Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.554 ) |
- 日時: 2016/09/23 05:16 eonet
- 名前: yamaneko
- アジさん!おはようございます!「海王丸」製作ですか?
1983年に 大阪港で「帆船祭」ってのが ありましてね?小さなこども二人を連れて 見に行ったことがありますよん!
遠くから じつに巨大な「帆船」が 数十隻?または数十艘?が 顔見世してくれるんですよ。
帆に風を受けて ゆったり動く姿は 雄大ですね?因みに 水兵さんが見える距離では無かったです。。たぶん 帆船の数が多いから 港から離れていたんでしょう。
「海王丸」の「船主像」は横笛をふく女性「紺青」で「日本丸」のは「藍青」だそうですが、それも製作するのでせうか?
帆船を守るのは「女性」って「ローレライ」の世界ですね?
「海王丸」「日本丸」まで 近代になると 観て楽しむという事が出来ますが「白鯨」という映画を観ていると 、あれは「ナポレオン」じだいでせうか?
あの時代まで 遡ると 嵐の海で、マストは折れるし、帆は敗れるし!ワイルドだぜ!!
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.555 ) |
- 日時: 2016/09/23 10:23 au-net
- 名前: アジテイター
- 帆船で盛んに練習航海が行われていたのは1900年頃までですが、海員の養成は帆船に限るという信念も長く続きますて、日本やドイツ、フィンランドなどでは大戦後も使っておりますた。
ヤマネコさん、船首像についてよく御存じでw
日本丸、海王丸ともに最初は船首像がなかったのですが、1985年に日本丸II世が就航した際に、日本丸II世と海王丸に船首像が取り付けられますた。
これらの船首像は東京芸術大学の西大由教授によって制作されたもので、日本丸II世の船首像は手を合わせて祈る女性の姿をした「藍青」、海王丸の船首像は横笛を吹く女性の「紺青」です、1989年に海王丸が引退した際に「紺青」は海王丸II世に引き継がれますた。
アジが作ってるのは1985年以前の初代海王丸ですから、乙女の像は残念ながらありましぇーん、つーか、プラモメーカーのアオシマさんが金型作った際の資料が1985年以前だと思われます、自分でスクラッチしても良いのですが、難しそうだZE☆www
-
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.556 ) |
- 日時: 2016/09/25 15:04 eonet
- 名前: yamaneko
- ごほ!ごほ! 風邪ひきで失礼しました。
アジさん!フォト有難うございます。
城には「シャチホコ」。大きな家には「鬼瓦」。海賊船には「どくろマーク」。というのが定番。
1985年と言えば、バブルに沸き立つ日本。めっき?とは言え「黄金」の船首像とはまぶしい!!
私が好きなのは「カテイサーク」。意味は 公言しませんが「魔女」っていうところが 好きですねー?
嵐や家事を払いのけるのには「魔女」の力が 有効ではないでせうかねえ?
て、言っても たしか?「カテイサーク」は もう壊れてしまったかも?ですが。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.557 ) |
- 日時: 2016/09/28 13:10 eonet
- 名前: yamaneko
- 毎日 まるで生きている気がしない。数日前に風邪をひき、足が腫れて 歩けなくなり、リハビリに行くと 何とか回復。
しかし なぜか?脱力感が抜けないために 予定の仕事ができないままで 毎日が過ぎてゆく。
昨夜は 少し元気になったが「熱帯夜」で 寝不足。雨が降る夜中に 裏山では「鹿」の鳴き声。
早朝には「鹿」のうめき声が聞こえる。
きっと 夜中に 藤のつるに 足を絡ませたのだろう。朝方になって 息絶えたのかもしれない。
数年前にも経験していることなので、朝になれば 様子を見たかったが、寝不足で雨の中を山登りすることは 危険なので じっとしている。
こんなに 時間があるのに 何もせずに生きていることは 苦しいものだ。
「ろうやぼう」はどんどん 加速していく。すごいドラマだと 感心するとともに 現実の自分との落差に絶望するときがある。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.558 ) |
