Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.13 ) |
- 日時: 2015/09/20 09:16 eonet
- 名前: やまねこ
- 道駅には お客さんが多数 待機しておられた。「秋の行楽シーズン」なのだ。しかし!「野菜」は 少ない。ハーブも「青息吐息」の状態。うちは 楽しみながらの「栽培」なので。本当に ささやかなものだがハーブ・マニアには 期待されているから もう少し頑張らねばと思いながら、動けない。
一眠り してからにしようか?毎日のように「よもぎ」を 一袋だけ出しておく。すると、決まって 買っていかれる。何を作られるのかなあ?と 想像する。
多分今日の「よもぎ」は 「彼岸団子」になるだろう。そういえば「彼岸花」が 咲いていた。「キャンバスとお弁当」をもって「写生に出かけた 若い日は 夢のようによみがえる。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.14 ) |
- 日時: 2015/09/20 14:50 eonet
- 名前: やまねこ
- すでに「完売」。明日に向けて 午睡をしていたら「夫」が 激しい「嘔吐」を繰り返す。「薬」は すでに減らしてあるのだが、いったいどうしてなのか?
心配だけれど「検査」にはいかないだろうし、困った状況になっている。もしかすると?「胃がん」かな?ああー!また「介護」かー?嫌だなあ?と 思う私。冷たい人なので。
秋空の下で 小学校の「運動会」。この頃は どこでも「太鼓」を打ち鳴らすので「祭」と 間違える。もう どちらにも 縁が切れた。 息子は「高校生」の時に「祭デビュー」のはずだった。
「衣装」を縫ってもらっていたのに 「足首」を骨折した。手足4本のうち3本を骨折している。落ち着きがないわけでもなかったのだが、なんだか 事故が多い子供だった。
さて もう一眠りしてから 明日の準備をしなければ。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.15 ) |
- 日時: 2015/09/20 18:51 eonet
- 名前: やまねこ
- とうとう 今日は疲れが出た。体力的には 大したことはしないのだが、気温の変化やら ストレスからだろうか?結局 明日の準備はできなかった。
ぐっすりと眠れば 明日は動けるかもしれない。夕食を しっかりと作って 自分の体をケアする。「ねこのしっぽカエルに手」を観る。 「伊賀上野」特集だった。彼女の「エッセイ」は とても落ち着きがある。
イングリッシュならではの 優しいトーンに 内容が素晴らしい。しっかりと 聴きたくて神経を集中した。焼き物の土も バクテリアの多い土が 良いという事だ。不思議なものだ。土と言うのは生き物だ。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.16 ) |
- 日時: 2015/09/21 12:12 eonet
- 名前: やまねこ
- 今日は「宮沢賢治」の「命日」。「花巻」では「賢治祭」が行われる日だ。「夫」は昨夜、ぽつんと言った。「明日は 賢治祭だなあ?」と。
毎年のように「花巻」に通っていたころを 懐かしんでいる様子。「賢治」の弟さん「清六」さんやお姉さんが 存命のころは その実家を「宿」として「無料開放」しておられて、全国から集まった「フアン」が 雑魚寝をする。
夜には「祭」が行われて「賢治作曲」の「精神歌「花巻高校校歌」「星巡りの歌」などを 合唱したり、「鹿おどり」を観たりして「宮沢賢治」をしのび 交流をする。
「夫」は レンタカーを借りて移動して「下北半島」まで行ってしまったことがある。目の前には「北海道」が見えるので 思わず海を渡ってしまいそうだったと言っていた。
彼は 旅に中に必ず「ライブハウス」を訪ねる。「下北半島でも」もと「シャンソン歌手」が経営する ライブハウスで 経営者と二人でよもやま話を語り合い 歌いあったそうだ。
「韓国研修」の時にも やはり「ライブハウス」を見つけて 入っていたらしい。音楽好きの 若き頃が なつかしい。言葉が 通じなくても共通の楽しみが味わえると言う者だ。
