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Re: 元風俗嬢が小学校の教員 ( No.15 )
日時: 2012/11/17 23:32
名前: ロックスター

>10
>あらゆる経験をバカにするべきでないのなら
>実社会へ出たことが無いという経験もまた、バカにするべきではないだろう

言葉遊びだねw
○○という経験をしていない経験があるなんていうのはいろいろと破綻してないかい?

>過去に故意に殺人を犯した人でも、その経験から一般の教師にはできない何かを生徒に与えられ
>なおかつその過去を隠蔽することができれば、それでも良いということになる

まず風俗勤務は犯罪ではないから
殺人と同列に見る貴方の言い分は著しく公平を欠くものであると理解してもらいたい

そして犯罪行為ではないとある特殊な経験をした人が
その経験から一般の教師にはできない何かを生徒に与えられるのであれば
それが悪いことだとは思えないのだが?
貴方はどこが悪いと思われているのだろうか?

貴方は隠蔽さえすれば良いのかと言われているが
そもそも過去を全てさらけ出す必要性があるのだろうか?

生徒の恋愛相談にのる教師は
自身の恋愛体験を生々しく語らなければならないのだろうか?
恋愛相談を受け付ける場合には校長や他の教師たち、PTAたちに
自身の恋愛体験を報告し
その上で相談にのっても良いかどうか
決断してもらわなければ相談にのることはできないのだろうか?

当然そのようなことは現実社会においてありえない
教師と言えどもただの人なのだから
言いたいことと隠しておきたいことがあって当然ではないだろうか?

>それは同時に生徒が「この人は何かが違う」と感づく要因にもなる
>「先生はどうしてそんなに詳しいんですか?」と聞かれたらどう答える
>「あの先生、実は風俗で働いてたんじゃないの?」と思いつく生徒が出てくるのも容易に想像できる

まず、生徒が感づくかどうかは貴方の想像でしかない
もしやと思いつく生徒が出てくるかどうかも同じ

そして何より、それらは生徒の妄想でしかなく
事実として認識されるにはその妄想が事実だという証拠が必要になってくる
そしてその証拠はどこにもないわけだし
何より教師に風俗で働くことを相談してくる生徒が何人いて
その生徒が自身が風俗で働こうと思っていることを周囲に漏らす可能性がどれほどあるとお考えなのだろうか?

結局、風俗嬢であったと『わかる』ことがない以上
『もしや?』と思われたところでどうなることもないというのが
結論になるのではないだろうか

疑わしきは罰せず
それが法治国家日本の判断であるべきだし
疑わしきを罰する教育を生徒たちにするべきではないと思うのだが?


>13
>経験には良いものもの悪いものもある
>当然その中には「聖職者」として足を踏み入れてはならないものもある

風俗という経験をしたものが聖職者になれないのであれば
教師という職業を選んだ男性は皆、風俗に行ってはならないのだろうか?
風俗で働いた者は聖職者になれないが
風俗で遊んだ者は聖職者でもいいのだろうか?

私は生徒たちに風俗通いがバレないのであれば
成人した1人の人間なんだし
行く行かないは各々の判断に任せても良いものだと思うのだが?

>「間違ってもやり直せばいい」という言葉は本来、若気の至りゆえに過ちを犯した生徒側に対して使う言葉であって
>教師自身が自分の過ちや克己心の欠如に対して、寛容になるために扱って良い言葉ではない

つまり貴方は教師という職種の人間は一切過ちを犯してはならないとおっしゃるわけだ

そこで貴方にお聞きしたいのだが
過去に一度も過ちを犯したことのない教師から
『間違ってもやり直せばいい』という言葉を受けて
誰がそれを信じるのだろうか?

過ちを犯したことのない教師はそのままやり直したことのない教師となる
やり直したことがない教師の言う『やり直せばいい』という言葉に
どれほどの信用があるのだろうか?

ぜひとも教えていただきたいものだ

>子供に教育を施すというのは国にとっても人類にとっても最重要課題の一つ
>「法律的には大丈夫」「そんなルールはない」なんて言い訳を大人がしていいと思うのだろうか?

むしろ言い訳の一つもできない大人が子供に何を教えるのだろうか?
あらゆる体験を一切排して、ただの情報として教育を施すことが
教師の最重要命題であるならば
教師は人でない方が良いというのが結論になる

人は過ちを犯し、それを正して成長する
人として生きる以上、必ず過ちは起きるし
その過ちに対処する技能を身に付けることも
人として生きる上で必要なことだと思う

>教師は聖職者であらねばならない

このことに異議を唱えるつもりはない

ただ・・・
『生徒(やPTA)から見た』教師は聖職者であらねばならない
というのが人としてできる限界であろうと思う


そして聖職者である自覚を持つことと過去の経験は関係がない
アメイジンググレイスという賛美歌を知っているだろうか?

あらゆるキリスト教圏、特にアメリカで好んで歌われるこの歌は
とある奴隷商が改心し牧師となった際に作ったものだと言われている

何人もの黒人を拉致し、不衛生な船の中で動物以下の扱いをして殺し、奴隷として売りつけた男でも牧師という聖職者にはなれる

日本でも元不良が教師になった話があったと思うが?

>そもそもの話をすれば、こんな場所で顔も知らない相手に否定や反論をされたくらいで
>目標や自信が揺らぐようでは、本当の意味で教師失格だと思うが

そうだろうか?
本当に教師になりたいからこそ
そして本気で生徒たちに接したいと思っているからこそ
不安になるのではないだろうか?

誰になんと言われても気にせず教師になれる者はそれこそ
教師という職業を軽んじてはいないだろうか?


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