Re: タマシイ、ココロという謎 ( No.1 ) |
- 日時: 2013/08/30 13:56 (wind)
- 名前: かゆがも
- 心の問題ですね。
心の問題を徹底的に細かく、科学的に分析しているのは仏教でしょうね。 あなたも仏教の勉強をして心とはどのような仕組みなのか、まずは知識として知ってみてはどうでしょうか。 http://www.amazon.co.jp/%E7%B5%90%E5%B1%80%E3%81%AF%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%82%92%E4%BD%95%E3%82%82%E3%81%97%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E2%80%95%E5%BD%B9%E7%AB%8B%E3%81%A4%E5%88%9D%E6%9C%9F%E4%BB%8F%E6%95%99%E6%B3%95%E8%A9%B1%E3%80%886%E3%80%89-%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9C%E3%83%A0%E3%83%83%E3%83%AC-%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%8A%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9/dp/4901679619
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Re: タマシイ、ココロという謎 ( No.2 ) |
- 日時: 2013/08/30 14:11 (dion)
- 名前: とむ
- かゆがもさん、どうも
仏教ですか!そこら辺は自分なりに勉強していまして。 変なプライドを消すという意味では正しい所もあるのでしょうが
ただ、縁や空的な何やらな考えかたでは 虚無でしかないのです
たとえば
変化する実体があれば 変化するのはおかしい (実体なら変化しないだろうから) 変化が無いなら 変化する実体も無い というふうに 何も出来ないという風になりますから。
また、全てが感覚や認識の様なものであれば この世は全て自分一人の 孤独(とも言わせてくれない) 夢の中ということになります
しかし それ(中論や唯識)だけでは説明できない領域が有り そこについての疑問なのです
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No.2に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2013/08/30 14:27 (wind)
- 名前: かゆがも
- > ただ、縁や空的な何やらな考えかたでは
> 虚無でしかないのです そうでしょうか?、変わることができるからこそ、我々はより良い方向に変わっていくことができるのではないでしょうか。
> 変化する実体があれば > 変化するのはおかしい > (実体なら変化しないだろうから) > 変化が無いなら > 変化する実体も無い > というふうに > 何も出来ないという風になりますから。 仏教ではこの世の全ての存在を物質(ルーパ)と心(ナーマ)に分けて考えています。 そして物質も心も実体があるのではなく、常に変化し、常に有と無を点滅するように存在しているのだと教えています。変わらない実体なんてものはないんですよ。 人、生命は肉体(物質)と心(精神)からできています、よって変わらない実体はありません。
> また、全てが感覚や認識の様なものであれば > この世は全て自分一人の > 孤独(とも言わせてくれない) > 夢の中ということになります 人は感覚を通して世界を認識してますからね。 心はさらに分けると六つの部門に分けられます。 目に外部の情報(光)が入ると眼識として認識します、 耳に外部の情報(音)が入ると耳識として認識します、 鼻に外部の情報(香り)が入ると鼻識として認識します、 舌に外部の情報(味)が入ると舌識として認識します、 身体に外部の情報(触感・熱さ・冷たさ・痛み・痒み)が入ると身識として認識します、 そしてそれぞれ情報を受けて感情や考えや妄想や意志が起こるのが意識です。 心は眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識で構成されています。 そして眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識のなかに変わらない実体は存在しません。
> しかし > それ(中論や唯識)だけでは説明できない領域が有り > そこについての疑問なのです 西洋の哲学者が嵌るような罠ですね。 仏教は言葉にして緻密に伝えていますが、言葉は道具で限界があります。 真理に到達するには思考では無理なんですよ。 結局は修業して、自分で発見するしかないのだ、と教えています。 仏教の本を読んで真理を学ぶことはできます、しかし、それでは自分で発見できるようになったとは言わないのですよ。 野球のイチローがホームランの打ち方を教えてくれたとします、しかし、それだけではホームランは打てないでしょう、実際に野球の練習をして教えを実践する必要があります。 仏教の教えは戒律を守り、禅定で集中力を鍛え、正見(サティ)にて智慧を発見することです。
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Re: タマシイ、ココロという謎 ( No.4 ) |
- 日時: 2013/08/30 15:04 (dion)
- 名前: とむ
- どうも
>>そうでしょうか?、変わることができるからこそ、我々はより良い方向に変わっていくことができるのではないでしょうか。
いや、縁の考え方をすれば 変化は非変化の相対関係であり 変化という自性は成立しないでしょう また、縁は作用であり縁が存在しているわけではない、とも
さらに 何か(実体)が変化すると言いますが、であれば 変化してしまうそれは実体(本性)とは呼べないのでは?
