Re: 死について。 ( No.1 ) |
- 日時: 2013/06/09 23:51 (e-mobile)
- 名前: 冷人
- 死は怖いよ。
死にたくない…
だから簡単には死なないって思い聞かせる。
ナイフをもった人が近づいてきたら、 返り討ちにしてやるとか…
大災害が起こっても、生き延びてやるとか…
普段は弱くても、 いざとなった時の自分はすごい力を持っていて、 すごい強いんだと思い聞かせる。
そう思えば少しは怖さが和らぐかもね…
それでもやっぱり怖いよ。
当り前さ。
だから、必死に生きなきゃダメなんだよね。
いつ死ぬかなんて分かんないからさ。
今生きてる時間を大切にしないといけないんだよね。
そういうこと考えてれば、 死の恐怖とかどうでもよくなってくる…
そんなことよりも、 もっと生きる上で考えることはいっぱいあるだろうし、 やりたいこともあるだろうし…
何事も前向きに考えることが大切。
|
Re: 死について。 ( No.2 ) |
- 日時: 2013/06/10 00:18 (infoweb)
- 名前: きりた
持論や体験談などをお求めのようなので、自分の意見を伝えさせていただきます。
小学生の頃。 質問者様と同じとは言いませんが、私も死について昏々と考え込んだことがあります。 死んだら自分という自我はどうなるのか。当時亡くなった祖父について、墓に入った祖父は今どうなっているのか。 少し昔過ぎる話なので、小学生の私がどのような結論に至ったかは覚えていませんが、少なくとも悩んでいたことが苦しかったことだけは覚えています。 対処方法は周りの大人に意見を聞いて回った、だったと思います。
中学生の頃。 とあることがあって、また死について考えました。 この時はある程度、死というものがなんなのか理解していたので、この時はあまり深くは考えませんでした。しかし、それがいけなかったようで、単純に死んだ自分のビジョンだけしか頭になく、解決策を見出そうともせずに勝手に参っていました。
高校生の頃。 死について考える機会があり、その時は自分の周りで亡くなった方達のことを想いました。 思えば、この時は自分にとって死とは縁遠いものであり、能天気なものだったと思います。
そして現在。 死について考えた時、周りに残していく人々のことを想います。 自分が死ぬことであの人はどう思うか、この人はきっとこうだろうと考えます。 周りに対してどれだけ迷惑がかかるとだろうかと、金銭面などを考慮する、少し生々しい想像もします。
総評として。 死は縁遠いくせに身近なものなのだと思います。 忘れた頃に意識の中に現れ、恐らくその存在を考えてもいなかった人に付きまとい、連れて行ってしまいます。 壮大なことを言うつもりはありませんが、死とは生きとし生きるもの全ての生物にとって付随してくるものです。 空気みたいなもので、普段はその存在に意識を傾けないのに、ふとした瞬間に強烈なほど意識の上に現れます。
対処方法をお求めということは、考えることが辛いのではないかと愚考します。なら、考えないことが一番だとは思います。 ですが、少し厳しいことかも知れませんが、私は思いっきり考え抜くのもありだとも思います。 人間、分からないものが一番怖いです。それなら、分からないものの正体を明かしてしまえばいい。 暗闇が怖いなら明るく照らせばいい。物音がするなら正体を探ればいい。妙な臭いがするなら調べてみればいい。 きっとそれらは勇気のいる行動ですが、対処方法としては劇薬という意味で効果的です。 疲れている時は心を休ませる。余裕がある時は頭を働かせる。 自分に甘いことはどうかと思いますが、自分に厳しすぎるのもよろしくない。 めりはりをつける。これが大事です。
質問者様の質問に応えられているかはわかりませんが、これが私なりの考え方です。 お考えをまとめる上で足しになれば幸いです。
|
Re: 冷人様 ( No.3 ) |
- 日時: 2013/06/10 01:35 (dion)
- 名前: 夏樹
- 投稿ありがとうございます。
恐らくはニュースが影響していると思うんです。 私がニュースで見るものには殺人事件が多いので、“返り討ち”の発想をもった事がありませんでした。 なので思い返すと犯人を返り討ちにされた方もいらっしゃるな、と思い少し気が楽になった気がします。 「前向きに」と言える事かは解りませんが、将来の夢の為の体力作りも兼ねて武道を習おうと思います。 これは解決策の意味が違うかも知れません、しかし自分の強さに自信をもてるようになりたいです。 強くなった自分を思い浮かべると少しだけ外も怖くないような気がしてきます。
ありがとうございました!
