした"というところについて、もう少し説明お願い出来ますか?
ええと…言葉通りで、特にそれ以上もそれ以下も無いのですが、あえて説明するとすれば…その考えに至った"経緯"みたいな事でよろしいのでしょうか?

元々、自分を大切に思ったり、誰かから必要とされているという考えや感覚が小さい頃から私にはありませんでした。
なので、元を辿れば、『自分は別にこの世に必要でも不必要でもない、どっちでもいい存在』という考えが最初にあり、そこから以前にお話しした、"【もう一人の私の視点】から【世界の私】を見ている感覚"や、"自分が人間である事への違和感・嫌悪感・虚無感"が強まるにつれ、『"人間"である【私】は必要無い』という方向へ傾いていったような感じです。

なので、
>『自分はこの世に不要な生命体である。』って感覚、いつ頃からあった?
という先ほどのご質問の正確な答えは、小学校低学年頃よりもう少し年齢が進んだ頃、というのが的確かもしれません。
しかし、その根底にある考え(上記の"『自分は別にこの世に必要でも不必要でもない、どっちでもいい存在』")は、小さい頃からあったので、先ほどの返答では、
>小学校低学年頃からだと思います。
と書きました。…が、これはちょっと省略し過ぎた書き方でしたね。申し訳ありません。

説明になっていない気もしますが、どういった説明をすればいいのかちょっとわからなかったので、こういった内容になってしまいました。
nさんがお求めになっていらっしゃる回答ではないかもしれません。すみません。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.58 )
日時: 2013/05/10 22:35 (home)
名前: n

大丈夫です、そういうことです。
私も尋ね方が上手くなくて、ごめんね。


まずは、『自分は別にこの世に必要でも不必要でもない、どっちでもいい存在』この感覚が先にあり、その後距離感や違和感、嫌悪感が徐々に募ってくると共に『自分はこの世に不要な生命体である』こういう考えが決定的なものになっていくんですよね。そういうことです。
けれど『自分は別にこの世に必要でも不必要でもない、どっちでもいい存在』この考えや感覚がある辺りから、概念的に『自分はこの世に不要な生命体である』この感覚も入って来るようになるので、なをさんの仰っていることは間違っているわけではないと思います。


>元々、自分を大切に思ったり、誰かから必要とされているという考えや感覚が小さい頃から私にはありませんでした。
>なので、元を辿れば、『自分は別にこの世に必要でも不必要でもない、どっちでもいい存在』という考えが最初にあり、そこから以前にお話しした、"【もう一人の私の視点】から【世界の私】を見ている感覚"や、"自分が人間である事への違和感・嫌悪感・虚無感"が強まるにつれ、『"人間"である【私】は必要無い』という方向へ傾いていったような感じです。


そういうこと…なんですよね。

これを私の口から言っていいものなのかと少々困ってしまうんですが、
『自分は別にこの世に必要でも不必要でもない、どっちでもいい存在』これもさ、体験的に後から作られていく感覚や考え、価値観なのだと思います。
最初からそういう認識があなたの中にセットされてる訳じゃないです。


これはね、真勝手な私の想像ですが、あなたは「変人」でもなければ、「奇人」でもないのだと思っています。
最初は全くもって「まともな」普通の人として、あなたもみんなと同じように生まれて来てるんだよね。


だけど、ここでも私から何度も無理にお聞きしてしまったね、恐らくその後のお母さんとの関係を通して、あなたは社会や世界との距離感や自分が"普通"とは異なった感覚、「自分という人間はいてもいなくてもどちらでも支障ない存在」という感覚を生むようになった要因がやや偶発的に作られてしまったのだと、私個人は考えております。というより、確信しています。

「偶発的に」と私が申す理由は、お母様側にはその意図は「全く」なかっただろうと思うからです。


今日は、私からはこんな感じです。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.59 )
日時: 2013/05/10 23:33 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。

>大丈夫です、そういうことです。
>私も尋ね方が上手くなくて、ごめんね。
いえいえ、"感覚"の説明というものがどうも苦手なので、私が一人で混乱していただけです。すみません。

>『自分は別にこの世に必要でも不必要でもない、どっちでもいい存在』これもさ、体験的に後から作られていく感覚や考え、価値観なのだと思います。
>最初からそういう認識があなたの中にセットされてる訳じゃないです。
生まれたての乳児〜幼児の段階では、もちろんそんな事を考えられるような思考は無いのですから、こういった"自分が必要か不必要か"という思考は、主に第二次性徴期頃に生まれる事が多いのだと思います。(素人考えですが。)

