Re: 死と生と心について。ただの愚痴です。 ( No.1 ) |
- 日時: 2014/04/13 23:58 (spmode)
- 名前: ちな
- ねぇ、
心って必要だと思う?
わけのわからん 質問すいません
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Re: 死と生と心について。ただの愚痴です。 ( No.2 ) |
- 日時: 2014/04/14 01:10 (so-net)
- 名前: ワカバ
- >ちなさん
コメントありがとうございます。 私が今思うのは、心は必要です。 心は愛、憎しみ、怖れ、喜怒哀楽すべての感情の元であり、その人自身です。
私は、負の感情にとらわれたとき、不必要な心を捨てた(殺す?)つもりで生きて乗り越えようと思いましたが、なんか病気になってしまいました。 捨てちゃまずかったみたいです。
(本当は自分を押し殺すことですべて解決!したつもりでその場を切り抜け、格好つけたかったのか、あくまでみっともない自分をさらけ出すことをただただ拒絶して、悲劇のヒロインでいることに甘んじたいだけだったことと思います。苦しくてもただ生きたいと願い、考えた上での苦肉の策がこれでしたが、あまり心をないがしろにするもんじゃありませんね…。)
自分の心に正直になるとこからチョコチョコ始めていってる感じです。 心を大事にしないと、あとあと変なことになりかねない…。
酔った勢いもあって思ったままつらつら失礼しました。
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No.0に対する返信 ( No.3 ) |
- 日時: 2014/04/14 12:55 (wind)
- 名前: かゆがも
- > 死にたいのは、死に生を見出だし始めた証。
> 自分を殺すことで生きていたことを確認したいだけ。 > その後は知らない。興味ない。 > その時、一瞬でも生きているのなら。 死が唯一の生きる証とは悲しいことで。
> 死にたいのは、生から逃れるための唯一の手段。 > 逃れた先にあるものの正体は、誰も知らない。 > それでもいい。辛い今から、将来から抜け出せるのなら。 > 私は自由になれるという確証がなくても。 自殺するのは生きてるのが辛い人でしょうね。 しかし、自殺でその苦しみから解放されるかは分かりませんが。 確証も無しに試す人も中にはいるでしょう。
> それでも生きたいのは、残された自分の意思を肯定したいから。 > 日々殺されていく自分を感じながらも、ここに残っている私を信じてあげたいから。 > このまま信じてあげられる自信も余裕もない。 > でもこれが正しいはずなんだと、心の底の、ずっと奥で人間は思っているから。 私が苦しくても生きてるのは生きてやりたい事があるからですね。
> 生きてるのは、自然なことだけど、自然な事じゃない。 > 本気で死を感じた人間が生きてるのは。 > 生を疑う。わからなくなる。今と未来を疑い、時折過去にとらわれる。 > 人間は感謝するかもしれない。奇跡だと、思うかもしれない。 > または本っ当面倒くさいとマジで感じているかもしれない。 人は、生命は必ず死にます、確実です。 生きることは不平等極まりないですが、死ぬことは平等です。 ですから、死について考えるのは有意義なことです。
> 私は死にたいとは思わなくなった。 > (それでも、今までとは何かが違う。) > 自分の中だけ時間が止まっているようだ。 > (いや、昔からこうなのかもしれない。) 死にたいと思わなくなったは何よりでした。 原因となっていた苦しみが減ったか、無くなったか、あるいはその苦しみに負けないぐらい自分が強くなったか。
> 心は、どこにも行けない。 > 自らが成熟するしかないのだから。 > 人間は、成熟することができると信じているから。 同感ですね。人は成熟することで苦しみを克服するのでしょう。
> 支離滅裂、意味不明ですみません。 > 本当、心って何なんでしょうね。 > まるで植物のようです。 心については仏教が詳しいですよ。 私は仏教徒なので勉強してるんですが、宗教が嫌いな方もいるので今は説明を控えますね。
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