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小豆は青春について考えてみた@ ( No.28 )
日時: 2012/05/06 23:22
名前: 小豆

青春。
これに関してはちょっと過激な持論を持っています。
基本的に僕は穏健派だと思うんですけど、
今回のは僕の数少ない世間的には過激な論理ですね。
今までいろんな人にさんざんに批判を受けながらも、
どこに問題があるかさっぱりわからん!
なので、自己反省?の意味も込めて整理してみます。

<font color=#52b621>青春
人生の春にたとえられる若い時代
青年期
by明鏡国語辞典

僕は青春って言葉が世界で一番嫌いだ、いまんとこ。
こんな言葉は消えてなくなれば良いと思う。
なにがいけないってこの言葉にこびりついた惰性の臭い、他の比ではない。
そもそも青春という言葉はカバー範囲が広すぎるのだ。
「若い」僕が何をしても青春になってしまう。
恋をしても、部活に燃えても、一定の思想に傾倒しても、
失恋しても、人生の壁にぶち当たっても、友達と遊びに行っても、
みーんな青春である。(と書いたところで最近の僕は上記のうちのひとつもあてはまることをしてないことに気づいたが、まあ、それは別の話)
とにかく、僕が少しでも動けばなんでも青春になってしまう。
そして僕の嫌いなタイプである過去にのみ生きるおじさん、おばさんは僕を見て、こう言うんだ。
「青春だねぇ」
うわー!もう叫びたいくらいである。

ここまで書いても僕がなにが言いたいのかわからない人は多いだろう。
要はこういうことだ。
例えば僕が何度も悩み苦しみ、希死念慮を抱いていたとする。
そのことをお母さんに相談したとしよう。
すると、お母さんはニッコリ笑顔を浮かべて、
「青春しているわね。そのすっぱさも含めて青春よ」
とわかったようなことをのたまう。
ここでこの母親は息子の必死の悩みを、
(息子が若いということも相まって)深く考えもせず、
甘酸っぱい青春というレッテルを貼ってしまっているのだ。
これは他のシチュエーションでも同じである。
僕が必死で必死でやったことも
結局は青春という浮わついた言葉でしか表現されないし、
僕のちょっとした発言さえも、
若さゆえ、青春しているから、と取られてしまう。

僕が15のとき、自分の悩みをいろんな大人に相談した。
それで大人不信になった。
あの頃の大人たちが
僕のことを顔ではわかったようにして、
口では理解したようなことを言って、
頭の中では青春だねぇと懐かしむように笑ってたのではないか
と思うと恐ろしくなる。
そして、この言葉によって、
この言葉を軸として価値観を構成した大人によって、
どれだけの若者が抑圧され、
ニッコリと笑われてきたのだろうか。
できれば考えたくない。

万能な言葉は確かに便利だが、人の思考をおろそかにする。
こういう言葉は究極論、社会の思考を疎かにし、国をダメにする。
古代ギリシャの言葉を借りれば、衆愚政治。
あの頃、テマゴーゴスとかいう扇動政治家が多く現れたらしい。
バカはそれっぽい言葉に釣られる、ということだ。
今もまさにそうじゃないか。
……、いや、実際のところそんなことはどうでも良い。
何よりも問題なのは
疎かになった思考によって傷つけられる繊細なマイノリティーの存在である。

なら、本人が自分を評して青春と言うのはどうか。
別に良いけどバカ丸出しな気がする。
なら、本人が過去の自分を評して使うのなら?
気持ち悪い回顧に陥らない限り良いと思う。
これが青春の正しい使い方かな。
ま、いつまでも青春はできると思うけど。


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