ですので、そこまでに何らかの外部的要因で、どういった価値観・世界観を持つのかというのが決まってくる…というのは、まぁ当たり前の話なのですが、そう考えると、
>最初は全くもって「まともな」普通の人として、あなたもみんなと同じように生まれて来てるんだよね。
>恐らくその後のお母さんとの関係を通して、あなたは社会や世界との距離感や自分が"普通"とは異なった感覚、「自分という人間はいてもいなくてもどちらでも支障ない存在」という感覚を生むようになった要因がやや偶発的に作られてしまった
という、nさんのご見解は、全くもって私も同感です。

nさんが仰られているように、私の母は意図的に私にこういった価値観を植え付けたのでは、もちろん無いと思います。
それは私の幼少期の育てられ方を客観的に思い返してみても、『そうだ』とはっきり断言できます。

むしろ、以前書いたように、母は私を溺愛していた方です。
それ故に私は、これまた以前にも書きましたが、"『母の加護』という名の"檻"の中で、『与えられた"自由"』"という感覚の中でずっと過ごしていました。

自己弁護のようになってしまいますが、"誰が悪かったのか"と言えば、きっと誰も悪くなかったのでしょう。
母は、私を"レール"に乗った"普通"の人として育てたかったでしょうし、実際そのように育ててきたと思っているはずです。
私は、そもそもそういう"選択"を出来る訳もなく、気付く事も出来なかったはずです。

けれど、じゃあ"誰が要因なのか"を考えると、これはきっと母にも私にも、要因があると思います。
誰に悪意があった訳でもないのに関わらず、結果としてそういった価値観・世界観が私の中に構築されてしまった以上、そこには必ず"理由"が存在し、それはnさんが仰るように、"偶発的"なものだったと思います。
そして、【世界】と【自分】の最初の接点が"母子の関係"にあるのであれば、"私"と"母"の両者にその"要因(の一端)"がある…と考えるのは、当たり前の話であると思います。


今までのやりとりでずっと感じていたのですが、こうやって一つひとつを紐解いていくと、今はまだわかりませんが、"何か"にたどり着ける気がします。
よろしければ、もうしばしの間お付き合い下さるとありがたいと思っております。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.60 )
日時: 2013/05/10 23:43 (home)
名前: n

ずうーっと知りたかったことだものね、「距離感の謎」…。

じゃあ明日からは、「具体的にどんな要因が」なをさんの体験的な様式を作り出していく事になるのかを、一緒に考えていきましょうか。

最後まで、私もお付き合いさせて頂きたいと思っております。


おやすみなさい。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.61 )
日時: 2013/05/11 00:04 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。

>ずうーっと知りたかったことだものね、「距離感の謎」…。
今まで、わからない事や疑問に思った事は徹底的に調べ上げてきましたが、今回のような、"自分自身の本質"というのは、どうしても一人ではたどり着けませんでした。
そして、これはもう私一人では解決不可能だと、もはや追究するのを諦めかけていました。

>じゃあ明日からは、「具体的にどんな要因が」なをさんの体験的な様式を作り出していく事になるのかを、一緒に考えていきましょうか。
はい、私も自分の考え・考察をなるべく的確に、わかりやすいようにお伝えできるように工夫してみます。

>最後まで、私もお付き合いさせて頂きたいと思っております。
そう言って頂けてとてもありがたいです。よろしくお願い致します。

おやすみなさいませ。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.62 )
日時: 2013/05/11 15:36 (home)
名前: n

こんにちは。


>むしろ、以前書いたように、母は私を溺愛していた方です。
>それ故に私は、これまた以前にも書きましたが、"『母の加護』という名の"檻"の中で、『与えられた"自由"』"という感覚の中でずっと過ごしていました。

>自己弁護のようになってしまいますが、"誰が悪かったのか"と言えば、きっと誰も悪くなかったのでしょう。
>母は、私を"レール"に乗った"普通"の人として育てたかったでしょうし、実際そのように育ててきたと思っているはずです。
>私は、そもそもそういう"選択"を出来る訳もなく、気付く事も出来なかったはずです。



そうなのね。
こういうことを話す時に最初にお話ししておきたいんだけど、私もね、「誰が、何が原因」という表現すらしますが、"誰が悪い"という見方では見ていないんだよ。(もちろん、そういう言い方をしても全然いいんですけれどね。)それはあなたも同じだと思う。
それを踏まえた上で、じゃあ存分にお話を展開させていきましょうか。



まずね、お母様の『過保護』という問題。
これはね、あなたにとって「それほど」重要ではないと私は考えています。
過保護的な養育は確かに何かに幽閉されたかのような閉塞的感覚を生み出すんだけど、それ自体が慢性的日常的に体験される社会との距離感や異人感を生むわけじゃないです。


(以下一部省略させて頂きました…2013.5.13)
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.63 )
日時: 2013/05/11 18:20 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。