さて、今日も「嘔吐」が続くので「薬」を飲まずに 様子を見る。「頭」の異変でなければよいのだが、私も 気分が すぐれず、今日の「出荷」は出来なかった。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.17 ) |
- 日時: 2015/09/21 16:15 eonet
- 名前: やまねこ
- 寝たり 起きたりの一日。「新田 次郎」原作の「点の記」という映画を観て 時間を費やす。「富山県」の「剣岳山頂」に「地図製作」に必要な「三角点」を打ち込むという 難行。
命じたのは「明治政府」。陸軍測量部の果敢な業務をドラマに描いている。当時は「キャラバンシューズ」も無い。草鞋姿であった。困難を 乗り越えて「四等三角点」を打ち込んだが、すでに「行者」が初登頂を果たしていたことから 軍部は「その偉業を否定」。
虚しさに 打ちひしがれながら「測量」する。同時期に「山岳会」も初登頂を目指して 苦闘していた。そして 軍部には否定されたが「日本山岳史」には永遠にその偉業が書き記される。と 称える。山頂からの手旗信号を 解読しながら 涙をぬぐう山男たち。
「八甲田山」と同様 地味ながらも男の闘いと友情が力強く描かれていた。「剣岳」は憧れの山ではあったが、昔の話になってしまった。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.18 ) |
- 日時: 2015/09/21 18:11 eonet
- 名前: やまねこ
- 夕食を 夫の好みに仕上げて 早い食事を済ませ「散歩」に送り出す。すでに「イノシシ時間」なので 川岸までは 車で出かけた。もしも!「低血糖」になると 危険なので、飴をポケットに入れて行く。ああ!やっと一日が 過ぎたという 安ど感。
今日は「薬」を 飲まずに様子を見ているらしい。こうして 毎日を不安に包まれて生きることは 良くない。どこかで 切り返さなければいけないと、思うが。「夫」の寿命は 限られてしまった。が、私は「長寿」の遺伝子を持っている。
20年は 悠遊で超えることだろうが 果たしてその内容はいかがなものか?
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.19 ) |
- 日時: 2015/09/22 11:51 eonet
- 名前: やまねこ
- 「サンシャイン・サンセット」という 名曲がある。「屋根の上のヴァイオリン弾き」という 「ドラマ」&「映画」で歌われる。
「ウクライナ」で ささやかながらも 暖かく幸せな暮らしを営んでいた一家が 土地を追われる物語。
この「掲示板」で、癒された時間は 多かったが、突然に気持ちが 解離した感じがする。
いろいろな人が それぞれにかかわっているけれど 果たして 誰がどの人かもわからない 仮想空間。
そこで 独り言を言うという事も ばかげているような 不思議な感じがする。
「ヴァイオリン弾き」のように 歌いながら 暮らしていこう。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.20 ) |
- 日時: 2015/11/08 20:10 eonet
- 名前: やまねこ
- 暖かい 初秋なので 気分は少し軽い。あれ以来 「洋菓子」のラッピングをする「バイト」に出かけてみた。
中年の女性たちと きれいなお菓子をラッピングするのは楽しかった。
しかし!すぐに体に変調が現れた。まずは「肋骨の疲労骨折」。これは 単調な作業の繰り返しが原因。つぎに「めまい」。これは乾燥している部屋で きらきらするお菓子をきらきらする袋に入れることによる「眼精疲労」。
すぐに」「退職」。これでもう 家の外で働くということは 不可能だと理解した。
短期間だったが 若返る気分を味わってよかった。
自宅の仕事をまきめに 取り組んで楽しむことにしましょう。そしてまた ここに独り言を 書き込んでみよう。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.21 ) |
- 日時: 2015/11/11 11:41 eonet