|
Re: きりた様 ( No.4 ) |
- 日時: 2013/06/10 01:54 (dion)
- 名前: 夏樹
- 投稿ありがとうございます。
同じ事を考えていた方に御意見を頂けてとても嬉しいです。 そして、読んでいて何故だか納得してしまいました。 きりた様が死への考えを変えていったように、死はそれを考える人によって姿を変えるのかも知れません。 だとしたら私は死を知ろうと焦っていたのだと思います。 知らないから怖い、だから知りたい、でも完全に知るには経験するしかない、けれど経験することは怖い・・・でも知りたい、と言う風に。 臆病な私ですから、初めに読んだ時は考えないようにしようと思いました。 でも私が恐れているのは『夜、殺されること』。 毎晩を物騒な考えで満たしたくはありませんが、視点を変えてみるようにします。 自分を一番納得させてあげられる視点を見つけられるように。
私はきりた様に比べて過ごしてきた日々が浅いので違った納得の仕方をしてしまっているかも知れませんが・・・この問題に私を納得させてくださったこと、感謝致します。
ありがとうございました!
|
Re: 死について。 ( No.5 ) |
- 日時: 2013/06/10 02:44 (emobile)
- 名前: 冷人
- 武道を本気で習おうとお考えなら…
身体的能力の向上はもちろんですが、
精神的能力の向上にも努めてみてください。
体力がある、腕力があるといった強さも大事ですが、
私は精神的な強さの方が大切だと考えています。
これは今後どの場面においても通用するものです。
つらい壁にぶつかったときに、
それを乗り越えるための力となるものです。
自分を鍛え上げて、
日々精進して、
あなたが理想とする強い自分になって下さい。
応援しています…
|
No.4に対する返信 ( No.6 ) |
- 日時: 2013/06/10 08:13 (infoweb)
- 名前: きりた
お考えをまとめるのに私なんぞの意見が役に立ったようで何よりです。
恐怖と向き合うことにしたということで、そう決めること自体、大変勇気を必要としたと思います。決断なさったこと、喝采するような思いです。 質問者様は今一歩を踏み出しばかりで、この先更に考え込んだり、迷ったりすることがあると思います。ですが、その一歩は間違いなく重要な一歩だと私は思います。
悩みや不安を解決しようとすることは、泥沼の中を歩き続けるようなものです。時には足が重くなり、ついには止まってしまうこともあるかもしれません。しかし、それは悪いことではないと思います。休息は何に対してでも重要です。 もしも立ち止まったら沈んでしまう泥沼なら、周りを見回してみてください。もしかしたら、そこには沈むのを引き留めてくれるのに適した縄があるかも知れません。 その縄とはこの場のような掲示板であったり、友人や家族だったりと、様々な形状をしているかもしれませんが、どれでも良いです。 体を泥沼から抜こうと強く引っ張れば、千切れてしまうような縄であっても、少し掴まって休むくらいであれば許されるはずでしょう。
繰り返しになりますが、恐怖に立ち向かうことはとても尊厳のある行為ですが、かなりの疲労が蓄積されることです。 自分を気遣う時は気遣い、厳しくする時は厳しくする。そんな人になればいいですね。
> → 私はきりた様に比べて過ごしてきた日々が浅いので違った納得の仕方をしてしまっているかも知れませんが
違った納得の仕方でいいのだと思います。人の心に形はないのですから、何も窮屈に型へはめることはないんです。
> → 自分を一番納得させてあげられる
少なくとも中学生の私はこのように考えることはできませんでした。 中学生にして、こんな風に考えられたあなたはご立派だと思います。
|