【A】の例も【B】の例も、とりあえず理解は出来ました。
ただ、どちらかと言うと、【A】の例の方が理解はしやすいですね。
こちらのケースの過保護は、現実でも割と聞くようなタイプだと思いました。

>これは、しっかりと母と子の間に愛着関係が成立していて、子も母の愛を自分の中に感じる事が出来、母も子の心の動きを鋭敏に捉える事が出来ているから成り立つ関係性です。
この部分が【A】の"キモ"だと思いますが、
『過保護であろうと、互いの愛着関係というものが確立していれば、【世界(ここでは"母親"ともとれる)】と【自分】との距離を意識したり、それに疑問を抱いたりという事は基本的には無い。なぜなら、【世界】と【自分】の距離を感じるのは、その"繋がりの基となる土台"が曖昧(もしくは無い)だからであり、【世界(母親)】と【自分】の愛着関係が確立していれば、その"土台"は完成されるはずだから。』
…という事でいいのでしょうか。


【B】について。
【B】は【A】とは逆に、母子の愛着関係はしっかりと確立されてはいないけれども、
>子(なをさん)はしっかりと母親の生き方を見ていて、その生き方を自分の中に模倣することに成功しているから
【世界】と【自分】の距離感を感じる事は日常化しない。

むしろ逆に、だからこそ、自分の乗っている"レール"の役割を強く意識し、【世界】と【自分】の距離感を感じる事は少ない。感じていたとしても、それは私が言うところの(感じるところの)"距離感"とは些かニュアンスが異なる…
と、そう解釈しました。

【A】【B】それぞれの解釈はこれで問題ないでしょうか?

   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.65 )
日時: 2013/05/13 03:49 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。
まず最初に、
>私が投稿する際にスレッドをトップへソートしないこと、そのためになをさんに不憫な思いをさせていることを大変申し訳なく思いますが、お許し頂ければと思います。
こちらについてですが、了解致しました。それなら私もスレッドは上げない方がいいかな…とも思うのですが、(一応このスレッドのタイトルがタイトルなので)とりあえず、今回の投稿については上げさせて頂きまして、それ以降は様子を見て判断したいと思います。

----------------------------------------------------------------

>【A】も【B】も、愛着の在り方に違いはありますが、【この世界】での"生きる土台"を作る事には成功しているんですね。
私なりの解釈、間違っていなくてよかったです。【A】と【B】はパッと見は全然違うように感じても、根幹部分というか結論は近い所に一応は落ち着くんですね。


そして今回の【C】と【D】の例。
nさんが仰るように、これも、パッと見は違うように見えますが、本質的には同じ要素を含んでいると感じました。

【C】も【D】も、
>母親側には何の悪気もなくても、
>子の側がこの世界での生き方を模倣するための母親との心理的つながりや一体感(愛着関係)を持てなかった
>母親は子の心的状態を理解することが困難になりますし、子は母親をこの世界での心理社会的な【親】として認識・実感する事も出来なければ、その生き方を"真似る"ことも出来なくなります。
というような共通点でくくれるのであれば、【A】・【B】の例と同じように、【C】と【D】の行き着く所は同一でしょうね。
(余談ですが【C】と【D】の例は、【A】・【B】の例との対比のように感じました。)


というか、【D】の例はまさに"私"の事ですね…少なくとも、自分自身ドンピシャに感じました。

>そしてお母様は、子の心理状態を把握するだけの十分な能力をお持ちの方ではなかったのだと思います。
この事に関して、読みながら気付いたのですが、以前の『親子関係』に関するやりとりの時に、nさんにお伝えし忘れた事がありました。

私の進路や将来について、学生時代に母と話していた際に、よく私が母に言われた事がありました。それは、
「あんたが何を考えているかわからない。」
「話してても自分の考えてる事をちゃんと言わないから、こっちも何をどう言ったらいいかわからない。」
という事です。

その当時はなぜ自分の考えている事をそのまま言わなかったのか、はっきりとした原因がわからず、黙り込んでいたのですが、おぼろげながら、
『言った所で、母にはわかりようがない。』
とは感じていました。

なぜそう感じたのか、当時は…というか正直つい最近までわかりませんでしたが、今なら何となく理解出来ます。
まさにそれが、今回のnさんのご返信の中に凝縮されているような気がします。


また、母は2歳の時に母(私からしたら祖母ですね)を心臓の病で亡くしています。
そんな小さい頃ですから、母は"自分の母"との思い出は全く無いと言っていました。幼少の母の親代わりを務めたのは、10歳以上離れた姉達だったそうです。
>お母様は、子の心理状態を把握するだけの十分な能力をお持ちの方ではなかったのだと思います。
や、
>また一般的な社会的概念を理解する程度も通常の方より"浅い"傾向にあった
のは、もしかしたら母自身のこういった生い立ちが何か関係しているのかな…と何となく思いました。