- 日時: 2016/09/29 21:30 eonet
- 名前: yamaneko
- 雨がやんだ。でも 今日はピアノ。先生は遠距離なので お休みして下れば良いのだが、これだけの雨が降れば ピアノの状態も 確認したいのだろう。
防音、湿度調整してある部屋だが、こまめなチェックが 必要らしい。喉が痛いので マスクをして 防寒までして出かける。
涙目が治らないから まるで楽譜は見えない。それでも きめ細かくご指導いただくと気が晴れる。
相棒の練習も聴いて、お話もして帰る。夫も出かけている様子なので、何とか夕飯のおかずを一品作り、ベットに転がり込んだ。
2時間半は眠っただろうか?気分良くなり 食事する。こうして どんどん生活リズムが乱れてくる。
でも、これが加齢という事なのかもしれない。頑張りたくても 頑張れないのだから。
博多の友人から メールは入っていた。新年に 別の友人と京都に行くというので、ちょうど「法事」が近いから今年は合流できない。と、伝えていたのだが また別の友人と 大阪で会いたいという。
いくらなんでも「幕の内」に 皆さんに呼びかける勇気はないし、私自身が動けないのに どうしようもない。
考えが まとまらないので、メールも電話もせずにおいている。友人は 一人暮らし。この時期は寂しいらしく 毎日のようにメールが入る。
こちらから電話をして一時間ほど会話するのが 嬉しいという。外出が好きな人で 私とは反対。息子がいなければ我が家にしばらくは 滞在すればよいのだが息子が同居している状態では 生き苦しい。
そんなことやらいろいろが面倒な時期になってきた。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.559 ) |
- 日時: 2016/10/13 09:39 eonet
- 名前: yamaneko
- 村祭りが にぎやかに終わって、町長選の真っただ中。二人の候補者が争う形になった。
一人は「教師」からの 政治経験。町からの移住者である。他の一人は村で生まれて 町職経験者。
「政策」がおかしくて 笑ってしまった。
移住者は「4年間で4000人の人口増加を目指す」と言う。「村生まれ」は「このままで豊かな町にする」という。
どちらも 現実離れしている。
「移住者」のわたしとしては、「村意識」のつよい町長はご遠慮願いたい。たとえ 抵抗があっても トップが移住者であれば 少しは言葉が違う。
「よそ者」という言葉が 消えるまでは頑張っていただきたい。 「政治」は生き物。「小池百合子」さんも そろそろ「変形」し始めているような?少し「飽きたなあ」と感じさせる。
さて 私は左首のリンパ腺が 腫れ上がり、発熱。寝ることも起きることも 大変な日々を過ごした。
歳だとは思ったけれど、こうして死んでいくのかなあ?と 寝ていても自然に涙がこぼれる。
死ぬことは仕方が無い。だが、まだ課題が残っていることが 悲しいのだ。
なんとかならんかねえ?と、友人とは慰め合っている。今日は ピアノ。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.560 ) |
- 日時: 2016/10/17 17:31 eonet
- 名前: yamaneko
- 蒸し暑い一日だった。町長選は「敗北」した。この町は もう過疎化を歯止めできないだろう。
村意識。この閉鎖的な意識は 改善しようがない。
ほんの200票程度で落選された現職町長の無念を思うと、慰めようもなく 柱を失った無念さを埋めることも出来ずに親しき友人と電話で 悔しさを慰め合う。
体調が悪い中「しその実」の出荷に追われて過ごしたが 今日はもう気力が続かない。
夫婦ともに眠って過ごす。そこに 長崎から「食糧」が送られてきた。大量の「長崎ちゃんぽん」と「唐人菓子」だった。
歌舞伎を観て楽しく過ごしたであろうにこんな荷物を送る気遣いは いらなかったのにと ありがたくも残念に思った。
食後は長い 電話になりそうだ。前回は電話の後に発熱したから 少々警戒気味だが、電話を避けるわけには行くまい。
彼女は 来月はライブ。12月もライブ。一月は京都に来るという。でも 私は京都には行けない。行けないというより行きたいと思わない。
電話が一番楽しい。動くと疲れるし、気も疲れる。それは きっと!家で十分に遊べる場所があるからだと思う。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.561 ) |
- 日時: 2016/10/24 09:19 eonet