>>仏教の教えは戒律を守り、禅定で集中力を鍛え、正見(サティ)に>て智慧を発見することです。
それは結局、識の中での話ですよね 唯識では識、心そのものが存在して無いのですよね? ふしょうふめつ、とか、悟りも悟らないことも無いとか。 ですので、「空」を目指すための念仏や座禅、修行には 何の意味も無いのです、そもそも「空」が無いのですから
といって切り捨ててしまうのではなく ものが有る為には見えなくてはならない ものが無いならば見てはいけない しかし 無の中に見えるものがあり 有の中に見えないものがある 無と有の 危うい均衡にこそ 自由意志が そんざいできるのかな?というか
全てが本当であり、嘘である ようになっているというか、 言葉にて悟れる(気づける)ハズ、かな、と 言葉にて迷える、「迷うことができる」。謎
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Re: タマシイ、ココロという謎 ( No.5 ) |
- 日時: 2013/08/30 15:08 (dion)
- 名前: とむ
- もっとも、ココロを安らげるための瞑想(行動)は必要なのかも
しれないですね
それは人それぞれの方法が有るのかな?
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No.4に対する返信 ( No.6 ) |
- 日時: 2013/08/30 15:22 (wind)
- 名前: かゆがも
- > いや、縁の考え方をすれば
> 変化は非変化の相対関係であり > 変化という自性は成立しないでしょう > また、縁は作用であり縁が存在しているわけではない、とも 因縁の話は難しすぎて、普通の人はあまり考えないほうが良い、教えられていますよ。
> さらに > 何か(実体)が変化すると言いますが、であれば > 変化してしまうそれは実体(本性)とは呼べないのでは? そうですよ、ですから変化しない実体、本性などは存在しないんです。 存在する、といえるのはナーマとルーパだけで、それすらも変化し、明滅し続けるんです。
> それは結局、識の中での話ですよね > 唯識では識、心そのものが存在して無いのですよね? 物質も心も存在は有と無を繰り返すことです。
> ふしょうふめつ、とか、悟りも悟らないことも無いとか。 > ですので、「空」を目指すための念仏や座禅、修行には > 何の意味も無いのです、そもそも「空」が無いのですから 修業の否定は努力の否定になりませんか。 「空」とはナーマやルーパの性質です。 存在の話ではないんですよ。 ナーマやルーパの不変で、普遍の性質で、真理は変化しません。 真理は存在するとは言いません、存在の性質のことです。
> といって切り捨ててしまうのではなく > ものが有る為には見えなくてはならない > ものが無いならば見てはいけない > しかし > 無の中に見えるものがあり > 有の中に見えないものがある > 無と有の > 危うい均衡にこそ > 自由意志が > そんざいできるのかな?というか > 全てが本当であり、嘘である > ようになっているというか、 > 言葉にて悟れる(気づける)ハズ、かな、と > 言葉にて迷える、「迷うことができる」。謎 私もゴチャゴチャ考えていたときがありましたが、結局は修業するしかないのだと結論付けました。 私は修業により、ある程度の成果を得ているので、仏教の教え、修業は正しいものと考えています。
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No.5に対する返信 ( No.7 ) |
- 日時: 2013/08/30 15:37 (wind)
- 名前: かゆがも
- > もっとも、ココロを安らげるための瞑想(行動)は必要なのかも
> しれないですね 確かに禅定(サーマディ)を得れば一時的に平安は得られます。 しかし、瞑想をやめてしまえばその平安は壊れてしまいます。 禅定で集中力を高め、正見(サティ)によって真理に至る必要があるのでしょう。
> それは人それぞれの方法が有るのかな? 仏教ではこの道以外に他にはない、と教えてますね。
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Re: タマシイ、ココロという謎 ( No.8 ) |
- 日時: 2013/08/30 15:44 (dion)
- 名前: とむ
- >>物質も心も存在は有と無を繰り返すことです。
繰り返すも無いのでしょう? 有と無を超えた空なのですから
>>そうですよ、ですから変化しない実体、本性などは存在しないんです。 存在する、といえるのはナーマとルーパだけで、それすらも変化し、明滅し続けるんです。
ですから、そこに異をとなえているのですよ・・・。
>>因縁の話は難しすぎて、普通の人はあまり考えないほうが良い、教えられていますよ。
そこについて考えてないのでしたら そもそもかゆがもさんとの会話が成立していないですね
というか、なるほど、因縁の話は猛毒とも言われてますね 私は(イメージでの)仏陀は尊敬していますが 竜樹の論理は違うかな、と考えていますよ それは、虚無的な発想ですし、 ここで感じている事を忘れてないかな?と、思ってまして 彼自身も自殺したそうですしね。
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No.8に対する返信 ( No.9 ) |
- 日時: 2013/08/30 16:00 (wind)
- 名前: かゆがも
- > 繰り返すも無いのでしょう?