とはいえ、母親側の要因が、
>母親(もしくは代理となる養護者)の社会常識的な概念や子の心理状態を理解する基本的な能力が十分でない、「ズレ」やばらつき、気まぐれがある、本人にしか分からない独自的なルールが勝手に作られてしまっている、などの要因のうちどれか一つでも当てはまるものがあること。(=それにより、子が親の生き方を模倣出来なくなる条件を作り出してしまう事。)
という事なのに対し、子側の要因が、
>子の頭がいいこと(社会的なルールや規律、人の心を理解する能力が十分に備わっていること)
というのは、何だか皮肉な感じがしますね…。

そういった要因を持つ母の下で、なまじ頭がよかったから、"土台"を作れなかった…という事ですもんね。
まぁ私が実際(本質的)に頭がよかった子供だったのかはわかりませんが、場の雰囲気を一瞬で感じ取ったり、同年代の子達とワイワイ遊ぶ事が皆無であったり、いい意味でも悪い意味でも"子供らしくない"子供だったのは間違いないようです。


>私はなをさんの最初の相談内容の文書を拝見した際、既にこの感覚を感じておりました。
>お母様の様子をしつこくお聞きしてしまったのは、その確認を得るためでもありました。
>直接お話を聞けた訳でもありませんし、もっと詳しいエピソードを順を追ってお聞きしたいところでもありましたが、限られた中でのお母様の様子を想像し、やはり上記に当てはまる母親の要素を十分に有している事を予見しました。
>また、なをさんの体験の様式はその予見を確信に変える程に十分な判断材料となりました。
私がnさんとのやりとりでずっと感じていた事なのですが、正直に申しまして、nさん程造詣が深い方にお会いしたのは初めてです。以前にも申しましたが、これほど深く深く"私の精神・内面"が紐解かれていく…というより、ある意味(言い方がアレですが)"精神を解剖"されるような感覚になったのは初めてです。"ピッタリとパズルのピースが嵌っていく"ような感覚を確かに感じています。とても"良い・嬉しい・強烈な"感覚です。
差し支えなければお伺いしたいのですが、nさんはこういった発達心理学、児童心理学等がご専門の方なのですか?

----------------------------------------------------------------

>こういう公の掲示板でなをさんにとってとても重大なことを伝えてしまう事に、私自身とても抵抗を感じております。
どうかお気になさらないでください。"答え"は、私が望んだ事です。
というか、こういった掲示板に書かれたくなければ、どこかで『すみませんが、これ以上は…』と私の方からストップをかけていたと思います。
ですが逆に、私はもっと"知りたい"・"追究したい"と思っています。

>なんだか…かえって私の都合を押し付けてしまう事を、大変申し訳なく思います…。
>本当に適切な形でなをさんのお役に立てなくて申し訳ないです…。
いえいえ、とんでもないです。メールなどでの一対一のやりとりではなく、こういった不特定多数の掲示板では、第三者の目にも触れるという事を考えなくてはいけませんものね。
(と、言いながら、あまり私は考えずに書き込んでいましたが…)

むしろ、
>そのため、なをさんお一人でこの文章を読んで頂きたい気持ちでいます。
というお気遣いで、スレッドを上げずにいてくださったのに、私がこの返信で上げてしまい申し訳ないです。
冒頭にも書きましたように、次回から様子を見て判断していきます。
もしくは、『私も上げない方がいい』とnさんがご判断された場合は、そちらに従います。(直前に書いておいてなんですが、私はこういう時の第三者の気持ちや影響を上手く推測できないので…)

>けれど、なをさんの体験の理解が深まるまで、ここでの対話は続けていきたいと考えている気持ちは今も変わりありませんので、その点は安心して頂けるといいなあと思います。
ありがとうございます。そう言って頂けると、本当にありがたいです。
ぜひ、こちらこそお願いします。


毎回の丁寧なご返信、本当に感謝致しております。
おやすみなさいませ。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.66 )
日時: 2013/05/13 07:54 (tachikawa)
名前: └(・д・)こうちゃん