- 名前: yamaneko
- すっかり冷え込んで、敷毛布が必要になった。不安定だった体調も どうやら落ち着いてきたようだ。
怒涛のような出荷の日々。約2週間なのに 苦しかった。70になって忙しすぎると 思ったが、夫が頑張ってくれたので 乗り越えられた。
出荷しなければよいようなものだが、一面の「しその実」を無駄には出来ない。それでなくても野菜の値が高騰しているために 道駅が始まって以来初めて 市場価格に連動しても良い!との 決断。
「しその実」はいくらでもあるので安値で 出し続けたが、まだまだ 収穫できないまま 種になってしまった。
今日からは 畑の整理をして ハーブの苗を植えたり、山フキやらミョウガの移植。
それから 楽しみは、朝倉山椒の苗と柿の苗を 植えること。
いつまで生きられるか?解らないけれど山を実りある山に 変えておきたい。それが 楽しみである。
博多の友人に 栗と柿をたくさん送ってくれた。夫の一日仕事だったが ありがたかった。
来年 夫が生きているかどうか?解らないものだから、こうしたことを 大切に記憶しておきたいものだ。
自分の体が弱ってきたからだろうか?夫の健康を案ずるようになった。気持ちだけなのだが。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.562 ) |
- 日時: 2016/10/25 09:27 eonet
- 名前: yamaneko
- 昨日も だらだらと眠って過ごした。畑には行けず、縁側のポットの列に水をかける。
コリアンダーの芽が出ているので、楽しみにしている。
午睡していると 電動のこぎりの音が聞こえ始め、それは 夕方の5時半まで続いた。
周りの樹木が 大きくなりすぎて、畑の下のおばあさんの洗濯物が干せなくなってしまったらしい。
すでに3回は切り倒したが 昨日でも終了せず、もう一回かな?と 夫は言う。病弱な夫にとっては 大変な労働なのだが なぜか?元気に 働いている。
さて この後をどうするか?これ以上の高齢になれば こんな大仕事は不可能になる。
まわりは 皆同じ年齢なので 地主さんの山の手入れも 近所が総出で行うようになった。
若者がいるのに 役には立たない。
私の体は あちらこちらに 虫刺されの状態が起きて、痒い痒い!もともとが アレルギーが加速しているようで 薬を飲んでも治まらない。
免疫力の低下は 高齢者にはおそろしい。何か 引き金があれば すぐに「死」が忍び寄るから。
もう少し、元気に生きていなければならない。夫を見送らねば 死ぬわけには行かない。
出来れば 息子も看取りたい。彼を残して 死ぬことは出来ない。
希望と絶望が交錯する日常がやってきた。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.563 ) |
- 日時: 2016/10/26 12:25 eonet
- 名前: yamaneko
- 雨模様で生暖かい空気の中、支払いのために外出。かれこれ2週間は引きこもっていたから 周りの景色は変わっている。
少し標高が高くなるあたりには 友人が住んでいるし、なじみのカフェもあるので ドライブをしてみる。
友人が ベランダで洗濯干しを空いている姿を確認したけれど、特に声をかける気にもならず、カフェも暇そうなので 通り過ぎた。
子供たちが 幼い頃は このあたりをよくドライブした。なにしろ昔の今頃は寒かったので 遊ばせるにも場所が無い。
それで ドライブが日常になっていた。心も 不安で、子供たちが哀れだった。どうして こんなにさみしい所に来てしまったのか?人生の悪戯に心の中は涙で あふれていた。
都市に帰る機会はあった。もともと 子育てと介護の両立が困難という事から 一時的な帰郷のつもりだった。
一冬で 本当はリターンしたかった。でも!寂しいけれども 田舎は静かである。あの 喧騒の都市生活にもどる自信がなかった。
近くの 都市に住む先輩から 厚遇で迎えるとのお話もあったが、それも自信がなかった。
子育てに介護。それに加えて 慣れない都市での仕事に立ち向かうには エネルギーが 必要だった。
振り返れば 私がいくじなしだった。子供の気持を考えるなら 子供は保育園で元気な暮らしをさせるべきだった。
私が 寂しいのに、子供たちはどんなにか寂しかったろう。
黄色く紅葉している 木の葉を眺めながら 取り返せない日々を回想して過ごした。
昨日は 数少ないこの地の友人から電話があり シルク・ロードを旅してきたから会いたい。とのことだった。20年前なら 飛んでいくのだが もう話を聞くのも面倒で、柔らかくお断りする。