- 名前: やまねこ
- 来週の土曜日には舞台に立つというのに、今年はまだ「合唱」は 未完成。
指揮者にも焦りが観られて、我々も互いに励ましあいながら 努力している。
昨日は 練習日。我が家でも「夫」のパートをピアノで「音取り」の一日。
私は 記憶できるが「夫」は 初めから「出来ない」と、決めている。この「ネガテイブ」な神経は 40年にわたり、私を苦しめてきたが 今となっては仕方が無い。
気力をひねり出して「音」を取ってあげる。
この頃は 空気が乾燥しているので「ピアノ」の音色は冴えわたる。気分が悪い時でも「ポーン!」と鍵盤をたたくだけでも 嬉しくなる。それが「音楽」が私に送ってくれる「癒し」なのだ。
「アヴェ・マリア」という古い曲を習っている。400年ばかりも前の古い「教会音楽である」。
「ヴィクトリア」という「音楽家」の作曲で 長い「合晶生活」で、初めて出会う曲なのだ。
「旋律」の美しさと「ラテン語」のむつかしさを 乗り越えて、昨日は「完成」した。
なんという気持ちの良い曲でしょう!というと 指揮者も大喜び。歌うのは 苦しいが、指導することはもっと苦しい。
お互いに 努力して喜び合えることは幸せなことだと 実感した。
しかし!今朝は疲れて 食事もできなかった。これが「老い」と言うやっかいな事情なのだ。
さて、もう一眠りして 元気になろう。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.22 ) |
- 日時: 2015/11/12 13:51 eonet
- 名前: やまねこ
- 小春日和である。木々は黄金色に輝き、小鳥は楽しげに飛び回る。疲れも遠のき私は 思い描いていた畑仕事に出かける。
夫は 食料の買い出し。これが 彼の気分転換。
虫刺されや紫外線のアレルギーがあるため防寒具に身を固める。
まずは「ミョウガ」と「山ぶき」を 掘り起こし、山の日陰に「移植」する。すでに「新芽」をのぞかせている。寒さに痛められないように 枯草をたくさんかぶせておく。
ビニールをかぶせている「三つ葉」「イタリアンパセリ」などの「発芽」を確かめてから、「栗のイガ」を燃やして虫を遠ざけて、生い茂っている草を引いたり鎌で切り取ったりしてゆくと、なんと!大量の「鹿の糞」が 残されていた。
なんとなく「鹿の気配」を感じてはいたけれど 別に「被害」もなかったので 安心していたが、どこから侵入したのだろうか?
何も食べずに がっかりとして 還って行ったのだろうか?と考えたりする。
そうこうして 家に帰ると4時間も畑で過ごしていたらしい。ああ、嬉しいこと。長時間でも働けることが嬉しい。
「朴ノ木」の下におちている「どんぐり」を拾って帰り、窓際に飾る。
明日は 寒波がやってくると言う。昼寝をしてから もう一度山へ行っておくことにしよう。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.23 ) |
- 日時: 2015/11/13 18:43 eonet
- 名前: やまねこ
- 一日 調子が良いと 必ずその後には倒れてしまう。今日も 昨日とはまるで反対の一日を 過ごした。
左足は捻挫の痛み、右足は昨日の疲労らしい。朝は 階段を下りるのが怖いくらいに痛んでいたから、絶望的な気持ちだったが また昼寝をして 体全体を温めると、夕方には 何とか畑に行き、収穫できた。
よかった!!とりあえず 休養すれば回復することが 嬉しい。
昨日の「鹿の糞」をたどると、柔らかい草の芽が 丸坊主になっていた。 どうやら 食べ物が無いために「草」を食べて飢えをしのいだらしい。
かわいそうに、これからはますます 食べ物は 乏しくなる。冬は どうするのだろう?と、老いゆく 私は自分の事のように 感じられるのだ。
かといって、何もできはしないのだけれど。昨日植えた「玉ねぎ」の列をながめて、夫は「こんなにたくさん植えたの?」と聞く。いたわってくれているのか?も、知れない。
足が動く嬉しさから、「マンリョウ」「藤」「あかぱんさす」「タイム」「カモミール」などを 鉢植えにする。
身体が動くことは 本当に幸せなことだ。 明日は「出荷」。元気に起きたい!!