8mile掲示板から来ました、超ひかれレス専門ちゅうねん♂こうちゃんです。
はじめましてペコリ<(_ _)>
ぼくは、ぼくの周りにいるやつが愚図でアホバカな奴ばかりなのでもうめんどうを見切れず超イライラでしたけど、おかげで病気になって精神病院に通院しています。
みんなー、ありがとー
なぜかというとおかげで本物のバカになれたのでみんなと仲良くなれるようになりました。
バカは楽勝です。
みんなバカなのですが、ぼくは僕自身のことは本能的にもともと生きるセンスがあるので、めんどうを見ていた社員や家族が苦労しようが不幸になろうが悩もうが知ったこっちゃありません。
あなたもいっしょにぼくとバカになりませんか。
・・・誘いはやめよう、もったいないからバカが。
じゃ└(´・ω・`) >
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.67 )
日時: 2013/05/14 00:23 (home)
名前: n

なをさん

先のレスはやはり一度「保留」した状態のまま置いておこうと思います(ごめんね)。
手元にコピーしたものは保存してありますので、何かあったら仰って頂ければと思います。

それと、スレッドはトップへ移してしまって構いません。たまに私側が「あまり人目に触れさせたくないなー」と感じる時に、ご迷惑をお掛けしてしまうかと思います…^^;


>以前の『親子関係』に関するやりとりの時に、nさんにお伝えし忘れた事がありました。
>私の進路や将来について、学生時代に母と話していた際に、よく私が母に言われた事がありました。それは、「あんたが何を考えているかわからない。」「話してても自分の考えてる事をちゃんと言わないから、こっちも何をどう言ったらいいかわからない。」という事です。
>その当時はなぜ自分の考えている事をそのまま言わなかったのか、はっきりとした原因がわからず、黙り込んでいたのですが、おぼろげながら、『言った所で、母にはわかりようがない。』とは感じていました。
>なぜそう感じたのか、当時は…というか正直つい最近までわかりませんでしたが、今なら何となく理解出来ます。まさにそれが、今回のnさんのご返信の中に凝縮されているような気がします。


そうだったんだ。やっぱり、『言った所で、母にはわかりようがない。』こういう感じ、なをさんの中のどっかにあったんだね…

一つ、聞いてもいい?
お母さんに対するその時の"感覚"って、「(何らかのストレスや心理的要因のために)理解してもらえない」っていうよりも、「この"人"には言ったところで理解出来ないのだろう…」ってニュアンスの方が、強くなかった?



>また、母は2歳の時に母(私からしたら祖母ですね)を心臓の病で亡くしています。
>そんな小さい頃ですから、母は"自分の母"との思い出は全く無いと言っていました。幼少の母の親代わりを務めたのは、10歳以上離れた姉達だったそうです。
>「お母様は、子の心理状態を把握するだけの十分な能力をお持ちの方ではなかったのだと思います。」や、「また一般的な社会的概念を理解する程度も通常の方より"浅い"傾向にあった」のは、もしかしたら母自身のこういった生い立ちが何か関係しているのかな…と何となく思いました。


お母さんにはそんな生い立ちもあったんだね。寂しい思いもしたかもしれないね。

幼少期の死別体験というのはね、確かに子にとっては厳しい生き方を背負わせてしまうんだよ。だけど、代理となる養護者が愛着をきちんと結べる性質を持った方であったり、子の側がなをさんのように適切に物事の仕組みを理解する能力を持っている方であったらね、例えどんな過酷な境遇で育ったとしても、きちんと子供に自分の生き方を伝えていけるの。そして子も、それを母親から学んでいけるの。

なをさんのお母さんが「生命的な安全」に対して非常に執着をお持ちである理由は、もしかしたらこういったところとの関連も深いかもしれない。
けれど、だからと言ってそれがお母さんの基本的な物事の認識や理解のズレや浅さを生み出す理由には繋がらないんだよ。これは断言出来ます。



>そういった要因を持つ母の下で、なまじ頭がよかったから、"土台"を作れなかった…という事ですもんね。

「頭がいい」というのは少し皮肉っぽい表現だったかもね^^;
もし、子も母親と同じように認識にズレや制限がかかる性質を持つ方だった場合、「土台を作れない」というより、「土台を作って生きる」という認識自体の質的浅さが人格形成上に影響を与えてしまうので、なをさんのような問題としては出てこないです。

   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.68 )
日時: 2013/05/14 00:50 (ocn)
名前: どっかのだれか


初コメント失礼します。

なをさんの書かれた文章を読む限りでは、なんら問題点はないように思えるのですが何が問題なのでしょうか?

「他者からの理解を得ることが難しい」とありますが
「他者」とはどこからどこまでをさすのでしょうね?
一般的な考えとはなんでしょう?一般的な考えが正でしょうか?
では、何を持って一般的なのでしょうか?
マジョリティであれば一般的なのでしょうか?

では、現在の日本では大学生になると新歓コンパなどと称し、まだ二十歳に満たない学生にお酒を飲ませます。
これは一般的でしょうか?