また6年先輩からも電話が入り、カフェで話したいとのことだったが、これも断る。
ある意味で 私は悠々自適なのだ。余計な 話に付き合いたくはない。だが、家族の幸福を成し遂げられなかった という事では、私の人生は悲劇に満ちている。
心の中を二分するこの現実。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.564 ) |
- 日時: 2016/10/27 09:20 eonet
- 名前: yamaneko
- 静かな 夜明けだった。昨日は 入浴したので 夜中に目が覚めた。少しの変化が リズムを壊してしまう。こんなに過敏な性格では 施設には 入れない。
再度 眠り・9時に起きる。カラスがかすかに鳴いている。座敷前には うぐいすが来てしその実を ついばんでいる。
うぐいすの姿を まじかで観るのはめずらしい。本当に 小さな鳥。ウグイス色をしている。
庭中の木々を飛び回っているから たぶん どれの実も食べているのだろう。
今日は ピアノ・レッスン。睡眠不足で行くのは いやだが仕方が無い。
帰宅途中に 古い我が家があるから ローリエの枝を 切って帰ろう。リハビリにも行かねばならない。
明日は きっと!畑仕事ができるだろう。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.565 ) |
- 日時: 2016/10/29 08:29 eonet
- 名前: yamaneko
- 休日の朝。雨模様なので ゆったり起きる。早朝にサイレンが鳴っていたのを記憶している。
テレビのスイッチが 入らない。あれ?あちこち 確かめるとどうやら 停電しているらしい。
早朝のサイレンは疎の件だったのか?ネットを開くと 停電を知らせているが原因は不明。しかし 30分も待たずに回復した。
何のトラブルなのか?自動車事故が 引き金かと思う。
先日の ピアノは すんなりと乗り越えて 次の曲をいただいた。バロックと並行して chord練習なので 大変難しいが、とりあえず鍵盤を信じてやっていこうと思う。
やめようか?と 思う事が多くなったけれど、身体を労わりながら 続けてみよう。
昨日は 気分が悪く 朝のうちはじっとしていたのだが、昼になって 畑に行きたくなり、ミニトマト むかご などを収穫して、苗を植えたり 肥料を加えたりして 過ごしたら 心は満たされて嬉しかった。
畑は山のぼりをするわけだから 登れば運動になるし 健康の目安にもなる。両手に 荷物をもって 降りることも危険な事だが スリルがある。
今日は 明日の出荷に向けて 動かねばならない。朝食を作り、再び朝寝をして体調を整えよう。
夫は 庭中の木を伐採。30年以上になる あんずも切り倒された。でも、これからの事を考えると 賢明かも知れない。
若い頃なら 許せなかったことが 今は受け入れるようになった。夫は おつかれ。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.566 ) |
- 日時: 2016/10/30 20:53 eonet
- 名前: yamaneko
- 休日の朝。早朝に目覚める。冷え込んだキッチンから 夫の姿を認める。どうやら すだち を収穫しているらしい。
黄色くなっているので どうするのかなあと思いながら 再びベットにもぐりこみ4時間も眠った。
昼前に起きてみると 150個のスダチを収穫して 格安で出荷したそうな。
朝の短時間仕事にしては 大変だったろう。夫は元気に 切り倒した木を 燃やしている。
息子も 機嫌よく手伝っている。ふと!子供時代に観ていた両親の姿が思い浮かんだ。
秋の 休日は庭の樹木の選定に時間をかけていた。煙が家の中にも流れて 香りが良かった。
昼食を作って 夫に届ける。日よけのある縁側で 夫は元気に食事をした。
息子は 嬉しいのか?その時は 車で出かけていたらしい。仕事を継続することが 困難な息子だが 気持ちははずんでいるらしい。
私は 午後になって 空き部屋になっている 娘の部屋を掃除しようとして 気分が悪くなり また薬を飲んで ぐっすり寝込んだ。
夕方 夕食を作り、ピアノを弾きながら青春時代を回想した。いつものようにユーチューブを聴いてみる。
「遥かな友に」 磯部 俊 作詞。
遥かな 夜更けに いつもいつも 思い出すのは お前の事 お休み 安らかに たどれ夢路 お休み楽しく 今宵も又