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.24 ) |
- 日時: 2015/11/14 19:23 eonet
- 名前: やまねこ
- 疲れ果てている「夫」は 朝の気分転換に「出荷」をして 小さな町のスーパーに寄って帰る。
その間に「掃除」をすれば 家事は順調に進む。けれど、このところは「行つまり」を感じる。
「足」が痛いという事は「腕」やら「肩」にも 不調が生じる。掃除機を持つ気力が 湧かない。
テレビを観ても面白くない。だから「昼寝」をする。このところの私は「寝たきり老人」状態。
でも、きっと明日は 元気になれる。そう感じるのだ。
「フランス」の同時多発テロニュースを観て、日本にもこうしたことが起きるのではないだろうか?と心配したり、「国産航空機」の開発成功ニュースに目をみはったりする。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.25 ) |
- 日時: 2015/11/15 08:27 eonet
- 名前: やまねこ
- 夜中十 雨音が絶えなかった。しかし!出荷する。今朝がたは「掃除」している夢を見ていた。
起きてみれば 夫が「今日はどうする?」と、話しかけてくる。なんだか 今朝は眼の具合が悪くて 機嫌もいまいち。夫の気配がうとましい。
急いで 収穫してラッピング。「チャイニーズ・ホーリー」という ヒイラギをクリスマスリボンで 飾るときが楽しい。
これを 見つけた人の表情を思い浮かべる。珍しいものなので すぐに売れてしまう。でも たくさんの束は作れない。ヒイラギなので「とげ」との格闘をしながらつくる。
それでも 私はこの時が幸福だ。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.26 ) |
- 日時: 2015/11/15 22:00 eonet
- 名前: やまねこ
- 雨のち晴れ!行楽日和だったかな?今日も 楽しみの「チャイニーズ・ホーリー」を出荷して、すぐに売れてしまったらしい。
嬉しさと淋しさが 一度の押し寄せる。若いころの「発見やら驚き」をもって 買い物をしていた姿が メールのむこうから 感じられる。今は もうそうした感情が薄れているので賑わいを想像すると 寂しい気持ちがする。
あと2回くらいは 出荷できるだろうか?大きな「チャイニーズ・ホーリー」の木を 見上げながら思っている。
この後の 楽しみは「きんかん」の出荷。今年も 枝がしなるほどに 実っている。これで「果樹」は終わり。
12月の終わりまでは 続くだろう。
振り返れば 一年中 花やハーブ、いろんな樹木の実などを 収穫して出荷してきた。ありがたい自然の恵み。
来年も 元気にはたらけますようにと思う。冬の間には「月桂樹」を「株分け」して 植えなければならない。「レモン」の「根切り」もする。
年末も新年も いつも「スキー」や「旅行」や「登山」ですり抜けてきたので、今更「おせち」で祝うという事も無し。
畑で「コーヒー乾杯」でもすることになろう。それで いいのだ。それが 私の一年だもの。
明日は「最終練習」。楽譜の整理、音取りをして 今日は眠ろう。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.27 ) |
- 日時: 2015/11/16 12:15 eonet
- 名前: やまねこ
- 「起床時」に眼の焦点が合わない。2回目の経験。多分「パソコン」が影響しているのだろう。
肋骨、左足、眼の不調が続いてくるとさすがに「不安」になる。もう がたがたではないだろうか?
明日死んでも悔いはないという年齢だが私は困る。まだ 未解決事項が多すぎるのだ。残してはいけない。神様どうかもう10年の時間を下さい!などど、心の中で 祈りを捧げる。
10年後にも まだ解決しないのだろうけれど、そんなことを考えるのは「ひまつぶし」に 違いない。
動きたいけれど、夜の練習を控えているので 疲れたくない。心と体が 分離するような びにょうな精神状態なのである。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.28 ) |
- 日時: 2015/11/16 18:31 eonet
- 名前: やまねこ
- 久しぶりに 不愉快な空気になった。「夫」は「糖尿の定期健診」を受けずに「薬」だけ持ち帰った。
先月は「薬を変えてくれない」と怒っていたのに、今月は「受診しない」。
まだ半年。どうなるかわからないのに、「医者は点数を稼ぎたいのだ」と申す。
なんだか後悔が押し寄せるような気がする。僻みっぽくて 気が小さくて どうしようもない人間と暮らしているらしい。
ああ!やだなー!!と、おもっても これから「練習」に行かねばならない。
本当にもう!!