僕は一般的であること、普通であることを良いことだとは考えません。
僕の中には僕なりの普通があるからです。

なをさんは何をお悩みなのでしょうか?
僕個人の意見としては、人の思考など自由ではないかと思います。
しかし、他人には他人の思考があり、それもまた自由です。
ですからそれを害することはできません。
それさえ理解し合っていれば問題はないのかと思います。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.69 )
日時: 2013/05/14 02:23 (dion)
名前: なを

>>└(・д・)こうちゃんさん

ご意見ありがとうございます。

バカになって生きる、って意外と難しい事でしょうね。
特にあれこれ悩みやすい人ほど、それは痛感していると思います。

他の方のスレッドで『自分の書き込みはスルーして構わない』と仰っていたので、一言だけのご返信とさせて頂きます。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.70 )
日時: 2013/05/14 02:25 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。

>先のレスはやはり一度「保留」した状態のまま置いておこうと思います(ごめんね)。
>手元にコピーしたものは保存してありますので、何かあったら仰って頂ければと思います。
わかりました。一応私も、先のご返信を含め、このスレッド内でのnさんとのやりとりは保存しておきました。

>それと、スレッドはトップへ移してしまって構いません。
了解です。
>たまに私側が「あまり人目に触れさせたくないなー」と感じる時に、ご迷惑をお掛けしてしまうかと思います…^^;
いえいえ。nさんが、ご自身の書き込みの際にそうご判断された場合は、それで全く構いません。


>職業や専門については伏せますが、やり取りに関して言えば、専門的な援助者と同等の対応が出来るように一応努力はしています…^^;
>しかし、ここでは構造的な面接を行える利点が適用出来ません。
>そのため「責任を持ってなをさんのお話を聴く」という枠組み自体がなく、関係性においても不安定なものにさせてしまいます。
お答えしにくい事をお聞きして申し訳ありません。
確かにネット越しで、しかもこういった掲示板上でのやりとりでは、直接の対話と比べて、様々な制約や制限が掛かってしまうのは仕方ない事ですね。

>なので、「私側が安心してなをさんのお話を十分に聴ける環境を作れないな」と危惧する気持ちから、特に相手の"こころ"の中心部に触れるような時には、この場で記述出来る範囲や言葉の選び方に慎重になり過ぎてしまうのかな…と思います。
>でも、"感触"を感じて頂けているようで、よかった。
>こちらもそれをお聴きしホッとしています。
私の感想というか感覚的には、nさんは私が言いたい事を的確に察して下さっている、と感じています。とてもありがたいです。
むしろ、もし直接対話でお話をしていたら、言いにくかった所もあったかもしれません。文字でのやりとりだからこそ、自分が考えている事を素直にお伝え出来ている…と、そうも思います。(少なくとも私→nさんに関しては、です。)


----------------------------------------------------------------------

>なをさんの【A】【B】【C】【D】それぞれ、そして全体についての考察は完璧です。毎回頭が下がる思いです。
よかったです。学生時代、国語は全国模試一位だったので、文章の理解力・読解力にはそれなりに自信はあったのですが、"自分の事"となると余計なバイアスがかかって上手く理解出来ないんじゃないか…と少し不安でした。

>【D】のケースは意図的にこれまでのなをさんの内的側面を当てはめたわけではありません。
>なので、自分でも想定はしていたものの、結果に少しビックリしました。
そうでしたか。それなのにかなり"私"の事に近いですね…。私はむしろ、nさんのご返信のこの部分を読んでちょっと驚きました。
『ほとんど同じだ…』という感じで…。

>なをさんの元来の性質を当てはめると、物語は全く異なったものになっていたんじゃないかと思いました。
カオス理論の初期値鋭敏性じゃないですが、
>子(原作者)はなをさんと比較すると少し物事の状況を客観的に理解する程度に差があるようです。
これが少し違うだけで、全く違った経過を辿っていたであろう、というのはちょっとおもしろいですね。

それでも結果的には【D】の方も、私と同じような体験をしてきている…というのは、やはり共通するものがあるからなのでしょうね。


>お母さんに対するその時の"感覚"って、「(何らかのストレスや心理的要因のために)理解してもらえない」っていうよりも、「この"人"には言ったところで理解出来ないのだろう…」ってニュアンスの方が、強くなかった?
その通りです。というか、むしろ前者は全く考えた事がありませんでした。
そもそもの認識の"土台"が違うのですから、言うなれば、雪を見たことが無い人に、雪の美しさや厄介さを説明してもほとんど理解出来ないのと同じように、私の考えを母に伝えても理解出来ないだろうな、という感じの感覚でした。(まぁこれは母に限らず、今まで出会ったほぼ全ての人に対して同じではありますが、特にそういった"自分の価値観"を基に、将来やこれからの事を話す機会の多い母に対しては顕著でした。)