明るい星の夜は 遥かな空に 思い出すのは お前の事 お休み 安らかに たどれ夢路 お休み楽しく 今宵も又
寂しい雪の夜は 囲炉裏の端で 思い出すのは お前の事 お休み安らかに たどれ夢路 お休み楽しく 今宵も又
19歳の3月の末に 私はほかの私学の男声合唱団員の男性から この大学の演奏会のチケットを手渡された。
会話もしたことが無いのに 私は演奏会に出かけた。2枚のチケットだったが、一人で出かけた。
緞帳の奥から 男声合唱が流れてきた。この曲だった。身が震えるような感動に包まれて 呆然としている中、緞帳が上がって 大学のワッペンが左胸のポケットに鮮やかな 制服姿が現れる。
夢のように 時は流れた。シャイな性格や そうしたことに慣れていなかった私は 逃げるようにドアの外に出てしまった。
それから10日後。父が急死。葬儀が終わって間もない頃。その学生さんは 家を訪ねて来られたらしい。
留守だったので 大向さんに聞き合せをなさったそうな。それから2週間。5月の連休がやってきた。
我が家の庭は 花盛り。家の中も薔薇の香りに包まれていた。その香りに癒されるように 私は一人、留守番をしながら読書をしていた。
木戸から「ごめんください!」の声がする。「はーい!」ソプラノの返事を返して 階段を駆け下りた。
どなたが来られたのか?玄関からは 確認できない。飛び石を踏んで 木戸に駆け寄った。
そこには 名前も知らないが、あの合唱団の学生さんが 立っておられた。思わず 緊張する私に 弔問の挨拶を贈ってくださって、思わず涙ぐんだことを覚えている。
母が不在だったので そのまま お別れした。
その後、達筆のお便りが届いた。母がその手紙を観て こんな方に来ていただけたら、、、!と 打ち明けたことが忘れられない。
しかし!私は 母の意に沿えなかった。私は 実はその方をまったく知らない。音楽が好きだという事を どうしてご存知だったのかもわからない。
当時は 親が結婚相手を決めるのは ごく当たり前の事だったと思うが、私が勝手にお付き合いしているように考えられているようで 抵抗があった。
ましてや 父の急死で、心は折れていた。母もどれだけ 絶望していたのか?今なら 理解できるが 当時は 母の唐突な感情のように思えて 不愉快だった。
私は 自分の気持を押し殺して 育っていた。だから そういう気持ちを打ち明けられなかった。
そして!その便りを 燃やしてしまった。結果!大黒柱を失った 母子の家には縁談が遠のいた。
あれこれと親族が持ち込んだ縁談は 母の気に入らなかった。それでも たまには 試してみようか?と、お付き合いしても 楽しくもなかった。
母の機嫌も悪かった。そして3回忌を終えると 母は資産を手放すことを決めた。
私は 相続人である。手放してはいけない!と 反対したけれど、親族の誘いに母の気持は 傾いていた。
土地の契約が出来たからといって、まだまだこれから価値が上がるとわかっているのに 手放した。
それからの人生は 母の夢は打ち砕かれ、私も混乱を重ねた。もしも あの時!よくよく 話し合っていたなら、まだ学生同士でも 将来の計画が立てられたかもしれなかった。
父と母が 年月を重ねた 庭を守れたかもしれなかった。蚊帳の外におかれたまま 資産が取り壊されるのを 歯止めできなかったという後悔は今もなお 心の重荷として 消えることが無い。
「遥かな友に」を聴きながら 遠い記憶に 立ち返ることがおおくなった。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.567 ) |
- 日時: 2016/11/01 13:46 eonet
- 名前: yamaneko
- 秋らしい快晴。だが、昨日も今日も 家から出られない。朝も 9時半まで起きられない。
いつからか?前身に 虫刺され上の発赤が出るようになり、かゆみが途絶えることが無く、不安であった。
すでに アレルギーの薬は飲んでいる。医者に言えば 強い薬が出るだろう。今から 強い薬を飲み続けると これから先の症状は抑えられなくなるに違いない。
何とかして 自力で回復したい。
そこで 昨夜からは 綿シャツの重ね着だけにして 発赤を抑えている。おかげで かゆみはグンと低下した。
気温が低いので 風邪を引いているらしい。温めると痒いし 冷やすと風邪を引く。
そのせいで 集中力がまったく働かず、無気力状態。畑もピアノも掃除も電話も何も したくない。
食事にも 関心が無いから 2日で1,5キロ減量した。これは 嬉しい事。
さて!どうしたものだろう?このまま体を冷やしていれば 良くなるのだろうか?