明滅を繰り返すのは存在(ナーマとルーパ)の性質です。 存在として有る、無い、と言っているのではなく、存在の性質です。
> 有と無を超えた空なのですから 空は私はまだ完全に把握してないんですよ、修業中の身ですから。 私に今のところはっきり言えるのは諸法無我、だけです。
> ですから、そこに異をとなえているのですよ・・・。 真理に異を唱えてもしょうがないでしょう、ただの存在の性質です。 自分で修業を通して確かめることをお勧めします。 私自身、諸行無常はまだ捉えきれてません、というか全然まだダメ。
> そこについて考えてないのでしたら > そもそもかゆがもさんとの会話が成立していないですね いや、他宗派の方と話すのも面白いかなと。
> というか、なるほど、因縁の話は猛毒とも言われてますね 他には業や宇宙のこともあんまり考えないほうが良いと言われてますね。 「毒矢のたとえ」はご存知ですか? 毒矢に打たれたら、どんな毒か、誰が打ったのか、矢は何製か、といったことを考えるより、 まず、最初にするべきことは矢を抜くことです。 人がまず最初にするべきことはあれこれ考えることではなく、まずこの苦しみの矢(貪・瞋・癡)を抜くことです。
> 私は(イメージでの)仏陀は尊敬していますが > 竜樹の論理は違うかな、と考えていますよ 真理と論理ではレベルが違いますしね。 真理はたとえこの宇宙が滅んで、また別の宇宙が誕生し、また生命が生まれようとも変わることの無い、普遍的な性質ですから。
> それは、虚無的な発想ですし、 > ここで感じている事を忘れてないかな?と、思ってまして > 彼自身も自殺したそうですしね。 自殺ですか。死んでどこに転生したのでしょうね。
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Re: タマシイ、ココロという謎 ( No.10 ) |
- 日時: 2013/08/30 16:27 (dion)
- 名前: とむ
- 苦しみの矢が論理の問題や仏教そのものであることも
有ると思いますよ 肉体的な痛みも心的な痛みも ココロの中の出来事といえばそうとも言えますから。
>>真理に異を唱えてもしょうがないでしょう、ただの存在の性質です。
そこで言う真理とは盲目的な信仰では? 事実はもっと見当はずれ、かも
>>真理と論理ではレベルが違いますしね。 真理はたとえこの宇宙が滅んで、また別の宇宙が誕生し、また生命が生まれようとも変わることの無い、普遍的な性質ですから。
私は論理と真理は可分であり不可分でありそのどちらでもないもの でもあるのだと感じているのです たとえば、「今喋っていることが単なる真実かも」という。
全てXはxで「は」説明できない 人間の思いという流れが意味を広げて言っているような 感じ まあ、私も自分の考えを完全に正しいともまだ思えてないから ここに書いているわけですが
て言うかちょっと色々書くの飽きてきた 間を空けるとまた考え出すんですが (これが諸行無常といえば諸行無常か)
自分の考えをまとめると 全てが正解で間違いのようなものかなと、 不可思議を超えた驚異
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No.10に対する返信 ( No.11 ) |
- 日時: 2013/08/30 17:16 (wind)
- 名前: かゆがも
- > そこで言う真理とは盲目的な信仰では?
その通りです、自分で確かめなければありがたい教えも盲目的な信仰に過ぎません。 ですから私はそれを確かめたいんです。 サーリプッタ尊者はご存知でしょうか、仏陀の第一の弟子で、智慧第一と称された方です。 サーリプッタ尊者は仏陀の教えを最初に受けたとき、こう答えたそうです。 「さっぱりわかりませんし、信じられません。」 仏陀はその態度を褒めたと言いいます、そして自分で確かめることを勧めたんです。
> 私は論理と真理は可分であり不可分でありそのどちらでもないもの > でもあるのだと感じているのです 私の言葉の使い方としては・・・ 論理・・・人が見つけ出した法則、人が見つけるものなので完璧でないこともしばしば。 真理・・・存在の、変わることの無い、普遍的な性質。人がいようがいまいが関係ない。
> たとえば、「今喋っていることが単なる真実かも」という。 > 全てXはxで「は」説明できない > 人間の思いという流れが意味を広げて言っているような > 感じ > まあ、私も自分の考えを完全に正しいともまだ思えてないから > ここに書いているわけですが ちょっと私には難解で難しいですね。
> て言うかちょっと色々書くの飽きてきた > 間を空けるとまた考え出すんですが > (これが諸行無常といえば諸行無常か) まあ、掲示板ですから、自分の好きなときに書けば良いかと。
> 自分の考えをまとめると > 全てが正解で間違いのようなものかなと、 > 不可思議を超えた驚異 真理はどこにでも見られますからね、ただ私たちが気づけないだけで。
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Re: タマシイ、ココロという謎 ( No.12 ) |
- 日時: 2013/08/31 17:51 (dion)
- 名前: とむ
- 人が物を見る、ということは
物事は層を成していて、それらを知覚する次元が有る という また、一つではなく繋がっているとも。
論理の一側面に真理があり 真理の一側面に論理がある
ある人の言葉、なるほどと思った。 自分はまだちょっと自信なくて不安定だけど
少なくとも般若心経で師が舎利弗に言っているような 物事は全てナニナニの組み合わせに過ぎない(空)というのは 違うはず
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Re: タマシイ、ココロという謎 ( No.13 ) |
- 日時: 2013/09/02 16:25 (wind)
- 名前: かゆがも
- どうもお話が難解で、私では相手が勤まりそうにありませんね。
実は私はテーラワーダ仏教(初期仏教)の信者です。 http://www.j-theravada.net/
こちらにQ&Aコーナーがあるのですが、もしかしたらあなたの参考になるかも知れませんね。 http://www.j-theravada.net/qa/index.html
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