>幼少期の死別体験というのはね、確かに子にとっては厳しい生き方を背負わせてしまうんだよ。
>だけど、代理となる養護者が愛着をきちんと結べる性質を持った方であったり、子の側がなをさんのように適切に物事の仕組みを理解する能力を持っている方であったらね、例えどんな過酷な境遇で育ったとしても、きちんと子供に自分の生き方を伝えていけるの。
>そして子も、それを母親から学んでいけるの。
母が、母の姉達(私の伯母達)からどういう風に育てられたかは、母からの話でしか知りえないので詳しくはわからないのですが、私の母が持つ"性質"は私を産んでからに始まった話ではなさそうですね。

>なをさんのお母さんが「生命的な安全」に対して非常に執着をお持ちである理由は、もしかしたらこういったところとの関連も深いかもしれない。
>けれど、だからと言ってそれがお母さんの基本的な物事の認識や理解のズレや浅さを生み出す理由には繋がらないんだよ。
こちらにも繋がりますが、もっと昔、母が小さい頃から、その"性質の種"はあったのかもしれない…という事なのでしょうかね。


>「頭がいい」というのは少し皮肉っぽい表現だったかもね^^;
あ、すみません。これは『私に対する皮肉』ではなく、『よかれと思ってやった事が、皮肉にも最悪の結果に繋がってしまった』とかの文で使われるようなニュアンスでの"皮肉"という意味合いで使いました。わかりづらくて申し訳ないです。

>もし、子も母親と同じように認識にズレや制限がかかる性質を持つ方だった場合、「土台を作れない」というより、「土台を作って生きる」という認識自体の質的浅さが人格形成上に影響を与えてしまうので、なをさんのような問題としては出てこないのです。
いい意味でも悪い意味でも、【自己】や【世界】に対して深く考えない…という事でいいのでしょうか。
前にもnさんが仰られていましたが、こうして見てみると、"私の精神"が創られたのは、いくつもの偶然が組み合わさった結果だと改めて感じます。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.71 )
日時: 2013/05/14 02:26 (dion)
名前: なを

>>どっかのだれかさん

ご意見ありがとうございます。


>「他者からの理解を得ることが難しい」とありますが「他者」とはどこからどこまでをさすのでしょうね?
この事自体は医者に言われた事ですが、私の実感としてもそれは感じます。
私が思う"他者"は、文字通り"自分以外全て"です。それは"人"に限らず、"要素"や"集団"、"概念"といった、どちらかというと哲学における"他者"の意味に近いものです。


>一般的な考えとはなんでしょう?一般的な考えが正でしょうか?
>では、何を持って一般的なのでしょうか?
>マジョリティであれば一般的なのでしょうか?
いわゆる"一般的な考え"が"正"とは私も思いません。
ですが、【厳密に言えば正しくなくても、社会生活上(というか社会通念上)はそう考えるのが"普通"】というような考え方はあります。私は、これが"一般的な考え"だと思っています。
そして、『出る杭は打たれる』じゃないですけれど、この"一般的な考え"からはみ出たものは排除するのが、日本社会の悪習です。

私の意見をまとめれば【一般的な考え≠正しい】という事です。
ですから、
>では、現在の日本では大学生になると新歓コンパなどと称し、まだ二十歳に満たない学生にお酒を飲ませます。
>これは一般的でしょうか?
これは『一般的である』けれども、『正しくはない』と私は思います。
もちろん逆のパターンもあります。


>僕は一般的であること、普通であることを良いことだとは考えません。
>僕の中には僕なりの普通があるからです。
私もそう思います。
『みんなちがって、みんないい』という金子みすず氏の詩や、『世界に一つだけの花』の歌詞のように、本来はそのはずなのです。
ですが、
>僕個人の意見としては、人の思考など自由ではないかと思います。
>しかし、他人には他人の思考があり、それもまた自由です。
>ですからそれを害することはできません。
という事にも関連しますが、先ほどの『出る杭は打たれる』の例で言えば、少し出っ張った杭や、少し沈んでいる杭は"誤差の範囲内"であり、それほど問題視されないし、修正も少しの力で可能であるのに対し、もはや抜け掛かっている杭や、杭の頭が見えない程に地面に埋没している杭は、問題視されます。修正も容易ではないか、不可能です。

私が医者に言われたのは、私がその『問題視される方の、修正不可能の状態の杭』であるという事でした。
(私の"思考"が問題である、修正不可能であるという意味ではありません。まぁもしかしたらそうなのかもしれませんが、とりあえずここでは上記の比喩内で言うところの"問題視"・"修正不可能"という意味です。)