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.568 ) |
- 日時: 2016/11/03 15:03 eonet
- 名前: yamaneko
- 昨日まで 体を冷やして過ごした。暖房もまったく拒否。紫外線に当たるのも怖かったので、メンタルも落ち込んでしまった。
このまま 終わりかな?と、妄想すると過去の記憶が鮮やかによみがえり、幸福と後悔の波に苦しんだものだが、今朝は少し 元気になっている。
起床時間は やはり10時頃。「ろうやぼう」を 観て 残り少ない名ドラマの終わることが 残念。
その後は 夫や息子は 庭のかたずけに出て、私はやっと!キッチンに掃除機をかける。
かなりの汚れが 少しはかたず入たような気がして 元気になるし、気分も良い。
階段は 雑巾がけ。これはまた 大変だった。しかし!これだけで 右の肋骨に痛みが発生。
やはり どこかに異常があるのだろう。
心配してくれた 友人に電話する。20代に 共に訪れた「正倉院展」の話題。
「修学院離宮」を懐かしむ。今は かなり公開される機会が多いが 昔は本当に貴重な経験で、生涯の記憶になった。
今日は「文化祭」。コーラスも出場されるそうだが、全く関心が薄れてしまった。
昨年の今頃は 毎週のように練習があり、何年たっても ストレスを感じた。 若い頃のように 燃えることを忘れた集団で 歌い続けることはなかなかの忍耐であった。
夫も「あまり 歌いたいとは思わなくなった」という。声が出にくいから当然のことだと思う。
ピアノ・レッスンは 今月は休み。肋骨が痛いので 良かった!と 痛感する。
煙がただよう 秋の空気。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.569 ) |
- 日時: 2016/11/19 04:18 eonet
- 名前: yamaneko
- 久しぶりに 気持ちよく目覚めた。雨の音がする。気温も ほどほどでかゆみを恐れなくてもよい。
さて!毎日が激動の世界情勢。大統領選が終わり、思いもしなかった大統領が当選し、日本は すぐに駆けつけてごまをすり、自衛隊は武器使用を認められるようになり、高齢者の自動車事故が毎日のように発生して、、、。
我が家の 庭の木は ほとんど切り倒されて、まるでよその庭のようになってしまった。
なぜ?夫がこんなに元気なのかわからないが、とりあえずよかった。
友人と この数か月 盛り上がっていた中国ドラマ「ろうやぼう」は終了した。
重厚なシナリオで 楽しませてもらったから 終了後を考えて「ロス対策」に「歴史検証」を始めた。
友人は 中国史に詳しい。まずは「ろうやぼう」の時代背景を 私から「南北朝時代」と知らせる。
そこから「紀元前」の「春秋時代」までさかのぼり「司馬遷」に行き着く。 「漢」の「武帝」に仕えた「史記」編集にまつわる出来事は 友人から手紙で帰ってくる。
それをまた ネットの歴史年表とウキぺデイアで 調べてより詳しい情報を伝える。
と、いうようなことをしているうちに「ロス」感は薄れて また「ろうやぼう」をはじめから見直すということになった。
夫は ビデオのダビングに取り掛かる。
さて!明日は 親友の17回忌。昨日はお供えを買いに行き、今日はゆっくりして 明日に備える。
早いものだ。16年が過ぎた。悲しみも消えて、ただ 生き延びていることを不思議に思うこの日ごろになった。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.570 ) |
- 日時: 2016/11/21 07:24 eonet
- 名前: yamaneko
- 清々しい朝を迎えた。
昨日は 夫婦で親友の17回忌に出かけた。これが 大きな法要の最後になるだろうと思っていた。
まず 立派に育った 野菜を観て回り、仏前で頭を垂れて、今日までの感謝を捧げた。
そのあとは いつものように 素晴らしいおもてなしを受ける。
昨年で卒業した コーラスのビデオを観る。まるで遠い過去のように思っていたが ビデオを観ると 懐かしく、曲もすぐに思い出した。
指揮者は現在は 母校オーケストラの指揮をされておられるので、その映像も拝見する。
合唱とは違う味があって それも新鮮だった。いろいろな 植物の話やら 町の行く末を 話したりすると あっと言う間に時間が過ぎて、いつものようにたくさんのお土産をいただいて 帰宅した。
ログハウスの窓際には 紅葉したモミジの落ち葉が つもり、16年と言う年月を労わってくれているかのようだった。
町の公民館活動による「合唱団」に 入ってほしいとの知らせが入っていたが、指揮者が違うと また苦労があるし、身体も結わっているので お断りする。
帰宅すると 息子がくつろいでいた。
情けない姿だけれど、これが現実。穏やかに 過ごしてくれるだけでも ありがたいと思わねば。
毎日のように 幼い頃の笑顔や笑い声が夢に現れることが 不幸中の幸いかもしれない。
今日は 畑に!!