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.29 ) |
- 日時: 2015/11/17 18:24 eonet
- 名前: やまねこ
- 朝から雨降り。昨日の練習でまた「肋骨」が痛い。朝寝をして また寝る。午後は「ピアノ」のレッスン。
3人目の乳児を胸に抱いてレッスンは行われる。乳児はおとなしく、先生はゆったりとされている。
小学生のころから 知っているのだが 今迄のどの「ピアニスト」よりも たくましくて、指導上手。
私が5年も止めずに 続けられるのは この先生のおかげ。
今更ながら 娘に習わせておけばよかったと後悔する。それは「花の歌」という「ランゲ作曲」の旋律を弾いているときに 思った。音感の良い娘は 友人が弾いているのを聴いて それを弾くことができていたのだが、よいピアニストに巡り合えず、結局は 習う機会を失った。
私も どちらかと言うと「緊張」するタイプなので 娘が本当に習いたいのかどうか 見極められなかった。
惜しいことをした。うつうつとしているときにでも ピアノの音色は 気持ちを明るくする。
そうした 教育を奪ってしまったという後悔がある。
今となっては 孫に恵まれるのなら 応援したいものだと願っている。
と言うわけで、集中力のないままで弾いたのだが、次の「曲」をいただいて帰宅する。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.30 ) |
- 日時: 2015/11/18 18:17 eonet
- 名前: やまねこ
- 雨に日は皆が眠りに入る。予定していたことは全部 出来なかった。何度も 眠ろうとしたが 熟睡できず 午後の2時から4時まで眠れて 体のだるさも回復した。
あと 二日。本番がこんなに不安なことは無かった。皆が 高齢二なったせいだろうか?
明日と 明後日は 体調管理。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.31 ) |
- 日時: 2015/11/20 09:38 eonet
- 名前: やまねこ
- ついに 明日本番!なのにマスク着用で、暖房の中に沈み込んでいる。声は まだ嗄れている。しかし「のどの痛み」は少し軽くなった。
大丈夫なのだろうか?「発熱しても」舞台に立たれた仲間もおられたが、私は そういうことは出来そうにない。
不安に満ちて 一日を過ごすことになりそうだ。
本当に 健康が 大切。痛感する。
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Re: 王様の耳はロバの耳 ( No.32 ) |
- 日時: 2015/11/22 03:16 eonet
- 名前: やまねこ
- 「幸福な朝」を迎えた。
人口一万の 小さな町で32年間継続してきた「コーラス交流会」が 幕を閉じた。
それぞれの「校歌」を歌い、それぞれの「思い」を「熱唱」した。あまりの「熱唱」に「動悸」するほどだった。
まだ「幼児」だった子供を家に置いて「練習」に出かけた。そうして「よい町」を造ろうとしてきた。
しかし8校が「廃校」になる。「こども」が少ないのだ。残念ながら 学校は「新設一校」になる。
「演歌」一色の時代に「クラシック」を歌う事は「偏見」の的であったが、やがてその「精神」が理解されるようになり多くのグループも良質の歌を歌いようになった。
これらの「歴史」は「教育委員会」に「保存」される。しかし「過去形」になるのは 寂しいことだ。
母を亡くすとき、親友の末期、仲間の逝去など この時期にはつらい思い出が多い。しかし!いつも歌った。
幕が下りてから「亡き親友の息子」から「花束」を贈られた。「おばちゃんはいつも花束を届けてくれていたのを 思い出した」と 言葉少なに 年月をねぎらってくれた。
「不覚」にも涙が 込み上げた。「親友」が存命なら 共にこの日を迎えることができたのだという事を 改めて認識した。
これからは グループで歌う事は 無くなる。時は 過ぎると早いもの。そして取り戻せないものだ。
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