>なをさんは何をお悩みなのでしょうか?
悩みというより、私は【私のこの"価値観"、"精神"を創り出したもの】を解明する為に投稿しました。

冒頭のご質問に戻りますが、
>なをさんの書かれた文章を読む限りでは、なんら問題点はないように思えるのですが何が問題なのでしょうか?
というのも、
『自分では"何が問題なのか"がわからない。けれど"一般的な考え"から見て"問題視される方の、修正不可能の状態の杭"であるのならば、そこには何かしらの【理由】【原因】があるはず。それは一体何なのか?』
という【自己の思考・精神・価値観に対する本質的な疑問】を感じた…というしかありません。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.72 )
日時: 2013/05/14 03:19 (asahi-net)
名前:

流れを全く読まずに書き込むことを先にお詫びします

最初の文章を読んだかぎり、診断を受けて自分が変わり者だというふうなことが客観的に決められたことによってそれを意識され過ぎているように思えます。
診断の基準も常識とされている性格も所詮は人が勝手に決めたものです。
気にしたってしょうがないと割りきって今まで通りで良いのではないでしょうか。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.73 )
日時: 2013/05/14 08:13 (dion)
名前: なを

>>凛さん

ご意見ありがとうございます。


>診断を受けて自分が変わり者だというふうなことが客観的に決められたことによってそれを意識され過ぎているように思えます。
診断されて『意識してしまっている』というよりは、『改めて確認できた』という感じの方が近いと自分では思っています。

>診断の基準も常識とされている性格も所詮は人が勝手に決めたものです。
はい、それは了承しております。
しかし、このスレッド内でも何回か書いていますが、それでもなお、"現代社会の基準となる【好ましいとされる】ライン"は存在し、その範囲内で社会が成り立っている事は変えられない事実であると思います。
そうである以上、「そんなの誰かが勝手に決めた事だから、考える必要なんてないや」とバッサリ切り捨てるのは、それこそ一種の思考放棄というか、先に進まない、その場に留まるだけの考え方だと、私は思っています。

それを踏まえた上で、
>気にしたってしょうがないと割りきって今まで通りで良いのではないでしょうか。
こちらのご意見に対する私の考えですが、私は自分のこの"性質"が嫌な訳でも、気にしている訳でも、『"普通"の思考になりたい』と悩んでいる訳でもありません。仰る通り、今まで通りというか、変えるつもりもその必要も無いと思っています。

しかし、だからこそ私は、
【なぜ、自分はこういう思考・精神性を持つようになったのか。いわゆる"普通"の考えと自分の考えの根本的な違いは何なのか。】
という、"自らの精神の本質・根源的な在り方の基"を追究したくて、投稿しました。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.74 )
日時: 2013/05/14 15:27 (home)
名前: n

おおー、なんだかご意見がいっぱいになって来たねえ…。

もし、このスレッドがいっぱいになるのを機に、もしくは私とのお話だけでも構わないのですが、「対話」というカテゴリーがあるようなので、そちらに移ってもう一本違う形でスレッドを立ててもいいのかなあ、という気持ちにもなっています。その方が、私ものんびりやれるかなあと。^^;

なをさんさえ嫌でなければ、ちょっぴり考えてみて下さい。


*********************

>むしろ、もし直接対話でお話をしていたら、言いにくかった所もあったかもしれません。文字でのやりとりだからこそ、自分が考えている事を素直にお伝え出来ている…と、そうも思います。(少なくとも私→nさんに関しては、です。)

そっか、それはよかった^^



そうだね〜、いろんな小さな偶然・大きな偶然がさ、今のなをさんの生き方を作り出したのかもしれないね…。

   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.75 )
日時: 2013/05/14 19:26 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。

そうですね、その方がいいかもしれません。
私とnさんとのやりとりは、やっぱりどうしても長文になりがちですし、別スレッドで続けた方が私たちにとっても、このスレッドでご意見を下さる方々にとっても、閲覧しやすいかもしれないですね。

それでは…どうしましょうか。
私が【対話カテゴリ】にスレッド立てていいでしょうか?
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.76 )
日時: 2013/05/14 21:54 (home)
名前: n

>それでは…どうしましょうか。
>私が【対話カテゴリ】にスレッド立てていいでしょうか?


かえってお気を遣わせてしまいすみません。

では、甘えさせて頂いても構いませんか^^;?

宜しくお願いします。
   メンテ
Re: ご意見お待ちしております。 ( No.77 )
日時: 2013/05/14 22:53 (dion)
名前: なを

>>nさん

ご返信ありがとうございます。

いえいえ、全然構いませんよ。
それじゃあ…タイトルは『n・なを、意見交換』とでもしておきます。
そちらで続けましょう。
   メンテ

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関連スレがあればこちらより




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