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.571 ) |
- 日時: 2016/11/22 09:31 eonet
- 名前: yamaneko
- 昨日は 気分が悪くて一日中寝たり起きたりして過ごした。夜になって どうやら「風邪」か?と気が付いて 薬を飲んで眠った。目が覚めると お茶を飲み「奥の細道」を読んで、また眠る。
芭蕉は「那須塩原」にたどり着いたとき小さな女子の名前が「かさね」ということを聴き一句残している。
かさねとは 八重撫子の名なるべし
この「かさね」という名を 親友の娘は名乗っている。父親が戦後まもなく「那須の原」で生まれて 思い入れがあったことと、古典の教師だったことから この 美しい名前を付けられた。
前日に お参りしてきたことと あまりにも タイミングが良かったので 感動した。「かさね」さんにメールしたらとても喜んで返信をくださった。
その後 ぐっすり眠って 今朝は 本当に久しぶりに 早朝に畑に行けた。
草引き 苗植え、収穫をしていると「ザー!」と 風が吹いて 大きな栗の木の葉が バラバラー!!と 舞い落ちて 周囲に飛び散った。
金色の「カラマツ」が舞い落ちるのを子供のように 感動した青春時代を思い出して 懐かしかった。
「カラマツ」を観ることは出来ないだろうが、風情は同じ。感動もいまだに薄れない私を嬉しく思った。
枯葉は 冬の訪れを知らせているが 地面には すでに春の気配が忍び寄っている。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.572 ) |
- 日時: 2016/11/24 14:19 eonet
- 名前: yamaneko
- 夫と息子は 買い物に出かけた。やれやれ!家の空気が 軽いと感じられる。
自室の掃除と 不要物のかたずけにうきうきする。二人も大型の男が居座っていると どうしても気分が乗らない。
たくさんの洗濯をして ベット・メイクも交換。すっきりした部屋で 「奥の細道」続きを読む。
平泉あたりともなると「平家物語」に入ってしまう。あの 弁慶が仁王立ちになったシーンはあまりにも有名だが、あれこそは忠義の鏡。
兄頼朝に追い詰められた主君「義経」が自害して果てるまで、敵を寄せ付けなかっという。弁慶は全身に槍を撃たれて命は尽きていたのに、死んでもなお仁王立ちになって 主君を守ったというのだ。
この話は子供時代から 聴きなれているはずなのに 今になると 弁慶の忠義は悲しくも高邁に思えるし これほどの忠義の臣を得た 義経は立派な武将では無かっただろうか?とも 思われる。
話は一転するが 私の「紋」は「丸に揚羽ちょう」といわれる。紋付の紋印は 母から娘に受け継いでゆく。
娘は この紋を気に入っている。文学娘にとっては「平家紋」が 誇らしいそうな。
私は いまだに「しつけ」が外せないままの「紋付」をそのまま 娘に譲ることになる。
母から受け継いだ「紋付」を 私は身に着けることもなさそうな時代だが。
母が 「孫にも着せられるように」と選んでくれた 振袖も、あまりにも古くなりすぎていた。
戦後の母親が 夢に見た時代は 矢のように過ぎ去って、そう!まるで「奥の細道」を読むように感じる。
夏草や 兵どもが夢のあと。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.573 ) |
- 日時: 2016/11/25 17:34 eonet
- 名前: yamaneko
- こんなこともあるものだ!
早朝に 寝ざめたので、一人で「ろうやぼう」を 観始めた。
程よい暖房。ホット・テイー。甘もの、辛もののおやつもあり 家族は爆睡中。となると、幸せこの上もなし。
録画してあるものだから コマーシャルは 早送り。4時間は 一人で楽しんだかもしれない。
起きてきた 家族も それに加わって とうとう ごごの4時まで連続で 観てしまった。
暖房が効いていると、足元が冷えるので少しだけ ベットに横たわって 足を温めるつもりが 2時間も 爆睡!
これは 明らかに テレビの観すぎだ。
ほかほかの体で起きてきたら 夫手料理が出来ていた。
明日は「早朝時に0度になる」と言って雨戸を閉めていた。
やれやれ!ついに 冬に突入するのだ。
しかし!こうした日でも楽しみがあることは幸せなことだと ありがたかった。
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